106:今、そこにある事実②
「落ち着いて、欲しい。
ここに、あなた方の、敵、など、誰、一人として、いない」
睨み合う中で不意に響いたルルイエの声。
その声は俺たちを説得する、と云うより何かを諦めた様な妙な響きがある。
ピートは脇にずれると、ルルイエを前に出して自分はその傍らに立つ。
まるで主従が入れ替わったみたいだ。
その光景と彼女の言葉に思わず緊張が解けそうになるけど、俺としちゃあ、まだ敵対する言葉を返すしかない。
「そう云われて、『なるほど、それは悪かった!』なんて言って終わる話かよ……」
そう、今の俺たちがピンチなのには変わりないんだ。
何より会頭閣下まで人質に取って、今更、引ける訳が無い。
汗が額から目尻を伝って顎先まで流れ、床に落ちた。
息が荒くなって、苦しい。
何とかピートに道を開けさせたい。
勿論、火炎弾をぶち込めば、この場だけは簡単だ。
でも、そんな事をしたなら城門を出る前に何度竜甲と戦う事になるか分かったもんじゃ無い。
俺一人なら逃げ切れる。
でも、メリッサちゃん達が居る以上、無理は出来ない。
三人を守り続けたままの闘いじゃあ、最後は絶対に負ける。
だから、この形を崩す訳には行かないんだ。
何より、出来るなら、ピートもルルイエも殺したくは無い。
甘いかな、俺……。
「気付いて、欲しい……」
呆れた様にルルイエが首を横に振る。
「何?」
「これが、本当の罠、なら、とっくに兵士が、なだれ込んで、いる。
何より、警戒、させる様な、馬鹿な言葉は、最初から、出さない」
「うっ!」
俺のうめき声に被せるようにグニッツが右手を挙げた。
「いや、その通り! こいつは俺が悪かった!
少しばかり人をからかって楽しむのが俺の悪い癖だ。
あんな言葉を聞きゃあ、そりゃ、こうなるのが当然だわなぁ」
その言葉に、どう反応して良いのか分からない俺。その耳に後にいる会頭の声が響いて、グニッツに不満をぶちまけて来る。
「お陰で私の命は、今や風前の灯火だよ。
日に日にお前と組んだことを後悔しているんだが、今からでも縁切りとはいかんかね?」
「そりゃ無理な相談でさぁ。
この街の流通が止まっちまいますぜ」
「別にお前が仕切る前に戻しても良いんだがな。
いや、いっそローラさんに全部任せるって手も……」
「おい! マジかよ!」
「冗談だ。こうなることぐらいは覚悟してたよ」
そう言って会頭はニヤリと笑うと、視線をルルイエに向ける。
彼女に『話を続けろ』って合図だって事は俺にもわかった。
その視線を受けたルルイエは、ひとつ頷くと再び俺に向かって口を開く。
「とても馬鹿げた、芝居を、してしまった。
悪い事だ、とは思ったが、当然、意味はある。
これは、お弟子殿に、在る人物を信用してもらう為の、舞台」
「在る人物? 信用?」
「今、お弟子殿にとって、一番信用ならない人物が、お弟子殿と、話を、したがっている」
「いや、言ってる意味が分かん無いんだけど?」
「侯爵……」
「なるほど、そりゃ信用ならないね。
“なら会いましょう”って出向いたら、すぐにとっ捕まって殺されちまいそうだ」
その言葉を聞いて、ルルイエはこの部屋に入って初めて微笑んだ。
「この街に来て、侯爵の話を、聞いた事は?」
「ああ、あるよ」
そりゃ、せっかくここまで来たんだ。
当然、侯爵そのものの情報も集めたよ。
あまり、重要と思える情報は無かったけどね。
けど、ルルイエは妙な事を訊いてくる。
「彼の渾名を、聞いて、いるだろうか?」
「渾名?」
妙な質問に戸惑ってるのは俺だけじゃないみたいでローラも首をひねる。
でも、どうやら聞き覚えはあるみたいで一生懸命に思い出そうとする。
「えっと……、確か……? 駄目、思い出せないなぁ」
あ、やっぱり。
渾名って言っても、実際、大した情報でも無かったからねぇ。
格好いい『二つ名』ってモノでもなく、何だか情けない渾名だった気がしたんだよなぁ。
そう思った俺の耳に、次の瞬間、元気な声が響いた。
「メリッサ、思い出しましたです! 侯爵さんは『白パンさん』なのです!」




