『風の洞窟』
僕たちが探索に入ったダンジョンは『風の洞窟』と呼ばれている。その名の通り、強い風が急に吹き荒れたり、出てくる魔物が風属性の魔力を持っていたりするダンジョンだ。このダンジョンの危険なところは、いたるところに大きな穴が開いており、そこに落ちると危険な魔物がうようよいる下の階層にたどり着いてしまうということだ。まず落ちた衝撃で死ぬかもしれないけど。そんなわけで、魔物にも気を付けなくてはいけないが、穴に落ちないことにも気を遣わなくてはいけない。
これだけ聞くと、なぜこのダンジョンが最初の探索に選ばれたのか不思議に思うかもしれないが、理由は簡単。上の方の階層で出てくる魔物が非常に弱いからだ。ここ以上に弱い魔物が出てくるダンジョンは他にないらしい。ただし、それは上の階層だけで、下の方に行くとこのあたりでは最も難易度が高いダンジョンに早変わりするらしい。騎士団でも途中までしか攻略できていないほどというのだから相当なのだろう。とはいえ今いる階層では非常に弱い魔物が出るということなのだから、僕でも何とかなるのかもしれない。油断はできないが。
「はあああああ!」
目の前で大杉が『バタフライ』という魔物を短剣で倒している姿を見ながらそう思う。
「ふう、楽勝だな!」
大杉の言う通り、圧倒的な勝利だった。『バタフライ』はその名の通り蝶の姿をした魔物だ。ただ、普通の蝶の10倍くらいでかいけど。彼は短剣を一度振り下ろしただけでいとも簡単に倒して見せた。これは彼だけではなく他のメンバーも同じようで、治癒士の牧原弥生でさえ一撃で倒している。
ならきっと僕でも……。
その僕の考えは、一瞬で崩れ去った。
僕も大杉と同じように短剣を『バタフライ』に向かって振り下ろすが、当たらない。僕が短剣を振り下ろす速度より、『バタフライ』がそれを躱す速度の方が速いのだ。
何度も短剣を構えては、振り下ろすが当たらない。そんなことをしていると、流石の『バタフライ』も反撃を仕掛けてくる。
『バタフライ』は鱗粉を放つと、それを浴びた僕はダメージをおってしまう。この鱗粉にはかすかに毒の成分が含まれていて、ダメージが入るようだ。
鱗粉を浴びながらも僕は必死に短剣を振り下ろし、ようやく『バタフライ』をとらえることができた。そうして何とか地面にたたき落した後、動きの鈍っている間に短剣を突き刺すことでなんとか勝利した。
おそらく今の『バタフライ』は最弱レベルの魔物なのだろう。そう考えるとこの先どうしたらいいのか、僕は恐怖した。僕はこんな中で生きていけるのか。その答えを考えている間もなく次の『バタフライ』が襲い掛かってきた。
しばらく戦闘が続いたが、なんとか生き延びた。その度にLvが上がって少しステータスが上がったおかげだろう。だけど、もう体力があまり残っていない。
「おいおい、役立たずの桐生君はもうへばってんのか?」
この高圧的な態度の奴は、富田慶介だ。こいつは僕のことを最も蔑んでいる。こいつに恨みを買うような覚えもないんだが。
「まだ何とか大丈夫。ごめんね、足引っ張っちゃって」
僕はなんとか苦笑いを浮かべながら、彼の言葉に返事をする。腹の中には黒い感情が渦巻いているが、ここでもいい人間を演じてしまった。ここまできていい人間もくそもないはずなのだが、僕の中の何かがそうさせてしまうのだ。
「桐生君をあんまり攻めないで」
この優等生発言はいつも通り佐藤香織だ。富田は舌打ちしながらも、香織の言うことは聞くようで先へ進み始めた。
「無理しすぎないでね」
「うん。大丈夫だよ。ありがとう」
香織の言葉に僕はそう返しつつ、内心では結構ヤバいと思っていた。でもこのままここにいて皆に置いていかれても、死ぬだけなので先に進んだ。少し惜しいが、回復薬で体力も回復しておいた。あまり数はないので、気を付けて使わなくては。治癒士の牧原は僕に関わろうとはせず、回復もしてくれないようだからな。
しばらく『バタフライ』ばかりを狩り続けていると、前方に四足で歩いてこちらに向かってくる魔物の影があった。その影をみた騎士団長のバルドさんの表情が変わった。
「お前ら!すぐに退避できるように準備しろ!あいつはお前たちじゃ敵わん」
その叫び声が僕たちに響いた途端、その魔物の影はこちらに全速力で向かってきた。その魔物の正体は『風狼』。風属性の魔力によって異常な成長を遂げた狼の魔物である。体長は3メートルほどはある上にその能力は非常に優れていて、騎士団長のバルドさんであっても一人では倒せない可能性が高い。本来はこの階層で出てくるはずのないレベルの魔物だ。なぜこんなところで。
そんなことを考えている暇はないようで、『風狼』は異常なほど早い移動速度でこちらにやってきたかと思うと、バルドさんに噛みついていた。バルドさんは間一髪のところで、自身の持つ大剣で受け止める。
「俺らも戦うぜ!」
富田は、バルドさんの言うことを聞かず『風狼』に殴りかかる。富田は闘拳に適性があるため、自らの拳が武器なのだ。だがそんな攻撃が『風狼』にあたるわけもなく、簡単に躱される。
「馬鹿が!逃げろって言ってんだろうが!」
しかし、そんなバルドさんの忠告ももはや無意味である。僕たちの敏捷値では、『風狼』から逃げることはもう無理なのだ。
「大杉君!一緒に富田君を助けるよ!香織は後ろから援護して!」
そう叫んで『風狼』に飛び込んでいったのは、香織の親友である相原翔子だ。翔子はその軽やかな動きで『風狼』に長剣を叩き込む。同時に大杉も短剣で攻撃を仕掛けた。
だがそのどちらも攻撃を当てることすらできない。そして攻撃を躱した『風狼』は後方にいる僕と香織、牧原の方に向かってきた。その時、香織の声が響いた。
「桐生君、右方向に走って!急いで!」
彼女の指示に僕は従って走った。この中ではバルドさんの次に実力があり、冷静に戦況を判断していると思ったからだ。
途中から『風狼』に追われていたが、気にせず全力で走っていった。
気にして立ち止まったら食い殺される。
しかし、しばらく走った後、僕はその場で立ち止まった。
そしてその時、彼女の指示の意味を僕は理解したんだ。
だけどそれは遅すぎた。
「ごめんね、桐生君。『聖なる水流』」
そう言って香織が放った水流は僕もろとも『風狼』を飲み込み、僕は目の前で大きく口を開く穴に落ちていった。
そう、彼女は僕を犠牲にして自分たちが助かる道を選んだんだ。
最後に見た彼女の顔は、ものすごく冷静な表情だった。
ああ、僕はもう死ぬのかな。
僕は、恐怖からかそのまま意識を手放した。
「うっ……」
吹き抜ける突風にさらされ目を覚ますと、僕は血を吐いて倒れている『風狼』の上にいた。
「ここは……」
そうつぶやいたとき、僕は最後に見た香織の顔を思い出した。僕は裏切られ、見捨てられたんだ。そして、『風狼』と一緒に落とされたんだ。どうやら『風狼』の方が先に落ち、僕はその上に落ちたことで衝撃が和らいでなんとか生き延びることができたみたいだな。それでも全身がズキズキと痛む。だけど、この痛みが、僕に生きているという実感を与えてくれる。
僕は痛む体を無理やり起こして、その場に立ち上がった。
周りを見渡すと、そこにはいくつもの横穴ができていた。だけど、その横穴の中はとても暗く、中の様子までは分からない。だが、1人で入っていくのは危険だと思う。この階層の魔物は僕なんかじゃ太刀打ちできないから。でもここを進むしかないのか。
僕は上を見上げた。明かりは届いているが、どのくらいの深さの穴なのかはわからない。が、少なくとも登っていけるようなことはなさそうだ。
やはり、危険かもしれないが横穴を進もう。このままここにいても、いつか魔物がやってきて死ぬだけだ。それなら先に進むしかない。
僕は魔法で掌にライター程度の火を出し、横穴のうちの一つを進み始めた。