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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
4話・恋心に揺れて
17/49

(4)




「お待たせしました、長官」


部屋に琥轍が入ってきた所で、瀧蓮は書類を書いていた手を止めて顔を上げる。


「遅いぞ」


「・・・申し訳ありません」


罰が悪そうな顔をして頭を下げる琥轍。


「さっさと報告しろ」


「はい・・・。

氏州省邸にて春長月2日の深夜、大守である呉仂と補佐として同行した葵杏が襲われました。葵杏が重傷を負いましたが一命を取り留め、現在は省邸で休養しています。一応呉仂も傷を負いましたが大事ありませんでした。

氏州の衛士は3名負傷、うち2名は死亡で1名は未だに意識不明の状態です」


御史台では書面での報告は一切行わない。その仕事の機密性から、情報の漏洩を防ぐためだ。


琥轍は流暢に調べ上げたことを述べる。


「犯人は死亡。所持品は武器以外一切なく、今のところ素性も動機もはっきりしていません」


死亡、という言葉で明らかに瀧蓮の眉間にしわが寄った。


「殺したのか」


「・・・申し訳ありません」


琥轍は素直に謝って頭を下げる。


瀧蓮という男は、例え不可能でもやるべきことを成さなければ許さないという厳しい人間だった。いくら言い訳しようと一蹴されるだろうことは、琥轍も重々承知している。


「犯人は単独か」


「他に協力者とみられる人物はいません」


「1人で3人の衛士・・・・手練れの可能性が高いな」


「はい。呉仂を狙って侵入したのかと思い彼の周辺を洗ってみたのですが、特に恨まれるような人物ではなく犯人の特定までは・・・・」


優秀な人物を用意できる人間は限られている。官吏か、富豪か。

しかしどの線を辿ってみても、呉仂を狙う決定的な理由は見つからない。


「今後は内部の犯行も含めて調べるつもりです」


「あの女はどうだ」


あの女とは咲のことだ。

ピクリと肩を震わせて、琥轍は口角を下げる。


「まさか、自作自演だと仰るのですか」


「可能性はある。

まさか同情しているんじゃないだろうな」


「いいえ・・・。

しかし、不審な動きは今のところありません」


そこで琥轍は初めて小さな嘘をついた。あの日咲が部屋を出て夜の廊下を歩いていたことは、十分疑うに値する怪しい行動。

不審な動きがないというのは、琥轍の願望に過ぎない。


瀧蓮は全てを見透かしたような目で琥轍を睨み上げ、小さく息を吐いて筆を手に取る。


「監視は続けろ」


「畏まりました」


「戻れ」


深く一礼をして部屋を出ていく琥轍。


瀧蓮は筆に墨をつけて紙の上に滑らせたが、やがて手が完全に止まり、筆を置いて深いため息を吐く。


私情を持ち込むなと部下に散々言っておきながら、玉闇に対する調査はちっとも進んでいない。一番私情を持ち込んでいるのは瀧蓮の方だ。


己の情けなさに吐き気を覚え、彼は立ち上がり部屋を出た。

しかしまた玉闇に会いに行こうとしている自分に気が付き、足を止めて歯ぎしりをする。あの場所へ行っても何かが変わるわけではないのに、未だに未練がましく足を運んでしまう。


玉闇は瀧蓮にどうすれば嫌いになるのかと問うたが、嫌いになる方法を一番知りたかったのは瀧蓮だった。


祝日の一件以来、何度彼女の部屋の前へ行っても玉闇が現れることはない。おそらく瀧蓮が来ていることをわかっていて、わざと姿を見せないようにしているのだ。


決めろと、瀧蓮は言われているような気がした。

最後の境界線である手すりと溝を超えるか、それともずっとこのまま眺めているだけなのか。


瀧蓮は確信している。玉闇は自分の気持ちに気付き、遊んでいるのだと。

例え一線を越えて彼女に会いに行っても、真剣に愛してくれるわけじゃない。むしろいい様に利用されるのが落ちだ。恩人である尚泉を裏切ると同時に、破滅への道を辿ることになる。


いっそのこと尚泉に全て話してしまおうかとも考えたが、彼に幻滅されるのが怖くてできなかった。

それに玉闇はあの尚泉が珍しく寵愛している妾。妻たちの扱いに困ると常日頃愚痴を漏らしていた彼が、唯一自ら進んで夜に渡る女性。


愚かなことだと分かっているのに、彼女に触れたいという気持ちが止まらない。まるで底なし沼のように、片足を踏み入れただけでもう手遅れなのだ。


「・・・・愛している」


小さく呟かれた言葉は、誰にも聞かれることなく静かな廊下に消えて行った。


















日本へ帰ると決意したばかりなのに、その決意は簡単に揺らぎ始めた。


治療を終えて動けるようになった咲は後宮の廊下を歩きながらため息を吐く。

琥轍と離れて気持ちが落ち着くかと思いきや、逆に考える時間が多くなってしまい、とうとう気持ちを自覚するまでに至ってしまったのだ。


「完全に逆効果だったわ・・・」


がくりと項垂れる咲。

本来ならば人を好きになるというのは喜ばしいもの。しかし、今の咲にとっては辛いものでしかない。


「冥昌さん、・・・いますか?」


そっと扉を開けて中に入ると、部屋の中にはいつものように煙管方手に寛いでいる玉闇の姿があった。

彼女は咲を見ておやおやと目を細める。


「お帰り咲、大変だったようだね。

傷はどうだい?」


「知ってるんですか?

一応極秘情報ってことになってるんですけど・・・」


「当たり前だろう」


座りな、と席を勧められて咲は玉闇の向かい側に座った。


「えっと・・・報告に来たんですけど、知ってるなら特に話すことはないですよね」


「別にないよ」


せっかく来たのだから琥轍の事を相談しようと思い、咲は玉闇の顔を伺いながら口を開く。


「あの、ですね。

ちょっとお聞きしたいんですけど」


「なにか?」


「もし、玉闇さんが異世界に飛ばされたとして、異世界で好きな人ができたら元の世界に帰るのをやめますか?」


玉闇は方眉を上げ、煙管を吸うとゆっくり吐き出した。


「帰るよ、迷わずにね。

叶わない恋は馬鹿のすることだ」


思いっきり突き刺さる咲を見た玉闇は口角を上げて嗤う。


「まあ、その馬鹿が苦しんでいるのを見るのは好きだけどね」


「冥昌さん・・・性格悪い」


「今更なことを」


相談したのは失敗だっただろうかと、咲は卓上に腕を置き顔を埋めた。苦しくて堪らないのに、こういう気持ちは当事者にしか理解できない気がする。


「・・・冥昌さんは恋しないんですか?」


「さあね」


「人の話聞いておいて自分だけずるいですよ」


「勝手にお前が話し始めたんだろうに」


そうでしたと咲は低い声を出して自分の非を認めた。

玉闇はクスリと笑い、煙管を卓上に置く。


「相手は琥轍だろう?」


「・・・・何でもお見通しってわけですか」


「分かりやすいんだよ、咲は」


顔に書いてあると言われ、咲は顔を手で触って首を傾げた。

本人には絶対知られたくないので、今後できるだけ顔に出さないようにしようと咲は頷く。最良の策は恋そのものが終わってしまうことなのだが、今はまだ自覚したばかり。すぐに恋が終わるとは思えない。


「どうやったら好きでなくなりますかね?」


「簡単だよ」


「ホントですか!?」


咲は勢いよく立ち上がり、卓上に両手を置いて身を乗り出す。


「好きになるのも嫌いになるのも、人は簡単にできる。ただし、本人の意思ではどうしようもない」


「それって、自分ではコントロールできないってことですか?」


「そうだよ。

稀に上手い人もいるけれど、お前は明らかに不器用そうだからねえ」


咲はむっと口をへの字にして腰を下ろす。


「不器用ですよ・・・確かに」


世の中のすべての人間が器用な人間だったら誰も苦労はしない。

咲とて好きになりたくて好きになったわけではない。接するうちに自然に、恋を自覚しただけのこと。


咲は切なそうにため息を吐いた。


「ああもう、帰るって決めたばっかりなのに・・・。

琥轍のアホ、馬鹿、おたんこなす、変態、エロ魔神!食うってどういう意味よ!」


「そのままの意味だろうねえ。

好きならいいじゃないか、ちょっと身体を貸すくらい」


「か、貸すって・・!そんな簡単に言わないでくださいよ!

それに・・・・あれは冗談で言っただけだろうし・・・たぶん・・」


顔を赤くしてもにょもにょと間誤つきながら声を小さくする咲。玉闇は面白そうに咲を観察しながら口を開いた。


「年頃の男なら好きな女でなくても抱くだろう。

咲は見目も悪くないし、若いから美味しいだろうさ。琥轍も喜ぶ」


「生々しい話は遠慮しますっ・・・!」


咲はますます顔を真っ赤にして卓子をバンバンと叩きながら訴える。純情な彼女には少し過激な話だ。

しかし逆に玉闇からすればまだまだ生温い。


「避けては通れない道だよ。早めに覚えて損はない。

咲ももうそろそろ嫁ぎ先を見つけてもいい年頃だ」


「いやいやいやいや!まだ早いですって!

向こうでは早すぎる年齢ですよ!」


「でも17なのだから、不可能ではないだろう?」


「そう・・・ですけど、よく御存じですね」


「まあね」


咲はふうっと息を吐いて眉を八の字にする。


「それに・・・仮にそういうことになったら、余計に帰り辛くなるじゃないですか」


「そうだろうね。

ただ一生帰れるとは限らないし、帰れることになったらその時に決めればいいことだ」


「じゃあ私がこの世界に留まったとして、私のせいで世界の均衡が崩れたりしませんか?」


「小娘1人で均衡が崩れるような世界ならとっくに滅んでるよ」


「ああ・・・確かに」


なんだか訳が分からなくなってきた咲は頭を抱えて唸る。結局は帰ると決意したものの、琥轍の所為で決心が鈍っているのだ。

そう、全ては琥轍の所為で。


「琥轍が悪いんだ!あんなこと言うから!

琥轍のアホ、馬鹿、おたんこなす、変態、エロ魔神!」


「同じことの繰り返しだねえ」


「本当に、悩んでも悩んでも答えが出ないです。分かり切ってることですけど・・・」


「何も考えずに流れに身を任せるのも一つの手だよ。考えれば考えるほど、肝心の自分の気持ちが分からなくなる。

特に、咲のような不器用者は」


「・・・なるほど」


咲は妙に感心して玉闇を見つめる。そして彼女は立ち上がり、軽く頭を下げた。


「ありがとうございました。もうちょっと、自分の気持ちと向き合ってみます」


「咲」


そそくさと部屋を出て行こうとした咲を呼び止める玉闇。


「はい?」


「明日、仕事が終わったら部屋の前の内庭に来なさい」


「わかりました」


じゃあ、と咲は止めていた足を再び動かして出ていく。

玉闇は1人になった部屋で、卓上に置いていた煙管に手を伸ばした。


窓の外に人の気配を感じ、彼女は小さく嗤う。


「本当に、どいつもこいつも不器用だねえ」





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