06 『それは あまりにみすぼらしい初対面』
二日後の早朝、旅の準備を終えた三人は、まだ日が出たばかりの街門を訪れていた。
日の出ない内は決して開かれることのない大手門前の広場では、つい先ほどまで、開門待ちの荷馬車と護衛の冒険者達が列を成していた。そして今は、そんな彼らの出発ラッシュも落ち着きを見せ、旅人達が行儀良く順番どおりに街門をくぐる手続きを行っている。
それからまたしばらくの時間が空き、ギルドの制服を着た男が一人の少女を連れて三人の下を訪れたのは、旅人達を狙った軽食の屋台がそろそろ撤収を始めようかという時刻であった。
「皆さんおはようございます。早速ですが、こちらが今回の護衛対象となります」
三人に遅れての登場に謝辞の一つも入れようとせず、あくまで事務的に言い放つギルド職員。その隣には、この街の裏通りに住む子どもとしてもあまりにみすぼらしいボロに身を包んだ一人の少女が立っていた。
職員に促され小さく頭を下げる女の子を前に、三人は、思わずため息を洩らしてしまう。
三人が少女の姿で評価が出来るポイントは、今なおキツイ日中の日差しを防ぐフード付きのローブを纏っているということだけ。しかもそれすら、裾はボロボロにほつれているし、所々に空いた穴は繕われることなく放置されている。
こんなローブを身に纏っている以上、その下に着ているであろう服もマトモな物だとは思えない。通り雨の一つも浴びれば、たちまちに体を壊してしまうと予想された。
そしてそんなボロ布同然のローブから伸びた棒切れのような足も、草網みの簡素なサンダルを突っかけているだけ。素足じゃないだけマシ、というシロモノである。
十日近くの旅路が終わる頃には、足首から下が残っているかどうかすら怪しい。
更に、少女の手荷物は小汚い布袋がひとつ。その膨らみから、数日分の着替えと食料くらいは用意しているのかもしれないが、三人の考える旅の必需品が揃っているとは、到底思えない貧相っぷりだ。
つまりは三人の視点から見て、これで街の外に出ようなど良く言って自殺行為。無謀にも程がある装いだったのである。
そんな三人の呆れ顔をものの見事にスルーしつつ、ギルド職員は引渡しの確認を済ませて去っていく。
残されたのは、顔を見合わせながら頭を掻く冒険者達と、相変わらず黙したままフードに隠れた顔を地面に向けている少女だけだった。
(どう考えてもこのまま出発してしまえば、コイツは目的地に着く前に死んでしまう)
少女の身の安全が仕事内容に含まれている三人は、まずは少女の格好から何とかしなければならないことを、無言のうちに決定していたのであった。
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唯一の肉親であった母親と死に別れ、街の裏路地で泥水を啜るような暮らしに身をやつしていたこの少女は、ここ数日でこれまでの人生で体験したこともないほどの大きな混乱に見舞われていた。
とうの昔に死んでいると思っていた自分の父親が、実はどこぞの金持ちだったなどという、夢にすら思った事のない事実を明かされた。その父親はやはり既に死んでいるらしいが、それでも残された親族が、自分を引き取ることを望んでいるらしい。
突然連れてこられた冒険者ギルドで、そんな荒唐無稽とも思える話を聞かされた少女は、マトモに考える間もなく親族の下へいくことを承諾させられてしまったのだ。
あれよあれよと出発の日は訪れ、本日、自分を顔も知らない親戚の下まで連れて行ってくれるという冒険者達と顔を合わせた。冒険者ギルドの用意してくれた荷物を背に街の大門へと足を運んでみると、そこに居たのは、自分とさほど変わらないであろう年若い三人の女性冒険者である。
しかもそれは、少女の知る冒険者とは種どころか類から違うのではと疑うほどに美しく、そして可憐な乙女達だった。
そんな、少女の視点では天使か女神な三人と合流してから、既にいくばくかの時間がすぎている。一向は既に街門を抜け、目的地であるルーランドの街へと続く旅路にいた。
流されるままの彼女は、いまだ、三人に自己紹介すらできてはいなかった。
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「旅の必需品とは何か?」
一般的な冒険者にそれを聞けば「数日分の着替えと雨具。そして保存のきく食料」と答えるであろう。
それは決して間違った認識ではなく、事実、大多数の冒険者は、たったそれだけの荷物をやりくりして、驚くほど長期の旅路を踏破するのだ。
だがここに、物質文明の遥かに発達した世界にて、その野生をとろとろに溶かされきった三人組が存在する。コイツ等にとって、体力と慣れによって乗り切るべき野外生活など存在しない。そこに不便があるのなら、そうならないよう前もって準備すれば良いだけの話なのである。
「あ……の……」
ここまで成すがままに三人について来た少女が、初めて自分から口を開いたのは、彼女の背よりも遥かに高くそびえた街の門が地平線の向こうへと沈みきった、そんな頃である。
「おう、どうしたお嬢。気分でも悪くなったか?」
ゴトゴトと心地の良い揺れに身を任せつつ、三人の中で最も長身の美少女冒険者がそれに答える。冷え冷えとした美しい横顔からの、あまりに粗野な返事である。男言葉を使う女性を知らぬではなかったが、これほどのギャップは初めてだ。
「いえ、大丈夫……です。でも……馬車、初めてで……」
「なんだそうだったか。慣れねぇと悪酔いすっからな、なんかあったらすぐに言えよ?」
少女の独白に近い呟きを受けて、今度は一番背の低い、少女とほとんど同じ目線の美少女が答える。先の黒髪の騎士と同様に、薄汚れた自分よりも遥かに可愛らしい顔立ちに似合わない、なんとも乱暴な口調である。だがそれでも、どことなく自分を気遣ってくる優しさが感じられた。
「はい……。あの、でも……良かった、の? 私も、乗ってしまって……」
「もちろんかまいません。私たちだけが馬車に乗って、貴女を歩かせるわけには行きませんわ。それに、旅に慣れていない貴女が、体を壊しでもしたら大変ですもの。」
最後の一人がそう答えた。彼女は自分より少しだけ背が高い。だが、三人の内で一番落ち着いていて、最も年上のお姉さんのように感じられた。何故だか男勝りな話し方をする他の二人とは違い、この人だけはおっとりとした柔らかい話し方をする。
ただ、なんとなく……ちょっとした胡散臭さも感じられてしまうのではあるが。
「そう……です、か……」
そして少女は少しだけ居心地が悪そうにそう答え、用意された馬車の一角で、膝を抱えて丸まってしまっているのだった。
少女は現在の状況に、やっぱり混乱以外の何物も抱いては居なかった。
ただでさえどこぞのお姫様かと見まがうばかりに美しい三人組が、よりによって自分の護衛なのである。守られるべきは貴女達の方だろうと思わざるを得ない。
しかもそんな三人が、圧倒的にみすぼらしい自分に対し、既にありえないほどの出費を重ねてしまっていたのである。
三人が少女と合流し、まず行ったこと。それは、大の大人が数人で使ったとしても充分に余裕のある、中型の車を借り受けたことだった。
三人からすれば規定路線であったこの行動も、徒歩での旅を想定していた少女にとっては驚愕の事態である。なにせ、人によっては立派な財産とも言える屋根付きの馬車など、自分のような路地裏で生きる身分の者には一生縁の無い物なのだ。ちなみに、この場合の『馬』は三人の知る四本足の哺乳類とは微妙に違う。それでもこの世界の誰もが馬と呼んでいた為、三人もそのまま受け入れている。
さらに三人は、少女の服装を、それこそ頭の天辺から足の先まで着替えさせた。
ボロボロだったローブは、中古ではあるが虫食い一つ無い厚手の物へと取り変えられ、下に着ていたぼろ服も、そこらの街娘が着るような明るい色のチェニックと足首まであるズボンに改められた。当然のことながら、予備も含めて三着ずつの購入である。
生まれてこの方履いた憶えのない、綿の靴下に足をくるまれた後は、スネまで覆うブーツを何足も試し履きさせられた。なんでも、足にぴったり合っていない物では靴擦れで歩けなくなるとの事だ。ほぼ裸足に近い状態で何年も街中を歩いてきた自分の、このカチカチに硬くなった足の裏では、今さら靴擦れなんて出来るはずもないと彼女は思っているのだが。
次に三人は、少女の為にと様々な品を買い求めた。
少女からすれば、旅に必須の食糧は既に充分用意してあったので、今さら必要な物などあるまいと考えていたのだが、三人とは必要のレベルが違ったのである。
まずは肌着。数日同じものを着て、体がかゆくなる頃に別のモノに変えるという生活を送っていた少女だが、なぜだか同じような肌着を五枚も持たされた。たかだか十日足らずの旅だと聞いているのに、いったい何ヶ月分用意するのであろう。
更に布類。体を拭く布や、顔を拭く布。手足やちょっとした汚れを拭く布など、思いつく限りの用途の布が購入されていく。少女は思わず、
「皆さんは一日中、どこかを拭いて暮らしているのですか?」
と聞きたくなった。
「嬢ちゃんは女の子だしな、色々綺麗にする為の布は、俺達とは別に用意しといたほうが良いだろ。布巾だけでも、使う枚数×洗濯頻度+一枚が必要枚数ってんだ、そんだけあっても足りねぇくらいだぜ」
などと布地を買いあさるギョクだが、お前は何処の主婦なのだ、幼妻気取りか? 元一人ヤモメなオッサンのくせに。
その後も、少女専用の食器や携帯できるちょっとした裁縫道具。カガミがやたらと熱心に選んできた櫛や髪留め、雨露を凌ぐ雨具や油紙。更にはそれらを入れる両肩から下げるタイプの背負い袋などなど……。
少女の常識ならば、すぐにでも別の街での生活が始められそうなほどの品々が、あれよあれよという間に用意されていったのであった。