(3)
咲は琥轍の手を借りて、梯子の最後の段に足をかけ屋根に登る。
「よいしょっ」
彼女の思惑通り、屋根の上には誰一人として見当たらなかった。我ながら名案だったと思わずほくそ笑む咲。
2人は手を固く繋いだまま、下に音が響かぬよう慎重に慎重に足を進めていく。
普通に歩いたとて戦闘に夢中で気づかれないだろうが、念には念を入れて安全に目的の地へにたどり着くことを優先した。
少し進むと既に下は騒がしく、窓からだろうか、剣を交える金属音や人の大声が聞こえてくる。
生々しいその音に、足元が震えておぼつかなくなる咲。琥轍は少々呆れた様子で言った。
「だからやめとけって言ったのに・・・」
「だ、大丈夫よ・・・!」
今の咲を見る限りでは全然大丈夫そうではない。しかし今更引き返せと言ったところで安全である保障はなく、琥轍は仕方なく咲を連れて前へ進んだ。
緊張からか、繋いでいる手はお互いに少し汗ばんでいる。
「・・・・いろいろ、あったなあ」
咲は急にこの世界へやってきてからのことを思い出して、なつかしさに浸る。
「最初は倉庫の中で、わけがわからなくて一人震えてたっけ・・・。そしたら冥昌さんが助けてくれて、なぜか礼部で働くことになって・・・」
それはもう、忙殺の日々であった。初めて体験する仕事、全く違う文化。祝日で見た龍の舞は今でも鮮明に覚えている。
そして琥轍ともいろいろあった。笑ったり喧嘩したり、本当に忙しい毎日だった。
「あんなに忙しかったのに、振り返ってみるとあっという間だったなあ」
「やめろよ、最期みたいじゃん」
「ごめんね、そういうつもりはなかったんだけど」
咲は苦笑して琥轍に謝る。無性に切なくなってしまったのは、これが最期になるかもしれないとわかっているから。
琥轍は柔らかく苦笑して咲の頭に大きな手を乗せた。
「きっと大丈夫」
なんの根拠もない言葉だった。だけど咲は妙に安心に包まれて、小さく頷く。
さあ先を急ごうと一時的に止まっていた足を動かしたその時。屋上にある“なにか“を見て2人は目を見開いた。
「三足長ーーー!!」
その何かが人だとわかり、その人の正体に気づいた咲は破顔して、大きく手を振りながら駆け出す。
長らく姿を見ることのなかった三足長が屋根の上でゆったりと座り、やたらと長い巻物に囲まれて、手には筆を、傍らには硯を置いていた。
何故彼がここにいるのかは皆目見当がつかないが、とにかく無事だったことに安堵する咲。
しかし彼女がさらに近寄ろうとする前に、素早く後ろから追い抜いた琥轍の大きな背中が行く手を阻む。どん、と音がするほど勢いよくぶつかってしまった咲は、派手に打った鼻を押さえながら文句を言おうと口を開いた。
「ちょっと・・・・」
何するの、続けようとしたが、琥轍の厳しい表情を見て閉口する。
彼の鋭い視線の先にあるのは―――――三足長だ。
「やあ、琥轍、葵杏。こんなところに人が来るなんて思ってなかったんだけど、間違いだったようだね」
まるで三足長から咲を守るかのように立ちはだかり、柔らかな彼の言葉にも返答をしない琥轍。いったいどうしたのかと、咲はきょろきょろと2人を交互に見やった。
「・・・・まさかとは思ってたけど」
緊迫感のある彼の低い低い声色に、不安からぎゅっと彼の背中の服を握る。
「なに?どうしたの?」
「階段の術式を行う権限を持っているのは、地上と出入りのある三足の長と、それから法部の長だけだ。
だから葵杏から術が効かなくなっていたって聞いた時から怪しいと思ってた。
――――それに、大尉とは旧友の仲だしな」
大尉とは国軍の長であり、現在行方をくらませている人物だ。
術が効かなかった時から、誰かが術式を使って謀反を企てていると推し量るべきだった。今敵が天上へ乱入しているのも、術を使って階段を登ってきた以外に考えられない。
そして術式を使って敵を招いているのは、今咲たちの目の前に居る三足長。
琥轍は腰から大剣を抜いて構える。
「護衛も付けずに一人とは、ずいぶん油断しましたね。屋上なら誰も来ないと思ったんでしょう?」
「君の言う通りだよ、降参だ」
三足長はふっと右口角のみを吊り上げて笑うと、両手を上げてひらひらとさせる。まだ彼に余裕があるのは、自分一人捕まったとて謀反の成功が覆ることはないと悟っているからだろうか。
琥轍は徐に三足長へ近づき、逃げられないよう手首を掴んで捻りあげる。
「いたたっ・・・、容赦ないね」
「当然でしょう。葵杏、三足長を陛下の元に連れていく。行こう」
「うん」
思わぬ事態が起きたが目的は変わらない。王座の間へ無事にたどり着き、戦闘に加勢する。それにちょっとした手土産ができただけだ。
咲は三足長の裏切りという事実を上手くのみ込めないままに、ただ急いで琥轍の後に続いた。
咲と琥轍らが屋根上から王座の間を目指して移動している頃。
炎岳らは王宮内を通る正規の道で奥の方に向かっていた。
どりゃあ!!と叫び敵を大鉈でなぎ倒す炎岳。彼の後ろにいれば全くの安全と言っていいほど、彼の働きは凄まじく圧倒される。
「本当にこっちで合ってるの?」
彼らは天上を全く知らず、目的地である王の居場所の検討すらつかない。ただなんとなく、偉い人は最奥に居るのではないかという勘が働いたのだ。
那刹は稀にやってくる後方からの敵を鮮やかに切り倒しながら答える。生粋の商人である彼だが、妙に剣が似合っており十分に強い。
「大丈夫ですよ、敵が群がっている所に敵のお頭がいるものです」
「なるほど、彼らが目指しているのは王様が居るところですからね」
「敵が向かっている方角だから、こっちで間違いなさそうね。炎岳さんはとにかく敵を蹴散らすことしか考えてなさそうだけど」
幸子の言う通り、今の彼は手当り次第見つけた敵兵を倒しているらしく見境がない。辛うじて天上人である官吏は倒してなさそうだが、間一髪の場面は何度もあった。
その所為だろうか、味方となるはずの衛兵も炎岳を恐れ、顔を青くして腰を抜かしているのである。
これでは危機を救う英雄というよりは、危機に乗じて漁夫の利を狙う悪党だ。
「咲無事だといいんだけど・・・・」
幸子がぽつりとつぶやいた言葉に歩乃花の表情が曇った。
王宮内はほとんどと言っていいほど大部分を敵に占領されている。今通っている部屋も文官の仕事部屋らしく、机や書類でいっぱいになっている場所だった。政治の仕事を手伝っていた咲も普段はこのような場所にいるはず。
しかしここはとっくに敵の手に落ちており、文官たちは皆拘束されている。咲の職場も同じようになっているならば、と嫌な想像をしてしまう。
「でもほら、皆殺しにされていないだけマシじゃない?抵抗しなければ特に酷いことはされてないみたいだし」
「でも咲ちゃん、女の子だし・・・」
女の子ならば別の危険が出てくる。周りは男ばかりであるし、咲は性別問わずに人を惹きつける容姿をしているのだから。
嫌な思考を振り払って、幸子は大きく頭を振った。
「きっと大丈夫よ。琥轍さんが守ってくれるわ。
その間に私たちがなんとか収められたらいいんだけど・・・」
遠くの友人を心配するより、まずは自分たちが無事に玉座の間へたどり着かなくてはならない。
炎岳の働きを見る限り、それはもうすぐ叶うことだろう。
敵が天上にやってきてだんだんと騒がしくなってきた頃。
自室でゆったりと腰かけて煙管を吹かしていた玉闇は、煙と共にふっと小さな息を吐いた。
「始まったか」
コトリと煙管を机上に置き、重い腰を上げて立ち上がる。
「どうするつもりだ」
眉を寄せて尋ねるのは瀧蓮だ。彼は玉闇との仲が尚泉公認になってからというもの、ほぼこの部屋に詰めて仕事をしていた。
戦争が起きることを予知していた玉闇。ならば今後どうするのかも考えがあるのだろう。今の今まで全く教えてはくれなかったが。
未だに答える気がないのか玉闇は問い返した。
「瀧蓮はどうするつもりだい」
「・・・お前が一人でも問題ないのならば、陛下の護衛に行く」
「そうかい、じゃあついておいで」
それはつまり彼女も尚泉の元へ行くということだろうか。瀧蓮はよくわからないながらも、言われた通りに彼女の後に続く。どうせいくら問い詰めたところで、知りたければ金をよこせと言ってはぐらかすのだ。
「手を繋いでもいいか」
突然の申し出に玉闇は横目で彼を見やる。
「幼子のようなことを言うねえ。まさかこれから戦いに行くという男がすることかい?」
「いつどこであろうと関係ない。できるだけ近くにいたい」
きっぱりとした答えに、玉闇は肩を竦めて大きくため息を吐いた。
瀧蓮の執着ぶりは関心する。そして行動力も。毎日毎日愛を囁かれ続けている玉闇はある意味参っていた。
「・・・・好きにおし」
答えるやいなや、さっと手をさらっていかれる。すると当たり前のように自然な流れで手の甲に口づけられた。
今他人に見られたならば危機感がなさすぎると憤慨されるかもしれない。戦地に向かうとは思えないほど、瀧蓮は玉闇を甘やかし労りを尽くしている。傍から見れば睦み合いながら寄り添って歩いているただの恋人だ。
玉闇は心の中で大きなため息を吐いた。
まったくこの人には調子を狂わされてしまう。しかしそれを顔に出すつもりはない。もし反応を示せば益々瀧蓮の口説き文句が助長されてしまいそうだから。
「お前は四帝より厄介だよ・・・ある意味ね」
瀧蓮は彼女の呟きの意味を理解できず首をひねった。
王座の間に近づくに連れて喧騒が漏れ聞こえてくると、今は戯れに付き合っている暇はなかったと、玉闇は目を細めて薄く笑ったのだった。




