オクトパシアン
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5年前、TOTWOが魔者弾圧を始めた正当性を主張するための理由「軟体獣はイベント・チェンジャーズ=“魔者”が妖しげな魔術で創り出した魔造生物である」は、ある意味正しかった。
だが、正しくはあるが、全てではない。
吾妻は、災害復興支援で世界中を飛び回る中、何度か遭遇した軟体獣を思い出していた。
(確かにあれは、パニック状態の様な暴れ方だった)
まるで人間に怯えて、身を守るために闇雲に襲いかかり、殺戮し尽くすまで安心出来ないといった様な……
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――吾妻は、目の前に現れた“マリモ”と呼ばれた“それ”を見た。
吾妻が知る軟体獣とは全くの別物。
それは、元がタコだと言われなければ、そうは見えない人型をしていた。
手足があり、胴体があり、頭がある。
二足歩行し、直立している。
身長は150cm以上はあろうか? ヤトハより高い。
全身のフォルムは“女性”である。
それも、かなりスタイルの良い、モデルのような。
軟体生物に関節は無いはずだが、人間と同じ動きで歩いて来た。
表面はさくら色のゴムの様な質感の皮膚の上に、オウム貝の殻の様な不規則縞模様のツルツルとした薄く硬そうな殻がプロテクターの様に体のあちこちに貼り付いている。
くびれている腹部の中央には茶色のくちばしめいた物が有り、その少し上の両脇から円形の突起が生えている。
胸部の殻のプロテクターには、女性の乳房の様に2つの丸い膨らみが有り、両肩の殻のプロテクターからは腕が生えている。
良く見ると、脚や腕に吸盤の痕跡がいくつかあり、手のひらに指は無く、指の代わりに5列の吸盤が並んでいた。
鎖骨の辺りから、短い触手が生えている。
首の上には頭部があり、顔のパーツは少し離れた位置に大きな丸い金色の目が2つだけ。
しかし、頭部から顔面全体を薄いまだら模様の殻のプロテクターに覆われているので、そういう形の仮面に見えて気持ち悪さは感じない。
そして、後頭部から髪の毛を2つに結わえた様に、太く長い触腕が2本下がっている。
吾妻の第一印象は“美しい”であった。
それは、観賞用の熱帯魚や、深海の発光生物を見たときに感じる美しさか?
艶かしく、秘めやかで、なにか視てはいけないものを観てしまっている様な、不思議な感覚。
ラバースーツを来た女性がコスプレしていると言われたら、疑う者はいないだろう。
宇宙人がいるとするなら、こんな感じだろうか?
「マリモ、久しぶり!」
ヤトハが声をかける
「ヤトハサン、コンニチワ」
子供の頃に喉を叩きながら良くやる、
[ワ〰レ〰ワ〰レ〰ハ〰、ウチュ〰ジンダ〰]
みたいな声が聞こえた。
「「喋った!?」」
吾妻と滝が同時に声を上げる。
「彼女達には、声帯がないからの。筋肉と体の表面を震動させて、音を出すんじゃ」
(いや、音を出すのは良いけど、そうじゃ無くて)
「じ、人語を解するんですか?」
「彼女等の知能はかなり高いぞ、なんせ脳が3つもあるからの。
下手すりゃ、人間より上かもしれん」
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頭部と胸の2つの膨らみには、元々九つ有るタコの神経節を3つに束ねて進化させた“脳”がつまっている。
“3つの脳”を進化させた結果、複雑で高度な独自の知能を獲得した。
たが、その事で人間と思考をシンクロさせる事が難しくなり“事変力増幅装置”として機能させる事は、ほぼ不可能になってしまった。
――結局、芹田博士の夢想した“タッコちゃん構想”は失敗したのだ。
タッコちゃん計画は頓挫したが、オクトパレファントに対しての攻撃衝動抑制因子を組み込む事には成功している。
オクトパレファントに対して、テレパシーに近い心理的圧力を与え行動不能にしてから体内で生成した抑制因子を、硬質化させた触手の先端から打ち込む事で攻撃衝動を消し去る事が出来る。
表皮の一部を殻状に硬質化して外骨格とする事で、人間の骨格と同じ動きが可能。
腹部中央のくちばしが、食物を摂取するための口。両脇の円形の突起は呼吸器。
そう聞くと、やはり人間とは全く違う生き物だ。
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「マリモ、こちらは吾妻君と滝君じゃ。
工事の手伝いを承諾してくれた。
2人ともイベント・チェンジャーじゃから、かなりの戦力になるはずじゃ」
「ヨロシク、アズマサン、タキサン」
なるほど、良く見れば微妙に皮膚が波打ち体表が振動している。
「先ほど“彼女達”とおっしゃいましたが、他にもいるんですか?」
「山向こうはオクトパシアンの集落にしとる。
大きな川と泉があるからの。
いくら陸上に適応したといっても、幼生期は水棲なんじゃ」
「工事は、彼女等が?」
「マリモにも手伝うてもろうとる。
オクトパシアンの筋力はかなり強いからの、人間だけではどうにもならんかった……有り難い事じゃ」
「ハカセニワ、イノチヲ、スクワレマシタ、カラ」
5年前の魔者弾圧の時、この村の人々は日本のつくばテクノポリスにいた。
突然の魔者弾圧部隊の襲撃で、戸倉博士の娘夫婦他多数の職員が犠牲になったが、鉄が現れて 拘束されていた研究所全員とその家族を助け出し、つくばとここに繋がる転移ゲートまで誘導してから
「持ち出せる限りの研究資料と機材をゲートの向こうに移せ」
と言って鉄は敵と戦ったそうだ。
その時、戸倉博士が芹田博士から預かっていたオクトパシアンの実験体は3体。かなり重い培養カプセルを抱えゲートを往復して全てこちらに移した。
マリモはカプセルの中から戸倉博士達がカプセルごと自分を抱えて走る姿を見ていたそうだ。
「あの時は、まだマリモも小っちゃかったからの。今のマリモじゃ、もうわしは抱えきれん」
「ほっほっほっ」と笑う戸倉博士を見つめるマリモの顔は殻のプロテクターに覆われ表情は変わらない。
しかし、その目には“親愛の情”が浮かんでいるように、吾妻には思えた。
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地下施設の坑道跡が、山向こうの工事現場に続いているという事なので、大人がやっと立って歩けるほどの地下通路をマリモ、ヤトハ、吾妻、滝の順で歩いて行く。
滝が歩くスピードを上げてマリモに近付くと
「蜘蛛がとまってますよ」
と言ってマリモの肩をポンポンと叩く
「?」
「あ、もう取れました」
そのまま吾妻の後ろに戻ると、吾妻にしか聞こえない念声で話しかける。
『“読心”をかけてみました』
さすがは滝、抜け目が無い。
吾妻も念声で返す
『で?』
『“脳”は活発に活動してる様ですが、思考パターンは人間とは全く異なります。
3つの脳の役割分担も、人間の右脳左脳の使い分けとは異質過ぎて、どうやって思考しているのか理解出来ません』
『しかし、我々との会話は成立している』
『そこなんですよ、不思議なのは。
思考の方法がお互い全く異質なのに、意思の疎通が出来てる。
彼女は、人間の“情”を理解している節すらあります』
滝も、マリモが戸倉博士に寄せる“情”に気付いていたようだ。
それは、娘が年老いた父親をいたわるような……。
『我々に対して、敵意は感じなかったんだろ?』
『はい、そうです』
『お前が“読心”で理解出来ないって事は、向こうの方が一枚上手って事だ』
(“脳”が3つって事は、三枚上手か?)
『彼女は人間の情を理解している。
そして、我々に敵意は無い。
今は、それで充分じゃないか?』
『……そうですね』
吾妻は思った
(人間が創り出した、人間以上の存在?
……本当に、そうなのか?
だとしたら人間は、少なくとも戸倉博士は、すでに“神”の領域に踏み入ってしまっているんじゃないか?)
気が付くと、ヤトハが歩きながら横に並び、不思議そうに吾妻の顔を眺めている。
吾妻は「何でもない」と笑いながらヤトハの頭をくしゃっとした。
「ミナサン、ツキマシタ」
トンネルの向こうは、泉だった。