それは、誰にもわからない
「う~、気持ちが悪い……」
泉から陸に上がった温子が、ダイバースーツのままへたり込んでいる。
「大丈夫ですか?」
吾妻が心配して、温子の背中を擦っている。
「ダイブ酔いですね。
生体データに異常は見られませんので、しばらく休めば治まると思います」
滝と夜美が、吾妻と温子にホット・レモネードを差し出す。
「お疲れさま。
あんたのオタク知識が役に立ったわよ。
今後、マギライト・0隕石は“コメーティア”って呼ぶことになったから」
「オタクじゃないもん、単なるファンだもん」
温子が弱々しく無駄な抗議を申し立てる。
その横で、岩場に腰掛けホット・レモネードを飲みつつ、悟とヤトハは何やら盛り上がっていた。
「しっかし、面白かったな“マギカ☆ムーン”!」
「私、“アニメ”って初めて見た!
悟は?」
「俺は日本にいたときは見てたけど。
……戸倉博士、この村でテレビは作れないの?」
「作れん事はないし、すでにモニターなら数台あるが、いかんせん肝心の放送がアレじゃからのぅ……」
5年前のTOTWOによる魔者弾圧から始まった世界征服以降、情報統制によって一般のテレビ、ラジオの放送は全てTOTWOの管理下におかれ、TOTWOのプロパガンダ番組の放送はされていた。
だが、避難当初、情報収拾のためにそれを見たこの村の人々は、その内容のあまりのつまらなさに、テレビやラジオを楽しむ習慣を捨ててしまっていたのだ。
「まったく、世界征服なんぞ、はた迷惑以外の何モノでも無いのぉ!
それで世界が多少良くなったり、面白いテレビやラジオ番組でも作ってくれるならともかく、つまらん番組ばかり垂れ流しおって、許せんわい!
ワシにしたって、5年前の大河ドラマの続きが気になっとる!
久々に時代劇が見たいもんだのぉ……」
遠い目をした戸倉博士に、滝が言う。
「日本の映像コンテンツのアーカイブが無事だと良いんですけどね」
「うむ、流石にヤツらも、人類の過去の文化的遺産を潰すほど、愚かでない事を祈るしかないのぅ。
しかし、あの下らん放送を延々垂れ流すセンスの無さ。……心配じゃ」
戸倉博士と滝のやり取りを、完全に無視して、夜美はテキパキとマリモのメンテナンス作業を進めていた。
「マリモ、ご苦労様。私の言う事は分かる?」
コクリと頷き
「ワ、カ、リ、マ、ス」
一時的に思考レベルを落とした上、隕石“コメーティア”と意識の共有をしたマリモの脳神経には、かなりの負荷がかかり、完全復帰にはしばらく時間がかかりそうである。
今も温子同様、へたり込んでいた。
「吾妻さん、滝君、マリモをベットまで運ぶの手伝って」
「僕1人で大丈夫ですから、先輩は温子先生についていてあげて下さい」
そう言って、滝がマリモを“お姫様抱っこ”して運んで行く。
滝はこの時“隕石コメーティア”と意識の共有をしたマリモの思考構造の変化を、読心で探ろうとしていた。
マリモを管理棟長屋のベットに下ろし、心配してついてきたヤトハと悟の2人に
「夜美さんが診てくれてるから、大丈夫だよ」
と言って頭を撫でつつ、彼等にも読心をかける。
読心には、肉体的な接触が必要だが、この辺のさりげなさは吾妻には真似出来ない。
吾妻がそれを見ながら
(さすが滝。俺と温子先生も後で心理チェックしてもらうか?)
などと考えていると
「それにしても、コメーティア隕石の目的が絶滅と進化だったとは“宇宙の意思”とは、恐ろしいもんじゃのぉ……」
戸倉博士が吾妻と温子に語りかける。
「確か、マギライトの原料である魔神石は、主に6500万年前の地層から発掘されてましたよね?」
「吾妻君も気付いとったか。
そうじゃ、隕石落下が原因と思われる“大量絶滅6500万年周期説”と完全に一致する。
太古の昔恐竜が絶滅せなんだら、哺乳類が人類にまで進化する事は無かったじゃろう。
そう言う意味で、絶滅と進化は同じと言える。
もしかすると、ワシらの使うイベント・チェンジとは、進化の可能性の一つなのかもしれんな。
進化を促す遺伝子改変型ウィルスは、宇宙から飛来する隕石に運ばれてやって来るという学者もおったが、マギライトとは、そのウィルスの元になる物質なのかもしれん……」
「コメーティアは、“贈り物”だと言ってましたよ?」
温子の言葉に、戸倉博士は
「贈り物? ひょっとすると“あの世への送り者”かもしれんぞ?」
意地悪く、そんな事を言った。
******************
温子、ヤトハ、悟の3人を家まで送り、今日明日はゆっくり休むように言ってから、吾妻、滝、夜美、戸倉博士の4人は、多聞珈琲で今回のサイコダイブについて話し合った。
「しかし結局、コメーティア隕石自体は人類の存亡なんぞに興味は無かったんじゃなぁ……」
「コメーティア隕石の思考構造体の思惑が絶滅と進化なら、宇宙全体もその目的のために存在していると考えて良いんでしょうか?」
滝の質問に戸倉博士が
「宇宙全体を超巨大な脳だと仮定すると、コメーティア隕石はその一部じゃ。
地球にも我々が感知出来無いレベルで“意思”が存在するのかもしれん。
ならば、我々人類が知的生命へと進化した事自体、何らかの導きがあったのかもしれんぞ?」
「進化の目的が、知性の獲得だと?」
「ワシはそう思う」
「戸倉博士、コメーティア隕石をこの地に軟着陸させた“別の思念体”は、その地球意思と関係有ると思いますか?」
吾妻の問いに
「分からん。
分からんが、幅20m、全長50mの落下物に制動をかけるのは、並大抵では無い。
この辺境の地で、当時ミサイル等で隕石を迎撃した痕跡も見当たらん。
イベント・チェンジだとしても、相当強力なイベント・チェンジャーじゃろうな。
単独では無理じゃろうから、少なくとも10人以上。
しかし、魔神石発掘施設としても、その役割を終えていたこの地を守るメリットは、当時日本政府には無かった。
そこで、ワシはコメーティア隕石がそのイベント・チェンジャー達を呼んだのだと推測したが、違ったようじゃ。
その別の思念体が地球意思なのか、イベント・チェンジャーなのか、情報が少な過ぎてワシには分からんよ」
「……戸倉博士は、思念体はイベント・チェンジャー、つまり“人間”である可能性も有ると?」
「サイコダイブ中は、君達も思念体じゃよ?」
……そうだった。
吾妻はコメーティア隕石の“別の思念体”という発言から、人間以外の超自然的な何らかの存在を想像していたが、人間の可能性も在ったのだ。
しかし、全長50mの隕石に制動をかけるほどのイベント・チェンジャーなど、吾妻が知る限り鉄くらいしか思い浮かばないが、12年前 鉄は日本にいた。
(しかし、あの衝撃……ヤトハは“隕石が割れた”と言っていたが、その前に引力の逆方向に引き戻される感覚も有った。
あんな凄い力、たとえ鉄が100人いても無理だろう。
そもそも、あれは人間の力なのか?
そして、割れた隕石の片割れはどこに?……)
情報が少な過ぎて、これ以上考えても仕方無いと思い、吾妻は話題を変える。
「コメーティア隕石へのサイコダイブによる、我々への心的影響は?」
滝に尋ねる。
「先輩と温子先生は問題有りません。
むしろ、ヤトハと悟君は、温子先生の記憶にアクセスした影響の方が大きかったですね。
マギカ☆ムーンシリーズ全260話+劇場版3本を一気見したのと同じですからね。
かなり脳に疲労が有る筈ですが、逆に軽く興奮状態に有りました。
二人とも、驚くべきタフな脳神経強度ですよ」
「マリモは?」
「僕には、オクトパシアンの思考様式は完全には理解出来てません。
その前提で、以前と比較して思考レベルはかなり落ちてましたけど…… それは、マリモが人間をナビするために自発的に落としたモノなので、コメーティアの影響では無いかと。
それ以外に特にコレと言った異常は認められませんでしたが、戸倉博士と夜美さんはどう思います?」
「今回、コメーティア思考構造体の影響を最も受けたのはマリモじゃな。
だがワシが見た限り、それでマリモの自我に変化を及ぼすとは思えんが、おぬしの見立ては?」
戸倉博士に聞かれた夜美は、真面目な顔で
「メディカル・チェックは問題ありませんでした。
意識の混濁も認められませんし、思考レベルは少し休めば回復するかと思います」
「そうか。
ところで、前々からおぬしが言うとったオクトパシアン幼生体の変異はどうじゃ?」
「DNAに変化が見られ、何らかの病原かと思い調べてましたけど、コメーティア隕石の影響だとすると説明がつきます。
引き続き調査を継続しますけど、今日明日どうこうなる変化では有りません」
「なるほど。
オクトパシアンは人為的に遺伝子操作されとるから、影響を受けやすいのかもしれんの。
今後、オクトパシアンは新たな進化の道を進むのかもしれんのぉ……」
オクトパシアンに限らず、今後、地球規模での新たな進化が始まるのだとしたら、この村はその最先端の場所に有る事になる。
それが、何千年何万年に渡る緩やかな進化なのか、突然変異による急激な変化なのか、今の時点で、それは、誰にも分からなかった……。