12 『それは とある名も無い冒険者の話』
男は、言いようのない不安に囚われていた。
その男は今、ただでさえ暗い森の中、わずかな星明りだけを頼りに仲間の元へと歩みを進めている。
昼間に充分すぎるほど日の光を補充した木々の中では、こんな夜中であろうとむせ返るような生命の香りがまとわりつく。夜風の心地良いこの時期ですら、皮鎧の下ではねっとりと肌着が張り付いてくるのだ。もう一月も早い時期であれば、はたしてどれほどの不快感に襲われていたことか……考えたくもない。
「ったく……。なんだって俺が……」
思わず口をついてしまった呟きに気付くと、男は慌てて周囲を見渡す。隠密行動中だと言うのに、自分から発見されるようなマネをするなど愚の骨頂だ。
仲間との合流地点もまだまだ先。誰の耳にも届いていないようだったが、やはり用心に越したことはない。
しかし、初めて行う夜間偵察というワケでもないのに、こんな初心者でもやらないミスを犯してしまうとは……。やはりこの不愉快な湿気で、気がそぞろになってしまっているのだろうか。
(……違うな。もともと俺は、この依頼に乗り気じゃなかった)
注意深く、物音一つ立てないようにと木々を掻き分けながら、男は考える。
自分がここまで不愉快なのは、やはり、今回の依頼に対して乗り切れないところがあるからなのだろう。
確かに自分は冒険者で、中級冒険者と認められるまでの生活の中、汚れ仕事の一つや二つはそれなりにこなしてきた。押し込み強盗のようなマネをしたこともあるし、善悪定かでない武力抗争の片棒を担いだことだってある。今さら、人一人の命を奪うことに怖気づいているワケではない。
だが今回の依頼はなんだ? まだ年端もいかない十の子どもの命を狙う。しかもその少女は、つい先日まで街の路地裏で泥をさらっていたような娘という話じゃないか。
(ブクブク太った金持ちのどら息子……ってんなら、まだ気にならなかったのかも知れねぇがな)
社会の底辺に属する自分と同じような境遇にいた娘を、その自分の手で殺そうだなんて……まるで裏切りにも似た行いではないか。いくら仕事とはいえ、不愉快にもなろうものだ。
忸怩たる思いを抱えながら、彼は、帰りを待つ仲間の元へと戻るのだった。
「やっと戻ってきやがったか……。で、どうだった?」
額に汗して帰還した彼を出迎えたのは、冒険者仲間からのそんな心無い言葉だった。一行の中で一番若いからというだけの理由で男に偵察を押し付け、自分達はのんびりクダを巻いていたというのに、まったく良いご身分である。
「あぁ。……だが、報告の前に一息入れさせてくれ。少し疲れた」
「なんだぁ? 若ぇのにだらしねぇヤツだな。オレが若いころは、そんな甘えたこと言わなかったぞ」
偉そうに『最近の若いヤツは』を口にする冒険者を横目に、男は置いていた水入れでグッと喉を潤す。
そんな彼を、他の仲間達も白い目で見ているようであった。大方、このリーダー気取りの年配冒険者と似たり寄ったりの考えなのだろう。
(チッ。これだからジジイどもは……。この依頼が終わったら、絶対手ぇ切ってやる)
そもそもここにいる七人の冒険者は、日頃から組んでいる仲間というワケではない。今回の依頼に際し、一時的に頭数を揃えただけの関係なのだ。である以上、この無駄に偉そうな連中の指示になど従う理由は無いのだが、根が小心者なこの男は、自ら和を乱すような行為に踏み切ることが出来なかったのだ。
その結果が、雑事を一方的に押し付けられている現状なのだから、貧乏クジを引いていると言わざるを得ない。声の小さい者はどんな場所でもワリを食うものだ。
周囲の視線に耐えかね、男はもう一口だけ喉を濡らすと、偵察の結果を報告し始める。なおも続く言いようの無い不快感は、ぬるくなってしまった水差しの中身のせいだけとは思えなかった。
「――なるほど、あちらさんは三人。しかも、標的含めて全員が小娘ということか」
「年までは判らないが、まぁ、若い女なのは間違いない。たぶん護衛の冒険者だと思う、野営慣れしてそうな様子だったしな」
「なんだってかまわねぇよ。三人で、しかも若い女なんだろ? こりゃ、久々に美味い目を見れそうだな」
「オィ。同業に妙なマネするのは御法度だろ? 『盾の裏』にまで背く事になるぞ」
「黙ってりゃバレやしねぇんだよ」
「馬鹿を言え。他の冒険者に訴えられでもしたら、それこそどんな目に合わされるかわかんねぇぞ?」
「若いねぇ。んなモン……あっちが口を利けなきゃどうとでもなるだろうが」
三人の女性冒険者を亡き者にすると仄めかすような言葉に、男は開いた口が塞がらなくなる。いくら世間的にはぐれ者である冒険者でも、守るべき仁義と言うものはある。外道の仲間入りをするつもりはないのだ。
ギルドが節操無く依頼を受理する以上、今回のように、相対する内容の依頼を別々の冒険者達が引き受けるという状況は珍しくは無い。だがそんな場合でも、依頼の成否を巡って冒険者同士が血を流す事態は滅多に起こらない。
たとえ相手の仕事内容が、自分達のそれを妨害する内容だったとしても、冒険者の間で話をつけ片方が譲るというのが、彼らが暗黙のルールとしているやり方なのである。もちろん、依頼人には秘密裏に、である。
互いの戦力、報酬金、その他様々な事情で折り合いをつけ、秘密の打ち合わせでもって依頼の正否を判断する。もちろん軽く剣を交わすこともないではないが、それとて依頼人への「私達も頑張ったんですよ」アピールでしかない。
この、時には成功する側が相手に金を握らせまでする談合じみたルールを、冒険者達は『盾の裏』と呼んで重視しているのだ。
荒くれ者ぞろいの冒険者とはいえ、彼らだけが知っているこのルールを無視するような輩はほとんどいなかった。『盾の裏』をないがしろにし、一部の有力者だけが依頼を成功するような状態に陥ってしまうことは、ほとんどの冒険者が危惧する事態だったからである。
もしもこれを無視する行いが人目に触れれば、同業からの辛らつな裏切り者扱いを受け続けることになる。それ故、ルール無用のはみ出しモノと思われている冒険者であっても、『盾の裏』だけはキッチリと守るのが常識なのであった。
それだけに、男は目の前の年配冒険者が口にした内容が信じられない。安住の地である街中でまで命を狙われ続けるような事態を招きかねない行為など、正気の沙汰とは思えなかった。
「ふざけるなッ。そんな畜生働き、誰が参加するものか! 俺は抜けさせてもらうぞ」
「ここで降りるなら、オマエの報酬もナシになるぞ?」
「今までさんざ雑用押し付けといてそれかッ! ……あぁ、もぅ良い、金も要らん。外道に落ちるよりゃ何倍もマシだッ」
男は捨て鉢にそう叫ぶと、愛用の両刃剣を背に結び、置いていた自分の荷物を肩に担ぐ。そのまま最寄の街へと体を向け――――た、ところで。立ちふさがる男達を目にすることとなる。
「なんの……つもりだ……」
「なんの、じゃねぇよ。テメェはバカか? 秘密にしとかなきゃならねぇ以上、黙って行かせる訳がねぇだろうが」
「俺も、殺す気か?」
「最近のガキは、判りきったことを言うのが随分とお好きなようだ。……安心しな、テメェの死体はきっちり埋めといてやる。ついでに、標的の女共も一緒に埋めてやるから、寂しくはねぇぜ」
ジリジリと距離をつめてくる、ほんの数秒前までは仲間と呼んでいた冒険者達。ぬるりとした汗が男の背中を伝う。
武器に手をかけることすら出来ない男とは逆に、冒険者……いや、既にただの外道の集団でしかない相手は、それぞれが武器を取り、不愉快な笑みを浮かべて取り囲んでくる。
(クソッ……。ここまでか……)
男の脳裏に、戻ったら食事でもしようと約束していた女の顔が浮かぶ。
(お前の得意な松林檎のサラダ、食いそびれちまうな……。すまねぇ、クラウディア……)
外ではしっかり者のクセに、自分の前では可愛いところを見せる短髪の恋人を思えば、どうしても後悔が先にたつ。だがそれでも、同業の女冒険者達への凶行に目をつぶってまで、この場を生きながらえようとは思えなかった。それこそが、この不器用な自分の生き様なのだ。
男は自分の死を覚悟し、そして、目の前の腐れ外道を一人でも多く道連れにしてやろうとハラを決める。
それに此処で自分が騒げば、もしかすればあの女冒険者達も、身の危険が迫っていることに気がついてくれるかもしれない。遠めに見た限りでは若く美しい少女に見えたし、それほど熟練の冒険者とも思えなかったが、それでも無事この場を切り抜けてくれる可能性はあがる。
(話したこともねぇ相手の為ってのは残念だが……それでも、一生に一度は女の為に命を捨ててみるモンだぜッ!)
一声、震える自分を叱咤する為の雄叫びを上げ、男は目の前の敵へと殴りかかる。一瞬でも隙を突けば、武器を抜く事だってできるだろう。自分は速度がウリの軽戦士。変幻自在な自分の剣技で、図体がデカイだけのウスノロどもを圧倒することだって出来るかもしれない。
そして、男の拳が、嘲笑を張り付かせたままの相手の顎へと届こうとする刹那、
ガィン!
後方からの衝撃で吹き飛ばされた。
地に伏せた自分の肩口から、熱く伝う何かを感じる。うっすらと窺い見ると、ニヤニヤと笑う冒険者崩れが、自分に向けて振り抜いた剣をこれ見よがしに揺らしていた。
地面に転がった際にどこかで打ちつけたのだろうか、こめかみの辺りにも鈍痛が走る。
徐々に薄れ行く意識。
横向きになった世界の中、男はどこかで、銀紗を震わせるような声が聞こえた気がした。
「おっけおっけ。んじゃ、とりあえず全員死んで貰おっか?」