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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
9話・告発
38/49

(2)



月が低い宵の口。本宮の喧騒が静まり返った頃、玉闇の部屋の前までやってきた瀧連は閉めきられた窓を見て落胆した。

窓が閉められているということは、つまり部屋を訪れてはならないという合図だ。


尚泉が訪れているのだろうかと思ったが、今夜は主賓室で飲み会があると聞いている。では一体誰だろうかという疑問に瀧蓮の足が止まった。

振り返っても部屋は静まり返っており、中の様子を知ることはできない。


尚泉以外の誰か。その何者かが彼女に触れているかと思うと、それだけで黒く苦い想いが胸を締め付ける。あの勝気な笑みも、美しく柔らかな肢体も、底知れない闇を帯びる漆黒の瞳も、今は別の男のもの。


気づいたときには、彼の足は再び玉闇の部屋の前にあった。

邪魔するつもりだったのか、単に相手に興味があっただけなのかは瀧蓮にもわからない。ただ自分の愛する女への怒りと好奇心が、無意識のうちに彼を動かす。


そっと手を伸ばしただけで簡単に窓は開いた。


いつものように桟に手をかけて身を乗り出し静かに乗り越えると、そこにあったのは男女の逢瀬でも密談でもなく静寂。

単に寝ているだけだと思ったのも束の間、寝台の上にある身体が僅かに動いたのを見て、瀧蓮は暗闇に目を凝らす。


「・・・勝手に入ってくるんじゃないよ」


そして呆れたような玉闇の声が聞こえてきて安堵のため息を小さくもらす。


ところが近寄ってみれば、いつもと様子が違うことに気がついた。浅く何度も上下する胸、覇気のない表情、血色を無くした唇、苦しそうに寄せられた眉。


「具合が・・・悪いのか?」


「・・・・・」


玉闇の返事はなく、ただ自嘲気味に笑うだけ。

全く予想していなかった事態に焦りと困惑を覚えた瀧蓮は慌てて彼女に駆け寄る。


「医者はどうした、何故一人きりで・・・」


身分が高い者が病に伏せった時、医者に診せた後は女官が常駐して看病をするのが習わし。しかしこの部屋には玉闇以外に誰も見当たらない。


瀧蓮は壊れ物を扱うかのようにそっと手を伸ばして玉闇の頬に触れる。

そこまで熱くはないが、彼女にしては若干高いくらいか。体温は人並みだが、拒むことも嫌味を言うこともしない様子を見ると、随分と身体が辛いようだ。


「・・・・医者を呼んでくる」


「お止め、死にたいのかい?」


そこで初めて、玉闇から立ち上がろうとした瀧蓮の手を掴んだ。

ここで彼が医者を呼べば、許可なく後宮へ入ったことがバレてしまう。そして2人のあってはならない関係も。


それはつまり瀧蓮の死刑を意味する。


「このまま黙って見ていろというのか」


しかし、だからといって愛する者が苦しんでいる様子を眺めていることはできない。そう言う瀧蓮に彼女は大きくため息を吐いて口を開いた。


「・・・全く、お前は頑固だねえ。

今更医者に診せたって意味がない」


「何故・・・」


半ば混乱していたが、賢く頭の回転が早い彼はすぐに結論まで思い至った。同時に冷や汗と目眩に襲われ玉闇に詰め寄る。


考えたくもなかった。けれども・・・。


「助からない、のか・・・?」


言葉に出したそれは声が掠れて震えていた。

玉闇はそれを肯定も否定もせず、笑みのない表情で目を細める。瀧蓮はそんな彼女の様子が信じられずに声を荒げる。


「否定しろ!」


「お前が大きな声を出すのは珍しいねえ」


「・・・っ」


ギリギリと音がするほど強く彼女の衣を握り締め、奥歯を噛み締めて俯く。


『私が死んだらどうするつもりだい?』

そう問うた彼女の真意はこれだったのだ。そのままの意味で、彼女の死を指していた。


玉闇を失うとわかった瞬間に、指先から血の気が引いていく感覚が広がる。衝撃に息の仕方を忘れる。心を支配するのは恋をした時のような甘美な陶酔ではなく、真っ暗な絶望。


「うそ、だっ!嘘だ!」


そんな言葉は信じたくない。いつもの彼女の嫌がらせじゃないのか。彼女が自分をからかって遊んでいるだけ。そうだ、そうに違いないと瀧蓮は喚いた。


「嘘だと言えっ!」


まるでタダをこねる子供のように、玉闇の細い肩を掴んで嘆き喚く。しかしいくら叫んだところで、彼女の口から瀧蓮の望む言葉は出てこない。


彼女はただ困ったように眉尻を下げて、身体を震わせながら戦慄く彼を見ていた。いつもは爛々と輝いている闇色の瞳を翳らせて。

そしてひとつ静かに息を吐いたあと、ゆっくりと口を開く。


「・・・だから言ったんだよ、嫌えと」


それは玉闇なりの優しさだったのか、彼女の口調は柔らかく、どこか昔を懐かしむような物言いだった。同時に呆れと諦めを含んだような笑いを零しながら呟く。


「本当にお前は、馬鹿な男」


細く力のない指先が、瀧蓮の頬に伝う涙の跡を撫でる。


「怖く、ないのか」


死が恐ろしくないのかという彼の問いに、玉闇はただ頷いた。

彼女が死を経験するのは2度目で、前回も同じような終わり方をした。だからこの世でも生は短いであろうと覚悟していたし悟っていた。


だからこそどのように終わらせるか、それは玉闇にとって常に考えさせられる問題だった。残していく花街、娼婦や影たち、そして恋人のその後を。


「怖くないさ。ただ・・・未練は残したくなかったんだけどねえ」


そう言って笑った彼女は、初めて、自ら瀧蓮へ口付けた。
















「薬?」


月の高い深夜、玉闇を抱えるようにして座っている瀧蓮は彼女の髪を撫でながら、今しがた聞いた彼女の言葉を繰り返した。


「というか、麻薬。

痛みを麻痺させるけど、依存性がある」


彼女がいつも愛用している煙管の葉を見ながら、瀧蓮は眉間に皺を寄せる。これがあれば彼女の苦しみを和らげることはできるが、これそのものがあまり身体によろしくないのも事実。

しかも病魔の進行を遅らせるというわけでもないらしい。


「他にはないのか。もっと有用な・・・」


「この国の医者では無理だよ。諦めなさい」


「しかし・・・」


それでも共にある未来を望んでしまう。そもそも、彼女は国王のものであり自分のものではないというのに。

この世で最も大切な宝。この手から失うくらいならいっそ・・・、と思考が暗い結末へと向かう。


「陛下はご存知なのか?」


「さあ、・・・どうだろうねえ」


相変わらずのはぐらかすような口調に瀧蓮のため息が漏れた。

今までは何事も全て思い通りに動かすことができたが、彼女に関しては何もかも上手くいかない。こんなにも愛しているのに。


いっそのことこのまま連れ去って、誰にも邪魔されない2人きりの世界へ逃げてしまいたい。


「・・・愛している」


それはとうに何十回も何百回も繰り返された言葉。瀧蓮の手が細い玉闇の身体を滑るように撫で、白い頬へと添えられる。

青い瞳と黒い瞳がお互いの姿を映すと、視線を外さないままそっと玉闇に顔を寄せた。


「この世の生が尽きる最期まで、俺は諦めない。お前が少しでも俺に心を預けられるように」


「おやおや、頼もしいねえ」


茶化された、そう感じた瀧蓮は抗議の声を上げようとしたが、その前に玉闇が付け加える。


「わかってるよ。わかってるつもりだよ。

お前は何があっても私を諦めない。私を嫌うことも憎むこともできないと」


愛されるという自覚。それは彼女にとって、懐かしい感覚。かつて人々から愛され崇拝されていた『紫和』という少女の記憶。

けれども今回は、もっと心の底がムズ痒くなるような不思議なものだ。玉闇自身が誰かに受け入れられることはないであろうと思っていたからだろうか。


瀧蓮という存在は、確かに玉闇にとって“特別”であった。好き嫌い等で語られることのない、存在そのものを肯定する者として。


「悪い気はしないよ。ただね、もう私は十分生きた。

欲しいものは全て手に入れたし、これ以上はつまらない」


他人の人生を転がして暇を潰すのも、何度も繰り返せば飽きてしまう。


瀧蓮はぎゅっと彼女の背に回した腕に力を込めて引き寄せる。顔を肩に埋めたままもう片方の手で艶やかな髪を撫でつつ、懇願するような声を出した。


「・・・やめてくれ。例え時間がどんなに長かろうと、それはつまらないものではない。

だから生きるのを諦めないで欲しい。まだお前は死んでないんだ」


疲れきったのか、話を聞きながら玉闇は静かに目を瞑る。完全に彼に身体を預けたまま、闇色の空に明かりが灯り始めた。


「朝、・・・か」


それは最も瀧蓮が嫌いな時間。愛しい人が自分のものではなくなるからだ。


身を切るような想いで彼女の身体から離れると、寝台から降りるために片方の足を床につく。しかしそこでクイッと袖を引かれ、瀧蓮は今まであり得なかった行為に随分と驚いた様子で玉闇を見た。


玉闇はクスリと笑う。


「もう少し付き合っておくれ」


もう早朝の時間帯、危険だと重々分かっている。

けれども彼女にそのような台詞を言われ、瀧蓮がこの部屋を去れるわけがなかった。


再び腕に閉じ込めて、彼女の全てを攫う。





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