(1)
「あ、御史大夫!」
書類を山のように抱えた咲は、たまたま廊下で遭った瀧蓮に小走りで駆け寄る。相変わらず近寄りがたい雰囲気だがさすがに最近は慣れて来た。
「どうですか?玉闇さんの具合は」
石版の力を使って異世界に行ったのは、あの時すぐそばに居た瀧蓮と玉闇と咲のみ。玉闇の命に別状はないことを見届けると、彼女を残して2人はこちらへ帰って来た。残してきた課題が山のようにあったからだ。
玉闇は今も大人しく異世界で治療を受けていることだろう。
そしてその後は幸子と歩乃花を日本へ送り届け、瀧蓮のみが玉闇に会うためにこっそりと行き来している。
「最近は調子がいいようだ。薬を抜くのは辛そうだが・・・・」
「玉闇さんヘビースモーカーでしたからね・・・」
煙草でなく麻薬と呼ばれるものを愛用していた玉闇にとって、煙管を手放さなければならないことが一番辛い。
「警察とか大丈夫そうでした?」
「楽しそうにしていた」
「・・・さすが玉闇さん」
身元不明の上銃弾を受けているという状態に世間や警察らが黙っているはずもなく。毎日の追及や監視をもろともせず、玉闇は持ち前のふてぶてしさを遺憾なく発揮している。
そして相も変わらずに、彼女は暇つぶしにと他人をからかって遊んでいるらしい。振り回されて慌てふためく警察らの姿が目に見えて、咲は心の底から彼らに謝罪した。
「だが最近は飽きてきたらしい。早く戻りたいとごねていた」
「うーん、もうちょっと入院していた方がいいと思うんですけど・・・」
銃傷の治療の隙に勝手に持病の治療をさせられているらしい現在。なにもかも彼女の思惑通りに、とはいかなかったようで、少し臍を曲げてしまったのも瀧蓮の頭を悩ませる原因のひとつだ。
「そうだな。嫌がるだろうがもうしばらくは大人しくしてもらうつもりだ」
「ですね」
そろそろ話を終えようかというとき、急に咲は横から腕を引っ張られ、バランスを崩さないように慌てて書類を抱え直した。
咲は犯人をキッとにらみつける。
「ちょっと、いきなりなんなのよ!」
咲に対してこのような扱いをするのは一人しかいない。琥轍だ。
しかし彼の視線は腕を掴んでいる咲ではなく瀧蓮に対して向けられている。
「うちのに何か用ですか?あんまり苛めないでもらえます?」
「琥轍!失礼でしょ!」
「・・・もう少し仲良くしたらどうだ、夫婦だろう」
会って早々に言い合いが始まる2人に瀧蓮は呆れた様子で仲裁に入る。
咲はその台詞の“夫婦”が恥ずかしかったらしく、瞬く間に真っ赤になって口を閉ざしてしまった。それを見た琥轍はニヤッ嫌味な笑いをする。
「全然問題ありませんよ。うちのは長官のところとは違って素直で可愛いので」
「琥轍!失礼よ!」
「だってあの女のどこに素直さと可愛らしさがあるんだよ」
「うっ・・・・」
咲は今までの玉闇との思い出を総動員させたが、確かに琥轍の言う通り彼女に素直さと可愛らしさはない。むしろ真逆の捻くれた思考と曲がりまくった性格の持ち主だ。
「な、ないけどだからって御史大夫の前で言うことないでしょ!」
「・・・もういいから仕事に戻れ」
瀧蓮は大きくため息を吐くと、さっさと踵を返して去ってしまった。気分を害してしまったかと青くなる咲に、琥轍は両手を上げてなんでもないように言う。
「大丈夫だって。長官は確かに仕事に対しては厳しいけど、あれくらいじゃ怒んないからさ」
「そう?」
「それより、その書類は三足に持っていくんだろ?早く行かないと日が暮れるぞ」
ああっ、と咲は抱えていた書類の山を見てまた顔を青くする。そして小走りであっという間に廊下の彼方へ消えていったのだった。
湯船に足を入れた咲は、その温かさにため息を吐きながらゆっくりと身体を沈めた。
咲が琥轍との結婚で最も想定外だったのは生活の変化だ。その暮らしぶりは王侯貴族並で、彼が百葉の弟であることをすっかり忘れていた咲にとっては、突然降って沸いたとんでもないセレブ生活。
こうして湯に浸かれるのはもちろんのこと、陛下から結婚祝いとして賜った屋敷には、当然のように多くの下働きが働いている。
玉闇の傷の具合も気になるが、あの人には御史大夫がついているから心配ない。幸子も歩乃花も向こうの世界へ戻ってうまくやっていると聞いている。
全てが怖いくらいに順調だった。もしやこの先に落とし穴でもあるのではないかと不安になるほどに。
「落とし穴かあ・・・・」
「落とした仲?」
まさか独り言に返事が返ってくるとは思わなかった咲は、湯船に浸かってリラックスさせていた体を大きく震わせた。勢いよく動いた所為で湯がバッシャンと音を立てながら飛び出してしまう。
そんなに驚かなくても、と声の主である咲の旦那様は片眉を上げて不思議そうにしていた。
「ここここここ琥轍!?今日は遅いんじゃなかったの!?」
「思ったより早く片付いたから帰ってこれた」
咲は手を思いっきり伸ばしてタオルを取ると慌てて身体を隠す。
この世界の風呂は寝室に湯船を運び込んで行うから、部屋に人が入ってくると裸を見られることになるのが困りもの。さらには床に飛び散った湯を片づけるのも大変である。
真っ赤になってタオルを巻く咲に、琥轍はにやりと笑った。
「残念。黙ってたらもっと見られたのになあ」
「見られたのになあじゃないわよ!部屋に入るときに声くらいかけてよね!・・・って服脱ぎ始めてるし!」
咲の主張も聞かず琥轍は勝手に服を脱いで湯船に入ってしまった。彼がこの家の主であるから入浴に関して文句は言えないが、帰って早々に人が入っていた湯に乱入するとは。
がくりと項垂れる咲に琥轍は余裕そうに笑う。
「葵杏もまだ入ったら?途中だっただろ」
「誰かさんが急に入って来たから中断したのよ」
琥轍を見ないようにと背を向けたままカニ歩きで服のある場所まで向かう。入浴を見られるのも恥ずかしいが、見るほうも恥ずかしくなんとも落ち着かない。いや、正確には見てはいないが、背後では全裸の男がいるのだから気にならないわけがない。例えそれが自分の夫であっても。
もちろん琥轍は確信犯。
「いいじゃん、もう全部見られてんだし」
「恥じらいってものがあるのよ!アホ!」
彼は再びからかってまた笑い出す。
咲は誘いを無視することにしてさっさと着物を羽織った。彼女にとって一緒に湯を楽しむことはまだまだ高いハードルだ。
戦争とも言える大きな動乱が起こったとき、一瞬死をも覚悟しなければならなかった2人。やっと争いが終わったかと思いきや、思いがけず咲が向こうの世界へ行ってしまい、2人はしばらく離れ離れに暮らしていた。
会いたくても会えない日々が続くことでますます気持ちは盛り上がり、久しく会えた時にはいろいろと積極的になってしまった咲。こちらでの暮らしが落ち着けば、次第に頭は冷静になり顔から火を噴く思いをすることに。
「こっち戻ってきたときはあーんなに素直だったのに」
そして琥轍のからかいのネタとなってしまった。
「うるさいわね!その話はやめてってば!
あのときは・・・どっかおかしかったんだから」
「おかしくない、すげー可愛かった」
バシャッと水音が背後で響き、近づく足音に咲は身を固くして息を飲む。
そして腰に回された手に、彼女からは当然文句しか出てこなかった。
「やめてよ!濡れるじゃないの!」
「素直じゃないのも可愛いけど」
耳を軽く噛まれた咲は驚きのあまり飛び上がり、顔から耳まで真っ赤に。琥轍は満足そうに笑うも、若干苦々しげに言葉を続けた。
「でも葵杏のその性格、あまり人前では披露してほしくないんだよな。なんて言うんだっけ、そう、“ツンデレ”ってやつ?
俺の奥さんに他の男共から熱い視線が集まったら困るんだけど」
「なによそれ・・・理解できないわよ」
「男にとってはロマンじゃん?普段はつんけんしてるのに、自分だけには真っ赤になって照れたり甘えたりしてくるやつ」
「そ、そんなもん・・・?」
こくこくと首を縦に振って何度も頷く琥轍。咲には男の心情は理解できないが、とりあえずどちらにしろ自分にとって恥ずかしい結果になることだけはよくわかった。抵抗しようがしまいが、琥轍が喜んでしまっているのだから。
そして行き着く先は・・・・。
「俺明日休みなんだよねえ」
「私は仕事!仕事だから!」
「じゃあほどほどにしとくからさ」
「ぎゃああああ」
鍛え上げられた体で楽々と咲の身体は持ち上がる。
そうだ、どうせ結果が同じなら抵抗するだけ体力の無駄なのかもしれない。だったらできるだけ穏便に、平和に解決しようではないか。
咲は意を決して閉ざしていた目を開き、間近にある琥轍の顔を見上げる。
「ちょっとだけなら・・・」
ところが絶句してしまった琥轍を見て、咲は何か間違ってしまっただろうかと首をひねる。
「お、お前さあ・・・」
「な、なによ」
「そういうところが駄目なんだよ!全部誘っているようにしか見えねえの!わかる!?」
わかりません・・・。咲の口からは蚊の鳴くような小さな声。すると乱暴に寝台の上に投げ飛ばされて悲鳴を上げた。
「とりあえず今日は自覚するまで止めねえから」
恐ろしい言葉に震えあがる咲を見て再び男心を刺激された琥轍は、まるで襲い掛かる獣のように全裸のまま彼女に覆いかぶさった。




