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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
5話・李賛の宿屋
21/49

(3)



翌日、気持ちの良い快晴だったので歩乃花は李賛から頼まれたお遣いに出かけた。

徒歩の移動はとても疲れるが、季節は春なので外を歩くだけでも気持ちが良い。


目的地は甜呂にある薬屋だ。甜呂は塞笙の隣なので近いのだが、区域ごとに大門が設置されているため遠回りしなければならず、それなりの距離を歩かなければならない。

もしも日本だったらわざわざ門ではなく塀を飛び越えるところだが、この国では犯罪らしいのでできなかった。


大門と言ってもただの大きな門ではなく、日本で言う関所に当たる。地区を移動する毎に必ず大門を通ることになり、簡単な荷物検査のようなものを受けるのだ。


行列に並んだ歩乃花は自分の番になって手荷物を見せると、何人もの兵士の視線を受けながら大門を通り過ぎる。

捕まるようなことをしたわけではないのだがなんとなく緊張した。


甜呂に入ると李賛から貰った地図を広げ、左右に分かれた道の前で立ち往生する歩乃花。


「えっと、右が南で左が北だから・・・」


方向音痴ではないが、方位磁石も案内の看板もないここでは地図を読むのも一苦労。歩乃花はうんうん唸った後にようやく理解して、地図の通りに進んでいく。


特に急いだわけではなかったが、大門が空いていたからか予定よりもずっと早く到着した。

薬草独特の匂いと“薬屋”の看板に、歩乃花は迷うことなく店の中へ足を踏み入れる。


「ごめんくださーい」


建付けの悪い扉を開けて潜れば、大きな長い棚にずらりと瓶詰めの薬草たち。その瓶の形から彼女は理科室のホルマリン漬けを思い出した。


「どちらさまかな?」


地の底から響いて来るような低い声に、棚を眺めていた歩乃花は飛び上がった。

恐る恐る後ろを振り向けば、奥の方からスキンヘッドの中年の男性が現れる。


「あの、歩・・・蘭花と申します。

李賛さんに頼まれて薬草をいただきに来ました」


これ、とおずおず差し出したのは李賛から預かったお金と手紙。男は怯える歩乃花を睨みながらも受け取って手紙を読んだ。

右から左へと視線を流し、読み終えるともう一度歩乃花に視線を戻す。


「・・・確かに李賛からの手紙だが・・・」


含みを持たせるような口調に聞き返す歩乃花。


「だが?」


「実は依頼された薬草は今日の午後に到着する予定なんだ。まだ来ていない」


「じゃあこちらで待たせていただけますか?」


せっかく来たのだし、午後に来るならば待てばいい。そう考えて提案した歩乃花だが、薬屋の男は渋い顔で反対する。


「やめときな、遅くなる。

今日中に受け取るつもりなら、今のうちに宿を取って一泊した方がいい」


「え・・・でも・・・」


宿を取るとなると別にお金が必要になる。もちろん有事の時の為にと多めに預かってはいるものの、居候の身で必要以上のお金は使いたくない。


しかしせっかく来たのに受け取らずに帰るのはやはり嫌で、ここで待たせてもらおうと歩乃花はもう一度頼んだ。


「今日中に受け取って帰りたいんです。多少遅くなっても構いません。

ここで待たせてください、お願いします」


頭を下げる彼女に一歩も譲る気配はなく、何を言っても無理だと悟った男は大きくため息を吐いた。


「わかった、どうなっても知らないからな」


「ありがとうございます!」


歩乃花は顔を上げるとぱっと花が咲くような笑顔になる。

男はぽりぽりと頭を掻きながら彼女に中で待つよう促した。



















薬屋で待っている間お茶や草粥を御馳走になり、満足げな足取りで帰路につく歩乃花。見た目は怖いがとても優しい人だったなあと受け取った薬草を見ながら振り返る。


肝心の薬草が届いたのは日本の時間で言う3時くらいのことだった。運びやすいようにと風呂敷に包んでもらい、歩乃花は塞笙へ入る大門を目指して歩き続ける。


そしてようやく大門に着いたのは既に日が暮れた後。


歩乃花は来た時と同じように荷物検査のために並ぼうとしたが、列がどこにも見当たらない。おかしいなと首を捻って辺りを見回したが、他に人がおらず歩乃花は困惑した。


よくよく注意深く見てみれば――――――大門が閉まっている。


「あ・・・・」


歩乃花はやっと気付いた。薬屋の店主が散々宿を取れと言っていた理由が。そして李賛が日が暮れる前に塞笙に戻りなさいと言っていた理由が。


日が暮れたら、大門は閉じてしまうのだ。

通りで他に人がいないはず。通れない門にわざわざ来るわけがない。


理解した歩乃花は慌てて兵士に詰め寄った。


「すみません!ここを通してもらえませんか・・・!?」


「何言ってんだ。日が暮れたらもう大門は開かないんだぞ?」


「開けられないんですか?ちょっと通りたいだけなんです」


無知な歩乃花に兵士はため息を吐いて手で追い払う仕草をする。


「ダメダメ、一個人の為に開けられるわけないだろ」


「どうしても無理ですか?」


「無理だな」


きっぱり言い切られてしまい、歩乃花は大きく項垂れた。


宿屋は明るい時間帯しか営業しないので、今から甜呂に戻っても遅いだろう。しかし大門はこの通り封鎖されてしまい、他に残された手段は・・・・


「・・・・野宿?」


まさかと歩乃花は勢いよく首を横に振った。

いくら春で気候が穏やかだからと言って、着ている薄い服一枚で野宿は厳しい。しかも若い女性が一人で、となると別の危険も出てくる。


真っ青になった歩乃花は仕方なく今来た道を引き返すことに。


覚束ないふらふらとした足取りで、人通りのありそうな大通りを目指した。しかし日が暮れれば活動を止めるこの国では、昼間は賑やかだった所も今は静まり返っている。

もしかしたら一軒くらい営業している宿屋があるのではと思ったが、歩乃花は諦めて大通りへ向かう足を止めた。


こうなったら大門の前で夜を明かし、朝一で帰るしかない。


人が居ない場所では不安なので、大門の兵士たちをこっそり覗ける場所に座り込んだ。塀を背に預けて寄りかかれば多少は寛ぐことができる。


歩乃花は立てた膝を抱いて顔を埋めた。

忠告を受けたにも関わらずそれを無視した結果なのだから、野宿は自業自得としか言いようがない。それでも彼女にとって夜の暗闇は怖くて堪らない。


日本では明かりが消えることはなかった。どんなに田舎であろうと、電気くらいは通っている。

明かりが欲しいと思えばスイッチひとつで明かりがつき、水が欲しいと思えば蛇口を捻るだけ。


歩乃花は今更ながらいかに自分が便利な生活を頼りにしていたのかを思い知った。


「さむ・・・」


暗闇だけではなく寒さにも襲われ、歩乃花は大きく息を吐きながら自分の身体を擦る。


その時。

どこからか、カラカラと何かの音が聞こえてきて歩乃花は身を強張らせた。闇の中から聞こえる奇妙な音はだんだんこちらへ近づいてきて、恐怖を覚えた彼女は立ち上がって塀に張り付く。


泣き出しそうなのを堪えて息を殺して震え上がる歩乃花。彼女にとってゴキブリの次に苦手なのは幽霊なのだ。

人の気配がない暗闇の中で近づいて来る不気味な音は幽霊の仕業としか考えられなかった。そもそも夜は通れない大門へ向かう理由がないのだから。


歩乃花は自分を落ちつかせるために「大丈夫大丈夫大丈夫」と心の中で念仏のように唱える。


そしてとうとう音の正体が見えるだろうかという距離に迫った時、知る勇気がない歩乃花は頭を抱えて丸くなった。


「おやおや、こんなところに」


音の正体は目の前で止まった。そして上の方から聞こえてきたのは、艶っぽい色気のある男性の声。


歩乃花が恐る恐る顔を上げると、そこにあったのは立派な造りの牛車だった。声の主は箱の中に居るらしく、暗くて姿までは見えない。


音の正体が牛車だと分かった歩乃花は安堵のあまり大きく息を吐く。


「見かけないお嬢さんですね」


「あ・・・こんばんは」


暗くて見えないだろうが軽く会釈をする歩乃花。優しく丁寧な声に彼女の身体の震えも徐々に治まっていく。

箱の中にいる男性はクスリと笑い、その色っぽさに歩乃花は頬を赤く染めてたじろいだ。


「可愛らしい方だ。

このような所で何をしているのです?」


「えっ・・・!

え、・・・えっと・・・大門が通れなくて・・・」


男は「なるほど」と全ての事情を把握したかのように言い、箱の袖から布を払って手を伸ばす。


「いらっしゃい。送って差し上げましょう」


「いいんですか!?」


「はい、もちろんですよ」


なんて有難い話しだろうかと喜ぶ歩乃花。


しかし待てよ、と彼女は一旦思考を冷静にした。そもそも大門は一個人の為には開けないと兵士が言っていたのに、この男には通ることができるのだろうか。

しかもこんな暗い中で男性と2人きりになるのは気が引ける。


歩乃花の迷いを悟ったかのように、小さく喉を鳴らして笑う男。


「大丈夫ですよ、初対面の方をいきなり食べたりはしません」


初対面じゃなければ食べるというのか。


色々な不安要素はあるが、いずれにせよここで野宿をするよりマシだと思った歩乃花は、礼儀正しく頭を下げて男の言葉に甘えることにした。


「すみません、じゃあお願いします」


「こちらにいらっしゃい」


歩乃花は伸びている手を取り、ゆっくりと箱に乗り込んだ。

力強く引き上げられたため勢い余って頭から突っ込んでしまい、目の前に現れた顔に彼女は急いで距離を取る。


そして歩乃花は思わず彼の容姿をまじまじと見つめた。凝視するのは失礼だとは思ったのだが、そのあまりの美しさに見惚れてしまったのだ。

均整の取れた顔立ちをしているのに男性特有の色気を併せ持っている。眼鏡をがとても似合っていて、歳は20後半から30代前半くらいに見えた。


身なりからかなりの富豪だと分かり、偉い人だろうかと慌てて正座をする歩乃花。


「お名前を聞いてもよろしいですか?」


しかも言葉遣いが丁寧な紳士らしい。

がたごとと揺れ始めた牛車の中、美しい男性と2人きりなのはとても緊張する。


「ほ・・・蘭花です」


「蘭花さん、ですね。貴女にとても良く似合っている美しい名前ですね」


「え、いや、それはないです」


「御謙遜を」


大袈裟に褒められて居た堪れない歩乃花は必死で否定するが、男は一歩も譲らずに質問を続ける。


「お住まいはどちらに?」


「塞笙の宿屋なんですけど・・・李賛という方をご存知ですか?」


「・・・ああ、李賛、ですか」


何か知っている口ぶりだ。

知り合いだろうかと首を捻る歩乃花を見て、男はクスリと美麗に微笑んだ。


「大丈夫ですよ。

私が責任を持って無事にお送りいたします」


「よろしくお願いします」


本当に良い人に拾ってもらったと、歩乃花も笑顔で頭を下げた。


牛車だと李賛の宿屋まであっという間だ。

家の前まで送ってもらったった後、牛車が見えなくなった所で歩乃花は「あ」と声を上げる。


「名前を聞くの忘れてた・・・」


今から追っても間に合わないだろう。せめてお礼がしたかったと項垂れる歩乃花。


「蘭花さん?」


家から出てきた李賛に歩乃花は微笑んで抱えていた風呂敷を持ち直す。


「あ、李賛さん、ただいま戻りました。これ、お遣いの薬草と余りのお金です。

薬屋さんに薬草がまだ届いてなかったので遅れてしまいました」


「そうか・・・。

てっきり甜呂に泊ったのかと思っていたが、このような時間にどうやって?」


大門は閉まっていたでしょう、と李賛。


「若い男性の方に送っていただきました」


「若い男性・・・」


李賛は一瞬だけ顔を険しくしたが、不安そうな歩乃花の視線に気がついていつもの笑顔に戻る。


「ご苦労だったね。

さあ、早く部屋に入って暖まりなさい。寒かっただろう」


「はい」


一日歩いて疲れ切った歩乃花は、李賛に促されて家へと入って行った。





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