第一部
物語は、何処かの町の、ある高校の教室から始まる。
中からは高校生達の、楽しげなざわめきが聞こえる。
ようやく午前中の授業が終わり、授業から開放された生徒達は、皆浮ついていた。
それに今日は金曜日。次の日からは、学校が休みだと言うのも、理由の一つかもしれない。
しかし……、その中でただ一人だけ、そんな様子を全く見せない生徒がいた。
その少女、祐羽は窓辺の自分の席に座り、虚ろな目で外を眺めている。
見た目は綺麗な女の子であるが、雰囲気は暗く、周りが近寄りがたい程だった。
季節は、夏の初め頃。みんな新しい環境に慣れはじめていて、友達も幾らか出来ていた。……祐羽以外は全員。
むしろ周りは、陰気な彼女を、避けているようにすら見える。
部屋の真ん中には、彼女とは対照的に、男女問わずに多くの友達と一緒に、仲良く話している少年がいた。
とても快活そうな容姿で、誰とでも打ち解けそうな、親しみの持てる笑顔が特徴的な少年だった。
友達と話している時、ふと少年は祐羽を見た。
「なあ明良、せっかくの良い天気だし、外に行こうぜ」
一人の友達が、彼にそう提案した。他の友達も、それに同調する。
「ああ分かった。けど、君達は先に行ってくれないか? 僕もすぐに行くからさ」
友達はそれを聞くと、次々と教室から出て行った。
彼らが出て行った後、明良は祐羽の席に向う。祐羽は、そんな彼を無視している。
「こんにちは、祐羽さん。僕は武居明良って言うんだ。多分、いつも出席の時に名前を聞いて、知ってるかもしれないけど……。でも、こうして話すのは、初めてじゃないかな」
初対面でも無理のない範囲で、優しく丁寧に、親しみを込めて明良は話しかけた。
しかし、そんな彼を、裕羽は無視する。
「……」
「なぁ、良かったら、君も一緒に来ないか? 君の事は、僕から友達に紹介するから」
「……別に」
祐羽は、明良の顔を見向きともせずに言う。
「だって、いつも君は一人で、寂しそうだからだよ。まだ一度も君が喜んだり、笑ったりした所も、見た事無いからさ。まぁ、学校が始まったばかりだから、友達を作りにくいのは無理は無いけど……」
彼は、祐羽の事を心配している様だった。
「何が言いたいの?」
「僕は、ただ君に元気になって欲しいだけさ。友達が沢山いて、毎日がとても楽しいと笑っていられる……そう思ってもらえたらいいなって」
「……」
黙ったまま、祐羽は彼を見た。
「……私は一人が好きなの。寂しくなんか、ないわ」
「でも、好きで一人でいるようには……」
明良が言い終わるのを待たず、彼女ははっきりと言った。
「もう放っておいて! あなたの顔も見たくもないわ!」
そして祐羽は、彼から顔をそらした。
「……分かった。けど、もし本当に寂しかったら、いつでも話を聞くから……」
そう言い残すと、明良は教室を出て行った。
彼が出て行って、しばらく経った後、祐羽はまた窓から、外の景色をのぞいた。
下に見える校庭には、明良と、彼の友達がいる。
ふと彼は、上を見上げ、祐羽と目が合った。
彼女はすぐに、外を眺めるのをやめた。
夕方五時のチャイムが鳴り、高校生達は校門から出てきた。
やはり祐羽は、一人きりで家路についていた。
帰る途中、彼女は古びた公園の中を通る。家に帰るには、ここが近道だからである。
長く手入れされていないせいで、雑草は高く生い茂り、雑草だらけの地面には、そこだけ土の質が違うのか草がほとんど生えていない。
そこはさながら一本道になっていて、彼女はいつもそこを通って帰り道にしている。
そして、いつもの様に公園を歩いていると、いつもの通り道の先で、野良犬が地面を掘り返しているのが見える。
野良犬は少しの間地面を掘った後、ぴたりと掘るのを止めた。
多分、何かを見つけたのだろう。
しかし、どうやらそれは何かのエサやホネといった、犬が期待していたものと違うみたいだった。
心なしか犬は悲しげな様子で、クゥーンと一鳴きした。そして堀った穴にこれ以上触れることもなく、そのまま後にした。
正直言って、穴の中に何があるのか、裕羽はどうでも良かった。
でも、穴は帰り道の途中にあり、それに避けて雑草を通るよりは、簡単に飛び越えた方が楽である。
裕羽は穴へと近づき、そして飛び越えようとした。
しかし、幾らどうでも良いと思っていても、ここまで近づけばどうしても気になる。
まぁ、少し見たって、どうってことは……。
そう思った彼女は、ちらりと穴の中を覗く。
穴の中に埋まっていたもの、それは小さな壺だった。
壺は手のひらほどの大きさで、何かの陶器製らしいが、つい昨日造られたばかりかのように、土に埋められていたのに関わらず劣化の跡はない。
裕羽は壺をよく見ると、その表面全体には、精工で美しい装飾が施されていた。
一体何か分からない、神秘的で、美しい壺……何故か祐羽を惹きつける、不思議な魅力が壺にはあった。
この魅力に逆らえず、彼女は穴から壺を取り出して、公園出口の水道で汚れを洗い落した。
やがて、汚れを全て洗い落とすと、そのまま持ち帰るために壺をカバンに入れた。
家の玄関を開け、祐羽は無言で中に入った。
中には誰もおらず、電灯が灯っていないせいで、家中が寂しげで薄暗い。
この家は彼女の叔母の家であり、叔母は仕事のせいで家を空ける事が多かった。
つまり学校でも、家でも、一人ぼっちなのだ。
祐羽は階段を上がり、自分の部屋に入って電気を付けた。
「ただいま……、お父さん……お母さん、お兄ちゃん」
祐羽が見ていたのは、低い本棚の上に飾ってある写真立てである。
写真立てには、小さい頃の彼女と、彼女より少し年上の元気な男の子、そしてその両親との四人の写真が入れられていた。みんな笑顔で、幸せそうだ。
「待っていて、もう少しだから……」
そう呟いて祐羽が目を移した先にあったのは、壁にかけられたカレンダーである。カレンダーには、明日の日付の所に、ボールペンで黒いバツ印がしてあった。
椅子に座ると、彼女はカバンからあの壺を取り出し、机の上に置く。
灯りに照らされた壺は、公園で見た時よりも美しく見えた。
しかし壺はまだ少し濡れたままだった。汚れを洗い流した時、うっかり水をふき取るのを忘れていたからだ。
一体、何で私はこんな壺を持って来たんだろう。それにこれだと、カバンの中も濡れているだろうな……。
こう考えながら、祐羽はハンカチで壺を拭いた。
すると、いきなり壺から、大量の煙が噴出する。
煙は辺りに立ち込め、壺がどうなっているか見えなかった。
やがて、煙は晴れた。彼女が壺を見ると、そこには緑の服を着た小さなリスのような生物が、人間のような格好で、二本足で立っていた。
ただ、リスとは少し違い毛並みは新緑色で尻尾は長く伸び、その耳はまるでウサギのように大きい。
そしてその深い濃緑の瞳からは、まるで人間のような、いやそれ以上に深い知性を感じさせた。
「あなたは、誰?」
少し驚いたみたいだが、相変わらず無表情で、祐羽は尋ねる。
すると謎のリスは明るい表情で、胸を張って答える。
「僕はルーネス、精霊だよ。それで君は、何て名前かな?」
「……浅倉、祐羽」
彼女はぼそっと呟く。
そしてルーネスと名乗ったリスもどきは、ぐっと背伸びをした。
今祐羽は気づいたが、ルーネスの首には首輪があり、首輪に繋がっている光の鎖が、壺の中から伸びていた。
「二百年ぶりに、ようやく外に出れたよ。まさか壺が土に埋まっちゃうなんて、思わなかったからね。本当にありがとう、祐羽ちゃん」
この様子を見ても、やはり彼女は無表情だった。
「でも君みたいに、何の反応が無いのは初めてさ。普通は、もっと驚くはずなんだけどね……」
「その精霊さんが、私に何の用?」
「もちろん決まっているだろ、君の願いを一つ叶えるためさ。ほら、ランプの精霊が、持ち主の願い事を三つ叶えてくれる物語があるよね、それと似た感じさ。僕は大昔に精霊の掟を破ったせいで、罰としてこの壺に封印され、こうして願いを叶える事を義務づけられた訳。
僕は誰かの願いを叶え続け、そのたびにまた壺に戻って、再び次の誰かを待つ…………それを、数千年間も続けて来た。本当に……途方もない時間さ」
ルーネスは重い表情でそう話しながら、首に付けられた首輪を撫でている。
そして話し終えると、再び表情を明るくする。
「と、まぁ……そんな訳だから、僕に何か願い事をしてよ」
それを聞くと、祐羽の目に、僅かに希望の光が宿った。
「もし本当に願いを叶えられるのなら、私の家族を生き返らせて」
「祐羽ちゃんの家族は、亡くなっているの?」
「ええ、十年前に。家に入って来た若い男に、三人とも殺されたの。私も襲われて、大怪我をしたけど……奇跡的に助かったわ」
彼女はそう言うと、上着をまくり上げて、自身の腹部を見せた。腹部には斜めに大きく、刃物の切り傷があった。そして、視線をカレンダーに移す。
「今でも覚えているわ、男の裁判の光景を。男は私の家族の他にも、何人も殺した連続殺人犯だった。でも、まだ未成年だったと言う理由から、刑期はたったの十年間。男は、少しも反省した様子は無かったわ。あの時、小さかった私を時々見て、せせら笑った表情は……決して忘れない。そして男は明日、刑期を終えて釈放されるの」
両手の拳を握りしめて、祐羽は怒りに震えていた。
そんな彼女を、ルーネスは不安げに眺めた。そして一度あの写真を一瞥し、再び祐羽を見ると、残念そうに言った。
「ごめんね……人の生き死にみたいな願い事は、叶えられないんだ。それに人を不幸にしたり、傷つける様な願いも、叶えられない。前者はそんな願いを叶える魔法が存在しないから、そして後者は、精霊の掟そのものに反するせいでね。精霊は誰かを傷つけ、不幸にしてはいけない、それは……掟の中でも重大な物の一つ。まぁ君は、そんな恐ろしい願いを頼まないだろうけど……」
ルーネスは申し訳なさそうに呟く。
「……そう」
先ほど希望を持ったせいでもあり、祐羽は大きく失望した。
「失望させちゃって悪かったよ。けど、大抵の願いを叶える力はあるさ。例えば……そうだな……、君は花が好きかな?」
彼女は、適当に頷いた。
それを聞くと、ルーネスは軽く手を叩く。
すると机の上の何も無い場所に、花瓶に挿された綺麗な花束が現われた。
これにはさすがの祐羽も、少し驚いた。
「どう? すごいでしょ? でも、驚くのはまだ早いよ」
再びルーネスが手を叩くと、花瓶は花束ごと煙に包まれ、小さな張筒に変わった。
「せーの、三、二、一……」
そうカウントを終えた瞬間、張筒から火の玉が打ち上がり、空中で光と炎の花を咲かせた。
そして、何発も続いて、色とりどりの花火が部屋の中を彩る。不思議なことに、火花が辺りに飛び散る事はなかった。
祐羽はその幻想的な光景に、思わず見とれていた。無表情だった表情も、今では穏やかで、微笑みすら浮かべていた。花火が終わると、まるで何事も無かったかのように、部屋は元どおりになる。張筒も、いつの間にか消えていた。
「……まるで、手品みたい。でも、こんなの……初めて」
「これで、僕の力が分かっただろう? でも……良い表情をしていたよ。何だ、暗い感じで心配したけど、ちゃんと笑えるじゃないか」
「えっ……」
裕羽は少し戸惑った。すぐ近くの鏡を見ると、自分の口元が、僅かに上がっていることに気が付いた。
「そうそう、やっぱり祐羽ちゃんは、笑った方が、素敵だよ」
そんな事を言われるのは初めてなのか、祐羽は少し照れた。
「やっぱり嬉しいな、こうして喜んでもらえるなんて。さあ、願い事は何かな?」
この問いに、祐羽はルーネスを見て、僅かな沈黙の後に、こう言った。
「……願い事は、何も無いわ」
「それって……本当に?」
彼女は頷く。
ルーネスは頭をかきながら、困ったような表情を浮かべる。
「へぇ……無いんだ。そんな風に言われるのも、初めてだな。でも、別に急いで願いを決める必要は無いよ、ゆっくりと考えるといいさ」
そして続ける。
「そうだ、君が願い事を考えている間、僕の相手になってよ?」
「……え?」
「壺に封印されてから、人との関わりが殆んどないからね、退屈してたんだ。もしなってくれたら、さっきみたいに魔法を、色々と見せてあげるよ。どう? 悪い話じゃ無いでしょ?」
この提案に最初、祐羽はあまり乗り気ではなかった。だがそれは願い事を決める僅かな間だけであり、……それに、先ほど見たような魔法を、彼女はもう一度見たかった。
「……うん」
祐羽は僅かに頷いた。
「よし、決まりだよ! これで僕達は仲良しだね」
そう言ってルーネスは、にこっと笑った。




