90:反乱の裏側(前編)
街道を東へと進む。
俺たちは二台の馬車で二日前に川を越え、ダニクス領の領都リンツへと向かっている。
「それにしても、随分とあっさりした上に静かよねぇ。何だか恐いくらい」
「うん……」
全くローラの言う通りだ。
領境から二日の距離なら、あちこちに検問があって武装した兵士達が北に見える街道を行き来している筈なんだけど、そんな気配はまるで見えない。
今、俺たちは中央街道と平行に走る農道のような細い道を進んでいる。
車軸を痛めるのが恐いから、馬車の速度は上げられない。
馬の足は本当にゆっくりとしたものだ。
所々で倒木があったり岩が道をふさいだりしてるけど、俺とリアムで適当に排除していく。
むやみに人目に付く事で厄介事が引き起こされるのはゴメンだけど、人気がなさ過ぎるのも問題だね。
これじゃあまともな情報も得られないかもしれない。
さて、どうしよう?
悩む中、後の馬車からピートが俺を呼ぶ。
リアムに前方の警戒を任せて乗り換えた。
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「なあ、リョウヘイ。ここまで来て、何か気付いた事はあるか?」
俺はピートと行動を共にする際に、ひとつ条件を付けた。
それは、あの『お弟子殿』って言い方を止めてもらう事だ。
あの呼ばれ方は、どうにもむずがゆい。
最初は、『いや、いくら何でもそれは失礼に当たる』と、呼び捨てを固辞していたピートだったけど、人前であんな風に呼ばれたら目立ちすぎてしまう。
これじゃあ潜入もクソもありゃしない、って言うと、ようやく納得してくれた。
公の場所では元に戻す、と云う条件付だけど。
まあ、それくらいは、ね。
それはさておき、今までピートの質問に意味がない事は無かった。
それなら大事な事なんだろう、と一生懸命考えるんだけど……。
「気付いた事、ねぇ? う~ん、こうも平和な風景ばかりだと、気付くも気付かないもなぁ……」
お手上げのポーズで首を傾げる俺を見て、ピートは悪戯っぽく笑う。
「成る程、“平和な風景”、か」
その笑い顔がやけに引っ掛かる。
「何が言いたいのさ?」
「なあリョウヘイ。問題は、その『平和』って事だ。それ自体がおかしな事だとは思わないかな?」
それに続いて、ルルイエが低い声で一言付け加える。
「侯爵は反乱を起こした。失礼、起こしました。しかし反乱とは即ち戦、です。
戦は攻めるばかりでなく、守る時もある……、ものでは無いのでしょうか?」
ルルイエにはどうも秘密が多い。
今だって、なんだか使い慣れない言葉をやっとで喋ってる、って感じだ。
違和感はともかく、彼女の言葉の意味をじっくり考えて出した結論には、当の自分でもちょっと驚くしかない。
だから恐る恐るだけど、確認してみた。
「……ってことは、つまり……。
伯爵軍も王国軍も、今まで侯爵領に攻め込んで来た事は無い。
そうでなければ何か、積極的に攻め込めない理由が在る。そういう事かい?」
「「ご名答!」」
ふたりの声がそろって、それから含み笑いになった。
何だか揶揄れてるみたいで微妙に嫌な感じだけど、要は俺自身の考えで答えに辿り着いて欲しいって事なんだろう。
なら、遠慮せずに質問を続けた方が良い。
「なあ、簡単に言うけど、それっておかしく無いの?
それなら貴族連合にしても王国にしても、たかが一地方の貴族からの攻撃に対して防戦一方って事になるぞ!
侯爵軍って、そんなに強いのかよ?」
どれだけかは知らないけど、他の貴族だって相当な数がいる筈だ。
そんな事なんか在る訳無いだろ、って意味を含んだ俺の問いかけだったけど、返ってきた答は、空いたままの俺の口をしばらく閉じさせてくれなかった。
ピートとルルイエは声を合わせると、さっきと同じに、
「「ご名答!」」
って笑ったんだ。
それからルルイエが説明を付け加える。
「勿論、ダニクス侯だけで王国や諸侯全てを相手にして対等に闘う事は絶対に出来ない。
そんな事ができるなら元から彼自ら、ひとつの国を建てた方が早い……、でしょう」
最初に『ダニクス候は王国軍や諸侯軍を合わせたより強い』と言ったかと思うと、今度はそれを否定する。
もう、何が何だか分からなくなって、俺は首を傾げ放しだ。
「そんな恐い顔はしないで欲しい。これから説明する、します」
そう言ってルルイエはピートに目を向ける。
説明役を譲られたピートが、ひとつひとつ確かめる様に話し始めた。
「まず、もう一度確認しておきたいんだけど。ダニクスの爵位だ」
「えっと……、だから侯爵……、あれ、辺境伯ってことだから……」
昔、勉強した記憶を掘り起こす。
「ああ、そうか!
本当は伯爵だけど、辺境防衛の重責があるから侯爵と同じ扱いなんだよね。
で、公の場でも侯爵を名乗ることが認められてる」
俺のおさらいに、ピートは満足そうに頷く。
「そうだ。つまり彼の戦力は地方貴族の範疇を大幅に超えている。
王国と長く交渉さえすれば、属国としての独立だって夢じゃない。
完全独立、ってのは流石に無理だけどな」
「強力な兵力を持つことが許されてたのは、隣の国との最前線に居たからだよね?」
「そうだ」
「じゃあ、今は隣国から攻め込まれる心配は無いの?」
「そりゃ、あるさ。だから、侯爵は国境沿いをがっちり固めてる」
「ますます、わかんないなぁ。それで国内に向けても反乱を起こしてるって、無茶苦茶だね」
「そう、無茶苦茶だ。出来る訳がない」
「でも、やってるんだろ」
そう尋ねた俺にピートが返した言葉は、一瞬、思考が止まるほどのものだった。
「その話、誰から聞いたんだ」
「は……? いや、だって、みんなそう言ってるし……」
「で、実際の戦闘を見たのか?」
「いや、俺はこのせか、国に来たばっかりでよく分かんないよ……」
危うく『この世界』って言いそうになったのを修正して答えたけど、ピートは気付かなかった様だ。
俺の答えに満足気だ。
「そうだろ?
今、ベルン要塞から十キロの半径、一般人は立ち入り禁止だ。
戦闘を見た奴なんて、実は唯のひとりもいないのさ」
「まさか……!」
驚く俺を放ってピートの問いかけは続く。
「バロネットを知ってるな?」
「あ、ああ。それが?」
ハルミさんやドノヴァンさんの顔が脳裏に浮かぶ。
「バロネットには様々な特権が与えられている。だが、その反面、重大な義務もある」
「なに?」
「国の一大事の際には、国軍の指揮下に入って戦闘に参加することだ」
まあ、それぐらいの義務はあるんだろうね。
あれ? 確か、そのドノヴァンさん、こう言ってたんじゃないの?
『今回の内戦、ギルドは中立を保つ事になった』って。
えっ? 話がおかしいぞ? そんな事って出来るのか?
そこから引っ張り出した結論を声にしてしまう。
「つまり、ギルドの中立は、本来ならあり得ない……」
「そうだ!」
短く答えるピートは続いて俺の目を見たまま、
『では、何故、ギルドの中立が成り立っているのか』って聞いてくる。
答はひとつしか思い浮かばなかった。
「彼らの口から、領境の戦闘状況が世間に広まる事を恐れてるって事かい?」
ピートはまたも黙って頷く。
その目付きは真剣を通り越して、恐いって言葉がぴったりな程だ。
この内戦って、俺が思うより、ずっと複雑な話なのか?




