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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
2話・咲と瀧蓮
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(1)




王宮では書類が舞う中を官吏たちが慌ただしく動き回っていた。気まぐれな王が不在なのはいつものことで、彼らは毎回その穴埋めに奔走する。

そしてやっと現れた彼らの主は、珍しいことに見知らぬ女性を引き連れて帰って来た。


「陛下!」


我先にと駆け寄るのは髪を後で括った凛々しい顔立ちの男性。続いて衛士と思われる甲冑を着た男たちも集まってくる。

そしてすぐに尚泉の足元で膝をついた。


「お帰りをお待ちしておりました」


「やあ、不在の間変わりはなかったかな?」


「はっ。

・・・して、そちらの女性は・・・?」


男は顔を上げ、戸惑いながら黒髪の美しい女性に視線を遣った。尚泉は穏やかに笑って彼女の腰に腕を回す。


「妾として召し上げることにしたんだ。

冥昌(めいしょう)、こちらは丞相(じょうそう)閻仙(えんせん)。ちょっと小言が多いけど優秀な官吏だよ」


「め・・・妾・・・・」


閻仙は真っ青になって女性を見上げる。今まであまり華に興味を示さなかった尚泉が急に妾を連れてくるなど、天変地異が起こったとしか思えない。

その女性は確かに美しかったものの、化粧が濃くて少し恐ろしい。尚泉の好みを考えるとだいぶタイプが違う。


彼女はにやりと妖しい笑みを浮かべて尚泉の言葉を反芻する。


「丞相、ねえ」


しかも無礼だ。

丞相と言えば国王の補佐役であり、王に次ぐ二番目の権力者。本来ならば妾の方が頭を下げなければならない人物だった。

ところが彼女は頭を下げるどころか、上からじろじろと品定めするかのように閻仙を見回している。


「陛下、お言葉ですが、何の位もない女を妾にするなど貴妃たちは納得なさらないかと」


「今は小言は聞かないよ。それより彼女を部屋へ案内しなければ」


「そのようなこと、前僕(ぜんぼく)にさせればよろしいでしょう?

わざわざ陛下自らなさらなくても・・・・」


「いいじゃないか。野暮なこと言わないでくれ」


さあ、と尚泉は女性の手を取って歩きはじめる。

2人が仲睦まじく歩く様を目撃した者は、皆一様に大きく口を開いて呆けていた。王に妾ができたことを純粋に驚いている者もいれば、宮中ではお目にかかれない妖艶な女の姿に驚く者もいる。


尚泉に腰を掴まれている玉闇は、眉を寄せて身体を捻りながら手を振り払おうとした。


「全く、尻を撫でるなスケコマシ」


「部屋まで黙っていようね、冥昌」


「さっきからなんなんだ、その妙ちくりんなあだ名は」


「仕方ないだろう?

君の名前は有名なんだから」


冥とは暗闇のことを指し、昌とは美しいものを指す。つまり、尚泉のつけた冥昌という名は玉闇と全く同じ意味を持っていた。

官吏たちは気付かないだろうが、学のある者しか思いつかないなかなか粋な名づけ方である。


最初は王宮に来て何が楽しいかとあまり乗り気でなかった玉闇。

しかし来てよかったと唯一思えたものは、窓の外から見える景色だった。すぐ傍には流れる雲。下には自然と家々の絶景があり、まるで空に浮かんでいるような錯覚をもたらす。


眺めをたいそう気に入ったらしい玉闇は、先ほどから窓の傍から離れない。


「私より景色に夢中とは、妬けるなあ」


「気持ち悪い三流の口説き文句を私に使うでないよ。ただ物珍しいだけだ」


「ははは、容赦ないね・・・」


冗談を真面目に一蹴された尚泉は気の抜けた笑いを零す。

後宮に入れば人がほとんどいないので彼女は言いたい放題だ。しばらく化けの皮を被っていた反動か、口が止まらない。


「まあこの眺めを見れば天上人が地の民を見下す気持ちも分からなくはないけどねえ。

ただちょっと賢いだけで勘違いする奴が多すぎて困る。親の脛かじって勉学を学んだだけで、大して才能があるわけでもなし」


「うわあ、耳が痛いなあ」


「誰もお前のことだとは言ってないだろう?」


玉闇は窓に両手をついたまま首だけを動かして尚泉の方を向く。しかしはっと口を閉ざして、尚泉の向こう側に焦点を合わせた。

廊下の向こう側からぞろぞろと女性の集団がやって来たからだ。


尚泉も気づいて後ろを振り返り、滅入ったような声を出す。


「おやおや、さっそくお出ましか。思っていたより早かったな・・・」


「情けない声を出すな、お前の妻だろうが。

相手をするのが嫌なら黙っていろ。私が話をつける」


「これは頼もしいね」


勇ましい玉闇の発言にクスリと笑い、尚泉は集団の中でも一番派手に着飾っている女性へ声をかけた。

彼女は銀の見事な髪を揺らし、膝を少し曲げて軽く会釈する。


「ただいま、百葉(びゃくよう)


「おかえりなさいませ、陛下。

・・・そちらの女性は?」


「妾として新しく後宮に入る冥昌だよ」


百葉は息を飲み、女官たちはわざとらしく口元を手で覆った。そして玉闇に珍獣を見るかのような視線を寄こす。


紅は毒々しいまでに濃い赤。着衣はわざと着崩してあり肌が露出が激しい、まるで娼婦のような出で立ち。確かに玉闇の美しさは誰もが認めるものだったが、服装も化粧も髪形も後宮で好まれるものとは異なっていた。


毛色の違う客人に歪む百葉の表情。


「そなた、出身は?」


「百葉様にお耳に入れるほどのことではございません」


不快感を露わにされても玉闇はにっこりと微笑み、百葉はさらに眉間のしわを険しくする。


下人(げにん)・・・なのですね」


「百葉」と尚泉が名を呼び静かに怒った。

下人とは地の民のことであり、彼らに対する天上人の侮辱言葉である。やがて日常的に使われるようになり、今では何の罪悪感も持たず使用するものが多い。


しかし、尚泉は静かに説いた。


「百葉、地の民を侮辱するということは私の民を侮辱するということだ。

君は仮にも貴妃、今後一切口にしないように」


「・・・申し訳ございません」


玉闇はおやおやと面白そうに見物する。

さっきまでビビっていたくせにいざとなると頼もしい尚泉。


ところがそれはあくまでも王としての彼であり、夫としては気位の高い妻を持て余しているらしい。話題が変わると彼はすぐに言葉を濁した。


「しかし後宮に住まう者として、陛下の妻として、相談くらいしてくださればよかったではありませんか」


「いや・・うん・・・まあ・・・」


やはり助け船が必要かと、玉闇が会話に割って入る。


「百葉様、貴妃とあろう御方がわざわざ妾のことなど気にする必要はございませんでしょう」


言い方は叮嚀なのに嫌味っぽい口調。しかし言っていることは正論で、百葉は唇を噛む。卑しい妾ごときを気にかけるのは、後宮の要である貴妃としての矜持が許さない。


瞳の奥で黒い感情をちらつかせながら、彼女は急に貴妃としての仮面を被った。


「・・・身分を弁えて健やかにお過ごしなさい」


「ありがとうございます」


百葉は身体を翻し絹を揺らしながら女官を引き連れて去って行った。

安心感に包まれる尚泉。その情けない笑顔を玉闇はジトッとした視線で見遣る。


「助かったよ、本当。鮮やかだった。

あんなに百葉が大人しく引いたのは初めてだよ」


「女の嫉妬は見慣れているのでね。私を誰だと思っている」


花街で嫌というほど見てきた。男女の愛憎、修羅場、嫉妬、その全てを。

だから百葉のような女はプライドに働きかけるのが一番だと分かっていた。一番扱いやすいタイプだ。


「冥昌」


玉闇はさっさと歩みを再開するが、尚泉に呼び止められ面倒そうに振り返る。


「なんだ」


「部屋はこっちだよ」


「・・・・」


彼が指差したのは玉闇の進行方向ではなく、真横の扉。


一陣の風がゆっくりと吹き渡った後、玉闇は何事もなかったかのように扉に向かって歩き出した。もちろんお腹を抱えて笑っている尚泉へ拳をくれてやるのを忘れずに。


通された部屋は狭くもなく広くもない。

後宮の中でも入口に最も近く、玉闇の立場を考えれば妥当な場所だった。


「少し騒がしい部屋だねえ」


入って一番に窓を開け、身を乗り出して本宮の方を覗く玉闇。政治の中心となっているそこから官吏の声が部屋まで届く。


「こちらの方があまり貴妃たちと顔を合わせなくて済むと思ってね。

君には石板を探すことに集中してほしいんだよ」


「それはそれは有難い気遣いだこと」


顔を合わせたくないのは自分の方だろうに、と玉闇は内心で厭味ったらしく笑った。


尚泉が椅子に座ってくつろぎ始めると、彼女も向かい側に座って懐から煙管を取り出す。まだ少し火が残っていたので、火皿に息を吹きかけながら口を開いた。


「人払いを頼んだよ」


それは近くに居る影への命令。

音もなく返事もなく、しかし玉闇は影が命令を遂行したと確信して話し始めた。


「石板は異世界への扉を開く鍵だったね」


「ああ、そうだよ。

娜太(なた)の石板、5代前の王に仕えた地仙たちが命と引き換えに作った国宝だ」


地上と天上に流れる時間は違う。

国王は地上に降りても天上と同じ時間が流れるように、功績ある者を仙人へと召し上げることができる。しかし5代前の王の治世、仙人が地上に溢れかえってしまい、彼らは自らあの世へ行くことを志願した。


そして彼らが自分の命を落とす代わりに最期に残した置き土産。それが娜太の石板。


あの世の文書が書かれた石板は世界と世界を結びつける力があり、異なる世界へも行けると聞く。

最も、その引き換えにこちらの世界の均衡が崩れるという曰く付きなので、今まで公式に使用された例はない。


「朴州の田舎にね、異世界から小娘が落っこちて来た」


尚泉の瞳に僅かな光が灯り、急に深刻な顔つきになって頷いた。


「やはり誰かが盗んだか・・・」


「しかも、使ってる」


ふっと玉闇の口から吐き出される煙は、緩やかな曲線を描きながら空気へ溶けていく。


「娘は今どこに?」


「心配せずとも安全な場所で保護してるよ」


「そうか・・・。

厄介なことになりそうだ」


「それを見越して私をここに連れて来たのだろう?」


玉闇は紅の差した唇で美しく微笑む。余裕そうな彼女の表情に、尚泉の頬の筋肉も緩んだ。


「そうだったね」


「しらばっくれるんじゃないよ、策士」


おそらく人に盗まれたのも、それを何かの目的で使うだろうことも、賢い尚泉ならとっくに予想がついたはずだ。ただ紛失しただけで玉闇へ依頼をするわけがなかった。


尚泉は面白おかしく笑う。


「ははは、なんだか全部見透かされてるみたいで怖いなあ」


「情報屋を捕まえて何言い出すんだい」


情報屋は情報を売ってただ終わるだけじゃない。依頼人同士の利益がぶつからないように気を払い、情報で人を操り、社会の流れを誘導して秩序を守る。それが四帝と呼ばれるほどの力を手に入れた玉闇に課せられた使命。

職業上、人の心理を読むのは日常茶飯事だ。


「期待しているよ、情報屋さん」


「こちらも期待しているよ。国庫からどれだけのお金が掠め取れるか楽しみだ」


「お手柔らかに」


尚泉はやんちゃな娘に困り果てているような苦笑を作り、椅子を引いて立ち上がる。


「着るものと女官たちを用意しよう」


「服はいらないよ。

趣味に合わないものは着ない」


「他に必要な物はあるかな?」


「男」


完全な静寂の中で玉闇と尚泉の視線がかち合い、彼女は指先で煙管をぷらぷらさせながら声を上げて笑った。


「ふふふっ、そんな真面目な顔しなくても冗談だ」


尚泉は安堵のため息を吐き一気に脱力する。


「よかった。頭の中で誰を紹介しようか一生懸命考えてたよ。

秘密を話しても信頼できる部下は限られてるし、君の肥えた目に敵うような男は少ないしね」


「それは残念だこと」


再び冗談を言い、「じゃあ」と尚泉が仕事に向かうのを見送った後、玉闇は腕を組んで壁に背凭れた。


「いるかい?」


僅かな風すら起こさずに現れる3つの影。


「調べておいで。姿を見られるんじゃないよ」


お行き、と玉闇の合図で影が本宮の中へ散らばって行く。

今日も平和で平凡なつまらない日常が続いているこの国。少しは楽しめそうな出来事が起こる予感に、彼女はゆっくりと口角を上げた。



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