15 『それは 月明かりにすら照らされぬ』
男はただ一人、夜道を走る。昼間は晴れ渡っていた空だったが、夕暮れと共に流れ来た厚い雲のおかげで、今は月明かりさえ届かぬ闇夜だった。
ハッハと続く自分の呼吸にすら、耳障りな不快が募り、男は、
「クソッ」
悪態と共に地面を蹴った。
この男。ハクトーの街で名をとどろかせるリエイは、近頃何もかもが上手くいかなかった。
腰抜けでしかないと思っている父親が、偉そうにも自分に説教をたれてくる。それだけならば毎度のことと聞き流しも出来たが、吐き捨てるように父親が言った、
「このままなら、お前を廃嫡することも覚悟している」
という言葉は捨て置けなかった。
このハクトーの街は、これからもっと大きくなる。そうなった時、今のように街の連中となあなあで繋がっているような、温いやり方では上手くいかなくなるはずだ。
もっと強力に、有無を言わさず引っ張っていく指導者が必要になる。そうでなければ、この街はいずれ、外からの勢力に呑まれる事になるだろう。
その誰かに、最もふさわしいのは自分だ。リエイはそう考えて疑わなかった。
誰かを従わせるのに、手っ取り早いのは力を見せる事。今までの父親がやっていたような、町の人間に下手に出て協力を取り付けるようなやり方ではなく、圧倒的な力を見せつけ、文句の一つも出ないように押さえつける強さが必要だ。
その為にリエイは、街で燻る若い男達を中心に手下を募り、自分の力を見せ付けることに従事した。そうする事で、いざ自分が父の後を継いだ時、誰一人として楯突く者が居ないようにと準備していたのだ。
だというのに、そんな涙ぐましい努力を、父親はこれっぽっちも理解しようとしなかった。それどころか、これほど真面目に将来の為にと動いている自分の邪魔さえしてくる始末である。
リエイは父親の余りの先の見えなさに、いつしか憎しみさえ覚えるようになっていた。
だからこそリエイは、貴族や領主という力に頼らぬやり方を模索した。その答えが、今回企てた野盗モドキ。つまり、旅人の安全を人質に、街の住民を従わせるという方法だった。
確かに危険は多いだろう。旅人への被害が大きくなりすぎれば、本格的に国の捜査が入る恐れもある。だから始めから、数人の力の弱そうな個人を襲うだけに留めておくつもりだったのだ。
しかし、最初に選んだ手ごろに見えた獲物は、その実、力自慢の自分達をも容易く捕らえるような恐ろしい相手だった。
幸い、金を払うことでもみ消しには成功したが、今後の盗賊働きがやりにくくなるであろう事は間違いない。何より、いつもはへこへこしている腰抜けの衛兵どもが、やけに偉そうに自分に対応してきた事が、今思い返してもはらわたが煮えくり返る。
そのうえ、あの妙に生意気な小娘どもは、平行して進めていた『ラビリアの宿』への妨害工作にまで茶々を入れてきた。
ちょっと脅されただけで尻尾を巻いて戻ってきた手下達には、当然、罰を与えはしたものの、あの小娘どもを放置するわけにもいかない。
……舐められるわけには、いかないのだ。
ひょんなことから、三人と子どもが利用している場所の情報も手に入った。今夜のうちに襲撃をかけることを決めたリエイに、一切の迷いは無かった。
念のため、前回街の外で襲撃を仕掛けた時の倍の人数を用意した。これは、今のリエイが自由に動かせる最大の数だ。そのうえで小屋の外から火を放ち、煙に炙られたところを一気に囲んでしまえば、如何に凄腕の冒険者といえど打ち洩らすことなどありえないだろう。
その場で殺すもよし。もしも生かして捉えたのであれば、そのまま女としての地獄を味合わせてやるもよし。ついでに、間近でそんな目にあっている者を見せてやれば、未だ抵抗の意志を見せるあのマチネもいい加減に折れるはずだ。
そうすれば、自動的に街で有数の発言力も手に入り、この先どれだけ父親がゴネようと、自分がこのハクトーの街を支配する未来は磐石になる。
(これで、一気にカタがつく……)
そう信じたリエイは、この者にとっては万全の構えで、今夜の襲撃を計画したのだった。
だが、結果は散々なものだった。
万が一に備えて、手下たちと距離を置いて様子を窺っていたリエイの目前で、自分の計画は、文字通り火が着く前に消し潰された。
全戦力を揃えたリエイをあざ笑うかのように、あの騎士然とした小娘は、いとも容易く手下達を打ち破った。しかもその場で殺すこともせず、一方的な蹂躙が、なんども何度も繰り返されたのだ。
リエイは、かがり火に照らされ高笑いをあげながら男達を殴りつけるあの少女の姿に、生まれて初めての恐怖すら感じてしまったのである。
そしてリエイは、今。長年付き合ってきた手下達を見捨て、誰の目からも逃げるように、ひたすら自分の屋敷へと走っている。
ハクトーの街からは少し離れた場所にある、名勝として名高いミーズリー湖のほとりを迂回した先の、領主の館を目指していた。
(とにかく、今は安全な場所に帰るべきだ)
街に向かう時には手にしていたカンテラすらも投げ捨て、息を荒げてリエイは走っている。
滝のように流れる汗を拭えば、その僅かに閉じられた瞼の裏側に、圧倒的強者として力を振るう姫騎士の姿が浮かぶ。その、ゾッとするどころではない恐怖から逃げるように、リエイは必至で走り続けるのだった。
そしてようやく、木々の向こうに目指す領主の館が見えてくる。ミーズリー湖を一望できるこの小高い崖上の道を抜けてしまえば、館の門まではもう目と鼻の先だ。
リエイは、疲れをみせ始めた自分の足を叱咤するように叩き、もう一息だと力を入れた。
「覚えてろよ、あのクソアマども……。この街を支配するのは俺だ。俺が一番強いんだ。この俺に歯向かうようなクソどもは、いずれ必ず殺してやる」
荒い息もそのままに、リエイは深い闇の中でそう吼える。
今夜のことはしょうがない。不甲斐なさ過ぎる手下達には、いずれまた相応の罰を与える。そしてあの女たちも、今はとりあえず見逃してやる。
けれど、いずれ自分がこの街の実権を握り、もっと強大な力を手に入れた暁には必ず復讐してやる。今夜自分が味わわされた以上の屈辱と恐怖を、あのナメくさった女どもに絶対に与えてやる。
闇夜に暗く燃える復讐の炎をその目に宿し、リエイは空に向かって叫んだ。
「何処に居たって必ず探し出して、必ず地獄を見せてやるぞっ」
その言葉に応えるかのように、さっきまで分厚く覆っていた雲の切れ間から、下限に張った月がその姿を見せる。うっすらとした月明かりは、いずれ強者となる自分を称えているようだとリエイは感じた。
――そしてどこかで、
「そんなモン……てめぇ一人で見てきやがれ」
誰かが呟く。走りながらも月を仰ぐリエイには到底聞こえるはずのない、遠く距離の離れた場所で、そんな呟きが溢された。
――何が起きたのかわからなかった。
ただ踏み出した足の太もも辺りに、いきなり何かに叩かれたような感覚があっただけだった。踏み込んだはずの左足に何故か力が入らず、そのままバランスを崩した。
運悪く、よろけた先は崖の方だった。スピードが乗っていた体はそのままゴロリと転がり、一瞬後には宙に浮いていた。
「なっ!?」
助けを求める間もなく水面に叩きつけられる。
何がなんだかわからぬままに、大量の水が口内に押し寄せ、思わず飲み込んでしまう。
(お、溺れ……)
必至でもがき水面を求めるも、どうしてか足に力が入らない。真っ暗な水の中、それでも差し込んだ月の光を頼りに見てみれば、足首の辺りからうっすらと血が滲んでいた。
(か、踵? 怪我?)
思わず開いた唇から、貴重な空気が抜けていく。換わりに流れ込む、水、水、水――。
どれだけ足掻こうと、それでも体は思い通りには動かない。
水面が、どんどんと遠くに逃げていく。
(あっ……。がっ…………)
遠ざかる意識の中、男は。
闇夜に輝く弓張り月を背にした、誰かの姿を見た気がした。月すらも恥じ入るほどに美しい、少女の姿を見たような気がした。
そしてそのまま、仄暗い湖の底へと。ゆっくり沈んでいった。
§§§§§
§§§
§
しばし後、そこには一つの小さな人影がある。
長い棒状の何かを手にしたその影は、既に波紋すら消えた湖面を眺めていた。
もしも魔術に深い造詣がある者であれば、その影が手にする何かから、つい今しがた魔術が放たれた痕跡を見たかもしれない。遠方からの狙撃に使用した魔導具を手にした人影は、器用にそれを二つに分け、両腰へとそれぞれ差し込んだ。
そして懐から一本のビンを取り出し、アルコールの匂いのするそれを、辺りに振りまいて投げ捨てる。
「テメェが手を引くつもりだったら、こっちも此処までする気は無かったんだぜ? だからまぁ、コイツはひとつ自業自得と思って、ゆっくり頭を冷やすんだな」
少なくとも数日は浮かび上がってこないであろう誰か……。
このまま湖の魚に体の随所を食いちぎられ、僅かな怪我の痕など判別できなくなるだろう誰か。いずれ発見されるとしても、単に足を滑らせ転げ落ちただけと判断されるであろう誰かを置いて、影は何処かへと去っていく。
ひと時姿を現していた月も、既に雲の向こうへと隠れている。
一寸先すら見通せぬ闇の中。
フリルスカートの裾を翻した少女は、確かな足取りで去っていった。
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