雪山の決闘
〔う~む……う~む……う~……〕
「戸倉博士、これは?」
水力式発電施設稼働から1ヶ月後。
吾妻と滝は、今は亡き芹田博士の人格を再現するというバイオ量子事象コンピュータの様子を見に、地下施設を訪れていた。
吾妻と滝の目的は、鉄の捜索。
この地で【蛮殻】は発見した。
次の目的地は、いよいよ日本だ。
だが、ここを旅立つ前に、量子事象コンピュータで再現されるという、芹田博士の人格を確認して、出来れば会話してみたいと思っていた。
しかし、コンピュータは唸るばかり。
「最適化の途中じゃ。
寝起きで唸っとる、みたいなもんじゃな」
「いつまでこうして唸ってるんでしょう?」
「……分からんな~、しばらく放っておくしかないのぅ。
実を言うと、これがどの程度芹田博士の人格や記憶を再現出来るのか“忠実な肖像画レベル”なのか“ディフォルメされた似顔絵レベル”なのか?
実際に動いてみんと、ワシにも分からんのじゃ。
もしかすると、このまま唸って終わる可能性すらあるかも……」
「……唸って終わるんですか?
さすがにそれは……ご勘弁願いたいですね」
今、地下施設には10人程が作業しているが、皆離れた場所にいて、バイオ量子事象コンピューター前には吾妻、滝、戸倉博士の3人だけ。
吾妻は、旅立つ前に、前々から聞きたかった事を思いきって戸倉博士に聞いてみた。
「戸倉博士は、ヤトハの事をどこまでご存知なんですか?」
戸倉博士はじっと吾妻の目を見つめ、静かに語り出した……
******************
一方その頃、ヤトハと悟はコラルン山脈の万年雪に被われた一番高い頂に設置された、広域電波受信塔の下にいた。
この電波鉄塔は、吾妻と滝が設置したモノで、それにはこんな理由があった。
コメーティア隕石へのサイコダイブを切っ掛けとして、にわかに子供達の間に巻き起こった[マギカ☆ムーン]ブームは、大人達にも少なからず影響を与え、村全体に娯楽に対する欲求が強まっていた。
そうした中、志水さんと多聞珈琲のマスター福井氏を主催者とする演芸会が集会所で行われる運びとなる。
内容は、
滝の【スーパー・フライングV-D type2】完成記念と称するコンサート〈Gt,:滝、Ba,/Vo,:夜美、Ky,/Cho,:温子先生、Dr,:吾妻〉。
子供達のマギカ☆ムーンの演劇発表会。
マリモによる形態模写〈擬態能力を使って一瞬で虎やらライオンやらに化ける〉。
滝の生演奏によるカラオケ大会 等。
演芸会の打ち上げで、吾妻がTOTWOの世界征服以降、各地で今も非合法にラジオ放送、テレビ放送を発信している海賊放送局が存在する事を村の人々に話した。
番組の内容は主に、TOTWOに征服される以前の音楽や映画であり、その放送電波の中に秘密のメッセージが暗号化されて紛れ込ませてあったりする。
暗号はともかくとして、音楽や映画が放送されているならそれを聞いてみたい、見てみたい!
村の人々の熱烈な希望を聞いて、世話になっている御礼として、また、村の人々とお別れの餞別として、吾妻と滝は早速アンテナ塔を設置し、村の人々は五年ぶりにラジオやテレビを楽しむ事が出来る様になったのだ。
ヤトハと悟が今ここにいるのは、昨夜からの電波障害の原因を調べに来ていた。
吾妻の弟子として、アンテナ塔設置を手伝った悟は「メンテナンスは俺に任せろ」とばかりに、単身結界の外に意気揚々と出て行こうとするところをヤトハに見咎められた。
覚えたての“瞬動”で巻こうとしたが、結局ヤトハからは逃げ切れなかった。
「お前、何でついてくるんだよ!?」
「悟こそ、結界の外に出ちゃダメって言われてるでしょ?」
「俺は良いんだよ! 仕事なんだから……」
自分の勝手な行動を正当化しながら、悟は10m程の鉄塔を見上げ、器用にスルスルと登って行く。
「補整装置に問題は無いな……」
鉄塔には、海賊放送の電波を補整するための装置が付いているが、それには異常は無い。
「だとすると、ケーブルの断線かな?」
巧妙に擬装処理が施された電波塔と電線は、注意深く見ていないとすぐ見失ってしまう。
悟は、上の電線を見上げながら雪山を歩いて行く。
電線を支える鉄塔は、徐々に1mづつ低くなり、山頂の万年雪から岩肌が露出する辺りになると地下ケーブルになる。
6mの高さの鉄塔に来たとき、悟の背筋がゾクリとした。
前方の鉄塔を見る。
その横を、悟と並んで歩いていたヤトハが、上を見ながら追い越して行く。
「ヤトハ!」
悟が叫ぶと同時に、鉄塔からヒュオ!っと何かが襲いかかって来た!
それは、矢の様な速さでヤトハ目掛けて放たれたが、ヤトハが悟の呼び掛けに立ち止まるより速く、瞬動でヤトハの前に出た悟によって防がれた。
今、悟が手にしているのは、一般的な【司魔法】のみ。
そのスマホで、防御結界を身に纏った悟が、鉄塔から放たれる正体不明の攻撃を次々と捌いていく!
悟が目を凝らし、鉄塔を睨み付けると攻撃者の姿が見えて来た。
それは、鉄塔に絡み付く大蛇の様に見えたが、先端が八つまたに分かれ、それをムチの如く間断無くこちらに放ってくる。
鉄塔に長い胴体を巻き付け、伸縮自在の先端部をウネウネと動かし、不規則な動きで攻撃して来ていた。
「ヤトハ、後ろに跳べ!」
悟の掛け声で、2人は同時に後ろに跳び、襲撃者から距離をとると、襲撃者は鉄塔からニョロロと離れ、2人を威嚇するかの如くその身を起立させる。
全身を赤黒く変色させ身体を震わし
「ヴモオォォォ!」と鳴いて威嚇してくる。
その高さ、10m以上は有ろうか?
「あれは、何?」
「分からない」
ヤトハの問いに“分からない”と答えた悟であったが、このような異形の生物、話に聞く“軟体獣”以外有り得ない。悟は確信していた。
異形生物の胴体は細長く、表面は鱗状の凹凸に被われていて、先端の触手をウネウネ動かすその姿は、絵本で見た“ヒドラ”を連想させる。
「ヤトハ、【ウズメ】は?」
「着てない」
【ウズメ】とは、吾妻と最初に闘った時にヤトハが着ていたジャンプスーツとジャケットからなるヤトハ専用事変服であるが、戸倉博士の許可なく使用する事は禁じられていた。
「スマホ以外で、何か持ってないか?」
「無いよ」
万事休す!
今、2人が手にしているのは村の日常生活で使っている量産型の汎用スマホのみである。
防御結界を張るにしても、身体の周りに纏わす程度の出力しか無い。
瞬動で逃げる事は可能だろうが、このような変異種、どんな特殊能力を秘めているか分かったものではない。
もし、結界を突破し、村に侵入でもされたら……
そう考えると、悟に“逃げる”という選択肢は無かった。
異形の怪物は、触手の先端部を鋭角的に高質化させ2人に襲いかかる。
それをさばく悟。
カキン! カキン! と、火花が散っている。
(硬いな、いつまでも、もたないぞ……)
そう思いつつヤトハを横目で見ると、突っ立っているように見えるが紙一重で避けている。
(さすがにヤトハは“速い”な……)
「コイツは軟体獣の変異種に違いない。
ヤトハは村に行け、吾妻さんか誰か呼んでこい!」
「悟は?」
「俺は、ここでコイツを引き留める!」
「1人じゃ無理だよ! 私がやる! 悟が行って」
「お前の方が速いだろ? 速く行け!」
カキン! カキン!
さばきつつ、悟は徐々に触手のスピードに慣れてきて、避けられるようになりつつある。
「大丈夫だ! なんとかなる!
早く、助けを!」
「分かった、待ってて!!」
ヤトハはそう言うと、雪煙をあげて姿を消した。
異形の攻撃は速く、スマホのタッチパネルを操作している余裕は無い。
悟は、スマホを額に押し当て、思考を直接送り込む。
すると、スマホの背面がブゥンと唸り、青白い幾何学模様の発光が浮かび上がった。
「℃¥$¢£%#&*!」
悟が歌うようにメロディアスな抑揚をつけ“呪文”を唱える。
実は、量産型の汎用スマホには“汎用”と言うだけ有ってタッチパネル以外に呪文による音声入力補助機能も備わっているのだが、ほとんどの者はその機能を使わない。
何故なら、呪文は発音が難しく、正確に唱えられる者がほとんどいないからだ。
それは、イベント・コンバータの呪文とは、マシン言語を無理矢理 音声に置き換えたモノで、そもそも人間が発音する事を前提に考えられてはいないモノだったからだ。
“基本設計に音声入力補助機能が組み込まれている”事すら知らない事象変換技術関係者も多い。
悟は、ヤトハに魔術で負けてからのこの1年、ヤトハに勝つために、あらゆる努力を積んできた。
覚える事すら難しい呪文を覚え、正確に発音するため自力で歯並びの矯正までした。
だが、今まで悟の呪文が成功した事は一度も無い。
スマホが、悟の呪文を認識しないのだ。
“呪文”を正確に発音するのは、それほど難しかった。
だが今、スマホは、一か八かで唱えた悟の呪文を認識し“開放モード”起動の準備に入る。
先ほど、悟が唱えた呪文はスマホのタッチパネル入力機能をOFFにし、全ての機能を呪文と直接思考入力に切り替える“裏技設定”の呪文で、これによってスマホのリミッターが解除され、機能開放モードが発動する。
しかし、過剰負荷で回路が焼き切れてしまうので、開放モードは10分間の制限時間が設定されていた。
額のスマホは全体的に青白く光り、時限のカウントが始まる。
〔600、599、598………〕
音声案内が数字を読み上げる。
これが0になった時、悟のスマホはその機能を停止し、悟の手持ちの武器は無くなる。
だが、悟は焦ってはいなかった。
(ヤトハなら、10分あれば余裕で行って帰って来る!)
プロの登山家でも片道2日がかりの行程を、 悟は瞬動でヤトハから逃げながらここまで30分で登って来た。
直線距離ならもっと早く来れた筈だ。
(ヤトハは、俺の3倍以上速い)
悟は、ヤトハを巻こうと逃げ回っていた時、それを確信していた。
悟が知る“軟体獣”の姿は、象に似た、四つ足で歩き“長い鼻”の代わりに四本の伸縮自在の触手を持つ、体高4mのオクトパレファントとしての姿である。
幼い頃、日本のテレビの報道番組でも見たし、学校でもそう教わっている。
だが隕石群落下から12年、野生化しそれぞれの環境に適応し擬態能力を持つ軟体獣は、様々な様態に変化して、もはや同一種とは思えないほどに姿を変えた個体が存在する事を、多聞珈琲に出入りするようになっていた悟はマスターの福井氏から聞いていた。
コイツは、軟体獣の変異種で間違い無いだろう。
そんな事を考えている間も、触手攻撃は緩む事無く悟に襲いかかり、時折フェイントを絡めて多方向から襲い来る触手は、悟の防御結界を確実に削っていく。 とりあえず、コイツの触手攻撃を何とかしなくては。
「@§☆★○●◎◇◆!」
呪文を唱え、防御結界を限界まで拡げて変異種を結界内に入れたのを確認した悟は
「※〒→▼▽▲□!」
結界の強度を上げ、一気に結界を綴じる!
自分もろとも、変異種を結界でラッピングしたのだ!
結界による真空パックで、内部の気圧は急激に変化し、悟の鼓膜は破れたが、相手と密着する事で触手攻撃は封じた。
変異種は結界の締め付けから逃れようとのたうち回るが、悟は渾身の力を振り絞って結界を締め付け続ける。
こうなりゃ、我慢比べだ! と行きたいところだが、スマホのカウントダウンは1分を切った。
〔56、55、54……〕
スマホの機能が落ちれば、結界も消える。
悟は最後に、自分ごと変異種を凍結し、氷づけにすると、意識を失なった。