鉄 外伝⑧:覚醒
月の夜。
隕石群衝突直前のティベルト、コラルン山脈の奥地。
過去の世界に降り立った鉄が、ヤソハチの用意した“大舟”とやらがどんなものかと見てみれば、つくばで転移ゲートに放り込んだ、パーフェクト・ヒューマンの少女だった。
【蛮殻】の上着も、鉄が包んでやった状態のままだ。
ヤソハチが、その少女を“お姫様抱っこ”して、神妙な顔をしている。
鉄がヤソハチに聞く。
「……そいつも、転移ゲートに閉じ込められてたのか?」
「いえ、この子は無事ゲートを通過しています。
通過直前のタイミングで、私が回収してきました」
「そいつにやらせるのか?」
「いいえ、この少女はいずれは強大な“力”を持ちますが、今は“空白”の状態です。
この少女が、今のクロガネ様の“仮の肉体”となります」
鉄は一瞬、ふら~と目眩がした。
パーフェクト・ヒューマン〈ノクトモンドver.〉と戦った時に、人格と肉体の性別の不一致を、挑発のためとは言え“変態”扱いした事を後悔する。
まさか、自分も同じ目にあうとは……
「えっと……たとえば、この時間軸の俺、つまり、今 日本にいる7年前の俺を、ここに連れてくるとかは?」
「それが出来れば、苦労は無いのですが……時間遡行には色々制限が有るのです。
あの時空面で、あなたが亜空間に閉じ込められなければ、私達はあなたに接触出来ないのです。
申し訳無いのですが、この条件でやっていただくしか……」
ヤトハ965号が、心底申し訳無さそうな顔で鉄に頭を下げる。
“夢”だからといって、何でもかんでもは出来ないらしい。
(これも“因果応報”“人を呪わば穴二つ”ってやつか?)
己の、かつての行いを反省する鉄に、ヤトハ965号が語りかける。
「彼女は、歴代ヤトハの起源となるお方。
そして、あなたのクローンとも言える存在です。
彼女自身の人格が芽生え、自我を獲得する前の、今の空白の状態の彼女なら、あなたの依り代としてこれほど適した肉体は、他には在りません」
「わかった、やってくれ!」
鉄は、胆を決めた。
――少女への憑依は、一瞬で終わった。
目線が低い。寒い。はら減った。
それまで、精神体では感じなかった“肉体”の感覚が一挙に押し寄せてくる。
だが、すでに隕石群が大気圏を突入し、燃えながら夜空を赤く染めている。
“スリーデイズ・インパクト”が始まった。
隕石群の中に、一際巨大な隕石が見える。
鉄が、パーフェクト・ヒューマンと戦った時の事をイメージすると、少女の身体が一瞬でその時の姿に成長した。
それでもなおブカブカの上着のボタンをはめて【蛮殻】を起動させる。
ダブついた袖をまくり、気合いを入れて事変力を集中し、イベント・チェンジを発動する。
隕石群衝突は一度経験済みだ。
そう、この時間軸に本来存在する5年前の鉄は、今ごろ仲間のイベント・チェンジャーズと日本の国土防衛の真っ最中なのだ。
その時と同じ様に、先ずはイベント・チェンジで隕石に対して防御結界を展開する。
落下を押し留めようと、何重にも展開した結界の層に超圧縮空気を挟み込む。
だが、まだ足りない。
質量が大き過ぎる。
さらに意識を集中させると、不意に意識が拡がる感覚がして、パーフェクト・ヒューマンの超能力が発動した。
超能力により、重力操作が可能になる。
今度は、重力で圧し出す。
たが、まだだ。
まだ隕石の速度は落ちていない。
(距離が遠いのか?)
鉄は、重力操作で空を飛び、隕石に近付いて良く見ると、その全長は100m以上あった。
(あいつらは、たしか全長50mと言ってたはずだが?
……半分に割っちまっても良いのかな?)
そう思いながら、鉄が巨大隕石に触れた時、誰かの声が聞こえた気がした。
そう思った時、突如、鉄の意識は跳んだ。
   
鉄が巨大隕石に触れた瞬間、逆流因果が発動し、時間が巻き戻る。
メギストシィが、5千人の人造超能力者を処刑した、その死の瞬間に。
暴走した怨念が、隕石群を地球近くにテレポートさせるその直前。
鉄の逆流因果の干渉で、テレポートに衝撃刃が混ざり、光る巨大な猫の姿になる。
式神タマ(衝撃刃version)が巨大隕石に突っ込み、閃光に包まれた。
全長100mの巨大隕石が2つに割れる。
そして2つのうちの1つは、テレポートせずに、そのまま火星に向かった……
  
「……はっ!」
鉄の意識が戻る。
さっきと同じ状況。
上空に飛んだ鉄の目の前には巨大な隕石。
だが、隕石の全長は半分の50mになっていた。
質量が減った分、落下速度に制動がかけやすい。
鉄は、半分の大きさになった巨大隕石に触れたまま、コラルン山脈の山間まで誘導し、そのままそこに落とすと、さらに圧力を加えて隕石を埋めた。
巨大隕石に触れている間、鉄の頭の中には、ずっと何か正体の分からない“声”が聞こえていた気がするが、隕石から手を離すと聞こえなくなった。
・
・
「終わったな……」
鉄が憑依しているパーフェクト・ヒューマンは、少女の姿に戻っていた。
少女の姿の鉄が、右手を上げると、ゆらゆらと靄が現れ、白い猫の姿になる。
(吾妻や星宮達に、よろしく伝えといてくれ。……今までありがとな、タマ)
鉄は、式神タマを解放した。
タマは、名残惜しそうに鉄の周りを回り、やがて夜の空へ消えていった。
「よろしかったのですか?
あの猫を解放してしまったら、あなたは、本当に亜空間で一人きりに……」
ヤトハ965号が、心配顔で鉄に言う。
「俺に付き合わせて、あいつまで亜空間に閉じ込められるなんて事は、俺は嫌なんだ。
……猫ってのは、自由な方が良いだろ?」
そう言って、少女の姿の鉄は笑った。
・
・
鉄の身体はアストラル体に戻り、パーフェクト・ヒューマンの少女はヤソハチにお姫様抱っこされて眠っている。
「クロガネ様、お疲れさまでした。
それでは主様、私はこの子を元の時空に戻して参ります」
「お願いしますね、ヤソハチ」
「おまかせ下さい」
ヤソハチがスゥっと消える。
鉄が、隕石を埋めた場所を眺める。
「若干、窪地になっちまったな。
最後の仕上げで、圧力をかけ過ぎちまった……やり直すか?」
ヤトハ965号は、山間に出来たクレーター状の窪地を見ながら満足気に
「いいえ。
この新しい分岐世界は、これ以上無いほどに完璧な仕上がりです。
本当に、ありがとうございました」
と言って頭を下げた。
    
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鉄とヤトハ965号は、再び真っ白な魂の世界に戻ってきた。
「しかし、あんたらは“全長50mの隕石”って言ってたよな?
でも、実際は全長100mは有ったぞ。
結果的に半分に割れちまったが、それで良かったのか?」
 
「はい。
あの隕石はいずれ、火星にも必要になります。
私がそれを言わなかったのは、あの局面で、あなた自らお気付きになる事が“逆流因果”覚醒に必要だからでした。
けれど、ヒントはお伝えしましたでしょう?“全長は50m”だと」
ヤトハ965号が、イタズラっぽく鉄を見る。
「まぁ、そうだな。
上手く事が運んだってんなら、良かったよ。
……それで、役目を終えた俺はどうなる?
あの亜空間を死ぬまで漂うのか?」
「いいえ。
あなたの果たすべき役目は、まだ終わりではありませんよ。
いずれ近いうちに、この地の周辺で重力崩壊が起こり、次元断層が発生します。
その次元断層が蒸発して消えるまでのわずかな時間、あなたは次元断層に共鳴して、一時的に開放されます。
その時【蛮殻】はあなたの近くに在るでしょう。
それで、人を救って下さい。
その方は、この分岐世界で“英雄”になる人達の中の、始祖の一人です」
    
「そいつを救った後は?」
「この地に出来た次元断層が蒸発すると、再びあの亜空間に戻り固定されます。
あなたの肉体は、量子結合で亜空間と繋がっているのです。
亜空間は時間の存在しない場所。ですので、あなたは今後、歳をとりません。
亜空間での体感時間も、馴れればコントロール出来ますから、退屈はしないでしょう。
およそ4百年後に、あなたを一時的に亜空間から呼び出す“召喚”の技術が開発され、召喚した人々の手助けをする事になります。
人々を助け、役目を終えて亜空間に戻される。それを何度か繰り返します。
ですが、2千年もしたら、あなたを亜空間から完全に開放する者が現れ……」
鉄のアストラル体が、徐々に薄くなっていく。
「お別れの時間だな」
鉄の言葉に、ヤトハ965号の顔が泣きそうに歪む。
「本当に……ありがとう、ございました。どうか、お元気で……さようなら」
「あぁ。
あんたに会えて、楽しかったぜ。
ヤソハチによろしく言っといてくれ。
……じゃあな!」
ヤトハ965号と、いつの間にか戻ってきたヤソハチは、いつまでも鉄の消えた場所を見つめていた。
 




