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危機俺!  作者: 一集
第一部 イサークの奇行と愉快な仲間たち
15/55

15話 イサークとか言う、怪物級の異才

生誕祭の少し前の話。

テラー視点の三人称です。




「聞いてるの!? 父さん!!」


目の前で息子が喚いた。

静かな食卓を騒がすとは一体何事か。


テラーは元々眉間に走っている皺をこれでもかと寄せた。

不機嫌そうな顔がより一層不快に歪む。


テオがぐっと顔を強張らせた。


「いつもそうだ! そうやって父さんは僕の話を聞きもしないで否定ばかり!」


騒がしいのは好きではない。

話の内容がどうであれ、もう少し落ち着いて話が出来ないものか。


自分の態度こそが相手をそうさせているのだとは欠片とも思わず、テラーは深々とため息を吐きながら首を振った。


「あなた、テオが誤解するわ」


妻が息子との間を取りなそうと試みるが、テラーにはそもそも誤解されて困ることがない。


「母さんは黙ってて。――わかってたよ、父さんが僕の話を聞いてどんな反応をするかなんて」


予想通りだと言うわりに、テオの声には自嘲したような響きが混ざる。

まるで外れて欲しかったと言わんばかりだ。


「わかってないわよ、いいテオ? お父さんはあなたの意見に反対してるわけじゃないの。単に聞いてないだけよ」

「ッ、余計に悪いじゃないか!!」


思わず机を叩いたテオに、テラーとは性格が正反対の妻がのほほんと笑った。


「あら、頭ごなしに否定されるよりいいでしょう?」


テラーの人生を一変させた変わり者の妻だ。名をジェシカという。

人とは少しズレた意見を持っているのは当然かもしれない。


ダンが一度村を出た出戻り組だというのは周知の事実だが、実の所テラーにもまた同じことが言える。

隠しているわけではない。単に村を出ていた期間が短すぎて、誰の記憶にも残っていないだけのこと。


そもそもテラーは好きなものが少ない。

いや、嫌いでないものがほとんどない、とでも言った方がいいだろう。


そんな彼に多数の見知らぬ他人と関わっていく都会生活は最初から無理だったのだ。

あっという間に嫌気が差して故郷へと逃げ帰ってきた。


「ね、テラーさん、あなたにここの暮らしは向いてないわ。故郷に帰りましょう?」


そう強く勧めてきた下宿屋の娘はテラーの荷物を手早くまとめて、町外れまで見送りに来てくれた。


「世話になった。……ところで、その荷物はなんだ?」

「わたしの分よ。大丈夫、自分の荷物くらい自分で持てるわ」

「そうではなくて」


口に出す前に面倒になって、言葉にすることを諦める傾向があったテラーの言いたいことを察するのが抜群に上手かった彼女は、にっこりと笑う。


「さ、はやく故郷に帰りましょう?」

「……ああ」


テラーもまた、察しの悪い方ではない。

自分は都会生活には失敗したが、どうやら嫁探しには成功したらしいと早々に気付く。


だが、甚だ疑問ではあった。

明るく面倒見のいい彼女なら選択肢は多くあったはずで、なにを思ってこんな不良物件を選んだのか。


――残念ながらいまだに疑問のままだ。


「あなた聞いて。あのね、テオがお願いがあるんですって」

「……ほう?」


それは珍しい。

顔に出ていたのか、テオがテラーと同じように眉間に皺を寄せる。


「父さんは僕の頼みごとなんて、一度も聞いてくれたことはないけどね!」


そもそも頼まれたことがないので、了承した覚えがないのは当然だ。

と考えていたら、妻が少し困ったように笑った。


――どうやらこれは口に出してはいけない事らしい。

テラーはジェシカの願いならば、よほどのことがない限り叶えられるべきだと思っている。

だからちゃんと開きかけた口を閉じた。


「つまり、テオはアランたちと同行させて欲しいんですって」


どうかしら? とジェシカが妻となっても変わらず、可愛らしく首を傾げる。

テラーもユリアとアランが生誕祭を過ぎたらスキルを得るために山を下りるという話は聞いていた。


「ふむ。――お前にはまだ時間があるだろう。スキル獲得を急ぐ必要はないと思うが?」


確かにスキルを持っていてもおかしくはない年ではあるが、多大な代償を払うほどの話でもない。

十分な猶予が彼にはある。


「馬鹿にしないで。ここ何年も神官がこの村に姿を見せてない事くらい僕だって知ってる」


じっとねめつける様なその目は、なるほど自分の息子だと思うくらいには目つきが悪い。

愛想の一つも覚えた方が生きやすかろうに、と思ったが、もちろん言葉には出さなかった。

理由は気遣いではなく、単に面倒だったから。


妻が優し気に苦笑した。


「もし今後もこんな状況が続くなら、これが最後のチャンスかもしれない」


テオの手はきつく握られていた。

確かにこの家にテオを援助する十分な金はない。

精々、今回のように誰かの旅に便乗する余力があるかどうか、と言ったところだ。

だからこそのテオの発言なのだろう。


これを逃せば、村に神官が訪れない限りスキルは手に入らない。


だが、スキルなど。

「あって困るものではないが、どうしても必要か?」

「な、なにを言ってるの、父さん!? 僕がスキル無しでも構わないってこと!?」


テオの驚愕の顔は、有ると疑わなかった親の愛すら疑うものだった。


「信じてたのに! どんなに冷たくたって、心の底ではきっとって!」


失望と涙が滲むテオの声に困惑したテラーは妻の顔を見た。

一体どうして息子がこんな打ちひしがれる事態になっているのか。


「言葉が足りないのは昔からですけど……」


と、ジェシカが頬に手を当ててため息を吐く。

テラーの発言がテオの受け取った意図と違うことはジェシカも理解していた。

もちろん息子のショックもわかる。


「しかしだな、」


テラーは妻に言い訳のようにそれだけを口にして、また閉じた。

言えばもっと面倒なことになると気付いたからだ。

妻ではなく、この相互理解が進んでいない息子と。


そもそもテオは魔法が使える。

スキルで得る様な魔法を。

知識すら、村の長老から優先して与えられていた。


どれもテオの才能が為したこと。

それは素晴らしいことだ。


でも、一体これ以上何が必要なのか。

テラーは悪意もなく、ただ純粋に疑問に思っただけだ。


――そもそも、そのどちらも手に入れられないヤツが身近にいる。


彼は妻以外にテラーの人生を一変させた、もう一人の人間だった。

名を、イサーク。

息子のテオとそう年も変わらない、まだ幼さすら残る少年だ。


テラーには、彼が才能あふれる息子と比べても、その才で劣っているようにはどうしても見えない。

親の欲目を加えてすら。


その少年と交わした先日の会話を思い出す。


「ねえ、テラーさん。ちょっと聞きたいんだけど、テラーさんのスキルって『拡大(大きく見える)』なんだよね?」


そんな出だしから始まった、イサークの『いつもの(・・・・)』。

ダンとトーマスと共有しているこれ(・・)はイサークの探求が始まった証だ。


「そうだな。それがどうした」


はじまりはいつも質問攻め。

三人には、こんな時は決して彼の思考を遮ってはならないという不文律が存在する。


「う~ん。……ちなみにさ、それってどれくらいの倍率なの? それとも調整可能? なら限界値は?」


またイサークの『例の虫』が騒ぎ始めそうな気配だ、とはダンから聞いていた。

本当だったらしい。

そうやら今回のターゲットは自分だ。安心しろ、と心の中でダンとトーマスに呟く。


「今度は一体何を考えついた?」

「考えついたって言うか、ただの疑問かな。で、答えは?」


さて、なんと答えたものかとテラーは少し悩む。

スキルというのは種類がありすぎて、よほど役に立つモノでもなければその一つ一つを突き詰めて研究することは稀だ。

故に答えは、


「さあな」

「さあなって、……まあ、確かに人にべらべら喋るようなことではないかもしれないけど」

「なにか勘違いしているようだが、別に俺は隠しているわけではないぞ」


自分のスキルについて、そんな細かいことを考えたことがないだけだ。

単に『知らない』が答え。


「え、なんで?」


イサークがキツネにつままれたような顔で、思考がそのまま言葉になったような声を出した。


「なんで、と言われてもな」


それこそ答えに困る。


知らなくても問題ないから知らないまま。

それの一体どこがおかしいというのか。


「え、じゃあ知ろう? 今考えよう? 実験しよう? なにから手を付ける? あ、待って、そうすると書くものが欲しいかも。紙……いや、そっちはそっちでなにか考えるとして、まずは――」

「待て待て、落ち着け小僧!」

「え、うん」


突然の矢継ぎ早な質問に、テラーは思わずイサークを押しとどめた。


この子供は遠慮を知らないが、変なところで素直だったりする。

今も待てと言われたから不思議そうな顔をしながら黙って待っているのだろう。


イサークの攻勢を留めている間に、テラーは改めて言われたことを考えてみる。

自分のスキルのことだ。

『よく見える』なんて表現をしていたが、そう言われてみればレンズを覗き込めばそれはスキルと同じ効果と言えるかもしれない。

だが、


「イサーク」

「なに?」

「そもそも倍率ってのはなんだ」

「え、そこから? 前に普通に言葉として使ってたじゃん」


イサークが難しい顔をした。

これは思ってもいなかった事態になった時の顔。


よほど想定外なのだろう。


「意味はなんとなく分かる。どれくらい大きく見えるかって事ではないのか?」

「へえ、テラーさんすごい! 知らないのに想像ついちゃうんだ。しかも大体合ってるし。もうちょっと細かく言えば、大きさの比率ってカンジかなぁ?」


テラーにはいまいち自分の解釈とイサークが言っていることの違いがわからなかった。

それが顔に出てたのか、イサークが提案してくる。


「んじゃあさ、こうしよう。スキルの『効果を切って』から、これを見て」

「なん、だと?」

「え!? 今度はなにが問題なの!?」


何度も出鼻を挫かれたイサークが悲鳴のような声を上げる。

テラーは至極簡潔に答えた。


「スキルを意図的に切ったことがない」


イサークの顔がみるみる不機嫌になる。

パッシブスキルかよ、とぼそぼそと毒づいていたが、彼の言っていることは理解が及ばない事が多いのでさらりと聞き流す。もう慣れたものだ。


「よし! じゃ、まずスキルの効果を切ってみようか」

「だから」

「いいから切って」

「おい、人の話を」

「切って?」


こういう時のイサークは有無を言わさぬ迫力がある。

いつも通り飄々とした態度は変わらないというのに、圧だけが異様に強い。


一歩も譲る気がないイサークに、テラーはこちらの言い分を通すことを諦めた。

こうなったら自分にできる努力をした方が早い。

この場合は、スキルを切る、という努力だ。


テラーのスキルの使い方は簡単で、よく見ようと思えば勝手によく見える。

単純故に切るという感覚がよくわからないのだが、言っても今のイサークには通じないだろう。


「スキル切ったらこれを見てくれる? この隣にスキルで一番大きくした時の見え方を書いて。念のためにスキルを切ってる時のもお願い」


地面を指しながら、記録できるものが欲しいと爪を噛んで呟く仕草はイサークの苛立ちをよく表していた。


そう言うのは自分の特権だと思っていたテラーは、イサークにその立場を取られて文句も喉に引っ込む。

互いに不満を垂れ流していたら進む話も立ち往生だ。


テラーには、必要性のわからない彼の需要より、まだ成功してもいないのにその後のことを迷いなく指示してくるイサーク自身の方が興味深い。


イサークが見本にと地面に描いたのは簡単なマークだった。

これなら絵が苦手な自分でも書けるだろうと少しほっとする。


テラーは内心でため息を吐きつつ四苦八苦しながらイサークの要望をやり遂げて、付き合いが長いわりに何も知らなかったスキルの性質を初めて知る。


「――つまり、見える大きさは自在ではないようだな。よく見ようと意識しても、一定の大きさより大きくも小さくもならない」

「オンとオフの二択か。わかりやすくていいね!」


自分が描いた見本とテラーが手描きしたマークを見比べて、イサークは指を鳴らして満足そうに笑う。


「推定二倍。ますますいいね!」


なにが彼をそこまで上機嫌にするのか。

と、鼻歌でも歌い出しそうだったイサークがぴたりと動きを止めた。


「そういえば、この世界って単位はどうなってんの?」


イサークはいつも唐突だ。

思いついたことを思いついた時に口に出す。


「単位、か?」

「うん、例えばモノの長さってどう測るの? なにが基準なの? 畑の大きさとか決める時とかどうやってんの?」

「そりゃ、杖だろう」


なにを言い出したのかと思ったらそんなこと。


「杖? 杖ってどの杖?」

「村長が持ってるだろうが」

「ああ、あの儀式用の魔道具」

「それだ」


普段は仕舞われているが、イサークも一二度は見たことがあるのだろう。

少し思い出すように空に視線を向けた。


「杖一本分の長さが1ギルだな」

「あ~……、大体でいいんだけど、具体的にどれくらいの長さなのかな?」

「これくらい、だな」


テラーは手を自分の頭の上に伸ばす。


「190か200くらい? また随分大きいな」


そりゃそうだろうとテラーは思った。

ギルはかつての皇帝、ギルバートが自分の身長を元に定めた。

彼は長身で知られた皇帝だ。


ちなみにそのギルバートがどこの、いつの皇帝かをテラーは知らない。

そんなものだ。

それでもこの村ではまだ知識を持っている方だという自覚がある。


そもそも人々はギルなんて使わない。

杖1本分が1ギルなのだからそれはつまり1杖。

テラーの畑は一枚、一辺が7杖になる。


「で、このくらいのが1アルだ」


体の幅より小さく広げた両手で示す。


「30cm、よりは小さいくらいかな? 1ギルに対してどういう計算?」

「計算? なんだそれ。1アルってのはかつての皇帝アルトゥールの足の大きさだな。大体自分たちの靴と同じくらいだから1靴と言うことの方が多い」


1ギルが大きすぎて、色々と不便に思った後の皇帝がそう決めたと聞いたことがある。

そんなテラーの答えに、イサークはいっそう遠い目をして空を見た。


「……大雑把にもほどがある。なんというか、思った以上のやり難さ?」


首を捻るイサークがなにをそんなにうんうんと悩んでいるのか、テラーにはわからない。

だが、これは時間がかかりそうだ仕方がない、と淡々と自分の作業に戻るテラーもまた変わり者には違いなかった。

結局は同類と言うのだろう。


しばらく放っておいたら、手を叩く音がしてテラーは作業を中断する。

今の優先順位は明らかにこちら(イサーク)だった。


「よし、この世界に合わせるのはやめよう」


イサークがまたなにかおかしなことを言い出した。

発言を聞いたテラーの素直な感想だ。


「どうせ俺たちしか使わないんだから俺が基準を決めてなにが悪い! ねえ、テラーさん?」

「知るか」


そもそもお前がなにを言っているのかがわからない。

俺に同意を求めるな。

テラーの心の声を代弁するなら大体こんな感じだった。


「つれないなあ、そもそも使うのは主にテラーさんなのに。――ま、いっか! よし、なるべく不変で、身近な、モノサシに使えるものを探してこよう。テラーさん、何日か待たせちゃうかもしれないけどごめんね!」


そう言ってイサークはどこぞに消えていった。

彼曰く、どうやら自分に関わりのある話らしい。

なのに最後までテラーには何の話かわからないまま。


それからしばらくして、ダンとトーマスの三人で最近の日課になりつつある成果の報告ついでに、イサークの病気が『悪化』したようだと話に聞いた。


「病気の悪化って……一体アイツ、なにしてるんだ?」

「いつも通り、ゴブリンを分解してる」


それはただの通常運転という。

そう思ったのが伝わったのか、情報が加えられた。


「けど、いつも以上に事細かい。そう、あれではまるで……細切れだね」


なるほど、『悪化』とはよくいったものだ。

テラーは重々しく頷いた。


後日、姿を現したイサークがテラーに見せてきたのは歯だった。


「なんだ、それ?」

「え、ゴブリンの歯だけど」


見ればわかるでしょ?

と言わんばかりの顔をされる。


「そう、聞いてよテラーさん! 色々と探したんだけどさ、これがほんっとに大変だったんだ!!」

「……だから何が?」


力説されても困る。

まったく状況がわからない。


「考えてみればさ、無難な大きさで尚且つ不変のものがそう簡単に自然界に存在するわけがないよな」


困ったように頭を掻いたイサークがぱっとテラーを振り仰ぐ。


「諦めが肝心ってことで、ある程度は目を瞑ろうと思って。――で、選んだのがコレなわけ!」


差し出された手に乗ったゴブリンの歯に、もはやテラーに頷く以外の選択肢はない。


「ゴブリンって、基本歯の数は36本みたいでね。俺たちよりちょっと多いんだ。ま、あれだけ顎が大きければ、さもありなんって感じだけど」


そもそもの話、ほとんどの人間が自分の歯の数なんて数えたことがないと、いつも通り心の中で一人愚痴る。

必要に迫られない限りやらない。それがこの村に生まれた者の宿命だ。生まれた時から余裕なんてものは無い故に。


だからイサークはやっぱりおかしな子供だ。


「ほらゴブリンって雑食じゃん? つまり歯も人間と似たような構成で、ってその辺はどうでもいいか。とにかく、コレは一番奥歯なワケ」


手の平に乗った歯は確かに自分たちと似ている。


「で、ここからがミソなんだけど。俺、けっこうな数のゴブリンの歯を引っこ抜いて比べたんだ。そしたら、どういう原理かは知らないけど、この第三大臼歯に限ってはほとんど誤差がない。前歯とか犬歯は結構個体差あるんだけど。……どうなってるんだろうね?」


はてと首を傾げたとして、イサークにわからないものが自分にわかるわけがない。

聞くな、とばっさり切りたいところだが、ダンとトーマスを巻き込んで互いに結ばれているイサーク協定のせいで無暗に遮ることが出来ないのが辛い所だ。


「細かく測ればもちろん違うんだろうけど。見た目でわからないってことは誤差1mm以下ってことでしょ? も、そんくらいで妥協しよう? で、必要になったらまた考えよう!」


必要になったら、という台詞になんとなく村人の性質が一応コイツにも受け継がれてるんだな、なんて関係のない事を頭の片隅で考えた。


とはいえ、テラーの相槌は。

「はあ」

という気のない返事。


イサークがなにやら提案しているらしいが、正直内容がちんぷんかんぷんだ。


「咬合面の近心から遠心の長さを基準として、これを1cmとする! あ、下顎の方ね? 上顎も誤差の少なさは同じなんだけど、目測で大きさ的に1cmに届かなそうだから」

「あ~……センチ?」

「杖とか靴とかの代わり! あれじゃ細かいデータが取れないじゃないか。正しくはセンチメートル、略してセンチ」

「お、おう?」

「1cmが100個で1m。1cmを10等分して1mm。オーケー?」


メートル?

ミリメートル?

珍しくテラーの顔から不機嫌さが剥がれ、疑問符だけが張り付いた。


「待て、小僧。一体お前はなにを」


ダンやトーマスはきっとこんな話をされても気づかないだろう、とテラーは額に手を当てて頭痛を押さえる仕草をする。

自分だって全てがわかっているわけではない、だが何かが始まろうとしていることくらいはわかった。


「視力をはかろう!」

「視力? はかる?」

「視力は目の見え方のこと! とりあえずサンプルに片っ端から村の人の視力をはかって、この世界の視力の平均を知る!」

「見え方って、そんなのみんな同じに決まってるだろ」


でなければ、他人と世界を共有できない。


「テラーさんでもそう思うんだねえ」

「俺でもって、どういう意味だ?」

「他の人より生き辛そうじゃん。人と感じ方が違うって事じゃん。じゃあ、その目に見えてるものだって違うかもしれないじゃん?」


思わず黙り込んだ。

一理あると思ったからだ。


「ま、そんなのはどうでもいいよ。実験すれば明らかになることなんだし。まずは検査基準を作ろう」


イサークは適当な大きさの板を立てて、距離を確かめるように歩いて離れる。


「距離は、5m……いや5mって結構遠いな。屋内にこんな距離取れるところないし、半分にしよう。測る時はいつもこの距離でお願い。記号はわかりやすく1cm大を1とする。――って、ちっさ! 思った以上にちっさ! ま、まあ、わかりやすさ重視ってことで勘弁してもらおう。二倍で2、三倍で3。この世界じゃ、これが見えない人間はいなさそうだけど、念のためにね?」


距離をはかりながらぶつぶつと言っていたかと思えば、突然平たく削った板に記号を書き始める。


「半分で0.5、1/10で0.1。間はテラーさん、適当に埋めといて。うあ、わかりやすさを追求したら地球と反対になった。あっちは確か数字が小さいほど目が悪くて、2.0とかが一番良かったんだよなぁ~。……んん、いいや、基準は俺! これでいい! 単純明快、簡潔明瞭。一目瞭然で快刀乱麻!」


イサークが勝手に自己完結している。

もう理解を諦めているテラーはイサークの独り言の隙間をなんとか見つけて疑問を滑り込ませる。


「つまり、俺は一体なにをやればいいんだ?」


もう、それだけを教えてくれればいい。


「もちろん視力検査だよ。並行してレンズの方もね。実像を1として、テラーさんのスキルと同じ大きさに見えるものを2、これが基準ね? 間を埋めるもの、もっと倍率が高いものを探していこう。ちゃんと管理できるように倍率順に箱でも作って並べた方がわかりやすいかな? まずは0.1刻みでいいよね。ダンおじさんに製作を頼もう、あの人ゴッツイ顔の割に器用だし」


よくもまあ、そうぽんぽんとアイデアがでるものだと感心するばかり。


だが、なるほどとテラーは思った。

いままでレンズを「よく見える」「とてもよく見える」程度に分けていたが、基準と細かな分け方を決めておけば、違いを知るのに役に立つ。


そうして始まった、レンズの分別プロジェクト。


テラーには面白かった。

いや、素直に言おう。


楽しかった。

それも、最高に。


かなりの数を集めていたレンズに数値を付けながら分けてみるとよくよく偏りが見えてくる。

二倍辺りが一番多くて、それ以下もそれ以上も離れれば離れるほど数が少なくなっていく。


イサークが宣言した通り、ダンに作ってもらった細かく数値分けされたレンズ入れはコレクション心を刺激したし、なによりテラーは狙って倍率を操作する努力をするようになった。


当初努力の原動力は、自然にはなかなか埋まらない倍率別コレクションだったが、精度は置いておいて、レンズの制作工程次第では±0.5くらいは簡単に上下することがわかってから加速度的にハマりだした。


「これは二倍か。だが質がいい。上手く加工できれば三倍が出せるかもな。いや、でも今欲しいのは2.7、……むむ、悩むな」


加工前のレンズから覗く世界に、瞬時に大体の倍率が出せるようになったし、自分の腕とレンズ本来の能力を掛け合わせた完成倍率の予測も可能になった。


「すっかり職人だね」


ははとからかいを含んだイサークの声もテラーには称賛でしかない。


一度は四倍を見た。

レンズを覗いた先に新たな世界が広がっていた時の興奮は筆舌に尽くしがたい。


完全乾燥の工程で3.5倍まで落ちてしまったのが悔やまれるが、テラーには夢の先が見えたような気がしたものだ。


夢。

そう、もう夢なのだ。

野望なのだ。


より高い倍率と、自由自在にレンズを作ること。


視力検査とやらもまた、新たな事実をテラーに教えた。

人の視力の違いを明らかにしたのだ。


総じて森組の視力は優れていた。

視力で役割がある程度決まってしまうとは、ゴブリンと同じかと思うと皮肉も感じる。


視界の霧が晴れるように次々とテラーの目の前に現れる新たな世界。


数値、という目に見えるものに置き換える意味がそこにある。

それに気づいた時、テラーはただただ、深く息を吐いた。


驚愕が過ぎると人は脱力するらしいと初めて知った。


「それで、人の目(視力)を測って一体どうしようって?」

「そりゃ、当然メガネでしょ」

「メガネ?」

「うん、見たいものが見えるように、レンズで人の視力を矯正する、そういうモノを作りたい」

「お まえ、」


さらりと紡がれた願いに言葉を失い、ぶわりと噴き出る冷たい汗を感じながらテラーは吐き捨てるように心の中で叫んだものだ。


――怪物め!!

なぜこんな場所に生まれたのか!


こんな辺鄙な場所の、こんな貧しい村に。

なぜ、寄りによって自分の傍に。


「作るんだ」


その一言には強い意志が見えた。

テラーを襲ったのは畏怖とも敬意とも、敵意とも嫉妬とも違う、けれど肌を粟立たせるような隔意。


そんな感情に支配されたのは、それでも一瞬だけだった。

絶句するテラーを振り返ってイサークが悪戯っ子のように歯を見せて笑うから、簡単に毒気が抜ける。


「協力してくれるでしょ、テラーさんなら」


テラーはもう言葉を発さなかった。


世界の。

歴史の。

転換点がもしかしたらこんな小さな辺境で、今、目の前にあるのではないかと、大げさでも何でもなく思ったから。

自分がその一部なのではないかと、錯覚すらしたから。


「だからテラーさんはレンズ集めと倍率の幅を頑張って広げてね。あと、そろそろ視力別のレンズを通しての見え方のデータも集めていこう!」

「要求が多い!」


元気よく拳を突き上げたイサークがテラーの返しにくすくすと笑う。


「文句? 無駄無駄。だって楽しいって顔に書いてあるし」


指摘は正しい。

だから憮然と答える。


「やらないとは言ってない。コレに関しては自分が第一人者だと自負している。もちろん、お前以上のな! これは俺の(・・)分野で、俺の(・・)仕事だ」

「さっすがぁ~」


イサークがひゅうと口笛を吹いた。


そこからずっと、テラーの頭の中はレンズと視力とメガネと倍率と、あらゆる数値(データ)の虜だ。


「父さん!」


はっと息子の声に現実に返る。


「父さんは僕がなにも出来ないと思ってるんだろ。何者にも成れず、一生寂れた村から出ることもなく、精々父さんの跡を継ぐのが関の山だって。――例え僕が魔法を使えても! 強力なスキルを持っても! 世界を救う力を得たって、父さんはきっと僕を正当には評価してくれない!」


血を分けた息子が苦労する所はテラーとて見たくはないのだが、そんな感情を今さら説明しても納得はしてくれないだろう。

どうやらテオの中では、自分はいつの間にか理解のない父親役になっているらしい。


少々結論を急ぐせっかちさに危惧を覚えるが、テオには仲間がいる。

欠点だらけの自分が指摘することでもないと思った。


「父さんは僕がどうすれば満足!? どうして僕を認めてくれない! どうしたら僕を認めてくれるの!?」


テオが悲痛に訴えてくる。

息子が大きな夢を持っていることは薄々気付いていた。


それを否定した覚えはないが、片やテオは否定された覚えがあるらしい。

おかしなこともあるものだ。


これがイサークの言っていた、見えている世界が違う、という事なのかもしれない。


助けを求めて妻をちらりと見ると、首を少し傾げて微笑まれる。

どうやらコレは自分が答えを出さなければならない問題のようだ。


ならばどんな言葉より雄弁な一言がある。


「――いいだろう、行ってこい」


アラン達の旅への同行を許す。

それだけでいい。


「!! ほんとに!?」


責める口調の声は息を飲む音に奪われて、テオが喜色を滲ませた驚愕の面持ちで問い返してきた。

テラーは鷹揚に頷く。


「あ、ありがとう、父さん!!」


そもそもテオが勝手に激昂していただけで、テラーは才能に溢れていると言うのなら、相応に報われるのが正しいと思っている。

だからその答えはテオの熱弁に折れた訳でも、自分が掲げた信条を曲げた訳でもなく、至極当然の結論だった。


一つ言えることがあるならば、それが自分の息子ならその採点とハードルは相応に低くなるということくらい。

けれど、それは言葉にはしなかった。


「言えばいいのに、きっと喜ぶわ」


すでに喜びを全身で表現して小躍りしているテオを余所に、本当に心を読む力があるのではないかと疑うこともあるジェシカが、テラーの内心を的確に察してくすくすと笑った。


だが圧倒的に正しいことが多いジェシカの発言は、この時ばかりは不正解だと思う。

だれが自分の才を甘く見積もられたことに喜ぶと言うのか。


「違うわよ。息子だから甘くなる、ってトコロに喜ぶの」

「……」


うふふと笑う妻の発言に、テラーは戸惑って目線をさ迷わせた。

テオが自分の息子でなかったことなど一度もない。

それとも、もしかして本当は自分の子どもではないとでもいいたいのだろうか。

そわそわと落ち着きがなくなったテラーにジェシカが眉尻を下げた。


「相変わらず変に捻くれてるわねえ? でもいいのよ、そのためにわたしがいるんだもの」


向けられた変わらない笑顔にほっと胸を撫でおろす。

まだ見捨てられてはいないらしい。


テラーの女神は今日も健在だ。


だからテラーは自分の人生を変えたもう一人の事を考える。

だれも報いようともしない、少年の事。


テオは才能と努力を相応に評価されるだろう。

自分がそうしたように。

事実、そうされてきた。


ならば同じように才能に恵まれた彼もまた、少しは報われるべきではないのか。


そうだ、ダンとトーマスに相談でもしてみよう。

なにかいい案を出してくれるかもしれない。


浮かれたテオを見ながら、テラーはそんなことを考えた。






臆病者で変人で、奇行を繰り返す親無し子のイサークを、テラーほど評価している人間はいない。


だからその才を示すために課された難題を彼がクリアした時、テラーだけは驚きはしなかった。

朝日にも負けない光を灯した魔道具を前に、心の中で呟いただけ。


――ほらな。











一話に収めたくて長くなりました。三人称って書きやすい。

※ふわふわ設定なので、あまり深く考えてはいけません。

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