不老不死
まず始めにこれは私個人の考えがここにたどり着いた結果であり、事実上の検証や実験は行っていない推論である事を御理解下さい。
固定観念と言う言葉は皆さんご存知だとは思う。
いわゆる「思い込み」と言うものである。
そして言い換えるならば深層心理における暗示とでも言うべきか。
イメージ、暗示、催眠術、固定観念、妄想、似たような意味合いの言葉が沢山溢れているがこれらは同じであると考えられないだろうか?
そして成長と老化、この言葉の意味を考えた事があるだろうか?
不老不死とは?仙人とは?過去の文明とは?様々な言葉溢れる世界で言葉の意味を考えた人がどれだけいるか解らないが、考えると疑問点が出てきてある答えにたどり着いた結果である。
頭の固い人には理解すらされない。
ただの妄想や固定観念と言われ、頭のおかしい精神病者と思われる。
だからこそ此処に執筆しておく。
不老不死とは中国での仙人がおり始皇帝がそれを欲した事は有名な話だと思う。
そして神話に出てくる英雄や神も同じである。
この不老不死と先に書いた固定観念、暗示とどう関係があるかと言う事。
そもそも人の精神は現在では全て解明されていない。
あらゆる説はあるが解明しきれていないのだ。
そして「奇跡」と呼ばれる病気の完治。
これも医学的に解明されていない。
そして先に記載した暗示。
これは睡眠状態の人に火事のイメージを与えると実際には寝ているだけなのに、皮膚に火傷が出来る実験があった。
これらを結びつけると人の精神にはあらゆる可能性があると言う事。
すなわち極限まで「思い込む」事により、人知を超えた「奇跡」が起こり得る可能性がある事である。
そしてこれらは現代社会において破綻を意味する。
医学、薬学が意味を成さなくなるからである。
これらをふまえて紐解いていこう。
神の描写は人よりも巨体である事が多い。
神や仙人は不老不死で超常現象やあらゆる不治を治す事が出来る。
これらを同一視してみよう。
不老不死で奇跡を起こせる人となる。
更にピラミッドなどの古代文明。
これは巨人であれば可能である事。
人は元々は巨人であったのではないか。
そして巨人の中から重労働がしたくないから体躯が小さくなりたいと思い込んだ人が小さな体躯を手に入れ、巨人の中では奇跡の人と崇められたのではないか。
地上絵も巨人なら可能なのだ。
そして「思い込み」の可能性に気づいたからこそ王として崇められたのがファラオであると仮説する。
そして「思い込み」により小さな人は増え、巨人と人との戦争により文明崩壊。
生き残った人による現代社会へと向かう。
その中で「思い込み」の力を公使した人物が英雄や神、仙人と呼ばれる人である。
ここである疑問が浮かぶ。
では現代社会で何故それらの「思い込み」が出来ないのか。
それは教えられていないからではないだろうか?
そもそも戦争とは一部の欲深い人による侵略である。
欲深い人がこの「思い込み」の力に気づいたらどうなるか?ということである。
時には己の征服のため。
時には力のない人のため。
時には優越感を得るため。
気づいた人が教えなかった事で失った力なのではないか?
不老不死もその一つ。
人は老いるモノであると誰が教えた?
親が老けているから。
そう、周りが老けていくからそういうモノと深層心理で「思い込み」してしまっているのではないだろうか?
ここでアナタの周りには見た目の若い人はいないだろうか?
何故若いのか。
そういう人は精神的にいろんな考えの中、潜在的に「思い込み」しているのではないか。
綺麗なままでいたい。
若くありたい。
いつまでもカッコ良くありたい。
若い人に合わせたい。
そういった思いが強いのではないだろうか?
そして死もそうではないか?
人は死ぬもの。
これも身近に見ているからこそ「思い込み」してしまっているのではないだろうか?
人の仕組みそのものが「思い込み」であり、「固定観念」であるのではないか。
生まれてから染み付いた人としての固定観念は中々崩せないからこそ逆の「思い込み」が必要なのではないか。
まずは老いへ。
自己判断でいうなら成功である。
この考えに至ってから実年齢より若く見られる。
三十半ばに至って未だ二十代に見られているからである。
そして老化と言われる関節の硬化は実際動かしていなければ若くとも起こる。
これは骨折時のギブスで判明している。
筋肉低下も使わなければ落ちるのは当たり前である。
学生時と社会人では運動量が違うのだから低下して当たり前なのだ。
使わなければ落ちる。
まさに「思い込み」も同じである。
食事もそう。
水だけで生活している人も実際いる。
何でも水からタンパク質を得る事が出来るそうだ。
成長に必要なエネルギー。
周りの身長がこれくらいだからと身長は止まる。
過食は太るという刷り込まれた事で太る。
そして「思い込み」の怖い所は「妬み」である。
強い「妬み」は他人に害をなすからだ。
成功者の転落人生などがこれに当たる。
自分の為に「思い込み」すれば良いのに、妬みによる他人の不幸を「思い込み」知らず知らず仇なすわけである。
他人に向けるものほど強い思念はない。
呪いと呼ばれるものだ。
こうした考えによりたどり着いた一つの答えである。
そして世界中で奇跡、超能力と呼ばれるものは本来備わっている失った力なのではないか………。
悪魔とは精神に異常をきたした者。
ポルターガイストは本来ある超能力の誤作動。
魔女狩りや悪魔払いはこれら能力者への恐怖心による迫害。
神や英雄、仙人とはこれら能力を人のために公使した者。
成長と老化は同じであり、幼少期から刷り込まれた
「人という固定観念」なのではないだろうか。