10 『それは 誰もが逃れられない痛み』
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極めて安泰に、旅は続いていた。
天候にも恵まれ、ここまで穏やかな平原を進んできた一行。既に、後二日ほど目の前の森を進めば、目的地であるアウーシマの街が見えてくるというところまでその歩みを進めていた。
懸念材料であった襲撃も、最初の夜の魔物以降はなりを潜めている。
護衛対象の少女はといえば、近頃では三人の美少女冒険者たちが繰り出す金と物量にモノを言わせた野外活動にも慣れ、むしろこんな風に不便を感じない旅こそが普通だったんじゃなかったっけと勘違いをし始めている。
三人の存在自体にも、いくらか気を許しているようだった。その見目麗しい外見にも、白銀が舞うような所作にも……更には瑞々しく熟れたサクランボのような唇から紡がれる、場末の娼婦ですら眉をしかめる粗雑な言葉遣いとバカ話にも耐性がついてきたのである。……まぁ、何時までも慣れないよりはマシだと思いたい。
仲良くお喋りをするほどではないが、それでも、頭上を飛び交う会話を聞き流しながら馬車の隅で体を休ませているくらいには、少女も自分を出し始めていた。
そして三人も、そんな彼女のリラックスした姿を横目で見つつ、相も変わらず阿呆な話に花を咲かせるのであった。
そんな微妙にちぐはぐな四人組。
実のところ、未だ互いの名前を名乗ってすらいないことに、何故だか誰一人気付いていなかった。
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「さぁて。今日の不寝番だが、ちぃっとローテを変えようと思う」
その提案をギョクが出したのは、一日かけて進んだ森の中に少し開けた場所を見つけ、随分と軽くなった木材で焚き火を起こし……そしていつもの夕食を取り終えた後の事だった。
この場に居るのは三人の外見詐欺だけで、護衛対象の少女は既に馬車の中である。ただ車上で揺られているだけの旅とはいえ、それでも疲労がたまっているのであろう。
不寝番の順番から言えば今夜は自由にして良い日のはずだったため、さっそく食後の一杯を始めようとしていたツルギ。突然の提案に、スキットルに伸ばしていた手を引っ込めて不満を鳴らす。
「なんだぁ、さては寝不足か? 今さらそんな我がまま言っても、オレ様は順番変わってやらんぞ?」
「違うわ、あほんだら。……良いか。俺達ゃここまで順調にスケジュールを進めてきて、明日の夕方にもこの森は抜けられる。そんで明後日にはルーランドに着くだろうが、そうすると森から街までは、ずっと見晴らしの良い平原が続くんだ。……どういうことかわかるだろ?」
「なるほど……。ギョク先輩は、今夜にヤマ張ろうってつもりなんスね」
未だ少女の前では猫の毛皮を何重にも被り、性根の底にある腐れきった何かをひた隠しにしているカガミだったが、三人だけのこの場ではいつもの口調に戻っている。
「あぁ。ここはおあつらえ向きに見通しの悪い森の中、しかも今夜は新月ときてる。十三面待ちの国士を序盤で張るくらい鉄板の状況だ。よほどのバカでもねぇ限り、今夜だと思うぜ」
「その裏をかいて……いや、無いか。強襲かけるなら不意打ちに越したことはないし、夜襲のメリット捨てる理由も無いッスからねぇ」
「そういうこった。つうワケだから、今夜はいつもの二人寝一人起きじゃなくて、三交代睡眠で二人が起きてるようにしよう。一番キツイ中番は、昨夜フリーだった俺が引き受ける」
「らじゃッス。んじゃ、ツルギ先輩。最初と最後、どっちが良いッスか? 好きに決めて良いッスよ」
「いやいや待て待て。何の事だ? さっぱり判らん」
「いやだからぁ……。最初の三分の一寝て残り起きてるのと、最初の三分の二起きてて最後に寝るの、どっちが良いかって事ッスよ」
「それならオレ様は最初に寝る方が……って、違うわ! そうじゃなくてだ、お前等さっきから何を警戒しとるのだ? いったい今夜、何が起こる」
「あぁ……なるほど。そこからッスか。……流石ツルギ先輩、ブレないッスねぇ」
ため息混じりにカガミは肩をすくめる。口では相手を『先輩』などと呼んでいるが、相変わらず欠片も敬意は感じられない。
そんなカガミが解説したのは、ギルドで依頼を受けた直後に三人が話していた内容。つまり、自分達の護衛対象である少女が、何物かに狙われていると言うことだった。
「そういえば……。そんな話もあったな」
「基本項目忘れてんじゃねぇよ、ちゃんとシナプス繋がってっか?」
「神経細胞は記憶と関係ないッスよ、ギョク先輩。この場合『大脳皮質剥げてないか?』じゃないッスか?」
「なんだか判らんがバカにされてることはわかった。とりあえず二人とも歯ぁ食いしばれ」
「黙ってやられるバカがいるかっ」
「オレの美貌に傷つけるヤツは、たとえ先輩ですら容赦しないッス」
今にも襲撃を受ける可能性があるというに、わずかばかりの緊張感すら丸投げにした阿呆がここに居た。しかも三人。
まったくもって救いがたい。
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ひとしきり暴れた後、ようやく落ち着きを取り戻したツルギは、誰に言うでもなく呟く。
「しっかし……あのお嬢も、考えると哀れなものだな。私生児として生まれ、母親と死に別れ、泥水すするような暮らしからやっと抜け出られそうな希望が見えたところで、今度はまだ見ぬ親族に命を狙われる、か」
「無事に目的地まで護衛したとしても、身内から命狙われてるって事実に変わりはないッスからねぇ」
「まぁなぁ……。俺達みたいなンが言っても詮無い事なんだろうが、ツいてねぇとは思うぜ、あの嬢ちゃんもよ」
「だよね……。私なんて、どうせそんな人生だよね……」
それぞれがしみじみ洩らす声に続いたのは、これまでバカ話を続けてきた三人のうち誰の物でもない、沈みきった少女の声だった。
てっきりもう眠ってしまっているとばかり考えていた少女の登場に、三人の冒険者は慌てて振り向き、自分達の失言を悟った。それ以前に、寝静まっていたであろう少女を起こしてしまったのは、どう考えても先ほどの騒ぎが原因である。それぞれの方法で周囲の気配を探知していたはずなのに、迂闊にも程があると言えよう。
不良中年どもにわずかばかり残存していた良識が、まだ幼い少女に聞かせるべきではない話を耳に入れさせてしまった事を責める。
「あっ、いや……な? 嬢ちゃん、こりゃいわゆる世間話ってヤツで――」
「良い……わかってた。急に顔も知らない親戚が現れて、私なんかを救ってくれるなんて……そんな都合の良い話、あるわけ無いよね……」
「違うわよお嬢ちゃん。心配しなくても、私たちはちゃんと貴女をアウーシマまで連れて行くわ?」
「たどり着いても……どうせ殺されるんでしょ? あと、さっきみたいに喋ってくれて良い。貴女の喋り方、優しいけど……なんだか気持ち悪いもん」
「キモっ!?」
「言われとるなぁ、カガミ」
「……どうせ殺されるなら、いつ死んだってかまわない。どうせ、みんないつかは死ぬんだし」
十歳という幼い少女が口にするには、あまりに擦り切れ過ぎた発言である。
ただでさえ、現代日本と比べて人の命が安いこの世界。その中でも更に、日常的に誰かの死に触れていた浮浪児あがりの少女が放つ言葉には、口に出た単語以上の重みが感じられた。
どうにかしてこの重苦しい空気を和ませたいと互いに目配せをしても、平和な世界に生きてきた三人には、かけるべき言葉が中々思い浮かばなかった。
そんな捨て鉢と諦観の交雑種のような少女を、三人は少しの間見つめ……やがてギョクが、ため息混じりに口を開く。
「俺達が守るって言うのも、信じらんねぇか?」
「私が死んだら、お仕事が失敗になるからってだけでしょ? 結局……誰も、私を助けてなんかくれない」
「そりゃそうだろうな。誰だって、嬢ちゃんを助けたいと思って生きちゃいねぇよ」
「ちょ、ギョク先輩。いくらオレにキモイなんて暴言吐いたとはいえ、こんな子どもにその物言いはないッスよ」
「……いやカガミ。多分だが、お前に気を使ったのではないと思うぞ?」
「二人とも黙ってろと言いたいトコだが、良いコト言ったぜツルギ。
……なぁ嬢ちゃん、誰もお前さんの事なんざ気にしてねぇ。それどころかこの世の誰一人、嬢ちゃんを助けたいと思いながら生きてやしねぇんだ」
「でもお母さんはっ!」
「そうだな。無条件でお前さんを助けてやりたいって人間が居たとすりゃ、ソイツは家族くらいのモンだ。だけどお前の母親はもう居ない。そんで多分だが、俺達を護衛に寄越した親戚ってヤツも、別にお前さんを助けたいから俺達に依頼を出したんじゃない。
遺産やらなんやらで、嬢ちゃんが生きてた方が都合が良いからそうしたってだけだぁな。……わかるか?」
「……わかる」
そして、立ち尽くす少女の手を引いて、ギョクは自分の前に座らせた。パチパチと音を立てる焚き火に照らされたギョクの顔が、光を失った少女の瞳に写る。
ギョクは、その白磁のような手を少女の両肩に置き、まだ充分に幼さの残るその顔を真正面から覗き込んだ。