(4)
咲が久しぶりに玉闇の部屋を訪れると、すでに先客が2人も居て思わず足を止めた。しかし客人の1人、尚泉がおいでおいでと咲を手招きしたものだから、そのまま引き返すわけにもいかずしぶしぶ部屋の中へ入る。
「ひさしぶりだね、元気だったかな」
「はい陛下」
「琥轍も元気かい?」
ええそれはもう、と定番の挨拶を済ませると、ふうと尚泉は困ったように眉を八の字にして玉闇を見る。そして咲は気づいた。ものすごく彼女の機嫌が悪いのだ。
見たこともないほど眉間に皺を寄せ、だらしなく卓上に突っ伏してしまっている。尚泉ではないもう一人の客人、瀧蓮も少々困った様子で彼女の背後に立ち、見守っていた。
「ええっと・・・何事でしょう・・・・」
「それが困ってるんだよね、話があるからって呼び出されたのに冥昌ずっとこの調子で・・・」
はははと力なく笑う尚泉。先日のイキイキしていた玉闇はどこへ行ってしまったのだろうか。
「申し訳ありません」
代りに瀧蓮が謝罪し、責めているわけではないと尚泉は手を横に振った。
「冥昌、なんでこんなに機嫌悪いの?」
「それは・・・・ええと・・・すみません」
理由は言えないらしい。なぜか瀧蓮が謝り、話は変わりますがと続ける。咲はものすごく場違いな感じがしてすぐにでも退散したかったが、とても出て行きますと言える雰囲気ではなく、ただ両手拳を握りしめて耐えていた。
「陛下にわざわざお越しいただいたのはお話がございまして」
「うん?」
「結婚するととになりました」
「へえ、誰が?」
めでたいねえ、などと呑気にいつものへらへら顔でのたまう尚泉。しかし余裕そうに笑っているのも束の間、次の瞬間には瀧蓮にも負けず劣らずの硬直を迎えることとなる。
「私と、彼女がです」
咲はギャッと可愛くない悲鳴を上げ、バランスを崩し倒れかけた尚泉の椅子に慌てて手を伸ばした。同時に瀧蓮もそれを支え、なんとか国王がひっくり返るという事態は免れる。
動かなくなった尚泉の代わりに問いかけるのは咲。
「えっと・・・、結婚ってまさか御史大夫と冥昌さんがですか?」
「そうだ」
「えーっと、よく冥昌さんが了承しましたね・・・。っていうかこの不機嫌は・・・・」
そんなに結婚が不服なんでしょうか、と咲は玉闇の心配をする。
「いや、たぶん関係ない」
瀧蓮の口ぶりからすると、彼も不機嫌の理由はいまいち把握できていないらしい。
おめでたいことには変わりないからと、一応咲はおめでとうございますと声をかけた。もちろん瀧蓮に向かって。
「結婚!?」
ようやく尚泉が復活した。はい、と瀧蓮は短く返事をする。
よっぽど嬉しかったのだろう。卓上をバンバンと叩き、たいそう興奮した様子で頬を赤く染めていた。
「おめでとう!おめでとう!いやあ、あははははははは!」
喜びのあまり笑いが止まらない。
「それにしてもよく冥昌が了承してくれたねえ!どんな手を使ったんだい!?」
「求婚は普通にいたしましたが・・・」
瀧蓮は困ったように突っ伏している玉闇を見て言葉を濁した。この上ない幸せを手に入れた瀧蓮だが、彼女の機嫌が悪いのが今の悩みだ。家に連れ込んだあたりがまずかったのだろうか。
「君が珍しく仕事を休んだから何事かと思ったけど、そういうことだったんだね」
「ご迷惑をおかけしました」
「まあまあ、めでたいよね、あははははは!」
どうでもよくなったらしい尚泉は再び笑い出し、陽気な笑い声が部屋によく響く。対象的に玉闇の周りには淀んだ空気が漂っており、温度差の大きいこの場所でしばらく咲は非常に居心地の悪い思いをしなければならなかった。
玉闇の機嫌の悪さの理由は一週間ほど前へ遡る。
瀧蓮は結婚の承諾を受けて魂が震えるほどの衝撃を受け、後先考えず無理やり彼女を抱えて自分が所有する屋敷へと運んでしまった。さすがに性急すぎたかと反省したが、玉闇は特に抵抗しなかったため安心して彼女を長椅子へと降ろす。
贅を尽くしたその長椅子は、彼女の重みを受けてゆっくりと沈み込んだ。
彼女の顔を覗き込めば、特に感情の読めない表情で瀧蓮を見上げている。
「すまない」
「まさか拉致されるとはね」
しかも真面目が服を着た様な男が仕事をサボるなんて、さっそく玉闇の予想を蹴散らしてくれた。
愛しい人が自分の部屋にいる。その信じられない光景に感動と興奮が収まらない瀧蓮は、白く輝くように美しい肌へと手を伸ばした。
なにせ約半年ぶりのこと、荒い息で怯えさせないよう、少し息を止めて彼女の頬に触れる。
柔らかな感触に感動を覚えたのもつかの間、あっという間にその手は振り払われてしまった。
それから先に動いたのは瀧蓮ではなく玉闇だ。珍しいことに焦った様子で顔を背けて俯き、視線が少々彷徨っている。
そんなに嫌だったのだろうかとショックを受ける瀧蓮だったが、それ以上に動揺しているのは玉闇だった。
――――しまった。
玉闇は心の底から舌打ちをしたい衝動に駆られる。事件の後のんびりしていたのが災いしたのか、油断が生んだ産物なのか。とにかく彼女は肝心なことを忘れていた。
「嫌なら無体なことはしない」
「・・・・はあ」
思わず漏れたのはため息。何か様子がおかしいことに気づいた瀧蓮は眉をひそめて彼女の腕を掴む。
すぐに玉闇に睨まれて振りほどかれそうになったが、力では到底瀧蓮には適わない。できるだけ痛くないように、しかし振りほどかれない程度に掴まれた腕は、いくら抵抗しても離してはくれなかった。
だんだん瀧蓮を睨む目つきが鋭くなってくる。
「嫌なことはしないんじゃないのかい?」
「どうした、どこか痛むのか?」
心配になった瀧蓮は彼女の背に手をまわして抱き寄せようとしたが、やはりここでも抵抗されてしまう。しかも「嫌っ」と小さく拒否の声を上げて。ショックのあまり打ちひしがれそうになるのもつかの間、玉闇がまるで泣き出す一歩手前のような表情だったため目を見開いた。
可愛い。いや、そういう問題ではない。
「悪かった。嫌なら触れないから、機嫌を直してくれ」
ぱっと手を離して膝をつき顔を覗き込むも、彼女の眉間には深く皺が刻み込まれている。
「なんでもするから」
「・・・・じゃあ煙管がほしい」
「それは駄目だ」
いくら彼女の頼みでも、やっと絶った麻薬を与えるわけにはいかない。
「じゃあ私に触るな、一生」
「それも・・・・・・たぶん無理だ」
瀧蓮の視線が面白いほどに泳ぐ。真面目とは言っても煩悩をすべて消した僧侶ではない。彼にも限界はある。
玉闇はできるだけ顔を背けると舌打ちした。忘れていた重要なこと、それは麻薬がないと肌の感覚が戻ってしまうことだ。
愛用していたのは怪我の治療や手術の麻酔としても使われるもの。以前は病気の痛み止め代わりに使用していたが、これが本当に強力だった。一度使用すれば痛覚が麻痺し、肌はすべての感覚を失う。感触や温度を感じなくなるため、玉闇が褥で反応しなかったのは当然だったのだ。
ところが。感覚が戻った今はすべて感じる。むしろ以前より敏感に肌が感覚を捕え、脳により強く訴えてくる。
なにも感じないことに慣れきっていた玉闇には大問題だ。
「・・・勝負事には強いんだけどねえ」
「勝負?」
瀧蓮という男は面白い玩具、楽しませてくれる道具。しかしなんだかんだで結局、彼によって操られているような感が否めない。何するかわからないというのは、面白いと同時にリスクも大きい。
勝つのは玉闇か、それとも瀧蓮か。より心を大きく動かすことになるのは――――。
突然ガシッと腕を掴まれた瀧蓮は驚いて目を見開いた。
「まだ負けたと決まったわけではないよ」
「何の話だ」
玉闇がぐっと身を前に倒して近づけば、目の前にある彼の息がつまる。
よくわからないが機嫌が治ったのだろうかと、瀧蓮はそっと手を伸ばして彼女の頭を撫でた。眉間に皺は残っているが抵抗はされない。
ゆっくり頬から顎にかけてをなぞれば、熱い吐息が交わる。
あまりの近さに玉闇が胸板を押した直後、もう己を止めることができない瀧蓮は無理やり唇を押し付けて押し倒した。
馬乗りになった彼の視線は、まるで焼き殺されてしまいそうなほど強く熱い。
――――負けるものか。そう固く誓った玉闇だったが、触れた場所から感じる熱に絆されて翻弄されてしまい、人生初の見事な負けを味わうことになる。
闇の四帝とも呼ばれた情報屋の玉闇、彼女の今回の遊戯は成功か失敗か。それはこの先の人生、瀧蓮と最期まで連れ添った後にわかることだろう。
おわり




