102:黒い商人、白い商人⑤
交渉は最初は緩やかに、そして次第に熱を帯びていく。
「実験的な販売なので今回希望する量は年間十トン。支払いは百キロ当たり王国銀貨五十枚」
会頭は条件をストレートに切り出し、ローラもまっすぐに答を返す処から交渉は始まった。
「王国銀貨七十枚でお願いします。それとご希望の量を揃える事は可能ですが、問題は輸送です。領境からはキャラバンに護衛を付けてもらえますでしょうか?」
「なら銀貨六十だね。後はタタンから運び込まれる塩は全て協会の専売として、それ以外の小売り卸売りは認めない、と云う条件を付けさせてもらうよ」
「六十は飲みましょう。しかしダニクス領での法が塩を専売制としているなら小売りの禁止には従いますが、そうでは無かったと記憶していますが?」
「我々は『この塩』の話をしておるのだよ。ローラさん。
だからこそ、たかが塩の百キロに銀貨六十という法外な値を付けているんじゃないのかね?」
その言葉に、ローラは少し考えたようになったが、攻略方法を変えていく事にしたようだ。
「失礼ながら少しお聞きしたい事があります」
「なんだね?」
「今回は“実験的に”とは仰っていますが、年間でわずか十トンでは千人程度にしか対応できません」
「君たちの能力ではそこいらが限界だろ?」
「その能力を確かめもせずに、ですか?」
「むっ、何が言いたいのかな?」
「肉の塩漬けまで含めると一人で年に十キロは使いますから、これではリンツと周辺農村の人口、八万のごく一部を相手にするにしても量が少なすぎます。何より割高の塩の引き取り手はそう多くは無い。
そうかと言って、卓上での高級品として売るというなら逆に十トンは多すぎませんか。
今回、私たちが持ち込んだ分でも年間分に充分すぎるのでは?」
「……」
「狙いはズバリ、侯爵への売り込み、或いは軍への納入のいずれか、ですね?」
「そこまで気付くとは、な。少しばかりお嬢さんを甘く見ていた様だ。
そう、栄養価の高い塩は軍では重宝される上に、兵士は常人の倍の塩を消費する。
こいつは間違い無く売れるだろう」
渋い顔で両手を肩の高さに上げ、降参のポーズを取る会頭。
ローラの交渉手腕に驚いているのは俺も同じだけど、それは表情に出せない。
ローラは俺の奴隷って事になってる。
なら、この程度の事は俺自身が気付いて居ない方がおかしいって事になるからね。
しかし、この勝負、ローラに任せて本当に良かった。
まだ何も掴めてないけど、冷静に物事を考える余裕はできた。
そう思う中、ローラの追撃が始まる。
「軍事物資としての価値を考えたなら、軍から得られる儲けは通常の塩の倍にはなりますでしょう。
我々は侯爵との取引は行わない。ですからリンツでの市販は認めて頂きます!」
「それが安値で軍へと横流しされない保障は無い!」
ここらで互いに怒鳴り合うようになるが、会頭相手にローラは一歩も引かない。
いや、この状況を楽しんですらいた。
睨み合う中で、不意にローラがニコリと笑う。
「ブランド化させれば良いんです」
この世界に『商標』の概念が無い訳じゃないけど、それは商人や店舗としての価値を示す言葉だ。
商品そのものを指すって考え方は無かった。
ローラはその発想を軽々と飛び越えたって訳だ。
これには会頭も驚いた様だ。
思わず声が高まる、
「ブランド!?」
「はい。袋に商標を打って、他の塩との差別化を図ると云う事です。あの塩にはそれだけの価値がある事は認めて下さいますでしょう?」
「な、なるほど。それにしても品物自体を商標化するとは……。
いや、だ、だが袋を入れ替えられたなら意味が無かろう? 幾らでも安売りできる」
「商標とは信用価値です。それにこそ高額の値が付くのですよ
わざわざ価値を落としてどうするんですか?」
「なら逆に偽造されるだろうな。安物をタタンの塩として売り出す輩が大勢出る。
その中に君たちが入らない、と云う保障も無い」
「偽造の難しい魔法商標の技術はありますよね?
この塩のための新しい商標を造って下さいませんか?
それを私たち側の売値に上乗せしましょう。
協会から袋を借り受ける形をとって搬入時には回収し、協会へ返却します。
これなら市販流通量は協会が全面コントロール出来ると思いますが。
……いかがでしょうか?」
「つまり、我々次第で軍に卸す値段と市販品の値段の差を縮める事も可能、と云う事かね?」
「はい。販売量の少ない我々の小売り品から横流しで得られる程度の小さな利益を考えたなら、『協会から正規のルートで安定して購入する方が手間は無くて良い』と軍部も考えるでしょう」
「ふむ……。小売りは、新しい商標が開発されるまで待ってもらえるんだろうね?」
「それは勿論!」
「なら、決まりだな!」
会頭は再度ローラに向かって手を差し出す。
微笑んでローラはその手を握った。
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商談が纏まると、会頭からの誘いを受ける形で茶会となった。
「今回は実に楽しかったよ、リョウヘイさん。
使いの者でこの手腕なのだから、君を相手にしてたら私は大負けしていただろうな。
いやぁ、参ったよ!」
会頭はそう言って豪快に笑う。
「はぁ、お褒めいただき恐縮です」
作り笑いで曖昧に言葉を濁す俺だけど、実は頭の中はかなりヤバイ事になってる。
商談は確かに緊迫感があった。
でも、結局それだけだ。
俺は何も掴めていない。
どうなってるんだ? これ、本当に唯の塩取引だったのか?
でも、それだけで奴隷相手にギルドのトップがわざわざ出て来るかぁ?
茶会も中程まで進んだところで会頭が不意に、話題を変える。
「そう言えばリョウヘイさん。君はタタンの村から来たと云うことだが、伯爵領では今、奴隷の値段はどうなっているのかな?」
「は?」
「いや、君、三人も奴隷を持ってるんだから相場には詳しいだろ?」
「あ、いえ……。実は彼女達は預かっているだけでして、厳密に言うと私の持ち物と云う訳では無いんです」
「ほう。そりゃ珍しいね? また、どうしてそんな事を?」
さて、何と答えようか?
そう悩んだ時、後から笑い声がする。
「ケケッ! そりゃ当然、色事用に借りてるんだろ。
若い奴にあんまり酷い質問しちゃあ可哀想だぜ、会頭閣下」
思わずカッとなるほどの下碑た笑い声と台詞。
振り向くと、護衛役の男がグラスを手に赤ら顔を見せている。
この世界では珍しいガラス製のコップには確かに酒が注がれていた。




