(4)
がやがやと騒がしい部屋から抜け出した咲は、後ろ手に扉を閉めて大きなため息を吐いた。
事態はどんどん移り変わっているのに、自分と琥轍の関係は気まずいままだ。下手したら、このままあっさりと事件が解決して日本に帰ることになるかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。
後悔だけが残るよりも、できることは全てやったと胸を張って帰りたい。
それにはまず、琥轍と話し合うことから始めなければ。
咲は身体の向きを変えると、広い迎賓館の廊下を早歩きで歩き始めた。勢いよく角を曲がろうとしたところで、何か大きな物体と真正面からぶつかる。
ガチン!と大きな音が響いて頭に激痛が走った咲は、両手で患部を押さえその場にしゃがみ込んだ。一方でぶつかった相手は、顎を打ったらしく呻き声を上げて身体をくの字にしていた。
「い、石頭・・・」
「あたしだって痛かったわよ!」
ガタイのいい体躯、遠慮のない口、間違いなく相手は琥轍。咲は頭を押さえたまま拳を握ってカンカンに怒る。
「俺の方が被害が大きいって」
「あんたねえ、ぶつかったんだから謝りなさいよね」
「それはお互い様だろー?」
全く反省の色がない咲は大きく息を吐いて肩を落とした。
「なんで琥轍がここに居るのよ。仕事?」
「いいや、葵杏を探してたんだ」
「そ、そう・・・」
昨日の件を思い出して少し身体を固くしたが、ちょうど自分も会いに行こうとしていたのだと思い直し、緊張を誤魔化すために視線を反らす。
話したいことはたくさんあるが、近くに幸子や歩乃花らが居る部屋があるのはまずい。
「ねえ、場所変えない?」
「ああ、そうだな」
幸い迎賓館は空室だらけだ。
咲は皆のいる部屋が見えない奥の方を選び、琥轍を案内する。
「で、用って何?」
自分から話そうとしたが最初の言葉が見つからず、咲は琥轍に先を譲った。琥轍はがしがしと頭を掻きながら言い辛そうに口を開く。
「あー、いや、昨日のこと悪かったと思って」
「私こそごめん・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
気まずい空気と沈黙が続き、両者は押し黙ったまま時間が流れる。
「「あのっ」」
そして同時に口を開き、2人は慌てて先を相手に譲る。
「先に言って」
「いいや、葵杏が先に言えよ」
「いいから」
「俺は後でいい」
「琥轍が先に言ってくれないと私何も言わないから」
根負けした琥轍は小さくため息を吐いてうなだれると、意を決して話し始めた。
「御史台のこと、なんだか有耶無耶になったままだったからちゃんと話しておこうと思って・・・」
「・・・うん」
座れよと促されて咲は傍にあった長椅子に座り、続いて俯いたままの琥轍が少し間を開けて隣に座る。なかなか口を開かない彼に、咲は不安を感じて膝の上に置いた両手を固く握り締めた。
しばらく経った後、決心がついたのかゆっくりと開く琥轍の口。
「・・・最初、礼部にお前が来たとき少し不安だったんだ。女性の官吏は珍しかったから。しかも若かったし・・・」
「うん」
「だけど葵杏が仕事に慣れて周りとも打ち解け始めた頃、長官から・・・・、御史大夫から命令が降りたんだ。素性を偽ってるから監視しろって。
しかも葵杏は前僕が殺された事件の第一発見者で被疑者の一人になってた。陛下に報告しても興味を示していただけなかったから、御史台が独自で調査するしか方法がなかったんだ」
突然やってきた珍客は素性が知れず、殺人の第一発見者。いくら陛下が味方についているとは言え疑われないほうがおかしい。
咲は琥轍が自分を監視対象として見ていたことにショックを受けていたが、改めて考えてみれば疑われるのは当然なのだ。少しだけ先日の態度を反省する。
「でもさあ、怪しげなところが無くって逆に参ったわ。賢いのに考え無しで無防備で警戒心も皆無。
なんの素性も知らない女の子だけど、見てて危なっかしくて目が離せなくておまけに手がかかる」
「言いたい放題ねえ・・・」
遠慮のない琥轍に咲は頬を引きつらせて半笑いした。
しかし琥轍の背筋が伸び真剣な光が目に灯ったので、咲も彼に習って居住まいを正し、話に耳を傾ける。
「・・・・俺、動けなかったんだ。
氏州で敵が襲って来たとき、俺は呉仂よりも先に気づいてた。なのに葵杏が加担してるんじゃないかって疑ってたから、一瞬反応が遅れてしまった。ごめん」
こうして包み隠さず話してくれるということは、以前より2人の距離が縮まった証拠。咲はなんだか温かいような切ないような気持ちになり、そんな気持ちを誤魔化すかのようにいつもの笑顔を作った。
「謝ることじゃないでしょ、あれは琥轍の所為じゃないもの」
琥轍はがしがしと頭を掻きながら少し照れたように言い放つ。
「でも後悔したんだ。なんでよりによってお前みたいなのを疑ったんだろうって。
少なくとも、お前は最初から最後まで俺の知ってる葵杏だった。名前や出自が偽りでも、俺と一緒に居た葵杏は本物だって・・・・・今は、信じてるよ」
――――――『信じている』
思いがけない言葉に彼女は胸がいっぱいいっぱいになって、胸の前で固く両手を握り締めた。
おそらくどちらの世界にも異世界へ来るような体験をする人は数えるほどであろう。なのに、どうしてその僅かな人数に自分が選ばれてしまったのだろうかと、咲は心の中で自分の不幸を嘆いていた。
そして異世界と元の世界に揺れる自分が、恋をして悲しみにくれる自分の不幸に酔いしれていた。
けれども、それは間違っていたのだ。
友を知り恋を知り、多くの縁は咲自身の貴重な経験となった。
そして自分の大切な人が怪しいこと極まりない自分をこんなにも信じてくれている。それだけで自分はとても恵まれている果報者なのだと、咲はそう思った。
感謝の言葉が彼女の口から自然と漏れる。
「・・・ありがとう」
「別に・・・。前に守るって言ったじゃねえか」
琥轍の真直な視線と言葉に射貫かれて、咲の鼓動はますます高まっていく。顔が赤くなったのを隠すために俯くが、同じく赤くなっている耳まで隠すことはできない。
言うならば、今だ。恋愛経験値の低い咲とて、今が全てを告白すべきタイミングであるとわかっている。
意を決した咲だが、緊張からか思うように口が開いてくれない。彼女が何かを言い出そうとしていることに気づいた琥轍は、催促することもせずに、咲が話せるようになるまでじっと待ってくれていた。
「あ・・・あのね、琥轍」
「うん」
「私ね、ずっと、言えなかったことがあってね」
「うん」
緊張のあまり声が裏がえりながら、息継ぎさえ上手くできずにとっかえつっかえになりながら、一生懸命に伝えようと紡ぎ出す言葉と告白。自分が別の世界から突然やって来たこと。玉闇に拾われ助けてもらったこと。尚泉の計らいで官吏として働かせてもらえるようになったこと。
いろいろなことを思い出すうちに感極まってしまい、徐々に徐々に言葉少なになっていく。そんな咲を慰めるかのように寄り添い、頭を撫でて励ます琥轍は何度も頷きながら優しく微笑んでいた。
「めい、しょうさんがっ・・・帰る方法を、探してくれるって・・・約束してくれてて・・・・」
「うん」
「だから、・・・っ、いつか帰るときが来るって、わかってて」
「うん」
「私、すごく帰りたいの・・・。故郷が、恋しい」
「うん」
「でも、琥轍のことが好きだって、気づいて、どうすればいいかわからなくて・・・」
「うん」
「どっちを、諦めるのも・・・・辛いよ」
恥ずかしいやら情けないやらで顔を真っ赤にして涙を流す咲。彼女の心内を全て聞いた琥轍は、よしよしと咲の頭を撫でる。
「やっぱ馬鹿だろお前。全部一人で抱え込んで、悩んでさ。
・・・よくがんばったな」
突然ぎゅーっと巨大にきつく抱きしめられて咲は身を捩った。パニックに陥り心臓!爆発!と単語で訴えたが、琥轍は軽快に笑うばかりで開放しようとしない。
薄い布越しに密着する肌は温かく、武人独特の無骨な太いが涙の痕を拭う。
「あー、乱暴に擦るなって赤くなるっつの」
「でも、もう大丈夫だから」
離して、とやんわりと琥轍の胸板を両手で押すが、女性の細腕ではびくともせず。彼は困ったように肩を落とした。
「あのなあ、あんなに熱烈な告白をされてじっとしてるなんて男が廃れるだろ?」
「ね、熱烈な告白なんてしてないわよ!人生相談!人生相談よ!」
「可愛くねえなあ」
「悪かったわね!」
可愛気がないのは重々承知。しかしいっぱいいっぱいでもう目を合わせることもできない。じっと見つめられている視線は感じるのだが、咲は俯いたままぐいぐいと逞しい胸板を押し続ける。
とりあえずここに来た当初の目的は果たしたのだから、今は一刻も早くこの場を去りたかった。
「なあ、葵杏」
「・・・なに?」
「結婚しようか」
「は、はああああああああああああ!!?」
「すげー顔怖いっつの・・・」
驚きのあまり常識を逸する表情をした咲は、充血して赤くなっていた目も相まってとても恐ろしいことになっている。
しかし琥轍の求婚でそれどころではない咲は、自分の耳を疑い、次に琥轍の正気を疑った。
「な、なん、なんでそうなるのよ!」
「えー、だって、要はお前が帰りたくなくなればいいんだろ?」
彼女の細い肩を両手でがっちりとつかみ、しっかりと目を見据えて真剣な面持ちで続ける。
「俺は高給取りだし、将来有望で男前だ」
「え、なに、その自慢」
「つまりだ、葵杏が例え故郷に帰ってもこれほどいい男はそうそういないってこと。こんなに条件のいい優良物件、なかなかないぜ?帰ったら絶対に後悔するぞ、俺よりいい男と結婚するなんてよほど運がなけりゃ無理だ。
だから後悔しないために俺のものになって、帰るのは諦めるんだな」
「へ?」
「悪いけど、俺は好きな女を別の世界に返してやるほどお優しくねえし。話を聞いた以上、野放しにしておくのは不安だ。
所帯持ちじゃさすがに帰ろうなんて思わないだろう?」
咲はもう何も言うことができず、顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。
「そんじゃ、いただき」
一方的に言いたいことを言うと、琥轍はにやりと笑って固まっている咲の唇に吸い付いた。




