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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
5話・李賛の宿屋
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(2)




この国の朝は早い。日の出と共に起床し、陽が沈むと同時に活動を辞める。

電気がないこの世界では当然の生活サイクルだが、これが低血圧な歩乃花にとって一番辛い習慣である。他にもお風呂でシャンプーやリンスがないこと、化粧水はもちろん眉毛を整える道具がないことは女性としてなかなか堪える。


それでも慣れてしまえばそれが当たり前であり、辛いとは思わないようになった。日々平和に暮らせることが一番の幸せで、これ以上は贅沢だとも歩乃花は思う。


生活の基本は単純、起きて働いて食べて働いて寝る。その繰り返しだ。


「おはようございまーす」


「おや、蘭花(らんか)ちゃん、おはよう」


八百屋のおばさんが今日もにこやかに笑って歩乃花を迎えた。蘭花とは李賛が歩乃花につけたあだ名。無論、異世界人であることを隠すためにつけたのだ。


「んー、今日はどれが安いかなあ」


店先に並ぶ野菜を吟味する歩乃花。

李賛の所で暮らし始めてからまだ数日しか経っていないが、毎日訪れる場所も顔を合わせる人も同じなので、既にもう顔なじみになっていた。


「今日は根物が安よ。

調理しやすいし日持ちもするし」


おばさんに勧められたのは籠一杯に詰められた野菜セットで、そのほとんどはじゃが芋や人参、牛蒡などの根物野菜。

かなりのお値打ち価格で歩乃花は欲しい思ったが、籠一杯に入った野菜を1人で持って帰るのは大変そうだ。


「とても魅力的だけど重たそう」


「じゃあうちの息子に運ばせよう」


「それは助かります!」


運が良かったなと顔を綻ばせる歩乃花だが、店の奥から出てきたのは見覚えのある人物だった。


「げえっ!」


「・・・げえってなんだよ」


歩乃花の顔を見た途端に不機嫌になる男。彼は以前歩乃花を玉闇の手先だと疑ってかかった、あの浪槙という青年である。

もちろんお互いに顔を合わせて良い気分になるはずもなく、視線だけで火花を散らしながら両者は睨み合う。


「ああちょうどよかった、浪槙。

野菜届けておくれ。女の子1人じゃ持てないからねえ」


穏やかなのは何も知らずににこにこ笑うおばさんのみ。

無言で荷物を受け取る浪槙を見た歩乃花は、急いで懐から預かっていたお金を出した。


「はい、まいどっ」


2人はおばさんに見送られながら少し距離を置いて歩きはじめる。とにかく気まずい。


「・・・・・」


「・・・・・」


「・・・・おい」


「・・・・へ?」


急に話しかけられた歩乃花は間抜けな声を出し、何か言った?と彼に聞き返す。


「お前、情報屋とどんな関係だ」


「情報屋って玉闇さん?

あの人は・・・・なんて言えばいいんだろう・・・」


牢屋に入れられている所を助けてもらったと言うべきか、もしくは無理やり拉致されたと言うべきか。

一番難しいのは異世界人であるというくだりをいかに誤魔化すかだが、考えても考えてもそれらしい答えが見つからず歩乃花は困る。


「働く場所がなくて困ってたら、助けてくれたの」


「ありえねえ」


一刀両断。

どこがどうあり得ないのか理解できない彼女は、冷や汗を流しながらもジトッとした目で浪槙を見る。


「なんでよ、玉闇さん優しいじゃない」


「優しい?あの女が?

情報屋が人助けなんて天地がひっくり返ってもあり得ねえよ」


歩乃花は恩人を悪く言われてむっとする。


「でも優しかったもん!」


「じゃあ利用されてるんだろ。お前騙されやすそうだし」


「なっ・・・!」


「だって人虐めて遊ぶのが趣味みたいな奴だぞ?

お前は助けられたんじゃなくって、遊ばれてんだ」


李賛から玉闇は恨みを買っていると聞いてはいたものの、こうして目の前で侮辱されると腹が立った。

歩乃花は早歩きで浪槙に近づくと、無理やり荷物を奪い取る。


突然の彼女の行動に目をぱちくりさせる浪槙。


「もう結構です!」


もう顔も見たくない。

籠に重い野菜を抱えたまま歩乃花は出来うる限りの速度で走った。


勢いよく家に飛び込んで荷物を卓上に置く。

ぜえぜえと肩で息をする歩乃花に、本を読んでいたらしい李賛は柔らかな笑みを浮かべた。


「おかえり、蘭花さん。ずいぶんな大荷物だ」


「た・・・ただいま・・・ですっ・・・」


「美味しそうな野菜だ。今日は煮物かな」


嬉しそうに野菜を覗き込む李賛。

彼を見ていると腹を立てている自分が少しだけ馬鹿らしくなり、歩乃花は息を整えるとつられて笑顔になる。


「はい、がんばって作ります」


「楽しみにしているよ。

それから蘭花さんに頼みたいことがあるんだが」


「はい、なんでも仰ってください」


李賛の役に立てることが純粋に嬉しい歩乃花は身を乗り出した。

彼も笑顔のままゆっくり頷いて話し始める。


「薬屋に頼んでいた薬草が入荷したそうなんだ。

隣の甜呂(てんろ)まで遣いを頼まれてくれないかな」


「もちろんです、薬を取りに行けばいいんですね?」


「そうだよ。地図はここにある。

女性の足では行って帰るだけでも半日かかるだろうから、もし天気が良ければ明日行くといいだろう。

ただし、日が暮れる前に必ず塞笙に戻ってくること」


「わかりました」


真剣に話す李賛に歩乃花も真面目な顔になって頷いた。


しかしぐうううと突如腹の音が響き、歩乃花は飛び上がって自分のお腹を押さえる。くすくすと笑う李賛に恥ずかしそうに俯いて真っ赤になる歩乃花。


「すみません・・・」


「いやいや、健康な証拠だ。

そろそろ昼時だったね、ご飯にしよう」


「はい」


お腹が鳴ると急に空腹感を覚えたため、歩乃花は李賛の言葉に甘えて食事の準備を始めた。


















李賛は教師としての現役を退いているが、貧しい家庭のために宿屋を使って小さな教室を開いていた。それは最低限の文字の読み書きを教えるだけだが、無償ということもあり生徒の数は多い。


昼食をいただいた後。

歩乃花は卓子を壁に立てかけて床の掃除を始める。子どもたちが地面に座るので、特に綺麗にしなければならない。そして掃除が終わると李賛の座る椅子を用意し、紙と墨等の使う教材の準備を始める。


「こんにちは先生ー」


「こんにちはー」


ぞろぞろとやって来た可愛らしい子どもたちに歩乃花の頬の筋肉が緩んだ。年齢はだいたい5歳から12歳くらいだろう。

そして歩乃花に気付いた彼らがぞろぞろと周りに集まってくる。


「蘭花お姉ちゃん、遊ぼー」


「この間の影踏み鬼がいい!」


「お勉強が終わったら遊びましょうね」


たった一度遊んだだけで懐かれた歩乃花。

元々子どもが大好きだった彼女にとっては憩いの時間だ。ただし、元気な彼らに振り回されてかなりの体力を使ってしまうことになるが。


「さあ、そろそろ始めようか」


李賛が一声かけただけで綺麗に整列して座る子どもたち。手習いに来ている子どもたちは、幼いなりにも李賛を尊敬しているのだ。

いつも歩乃花は感心していた。自分が幼い頃の授業を思い出してみたが、先生は自由な生徒たちにいつも手を焼いていた記憶しかない。


全ては李賛の人徳なのだ。


「では、墨の準備を」


歩乃花も文字を覚えるために子どもたちに混じって勉強する。

やり方はいたって簡単で小学校で習った習字と同じだ。水を入れた硯に墨を擦って墨汁を作り、筆を浸す。


紙は和紙よりも少し固めのもの。手習い用な簡素な紙だが、そこそこしっかりしていて書きやすい。


書く準備が終われば、今度は教科書となるの巻物を開いて、そこに書いてある文字をそのまま真似て写す。どこの世界でも文字の勉強の仕方は変わらないなあと、歩乃花はほくそ笑みながら筆を動かした。


しばらく集中してたが、隣の男の子が歩乃花の書いた文字を覗き込んだので手を止める。


「お姉ちゃん、ヘタクソ~」


「ううっ」


子どもにいじられて彼女は本気で泣きそうになった。自が汚いというのは図星だったからだ。

元々習字の才能が無かった上に、この世界の文字を書き始めてまだ3日目のため、子どもたちの方が百倍上手い。


「こらこら、瑚慶(こけい)

蘭花さんに謝りなさい」


「ごめんなさーい」


李賛に言われて素直に謝る男の子。悪気があったわけではないと分かっているので歩乃花も笑って頷く。


再び筆を持って集中しようとしたが、自分の文字の汚さが気になって手が動かなかった。

そうこうしているうちにも墨をぶちまけたり紙が足りないと言い出す子どもが出てきて、歩乃花は慌ただしく動き出す。


「蘭花さんは教師に向いているようだ」


「え?本当ですか?」


急に李賛に褒められた歩乃花は顔を赤くして俯いた。


「しょ、将来は子どもを預かる職業に就きたくて・・・」


「そうか、頑張りなさい。

貴女ならきっとできるだろう」


「はいっ」


褒められたらやる気も倍増だ。

自分の手習いも進めながら子どもたちの世話をし、充実した時間を過ごす。


授業が終わると今度は片づけに奔走し、卓子を元の位置に戻した。もちろんその後は恒例の遊びの時間。

元気な彼らに振り回されながら、歩乃花自身も楽しんで外を駆けまわる。


「お姉ちゃんお姉ちゃん!」


「ん?どうしたの?」


遊んでいる途中に小さな女の子に呼びとめられ、歩乃花は視線を低くして首を傾げた。


「お荷物届いてるよ」


ふと裏路地の宿屋の入り口の方に視線を向ければ、いつの間にか大荷物が置かれている。

好奇心旺盛な子どもたちに囲まれながら蓋を開ければ、それは以前見たものと同じく女性の生活用品が揃っていた。


今回入っていたのは衣類に加えて石けんや何に使うのか分からない平たい石。それから綺麗な数珠のような石で造られた装飾品まで様々。

思わず子どもたちは感嘆の声を上げる。


「すごーい、これ蘭花お姉ちゃんの?」


「う、うん、・・・・たぶん」


自身は無いけれどこの宿に女性は歩乃花1人。

二回連続届け先を間違えたわけでもないだろうから、きっと送り主は歩乃花の為にこれを贈ったに違いなかった。


さすがにサンタを信じる歳でもないので、送り主が分からないというのは少々不気味に感じる。


「どうしたのかな?」


騒ぎを聞きつけた李賛が一階へ降りてきて、歩乃花は無言で箱を示した。

李賛はふむ、と長い白髭を撫でながら箱を覗き込む。


「蘭花さん宛てのようだ」


「・・・ですね。

また貰ってしまっていいんでしょうか。なんだか高そうだし、後で請求されたり・・・」


送りつけて後で請求が来る詐欺を聞いた事があると、不安そうに李賛を伺う歩乃花。


「これは間違いなく貴女の為に用意されたもの。

有り難く使わせていただきなさい」


「はあ」


歩乃花は李賛の送り主を知っているような口ぶりを不思議に思いながらおずおずと頷く。


「見せて見せて~」


「わあ、靴も入ってる!」


「それ私も見たいっ」


嬉しそうに箱の中身を物色する子どもたち。

目をキラキラさせている彼らが可愛くて、歩乃花もまあいっかと笑顔になった。





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