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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
2話・咲と瀧蓮
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(3)




この国での労働とは戦争である。咲はしばらく雑用をこなすうちに、そう思うようになった。


まるで雄叫びをあげるかの如く猛烈な勢いで書類を片づける男たち。陸上選手の如く長距離を全力で走り回る男たち。

燃料切れで倒れる者も少なくはない。


現代日本社会のブラック企業も真っ青な過酷さである。


そして咲も―――――


「葵杏!これ典部まで持って行って!」


「こっちは三足長ね!」


「これ神官まで!」


「帰りに農博(のうはく)から先日の返事貰ってきて!」


「礼司はどちらにいらっしゃるんだ!?」


死ぬほど忙しい。初日の倉庫掃除の方がはるかに楽だと今なら分かる。


「典部への資料はこっちに全部集めてください!三足長と神官への書類はこっち!

農博からの返事はもういただきました、二段目に入れますからねって言ったでしょ!

礼司は今太尉と交渉中です!西三宮の五番所で!」


雑用である咲に対して周りの遠慮は一切なく、同時に複数の仕事が降ってくるのももう慣れた。もしかしたら前世は聖徳太子かもしれない、などと思い始めた咲。


彼女は山積みになった書類の束を抱えると全速力で走り出した。


「退いてくださいー!!

あ”っ!貴方典部の方ですよね!?これついでに持って帰ってください!

神官長、いいところに!これ祝相から神官の書類です!」


忙しすぎて玉闇に頼まれた調査どころではない。働く代わりに友達と日本へ帰る方法を探してもらえるなんて凄い幸運だと思ったが、この職場に居ると割に合わないんじゃないかという気がしてきた。


しかし目の前の仕事を放棄するわけにもいかず、咲は一生懸命にひとつづつこなしていく。


「三足長ー!」


ダン!!と大きな音を立てて扉を開ければ、中には机に突っ伏している三足長の姿。口から魂が抜けているかのように、顔色は真っ青でぐったりしていた。この人は虚弱体質でだいたいこんな感じなのだ。

ちなみに咲は初めて会った時に、青い顔して動かない彼を死体と勘違いした。今ではいい思い出である。


咲は片手を腰に当て仁王立ちしながら困った顔をした。


「三足長、また体調崩したんですか?」


「・・・やあ、葵杏。げほっげほっ・・・」


視線を咲に向けニコリと青白い顔で笑う三足長。ちょっと怖い。いや、かなり怖い。


「これ、祝相からです!ここ置いておきますよ?」


「ああ、ありがとう、助かるよ・・・」


「葵杏ーーー!」


後ろから大声で呼ばれ、「またか」と鬼の面相で咲は振り返る。

その無言の気迫に呼び主はビクリと身体を震わせた。三足長も怖いが今の咲はもっと怖い。


「なんですか!?掃除なら後に回してくださいよね!今は雑用で手一杯なんです!」


「違う違う、これ祝相に持って行って」


へらへらした男に「はい」と渡されたのは巻物。


「了解です。

失礼しましたー!」


咲は快く了承すると三足の部屋から急いで出た。


すれ違う人と軽くぶつかりながらも元の部屋へ戻ってくると、先ほどよりさらに積み上がっている書類の山を見て表情が強張る。それは既に咲1人で抱え切れる量を超えていた。


「あ!葵杏、それ財部ね!」


一番上にある書類を手に取ってみれば左端にあるはずの文字が無い。咲の瞳孔がカッと開き、男性に食ってかかる。


「礼司の署名忘れてるじゃないですか!」


「げ!!まじ!?

悪いけど礼司に貰ってきて!」


礼司は今ここからかなり遠い西三宮の五番所という部屋に居る。往復するだけでもかなり大変な距離だ。

しかし頼まれたのは急ぎの書類ですぐにでも署名を貰わなくてはならない。


「あー!わかりましたよーもう!」


書類を根性で丸ごと抱えて走り出す咲。

そして今日も日が暮れるまでは足を止める暇もないのだった。




















昼間の喧騒が嘘のように、陽が沈むと静かになる。この国では夜にあまり火を炊かず、仕事は陽が高いうちに行うのが普通だった。

道理で昼間は忙しいはずだと納得したのも記憶に新しい。


月明りだけの暗い部屋の中で独り、サカサカと音を立てて床を履く。


「葵杏?」


男の声に咲は振り返ったが暗くてよく姿が見えない。目を凝らすと銀色の髪が月明りを受けて光り、ああ、と咲は安堵の声を上げた。


「もしかして琥轍(こてつ)?」


「まだ仕事してたんだ」


「今日忙しかったから、掃除が終わらなくって」


近寄ればぼんやりと浮かび上がる琥轍の姿。

彼は咲と同じ礼部の所属であり、三足で働いている青年だ。銀色の髪と逞しい筋肉が特徴で、文官というよりも武官のような体躯をしている。


彼は誰にでも気さくな人で、咲はここへ来てすぐに彼と打ち解けた。今ではすっかり仲の良い同僚である。


「だからってこんな時間まで働かなくてもさあ。

女1人じゃ危ないだろ」


「何言ってんのよ、普段は私のこと女扱いしてないくせに」


「えー、そんなことないけどなー」


わざとらしい言い方がムカついて、咲は額に青筋を浮かべながら笑う。


「ははは、邪魔しに来たなら還れ、土に」


「土に還れって死ねってこと!?」


「冗談だよ」


「いいや、今のは本気だった!目がマジだった!」


「それよりどうしたの?こんな時間に」


咲は知らぬ存ぜぬであっさりと話題を変えた。

琥轍はまだ言い足り無いようだったが、しぶしぶ質問に答える。


「・・・忘れ物取りに戻ったら人影が見えて、まさかと思ったらお前だったんだよ」


「そう。

え、あ、ちょっと・・・!」


急に箒を取り上げられた咲。手の届かない高いところまで持って行かれ、咲は手を伸ばして怒る。


「だから邪魔しないでよ!」


「もう帰りなって。本当に危ないからさ」


「言われなくても終わったら帰るから!」


取り返そうとしても琥轍との身長差では届かない。

咲は高くもなく低くもないが、せめて後10センチあったらと思わずにはいられなかった。


そして未だに箒を返そうとしない琥轍は、代わりに袖から出した包みを差し出す。


「どうせご飯食べてないんだろ?ほら」


「なに、これ」


「配給」


無理やり持たされて小首を傾げる咲に、琥轍は笑顔を浮かべた。


場所を変えて内庭。屋根は無いが地面は白い石の素材でできており、風がよく通る休憩所だ。

案内された咲は嬉しそうにはしゃぐ。


「すごい、きれーい!

見てよ、この景色!」


頭上には大きな月と空から零れんばかりの星、足元には雲があり、手を伸ばしたら届きそうなほど近い。

地上では絶対に見られない光景に、咲はその感動を琥轍に訴える。


「すごいね!

ねえ?ちゃんと見てる?」


「見てる見てる。コケんなよ」


「転ばないわよ、子供じゃないんだから」


「ほとんど子供じゃん、特に胸。――――イデッ!!」


見事な足蹴りをかました咲はすっきりした顔で歩き出す。

脛をやられた琥轍は声も出ないほどの痛みに、その場にうずくまって悶えていた。


「な・・・なんて暴力的なんだ・・・」


「何か言った?」


「いえ、何でもありません」


咲はにっこりといい笑みを浮かべて手すりに腰かけると、先ほど貰った包みを取り出す。包み紙を開けると、中にはビスケットを思わせるような食べ物が入っていた。

豪快に一口目を頬張ると、思ったより柔らかくてほんのり甘くておいしい。国から配給される非常食だが、お腹が減っていると十分な御馳走だ。


「満足そうだな」


「そりゃ、一日ぶりの食事ですから」


「そんなに食ってないのかよ」


「忙しいんだもん」


気持ちのいい食べっぷりに苦笑しながら隣に座る琥轍。

しばらく沈黙が続いたが、彼はゆっくりと口を開いた。


「なあ、葵杏」


「んー?」


「お前、出身どこ?」


「んー・・・」


咲は口に残っていた物を咀嚼し飲み込んでから答える。


「ないよ。両親いなくて親戚筋を転々としてきたから」


もちろんこれは玉闇と口裏合わせした返答。土地に疎い咲は下手に地名を答えるとボロが出るため、一定の場所に居なかったという設定にしていた。


「そっか。じゃあなんて王宮で雑用することになったんだ?」


「両親が昔陛下と知り合いだったんだって。

私の親が死んだって聞いて、陛下がわざわざ紹介してくださったの」


「・・・ふーん」


普段の覇気があまりない琥轍に、咲は心配そうに顔を覗き込んだ。

急に目の前に迫ってきた彼女の顔に琥轍は仰け反る。


「おい、近いっつの」


「なーんかちょっと変。どうしたの、琥轍」


「別に普通だけど」


「そう?ならいいけど」


食べ終えた咲は包み紙を袖に仕舞い込み、ひょいっと手すりから勢いをつけて下りる。


「なんか不思議な気分になるよね、夜の散歩って。

昼とは見える世界が違って見える」


「そうだな。昼間はあんなにバタバタしてるのに、今は人の気配ひとつないからな」


「こういうのって凄くドキドキするよね」


琥轍は咲の顔をじっと見つめると、首を傾げる彼女を見て脱力した。


「ちょっと、人の顔見て何がっかりしてんのよ」


「・・・違うっての」


琥轍は顔をがっかりしたのではなく、あまりにも危機感が無い咲に呆れたのだ。真っ暗の部屋で1人でいても、夜に男と2人きりでいても、彼女は警戒心の欠片もない。ましてやこの状況で男に顔を近づける始末。


琥轍は本気で心配になってきた。


「葵杏さあ、それ計算?」


「何よ、仕事の話?」


「いや、そうじゃなくて・・・」


彼は立ち上がり、咲と対峙して彼女の肩を掴む。

琥轍の強い視線を受け、咲の瞳に不安そうな色が浮かんだ。


「お前、今後男と2人きりになるの禁止」


「へ?」


「へ、じゃない。禁止。ほんっとに禁止。

もうちょっと警戒しろ。ここは男だらけなんだぞ?」


「ああ、そういうこと」


彼の言いたいことが分かり、安心した咲は肩の力を抜いて微笑えんだ。


「大丈夫だって。いざとなったら金的蹴って逃げるから」


「いざとなったらな。

でもいざとならないように用心しろって言ってるんだ」


「してるよ、本当に。

私そこまで馬鹿じゃないよ。琥轍は信用してるだけ」


信用していると言われた琥轍は非常に微妙そうな表情をする。


「あんまり人を信用するもんじゃない。

とにかく、駄目だからな。何かあってからじゃ遅いんだから」


どこまでもしつこい琥轍に咲は両手を上げて降参した。


「ごめんごめん。今度からちゃんと気をつけるよ」


「ああ、そうしなよ」


「それと琥轍が私をそういう目で見てるんだってことがよーく分かったよ」


「はあ?誰がお前みたいなぺちゃぱ―――――うっ!!」


からかう咲に琥轍は猛然と否定するが、鳩尾に拳を食らって身体をくの字に曲げた。痛みで息が上手くできず、喉から声を出す琥轍。


「き、ききょ・・・・てめえ・・・」


「あははっ!ざまーみろ!!」


咲は笑いながら走り出す。


「待てこらあ!」


「きゃー!琥轍のへんたーい!」


逃げる咲を全速力で追いかける琥轍。


広い内庭で始まった鬼ごっこは、咲が転んだことであっさりと終わりを告げた。頭から豪快に地面へ倒れた彼女に、慌てて琥轍が駆け寄る。


「おい馬鹿!大丈夫か!」


「うー・・・いてててて。だって何かに躓いて・・・え・・・きゃっ・・・」


咲が転んだ原因。それは石でも段差でもなく“人”だった。

辺りに散らばる赤い液体が視界いっぱいに広がって、戦慄した咲は息を止めて動揺する。


「ひっ・・・!!」


血まみれの死体の存在に気付いた琥轍は、今にも悲鳴を上げそうな咲に後ろから手を回し口元を押さえ込んだ。

咲は突然抑え込まれたのを皮切りに身を捩って叫ぶ。


「んーーーーっ!!」


「俺だよ、静かに・・・。まだ近くに犯人がいるかもしれない。

ここを離れて、人を呼ぼう」


耳元で「静かにできるな?」と聞かれ、咲は震えながらこくこくと頷く。


「よし」


口元を解放されても、彼に手を引かれて立ちあがっても、初めて見た死体から目を反らすことができない咲。早く視界から消してしまいたいのに、恐怖と衝撃で身体が言うことを聞かない。


琥轍は息もせずに呆然としている彼女の肩を引き寄せ、無理やり自分の方を向かせた。

咲の視界に銀色の髪が映り、彼女の詰めていた息がゆっくりと吐き出される。


「ほら、落ちついて。大丈夫」


彼の体温に、優しい声に、咲はじわりじわりと落ち着きを取り戻す。


「う・・・うん・・・」


咲の手はまだ激しく震えているが、歩き始めるとしっかりとした足取りで琥轍の後に続いた。





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