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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
1話・花街の情報屋
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(2)




少女はただただ震えていた。

気を失っている間に牢屋へ閉じ込められたかと思えば、今度は黒づくめの怪しい男に浚われている彼女。自分の置かれている状況を正確に把握することはできないが、これから起こることなら想像がつく。


娼婦として売られてしまうのだ。


無言のまま2人が移動しているのは、月が高く登っている時間なのに明かりが消えない街。あられもない格好をした女性たちは、貼り付けたような笑みを浮かべて格子越しに男を誘惑している。

ここは江戸時代で言うところの吉原だということは、少女にもすぐに分かった。


ご飯を食べていけるだけでも十分だと理性が訴えている反面、生理的にこの仕事はできないと本能が悲鳴を上げている。

足掻いても抗う術はないと頭では理解しているのに、震えて恐怖を訴える身体。何もできない自分の無力さが情けない。


「立て」


少女を抱えたまま連れ去った男は、彼女を地面に置くと腕を引っ張って歩き出した。

向かう先はこの辺でも一際目立っている売春宿。赤の太い柱でしっかり支えられているその建物は、少し反り返った屋根や壁の細かい彫り物などかなり凝った造りをしている。もし日本にあったならば世界文化遺産に指定されるに違いないと、少女は心の中で思った。


しかし、今の彼女にとっては忌々しい場所でしかない。これから自分がここで働かなければならないのかもしれないのだから。


建物の中へ入り、誰にも声をかけられることなく廊下を進む。先ほどまでの明るい雰囲気とは打って変わって、廊下は暗く静かで他に人の気配はない。

少女は震える足を一生懸命に動かしながら、言われるままに歩き続けた。


「入れ」


扉の向こう側にもうひとつの扉。


黒づくめの男に促されて進んだ先には、想像とはだいぶ違う小部屋だった。奥は御簾のように天井から垂れた薄い布が空間を別ち、髪の長い女性のシルエットが写っている。


「あ、あの・・・あなたがここの、偉い人・・ですか?」


きっと今からこの女性に品定めされるのだろうと、少女は時折詰まらせながら震える声を出した。


「そう、私がこの花街の(あるじ)


ツヤのある妖艶な声が布の向こう側から聞こえてくる。姿が見えなくてもそれだけで彼女がいかに美しい人なのか想像ができた。

だんだん自分が場違いな気がしてきた少女は、身を縮ませながら女性の言葉を待つ。


「・・・・名は?」


「名前・・・は、歩乃花(ほのか)、です・・・」


質問に答えると女性はしばらく黙り込んででしまい、名乗ってはまずかっただろうかと心配になる歩乃花。しかし話しかける勇気は無いので口を閉ざしていると、静寂は女性がふと笑うことで終わりを告げた。


「そうか、やはり日本人か」


「え!?」


歩乃花は驚きに目を見開いて固まる。

この世界に来てからいくら日本人だと言っても通じなかったのに、この女性には名前を言っただけで解ってもらえた。嬉しいよりも先に驚いてしまい、聞きたいことは山ほどあるはずなのに言葉が上手く出てこない。


「あの・・・!私・・・、ここは・・・!」


「落ち着きなさい。私は逃げたりはしないよ」


女性の声は優しく穏やかで、歩乃花はひとつ大きく息を吐くと一番聞きたかったことを尋ねる。


「ここは一体どこなんですか?

日本語が通じるのに、なんだか中国みたいな感じで・・・」


「ここは龍神の国。この世界に日本は存在しない」


きっぱりと言い切ったその言葉は、歩乃花には信じがたいものだった。日本がないということ、そして龍神という聞いたこともない国の名前。


「りゅ・・・うじん?神様の国?」


「足りない頭で無理に理解しようとするでないよ。

とにかく、ここはお前にとって全く未知の世界。生きる時間も、寿命も、文化も、何もかもが違う」


女性は立ち上がり、薄布を手で払って歩乃花の目の前に現れた。


長い黒髪と闇よりも深い黒の瞳、真っ赤な紅を塗った形の良い唇とすっと筋の通った鼻、ラインを引いた印象的な目。化粧は濃いがその下にある容姿の美しさを十分に引き立てている。手には細長い煙管(きせる)を持ち、足のつま先から頭のてっぺんまで隙がない。黒の生地に銀の細かい刺繍が施された服から腰紐に至るまで、全て庶民には手が出せない高価なものだった。


歩乃花はぽかんと口を開けて女性を見上げる。こちらの世界の人々は中国を連想させる服装をしているが、彼女の出で立ちはどことなく和を感じた。太いアイラインといい目尻に少しだけ落とした赤のアイシャドーといい、まるで舞妓のようだ。

歩乃花は自分の酷い身なりを思い出し、さらに場違いな気がして顔を赤らめる。


「私は花街の主、情報屋の玉闇(ぎょぐら)

手荒な真似して悪かったね」


「あっ、どうやったら帰れるんですか?」


はっと我に返った歩乃花は拳を固く握りしめて不安げに問う。

玉闇は見下ろして腰を屈めると、煙管を吸って煙を歩乃花の顔に吹きかけながら答えた。


「私は情報屋だよ。ただで教えるわけにはいかないね」


「でも・・ごほっ・・・これからどうすれば・・・。

知り合いもいなくて、帰る場所もなくて、全然知らない場所で、一文無しで・・・」


美しい唇から出てきた煙にむせながら涙目で訴える歩乃花。

今玉闇に見放されてしまえば、道端でのたれ死ぬかもしれない。頼れるのも、自分の境遇を理解してくれるのも、目の前にいる女性しかいないのだ。


もちろんお金を持っていないため情報を買うことはできない。しかしせめて、これからの生活に繋がる知識を得ようと頭を下げて頼む。


「お願いします!なんでもいいので教えてください!」


「なんでも・・・ねえ」


一方玉闇は煙管を吸いながら歩乃花を見下ろす。

彼女の顔に表情は無く、視線を遠くへ遣って話し始めた。


「もし帰る方法があるなら国王が知ってるかもしれないねえ」


「王様にはどうやって会えるんですか?」


「地の民には無理だ」


「地の民?」


首を傾げる歩乃花に、玉闇は窓の向こうの空を指差す。示された先にあるのはただの暗闇。


「見て御覧。ここからでも晴れた日にはあそこに王宮が見える」


「雲の上!?」


「そう。浮かんでいるんじゃない、天まで届くほど高い岩山の上にあるんだ。

陛下に会いに行くには岩山にある階段を登らなきゃならない。普通の人間なら頂上へ着く前に死ぬだろうけど」


他に手段がないことを悟った歩乃花は真っ青になる。雲より高い場所にある王宮まで階段を登り続けるなど絶対に不可能だ。


「だから天の上で暮らす人々のことを天上人(てんじょうびと)と呼ぶんだよ。

反対に地上で暮らす民のことを地の民と言う」


「文字通り雲の上の人・・・ってことですね・・・・」


「物わかりがよくて結構。

会えるかどうかもわからない人のことより、自分の生活のことを考えることだね」


すぐには帰れないことがわかると急にこれからの生活が不安になってくる。親に養ってもらっていた日本と違って、ここでは自分で働いて稼がなくてはならない。


「私のような者でも働ける所はありますか?」


「そりゃあ、お前のように若くてそこそこ見られる顔ならこの宿で働くこともできるだろう。

客がつけば生活には困らないよ」


「いえ・・・さすがに身売りは・・・」


玉闇は冷ややかな視線を寄こして片眉を上げる。


「じゃあ他に何かできるのかい?

医療でも、薬売りでも、知識があるなら雇ってもらえる」


「私は普通の学生です・・・。それにこの世界のこと何も知らないんです。

身売りはできませんが、雑用ならできると思います。貴女の傍で雇っていただけませんか?」


縋るような目つきで玉闇に頼み込むが、彼女は鼻で嗤って一蹴した。


「馬鹿言うんじゃないよ。この私の下で働こうなんざ100年早い。

私を誰だと思ってるんだい?情報屋の手下に必要なのは、文武に長けた才能ある人間だけさ。下働きなら腐るほどいる」


「・・・すみません」


歩乃花は酷く落ち込んで肩を落とす。

売春宿の下働きでさえ雇ってもらえないならば、町で普通に就職するのはもっと難しいだろう。素性も知れない人間を雇ってくれる人など普通はいない。


玉闇は顔も上げられないほど困り果てている歩乃花を見て深いため息を吐いた。


「仕方ないね、仕事を紹介してやろう」


「本当ですか!?」


「ああ。お前に勝手に動かれても困るからね。

宿屋の雑用だが文句は言うでないよ」


「十分・・・十分です」


歩乃花は安堵のあまりその場にへなへなと座り込む。

雰囲気に飲まれて怖かった玉闇も、今の彼女にとっては救いの女神。どんな神聖な銅像よりも神々しく見えた。


玉闇は薄布の向こう側に戻って紙に文字を書き始める。


「歩乃花、ひとつ聞くがどうやってこの世界に来た?」


「わかりません。

ただ、山登りの最中に崖が崩れ落ちたんです。私、そのまま崖の下まで落ちて、それから気づいたらもう牢屋の中でした」


「崖・・・ねえ」


「あの、もしかしたら私の他にも友達がこっちに来てるかもしれないです」


玉闇は筆を止め、目を細めて歩乃花を睨む。


「何故それを先に言わぬ」


「ご、ごめんなさい!

でも崖から一番先に落ちたのは私だったから、他の2人がどうなったのか分からなくて・・・・!兵士さんに訊いても、私以外は誰もいなかったって言ってたから・・・。

私はドジだけど2人はしっかりしてるし、大丈夫かなって思って・・・」


玉闇に睨まれながら慌ただしく言葉を紡ぐ歩乃花は若干顔色が悪い。自分は運よく理解者に会うことができたが、2人は悲惨な目に遭っているかもしれないと思うと不安にならずにはいられなかった。


「きっと大丈夫・・・ですよね。

玉闇さんみたいな優しい人に出会えれば、幸子も咲もきっと・・・」


「私は優しくなどない。

ただ異世界人を野放しにするわけにいかないだけさ。あまりうろうろされると監視がしにくい」


「それでも・・・私にとっては恩人です」


「勝手にお言い」


書き終えた玉闇は筆を置き、紙を丸めて紐で括ったものを持って薄布の向こう側から手だけを潜らせた。差し出されているのだと気付いた歩乃花は慌ててそれを受け取る。


「紹介状だよ。

ここは功州(こうしゅう)。働き先は隣にある氏州(ししゅう)塞笙(そくしょう)という土地の宿屋だ。

李賛(りさん)という人物を訪ねてこの手紙を渡しなさい」


「氏州、塞笙の李賛さんですね。

ありがとうございます」


「衣と食料を渡すから、自分の力で行くんだよ」


「はい・・・!

本当に何から何までありがとうございます。この恩は絶対に忘れません」


大きく頭を下げる歩乃花に、玉闇は僅かに眉をしかめて「さっさとお行き」と部屋から追い払う。歩乃花を連れてきた男と共に去っていく後ろ姿を眺めると、煙管を吸って物思いに耽った。


“日本”。それはかつて玉闇が生きていた国の名前。

全く違う名前を持ち、全く違う容姿で、全く違う人生を歩んだ。その記憶を持って生まれた玉闇は娼婦の娘としてこの花街で生まれ育ち、身を売りたくない一心で働いてきた。


思い起こせば最初の目的とは離れ身も心も穢し、いつの間にやら四帝と呼ばれている。

月日が流れるのはあっという間だったのに、こうも人間が変わってしまうものかと自嘲の笑みを漏らした。


「・・・優しくなどないさ」


手の平で他人の人生を転がすのが生業。

身売りを嫌い、必死に生きていた昔の自分はもうどこにもいない。


玉闇は窓辺に立つと目を瞑ったまま口を開く。


「仕事だ」


「はっ」


姿を現し膝をつく男に、彼女は振り返ることもなく命令した。


朴州(ぼくしゅう)で不審な人物が出入りしてなかったか調べておいで」


「承知」


異世界から人が来るなど前代未聞。おそらく何か原因があるはずだと、玉闇は煙を吐きながら思考を巡らせた。





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