(3)
夕方、花街が目覚め始める時間。徐々に人が多くなる通りに、黒髪の長い美しい女性が現れて皆は道をあけた。
地面につくほど長い裾は富を表し、紅や墨を贅沢に使った化粧は格を表し、腰に巻かれた玉の連なる紐は力を表す。
花街の主のお通りだ。
「ほら、道をあけるんだよ」
「でもお母さん、あの人女のひとだよ」
「いいから、早く」
男性の権力が強いこの国では、女性が道の真ん中を歩くと白い目で見られる。
しかし四帝の玉闇に限っては誰もが道を譲り、その美しさを褒め称え頭を垂れた。彼女が滅多に外に出ることはないが、姿を表せば必ず人々は端に寄り、彼女のために道をあける。
そして同じく、人に道をあけさせ頭を下げさせる者が道の向こう側からやってきた。
「おい!あれは・・・!」
「天上人!?」
慌てて地面に頭を擦りつける民。
玉闇と逆方面から現れたのはなんとも豪華な牛車。柱や屋根には金箔が塗ってあり、玉飾りや彫刻を惜しげもなく使ってある。
そして民を震撼させたのは風にたなびく龍の旗。乗っている者がただの富豪ではなく、天上で暮らす人だということを示していた。
民は固唾を飲んだ。まさか四帝の玉闇と天上人が花街で鉢合わせしようとは。
両者はがらんと道が空いている中を、無言で突き進む。しかし後少しですれ違うほどに近づいても、どちらも道を譲ろうとしない。
とうとう牛車が玉闇の目前に迫り、牛はその足を止めざるをえなかった。とんでもない事態が起こり、見守っている民は頭に地面をつけたまま嫌な汗をかく。
ものものしい雰囲気の中、睨み合う牛飼いと黒髪の女。方や天上で暮らす者、方や地上で名を馳せる有名な情報屋。
「女、退け」
先に口を開いたのは苦々しげに顔を歪めた牛飼いだった。
玉闇は軽く笑い事も無げに煙管を吹かす。
「ここは私の街だ。
例え天上人だろうとなんだろうと道は譲らない」
「誰に向かって口を効いている!」
「知ったこっちゃないね。
ちょっと高いところにいるからって偉そうにしないで欲しいものだ」
「貴様!無礼だぞ!」
まさか侮辱されるとは思わなかった牛飼いの男は顔を真っ赤にして怒る。しかし玉闇は動じることなく喋り続けた。
「私は足が疲れたんだ。
牛くらいちょっと移動させりゃいいだろう」
「なっ・・・!!」
もう言葉も出ない牛飼い。プライドをずたずたに引き裂かれて言い返す言葉も見つからない。
さらに険悪な事態になり見守る人々が胃の痛みを覚え始めた頃、牛車の箱から中年の男が出てきた。身なりはあまり華美なものではなかったが、纏う雰囲気がどことなく研ぎ澄まされている。
「みっともない真似はやめなさい」
「しかし・・!!」
「そこの御方、悪いことをしたね」
玉闇は袖で口元を隠しながら、牛飼いの主である飄々とした男を見上げた。彼女に先ほどの余裕は見られず、殺気を放って低い声を出す。
「・・・・何故ここに居る。
遊びに来たわけではなかろう」
「おや、私が誰だかわかるんだね。さすが情報屋だ」
「茶化すな」
男はくすりと笑い、牛車から飛び降りて玉闇の手を取った。玉闇は嫌そうに背を反らして眉間にしわを寄せる。
「噂に違わない人だね、玉闇。気に入ったよ」
「気安く触るな、寄るな、呼ぶな」
「君もなかなか無茶言うなあ」
「さっさと帰れ。ここはお前が来るような場所ではない」
ふむ、と考え込む中年の男。
「足が疲れていると言っていたね。乗せていこう」
「御免被る」
「さあ、遠慮せずに」
男は玉闇の意思を無視してぐいぐいと背中を押し牛車に入れ込む。
無理やり押し込まれた玉闇は扇で顔を隠したまま盛大なため息を吐いた。男も後から乗り込むと、箱がさらに狭苦しくなる。
彼は悪びれる様子もなくニコリと目尻に皺を作って笑った。反省する様子はもちろんない。
カラカラと音を立てながら動き始める牛車。振動が身体に伝わり心地の良いものではないなと、玉闇は不快そうに顔を歪める。
「こんな狭い場所に連れ込んで悪かったね。
いやあ、美しい女性と2人きりなんて久しぶりで緊張するよ」
「・・・御託はいい。要件を話せ」
「残念だが、ここで話せるような内容じゃないんだ」
玉闇は扇を片手で閉じ、目を細めて男を静かに見据える。そしてしばしの沈黙の後、牛飼いの男に向かって口を開いた。
「私の宿へ行け」
未だに腹を立てているらしい男は血走った目で玉闇を睨んだが、主が首を縦に振り、唇を噛みしめたまま進行方向を変える。
そして多くの人に見守られながら、牛車はゆっくりと玉闇の宿へと向かい始めた。
場所を変え、玉闇の部屋。
依頼人を通す小部屋とは違い薄布は無いが、天蓋つきの寝台が奥の方に大きく場所を取っている。全体的に物が少なく、家具も装飾品も最低限しかない。
部屋に通された中年の男は椅子に座ってにこやかに笑った。
「まさか私室に通してもらえるとは思ってなかったよ」
「あまり顔を見られたくはなかろう。
地上に下りていることを知られたら大変な騒ぎになる」
大変、どころの話ではない。前代未聞の大事件だ。まさか王宮から“国王”自ら下りてくるなど、この国の誰もが耳を疑うに違いない。
国王、尚泉。
知識に富んだ賢い王の名前は国中に知れ渡っていた。
細長い目、どこにでもあるような凡庸な顔立ち、天上人とは思えない質素な服。一見して一般人のようだが、飄々としていて掴みどころの難しい人物だ。
玉闇は肘をついて煙管を吹かし、足を組んで口火を切る。
「それで一体何の用だい」
「真面目な話でね。人払いは済んだかな?」
「ここに近寄る無謀な人間などいないよ。私の影が常に見張っている」
「それはよかった」
尚泉は目の前にあるお茶を啜り話し始めた。
「実はだね、君に――――玉闇に、依頼があってね」
「依頼、ねえ。
国王が裏社会の情報屋の力を借りるとは・・・よほどのことらしい」
彼は真剣な顔つきで頷く。
そして次の瞬間、信じられないことを口にした。
「君に妾として王宮に来てほしい」
「はあ?」
玉闇の手から煙管がぽとりと落ちる。
どんな深刻な話かと思えば、まさか妾に呼ばれるとは。
想像をはるかに超える依頼に、彼女は目を瞑って額に青筋を浮かべた。
「あんたねえ・・・いくら国王だからといってこの私を・・・」
妾にされるなど気位の高い彼女には絶対に不可能。人に頭を下げたり畏まったりするのが大嫌いなのだ。ましてや妾など卑しい身分に据え置かれるなど我慢ならない。
しかし、尚泉は「いやいや違うんだ」と首を振って説明を始める。
「そうじゃなくてね、妾という名目で上がってほしいんだよ。
君へ依頼したいのは紛失した国宝の捜索なんだ」
「国宝・・・―――――ああ、なるほど。そういうことか」
妙に納得している玉闇を尚泉は不思議に思い、片眉を上げて首を傾げた。
「何か知っているのかい?」
「いいや、天上のことに関しては情報屋の私でも知らないことの方が多いからね。
知っているんじゃない、なんとなく見当がついたのさ」
先日、異世界から娘が落ちてきた。玉闇はその原因にいくつか見当をつけ、尚泉の話を聞いて確信に至ったのだ。
彼女は口角を上げ、身を乗り出す。
「紛失した国宝とは石板のことだろう?」
「・・・なんで分かった?」
「私は情報屋だ。金を積まなければ何も教えないよ」
目を丸くする尚泉を鼻で笑い、玉闇は煙管に手を伸ばした。しかしいつの間にか火が消えており、興味を無くしてそれを卓上に置く。
一方、言い当てられて満足気な尚泉。
「ふむ、やはり貴女に相談したのは正解だったようだね」
「言っておくが石板の在り処は知らんぞ」
「だから調べてもらいたい。
玉闇の力が必要なんだ」
「優秀な部下が他にいるだろうに」
「いやあ、さすがに国宝が無くなったとは言えなくてね。
もしかしたら、盗んだ犯人がいるかもしれないし・・・・ね」
ただ紛失したなら見つければ問題ない。
しかし、もし何者かの手によって盗まれたとしたら、犯人は間違いなく天上に居る人達。下手に探せば犯人は自分の立場を利用して上手く隠蔽するに違いない。
ならばわざわざ内部の者に捜索させるよりも、外の者に依頼した方が見つかる可能性は高いと尚泉は踏んでいた。
そして白羽の矢が立ったのが、四帝としてその名を轟かせている情報屋の玉闇。
「依頼の内容はわかった。
妾、というのが気に食わんが・・・」
「それ以外の理由で王宮に入るのは不信がられる」
「・・・だろうね」
玉闇は隠そうともせずに大きくため息を吐く。
王宮へ行くのはいろいろと問題が多い。天上に関しては情報網が薄く、連れていける影の数も限られてくる。存分に情報屋として働くことは難しいだろう。
しかし石板の事件に関して、玉闇は目を瞑るわけにはいかなかった。
裏社会の要として、秩序を守るのが彼女の仕事。規則を破り土足で踏み込んできた者には制裁を加えなくてはならない。それが玉闇の矜持であり、生き方なのだ。
「―――――よかろう。
ただし、私が探したところで石板が見つかるとは限らぬよ」
尚泉は微笑んで頷く。
「ああ、いいんだよ。
私は君が気に入ったんだ。ぜひ王宮に持ち帰りたい」
「あほう」
玉闇に白い目で見られた彼は、細長い目をさらに細め可笑しそうに笑った。
「もちろん金は用意する。いくらかな?」
「後払いでいい」
「前金が必要だと聞いたんだが・・・」
「いらぬ。
今回の件に関しては、本当に最初から最後までどうなるかわからないからね」
「ずいぶん弱気だね」
玉闇はゆっくりと立ち上がり煙管に蝋燭の火を移すと、そのまま窓の前までやって来て桟に腰を下ろす。紅の引かれた口で煙管を吸い、無表情のまま煙を吐き出した。
「弱気も何も、先がわからないんだよ」
普段ならば依頼を受けた時点で情報を掴んでいたり、結末に粗方の予想がついている。それは何百もの売春婦を囲い、何十という影を従えているからこそできる業。ところが王宮と地上では高い岩山が2つの世界を分かちあまり交流が無い。
まだ右も左もわからない中調べ物をするのは、幼少の時以来だった。
静かに煙管を吸う玉闇に、尚泉は立ち上がり彼女の手を取る。
化粧で映える美しい容姿、なめらかな肌、形の良い身体。そのどれもが彼の知っている後宮の妻たちよりも美しい。
しかし尚泉が気に入ったのは彼女の“度胸”。国王の自分に物怖じしない人間は数えるほどしかいない中、このように細い身体で堂々とした態度をとれる玉闇が、非常に気高い人物だと感心したのだ。
慇懃無礼なのではない。
玉闇が道をあけなかったのは、花街の主として牛車に乗っている人物が害ある者か確かめるため。言葉遣いは不遜だが、部屋に通せば尚泉に上座を譲った。
見せつけるように膝を折り頭を地面に擦りつけるよりも、ずっと好感が持てるというもの。
「闇の四帝も伊達ではないね」
「女性の手を握って言う台詞か?」
「これは失礼」
尚泉は笑って恭しく頭を下げる。
「玉闇、妾として王宮に来てくださるかな?」
「・・・承知」
こうして玉闇は後宮に召し上げられることとなった。国宝である石板を探すために。