第三部
絨毯は静かに公園の空き地に降り立つ。ここは、祐羽が壺を見つけた場所だった。
夜は遅く公園に人気は無く、周囲にある電灯で、僅かに照らされていた。
二人は絨毯から降りた。
「それで願い事は何かな、言ってごらん?」
祐羽は頷き、それを伝える。
「私の願いは…………、ルーネスの封印が解けて、自由になれる事」
その願い事を聞き、ルーネスは驚く。
「これは、君の為の願い事じゃないよ。本当に……それでいいの?」
再び祐羽は、はっきりと頷いた。
すると、ルーネスの首輪は光を放って砕け、鎖も消滅した。
「……これが、僕が開放される唯一の条件だったんだ。ただ一つの願いを、誰かが自分の為で無く、僕の為にそう願ってくれる事が……。けど、僕が望んでいたのは、そんな事よりも……」
まだ驚いたまま、ルーネスは呟いた。だが最後の呟きはとても小さく、祐羽には聞こえなかった。
「貴方はとても良い精霊です。だから私は、ルーネスに自由になって欲しかった。それが、私のための願いより、ずっと尊いから」
祐羽は、かすかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。短かったけど、私と一緒にいてくれて。とても……楽しかったよ。……ありがとう、ルーネス」
そう言って、祐羽はルーネスに背を向けて、去ろうとした。
しかし――――。
「それだけなの、祐羽ちゃん? 僕に言いたい事は?」
ルーネスに呼び止められて、祐羽は振り向いた。
「……どう言う事?」
「僕と別れた後……君はどうするつもり?」
この時初めて、ルーネスは祐羽に、真剣に質問した。
祐羽はその気迫に、少し戸惑う。
「そんな……、私は別に……」
その言葉にルーネスは深く溜息をつく。
「僕に言いたくない訳? なら言ってあげるよ。君は…………殺された家族の仇を討つつもりだろ」
はっきりとそう言われて、祐羽はルーネスを真っ直ぐ見返す。
「……どこで、それが分かったの?」
「最初会った時に、祐羽ちゃんが家族の話をしていた様子を見て、怪しいとは思っていたよ。その後僕と過ごしている間にも、君は何度か、暗い表情を見せていた事にも気づいた。……悲しみと憎しみの表情を。それは、本当は忘れるべきなんだ……。君の家族だって、そんな事を忘れて、幸せな人生を歩んで欲しいと望むはずだよ。
僕は君と楽しい時を過ごす事で、それを忘れてもらう事を望んでいたけど…………残念ながら、外れたようだね。例え仇を討っても……、もう二人は戻って来ないのに……」
「そんな事は分かっている! でも……何でなの! 何で三人が死んでアイツが生きて、自由になるのよ! 私はずっと憎んでいた……、アイツが十年で釈放されると聞いてから、ずっと……。それは、何をしても消えるものじゃないし……消したくもなかった。 私は…………アイツに罰を与えるために、仇を討つの!」
祐羽はそれに激昂して、叫んだ。
「頼むよ……、復讐してもどうにもならない。どうかもう、その事は忘れて、前を向いて生きてもらいたいんだよ」
「……そんなに忘れて欲しいなら、貴方の魔法で記憶を消せばいいじゃない」
「出来る事なら……そうしているさ。でも、人の心や記憶に介入する魔法も、存在しないんだから……」
「なら……私の気持ちは変わらないわ」
頑なにそう言う彼女に、最後の手段とばかりに、ルーネスはある事を伝える。
「実は、もう一つ言っておきたい事があるんだ。ついさっき、僕には予知能力があるって、言ったよね。そう、あの少女に死が迫っていると、感じた事だよ」
そして一呼吸置いて、祐羽に告げた。
「実は、祐羽ちゃんに会った時も……それを感じた。つまり、君にも死が迫っている事だよ。それは……今も消えていない。もし、このまま仇を討とうとするなら、その時は…………君は死ぬかもしれない。君が返り討ちにされるか、それとも相打ちか……」
彼女は首を横に振る。
「例えそうなったとしても、構わない。もし、私が死んだとしても……、そしたら家族に会えるから……」
どうやら、祐羽の決意は固いようだった。
それでもルーネスは、彼女に懇願する。
「本当に、お願いだよ。こんな事なんて、誰も望まないよ。僕と同じ過ちを――繰り返さないで」
祐羽は、それに耳を貸さなかった。
「それでも、私はやらないといけないの。御免なさい…………そして、さよなら」
こう言い残すと、彼女はルーネスに背を向けて、公園を去った。
公園に取り残されたルーネスは、悔しそうに呟く。
「何て無力なんだろうね、僕は。魔法で不治の病は治せても、心の痛みは取り除けないなんて……」
そして続ける。
「僕はどうすればいいのかな? どうすれば、彼女が救えるのかな?」
ルーネスはただ一人、悩みに苦しんだ。
次の日の土曜日。学校は、休みであった。
祐羽はある場所の近くにいた。右手は上着のポケットに突っ込んでおり、その中に入っているナイフを握っている。
そこは、祐羽の家族を殺した男が収監されている、街外れの刑務所だ。
彼女は電柱の陰で、様子を窺う。
入口の正面には、大型車でも通れるような、大きな正門がある。その左右の端には門番が二人おり、その傍には正門とは別に、小さい扉が二つ存在した。
祐羽はそこで、男が出てくるのを待った。
待ち始めてしばらくすると、小さい扉の内の一つが、ゆっくりと開く。
扉からは、軽薄そうな長身の男が現われた。彼が、釈放された殺人犯である。
男の顔からは、この十一年で何一つ反省した様子は見えず、刑務所の傍で唾を吐き、どこかへと向った。
その男の後を、祐羽は追う。彼女は人気が無い場所で、男を襲うつもりであった。
男はさらに街の外れに向かい、そこにある林の中へと入った。祐羽もそれに続く。
林の中を二人は進み、やがて林であまり木々が生えていない空き地で、男はいきなり足を止めた。
一体どうしたのか? 祐羽は茂みの中に隠れながら、疑問に思った。
すると男が、彼女のいる茂みを睨む。
祐羽はびくっとした。
「俺の後をつけている事は、最初から分かっているぜ。――出てきたらどうだ?」
余裕たっぷりな表情で、男は言う。
最初は気づかれた事に、一瞬ひるんだが、やがて意を決して、祐羽は男の前に現われた。
「あなたは覚えている? 私はあの時、両親とまだ小さな兄を、あなたの手で殺されたのよ?」
男は初め、何の事だか分からないようだった。
しかし、ようやく思い出したらしく、突然ケラケラと笑い出す。
「キャハハハハ! ああ、思い出したぞ! 手前はあの時の小娘か。そう、俺が殺し損なった、あの小娘だな」
この不快な笑いに、祐羽は苛立つ。
「一体、何がおかしいの?」
何とか笑いを抑えながら、男が答える。
「クックッ……だってよぉ、手前がいつまでも過ぎた事を、ネチネチとほざくから、それが可笑しくて可笑しくて……」
「私の大事な家族が、殺されたのよ! それを過ぎた事ですって……」
反省していないどころか、むしろ被害者を嘲笑するかの様な男の態度に、彼女は怒りを隠せなかった。
男は得意げに両腕を広げ、天を仰ぐ。
「俺はただ、この退屈でクソみたいな人生に刺激が欲しいから、ただ楽しみの為に殺しているだけさ。
なぁ? お前は俺への憎しみで一杯らしいが、少しは考えたことはあるか? どうしてこの世に生まれたか、命に価値なんてあるかってな。
生まれて生きて、いつかは死ぬ。何かを成しても、子孫を残しても……、数百年後には、いつか人間そのものが滅びれば、何一つ残らず忘れ去られ、無だ。
そのくせ苦しみばかり多いと来ている、人生『四苦八苦』とは、キャハハ、よく言ったものだな。
ほらな? 命なんてそんなものさ。それを自分の楽しみのために消費して何が悪い? それで消費した、下らない命、人間の事なんか、俺が考える訳ねぇだろ?」
最低だった。こんな男に家族が殺され、私の人生を狂わされたなんて……。
そんな嫌悪感と憎悪に駆られ、祐羽はポケットからナイフを抜くと、男に突っ込んだ。
だが彼女の衝動的な行動は、とても単純で、予想がつきやすい物であった。
男は難なくそれを避けると、祐羽のナイフを握った腕を掴んで、強くねじった。
「つっ!」
痛みのあまり、彼女はナイフを落とす。
「おいおい? 俺に復讐するんじゃなかったのか?」
続けざまに、男は彼女の腹部に膝蹴りした。
その激痛に短い叫びを上げ、祐羽は地面に倒れる。
「だがこれでは、無理そうだな? もう少し楽しめると思ったが、がっかりだぜ」
そう嘲笑しながら、倒れた彼女を再び蹴飛ばす。
更に強烈な痛みを感じ、腹部を押さえて身悶える。呼吸すら出来ない程の、苦しみだった
祐羽の苦しむ様子を眺めながら、さも愉快そうに男はけたましく笑う。
最初、祐羽はナイフを手に、男に復讐しようとしたが、今ではそれすらままならない。
それどころか、男に痛めつけられ、弄ばれ、恐怖を感じている。
「このまま一気に殺す事も出来るが、それだと面白くない。十年間も檻の中で退屈してたんだから、その分、楽しまなきゃな」
男の言葉を聞き、思わず祐羽は涙を流していた。
「誰か……助けて……。ルーネス……」
「キャハハッ! 今更後悔しても遅いっ! 誰も助けになんか……」
次の瞬間、何者かが突然現われ、男を激しく突き飛ばした。
「ルーネス! 来てくれたの!」
自分を助けてくれた相手がルーネスだと思い、祐羽はその相手を見た。
「無事だった、祐羽さん? 怪我は無い?」
「……えっ、明良……君?」
彼女の目の前には、明良の姿があった。
「誰かの後を追う君の姿を見つけて、心配だったから後をつけたんだ。君には悪いと思ったけど、何だか、嫌な予感がしたから……」
「う、ううっ……」
二人が声の方向を見ると、倒れた男が呻きながら、起き上がっていた。いきなり突き飛ばされ、かなり頭に来ているようである。
「このガキ……よくも! 手前も俺の楽しみとして、消費してやるよ!」
明良は祐羽に言う。
「祐羽さんっ! 僕がこの男を食い止めるから、君は先に逃げて!」
「でも……」
「いいから早く! すぐに僕も追いつくから!」
彼に強く命令され、言われるがまま、祐羽は男に背を向けた。
「くそっ、逃がすか!」
男はすぐに追いかけようとするが、その先に明良が立ちふさがる。
「よくも彼女にあんな事を……! もう指一本、触れさせない!」
祐羽は一人、林の中を走る。
私のせい……。私の無謀な行動のせいで、明良君が……。彼女は自分の行為に悔やみ、そして彼の身を案じながら、走り続けた。
だが……。
いきなり、祐羽の後ろから叫び声が聞こえた。それは明良の声だった。
「……嘘? そんな!」
思わず走るのを止め、彼女は振り返る。
もしかして彼の身に何かあったのではないか? 祐羽は引き返そうとしたが、恐怖で足がすくんだ。
明良君は、私を守るために一人残っている。私が原因なのに、それでも……。なのに私はこうして逃げているなんて……
祐羽は勇気を振り絞って、今来た道を戻った。
彼が危険な目に遭っているかもしれない。そう思い、必死で空地へと戻る。
やがて、祐羽はあの空き地に戻って来た。
そこにいた明良は、右肩を手で押さえていた。押さえている手の隙間から、血が滲み出している様子が見える。
「明良君! その傷……!」
祐羽の声に気づき、明良は彼女に顔を向けた。その表情は、痛みで僅かに歪んでいた。
「平気さ。もう片付いたし、怪我も深くないしね。だけど……戻って来たのか。僕は逃げろって、言ったはずだろ。もし僕がやられて、男が無事だったら、どうするつもりだったんだ?」
「ごめんなさい、放っておけなくて……。それで、あの男は?」
そう聞かれて、彼はある場所に目を向けた。
「畜生! 一体どうなっているんだ! 何なんだよ、これは!」
その場所には、両手両足が辺りの木々から伸びた枝に絡まれ、身動きを封じられて、もがいている男の姿があった。
「君が逃げた後、僕は男と取っ組み合いをしたんだ。最初は僕が有利だったけど、途中で男はナイフを拾い、切りかかって来た。肩の傷は、そのせいだ。正直、かなり危なかったさ。そして、もう一度男が切りかかった時……、いきなり周りの木々から枝が伸び、男を絡め取ったって訳だよ。本当に、何がどうなっているのか……」
こんな事、普通は起こらない。だとすると……。祐羽には一つ、心当たりがあった。
「やぁ、祐羽ちゃん。君も来てくれたんだね」
上から声は聞こえた。二人が見上げると、リスのような精霊が、ふわふわと宙を浮遊している。
「……ルーネス!」
そう呼びかけた祐羽を見て、ルーネスはフッと笑った。




