94:グローヴ・ヴァハトゥ
低く抑えたメリッサちゃんの尻尾が揺れているのが遠目にも分かる。
どうやら獲物に近付いている事で、自然と気持ちが高ぶっているようだ。
「あ~ぁ……。ああなるともう止まんないだろうし……。ほっとくしかないわねぇ」
「う~ん。な~るほど……。 って、少しは心配しろよ」
投げやりなローラの言葉に一応は反論する俺だけど、実際の所、ローラと同じで、ありゃあ放っとくしかないな、って思ってる。
横から手助けだってする訳にはいかない。
なんと言っても、これは彼女自身の楽しみでもあるし、怪我をする確率だって実に低い。
なら、やりたい様にやらせるのが一番だ。
今、メリッサちゃんが狙ってるのは『グローヴ・ヴァハトゥ』という体長一メートルはある大ウズラだ。
羽根が退化して地上を走るしか出来ない鳥だけど、数を増やすことで種としての生命力は高い。
地球のウズラとの大きな違いは、なんと言っても、その大きさ。
当然だけど食べられる部分もかなり多く、それ以上に嬉しいのは肉そのものが軟らかくて味が良い事だ。
食糧の確保に悩む旅人にとって、常に一定数増え続けるこいつらは、実にありがたい存在と言える。
野生の狐にとってもそれは同じで、結構な御馳走にあたる。
じゃあ、メリッサちゃんは狐の本性丸出しでこいつにかぶりつくのかというと、流石にそうはいかない。
さっき話した通り、今、網を片手にゆっくりと草原へ入ったところだ。
ダニクス領リンツまで、後四日の距離までになった。
川を越えてから此処まで十五日を数える長旅に誰もが疲れ切ってたその日。
ピートが何気なく、
「明日はグローヴ・ヴァハトゥの群生地を過ぎるな」
と言う。
途端、メリッサちゃんの目が輝いた。
すぐさま馬車の中で一生懸命に網を編みつつ、ああでもない、こうでもないとウズラ捕獲作戦を考え始め出す。
それが昨日の昼過ぎのことだった。
そうして迎えた今日。
なるほど、群生地と言うだけあって五分に一回程の割合で草むらから跳び出した大ウズラ達が、スルスルっと道を横切っていく。
大抵は四~五匹の雛を抱えた母親を先頭にした家族連れで、網を投げて捕まえる前に馬蹄に引っかけるか、車輪で轢き殺してしまいそうだ。
でもメリッサちゃんが狙うのは、そういう家族連れじゃない。
「お母さんや子ども達を捕まえるのは可哀想なのです」
と言ってオスを狙う。
「どっちにせよ喰っちゃうんだから、男女平等で頼むよ……」
と言いたいけど、それは口にしない。
女の子が動物、特に子豚や子牛を見て「可愛い!」とか言いながら、直後にはそいつを素材にした料理を人の倍くらい、もりもりと食ってるのは地球でも同じだからね。
まぁ何より、いつでも兎や鳥が都合良く周りに寄ってくる訳じゃ無い。
食糧を調達できるチャンスは重要だ。
それに旅の中での息抜きも合わせて出来るって言うなら、結構な事だろうって事で、少しばかり時間を浪費する事にした。
道沿いに数本の木が生えている。
その木の向こう側、南方向は完全に開けた平原だ。
こいつは丁度良い、って事で馬車を止め、メリッサちゃんの狩りを残る五人で見守ることにした。
木陰に入ると水筒の水でそれぞれが喉を潤す。
「元気だ」
真っ先に腰を下ろしたルルイエが無表情のまま呟くと、ピートも微笑みながら頷く。
ふたりともちょっとした見せ物を見る気分で、この小さな狩りを楽しんでいる様だ。
メリッサちゃんが草原の中に三十メートルほど踏み出した処で、急に立ち止まる。
こっちを振り向くと、声に出さずに口の動きと指先で俺たちに、
「アレにします!」
と伝えて来た。
どうやら狙いが決まった様だ。
成る程、少し離れた小さな岩の上に、立ち上がっては文字通りの雄叫びを上げる一羽の大ウズラが見える。
間違い無くオスだ。
良く見ると、あちこちで似たような行動を取ってる奴らが結構な数、居る。
あれは繁殖期の求愛行為なんだろうけど、反面、捕食者にとっても良い目印になってるのは間違い無い。
アホなのか、あの鳥は……。
「ウズラも鳴かずば捕らわれんだろうに……」
思わず『雉も鳴かずば打たれまい』を改編した台詞を呟く。
と、ローラが不思議そうに尋ねて来た。
「なに、それ?」
「俺の国にある昔からの格言をもじったのさ。無用に目立つ奴は潰されるって意味」
「ああ、それならこっちにも在るわよ『叫ぶヴァハトゥ、網を被る』って言うの」
「まんまだな……」
「でも、」
ふと、ローラが思い立ったように言葉を続ける。
「でも、何だよ?」
「馬鹿馬鹿しくても、命がけでも、“俺はここに居るんだ!”って叫ばない奴は、結局、誰にも相手にされずに、ひとり寂しく死んでいくだけなんじゃないかしら?」
何だか、妙に胸に突き刺さる言葉だ。
「端からどれだけ愚かに見えても、そうやって命を張らないと手に入らないモノも在るって事か……」
思わずそう返すと、急に周りの空気が変わった気がする。
左手に目を向けると、少し離れて座っていたピートが俺たちを見て、何かに驚いた様な表情を見せていた。
「なに? 俺、なんか変な事言ったかな?」
尋ねる俺に向けて片手を立てたまま、それを顔の前で左右に振って否定を返すピート。
いつものクールさが影を潜めた様に焦っている。
「い、いや、何でも無い。……おっ! 上手く行ったみたいだぞ!」
ピートの指先を追って振り返ると、草原の中で跳び上がって喜ぶメリッサちゃんが遠くに見える。
どうやら上手く網を被せた後は、そこから逃げようと暴れるグローヴ・ヴァハトゥを網ごと氷付けにしちまったみたいだ。
草むらの中の一ヶ所が日差しを受けて、小さな宝石の様にキラキラと輝いていた。




