01.竜王の憂鬱
ひとつの森を包み込む程に巨大な古代竜。
彼は今、この地上から消え去ろうとしていた。
彼は長く生き過ぎた。
その力は千年の昔には疾うに神々に並び、既に実体を持つ意味すら失われている。
とはいえ、長らく連れ添ったこの身体と力は結構気に入っているのだ。
たかが天界へ昇るだけの事で、地上に残す力を無為に失うのも惜しい。
誰か地上での力を継いでくれる者が欲しいのだが、はてさて、神々はそれを許してくれそうにもない。
一昔前の彼なら、その力の一部を使い大抵の神を黙らせる事を戸惑わなかった。
軍勢で押し寄せたとしても一万年や二万年は楽に戦える。
全力を使えば、それらの軍を相手にしても充分に勝てただろう。
だが、今の彼にその様な暴虐と破壊、闘争の欲は一切ない。
今から五千年前、二度目の眠りからの再生を済ませた時、何故か彼の力は無に等しかった。
いずれは訪れる力の復活を待つ内に、奇妙な事に人間と関わる事になってしまったのが彼を変えた、と言って良い。
力で抑え込まれた訳では無い。
あの人間達を好きになっただけだ。
だから、結局は進んでこの様な辺境に封じられてやったのだ。
あの再生で初めて自分を省みる理性が生まれた。
だからこそ神族への昇格も認められたのだと思えば、あの行動を決して悔やんでなど居ない。
かつては遙か頭上から偉そうに我に命を下した存在にすら、これからは面と向かって格の違いを教えてやれるのだ。
天界も決して住み心地は悪く無いだろう。
しかし、それはそれで別の話だ。
このまま地上を去るのでは、あの闘いの後、一体何の為に地上で力を増した事になるのだ、と少しばかり無念な気持ちがある。
この力は結局、地上ではいらぬままに消え去るものなのか?
ならば、何故この様な力が存在するのだ?
天界を支える訳でもあるまいに!
いつもの問を自分の中で繰り返しても、やはり答えは得られない。
やむなく別の答を求めて、彼を迎えに来た天使に問い掛けた。
「なあ、【真理の樹の主】は結局、認めてはくれぬかな?」
「悠久には届かずとも、長きを生きた竜王よ。
地上に残す“ごく一部の力”とはいえ、お主の力は強すぎる。
この世界の人間達は未だ命の価値を安く見積もるばかりだ。
自然と人の命を均等に計ろうとする者など、なかなか探せんだろう」
天使の言葉を聞いて竜王は笑う。
「意味は違えど、神にすら、その手の者は少ないからな」
「分かっているなら、もう諦めよ。この地もいずれは人が踏入って来るだろう。
万一の場合、おぬしも余計な行動を取りかねん。
そうなれば、せっかくの神格も失われるぞ」
「ふむ、確かにそれは困る。
あの様に不快な気分を抱えたまま、またぞろ数千の年月を生きるのも面倒だ」
「ならば、そろそろ行こうでは無いか!」
使いの天使が手を差し出すが、竜王は未練があるようだ。
後、しばらく時間が欲しい、と言い出した。
「困ったな」
天使がそう言って溜息を吐いた時、不意に天空から声が響く。
『竜王よ、地上で消え去るはずの“その力”、人に譲ることを認めようではないか』
最高神である【真理の樹の主】からの声である。
その言葉の意味をとらえて天使は慌てふためいた。
「【真理の樹の主】よ。この力、何者が得ても碌な結果を生みませぬ!」
『お前の心配も分かるのだが、竜王に未練を残させたままでは本体が神格を得たとしても、地上に残った“残滓”が渦を巻いて、結局は別の彼が復活しかねんのだよ』
「復活した場合、どうなります?」
『原初の彼のままだ。いや、意識を持つ分、なお悪いやも知れぬ。
目的もなく荒れ狂い、今度こそ天地の境にすら裂け目を生み出す事になるであろう』
「むぅ~。しかし、ならばこそ人には過ぎたる力でございます」
『この世界の者にならば、な』
「は?」
続いての【真理の樹の主】からの言葉を聞いた天使は、あろう事か声を高めてしまう。
「それは既に終わった事でございましょうに!」
『いや、だからこそ彼の“今の力”を少しだけでも残しておく必要があるのだよ』
そうして更に【真理の樹の主】は言葉を続ける。
全て聞き終えた天使は竜王を見て、呆けたように目を見開いたままだ。
反面、竜王は何かを思い出したかの様に“ああっ!”と声を上げ、次いで大いに笑う。
それから納得した様に頷くと、
「ならば、」
との言葉と共に、神々の列に加わる為にその姿を虚空へと溶かし込んでいった。