(3)
夜も深まり始めた時刻、咲が部屋を出たのを見て琥轍は目を細めた。彼女はきょろきょろと辺りを伺いながらゆっくりと歩き出す。
琥轍は咲が犯人だとは思っていない。しかし、瀧蓮が話していた通り不審な点が多いのは事実。
こうして夜中にこっそり部屋を出る彼女を、冷静に見極めなければと自分に言い聞かせて後をつける。
咲はどの部屋に入るでもなく、ただひたすら廊下を歩き続けた。
何故か同じ場所を何度もぐるぐる回り、迷ってしまったのではと思い始めた頃。咲は膝をついてその場にすとんと座り込んだ。
途方に暮れている彼女の表情を見て、琥轍も疑う気を無くして話しかけようと一歩を踏み出す。
しかし別の人の気配を感じて再び物影に隠れれば、呉仂がそっと咲に話しかけた。
途端に安心しきった顔をする咲。どうやら本当に迷子だったらしい。
彼女は庭を探していたと話し、2人は並んで歩きだす。
そして場所は庭へと移り、琥轍がそろそろ戻ろうかと考え始めた頃。突如現れた男に琥轍の反応が遅れた。
男は真っ直ぐ呉仂を狙って槍を振りかざし、次に咲を狙って突進する。
肉の裂ける音が響いた。
血が槍を伝って地面へポタリと落ちた。
「葵杏っ!!」
物影から飛び出した琥轍は腰の剣で敵を切り捨て、すぐに咲の元へ駆け寄る。
ぐったりと動かなくなった彼女の柔らかい肌に突き刺さった槍。抜くと血が余計に流れるのでそのままに、琥轍は千切った自分の服の袖で患部を抑えた。
「呉仂!医者を!!」
「ええ、すぐに!」
真っ青な顔をして走り出す呉仂を見ると、琥轍は咲をあまり動かさないようにゆっくりと持ち上げる。彼女の顔には既に血の気がない。
どくどくと流れる血は温かく、咲が倒れていた場所には赤い水溜まりができていた。
「・・・っ、すぐに医者が来るからな!」
手近な部屋の扉を足で乱暴に開け、寝台へ槍が刺さったままの咲を下ろす。
かろうじて息をしているものの、その呼吸は風前の灯でごく僅か。瞳は固く閉じられていて、睫毛はピクリとも動かない。
「くそ・・・っ!」
彼女を疑う暇があったらもっと別の事に注意すればよかったのに。もっと早く身体が動けば助けられたかもしれないのに。
琥轍の後悔はどこまでも止まず、咲の青白い手を握りしめる。
「お待たせしました!」
バタバタと慌ただしく数人が部屋へ流れ込んできた。琥轍は治療の邪魔にならないように手を離して後退する。
あっという間に医者達に取り囲まれる咲。
「傷が深いな」
「急いで縫合しなければ」
「血液をこれ以上失わなければいいが・・・」
「道具を」
始まる処置を琥轍は黙って見守るしかない。ずっと動かずに見つめていたが、優しく肩を叩かれて琥轍は振り返った。
微笑んでいる呉仂は酷く優しげな声で彼を慰める。
「大丈夫ですよ、葵杏殿はお強い方ですから」
「・・・ああ」
後は医者と咲の生命力に賭けるしかない。
琥轍は再び視線を戻し、咲の手術が終わるまでその場を動かなかった。
ぼんやりとした意識の中で、咲は自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。温かくて心地の良い声。
「・・・琥轍?」
まだはっきり姿を捉えたわけではなかったが、咲は擦れた声で彼の名前を呼ぶ。徐々に明らかになる視界には咲を見下ろしている琥轍の微妙そうな表情があった。
「ったく、やっと起きたか」
喉が乾いて上手く声を出せない咲は何のことかと首を傾げる。
しかしやけに気だるい身体と引きつるような腹の痛みに気を失う前の出来事を思い出した。
琥轍は痛みで顔をしかめる彼女に苦笑しながら、額に濡らした布を置き直す。
「何があったか覚えてるか?」
「・・・うん」
彼の腕に支えてもらいながら上半身を起こし、小さめの湯のみに入っている白湯を飲み干す咲。2杯ほど飲み終わると、再び寝台に横になった。
「死ぬかと思った・・・」
「そりゃこっちの台詞だっつの」
心配かけさせやがってと言われた咲は小さく笑い、それを見た琥轍が彼女の額を指で弾く。
医者が省邸に常駐していて処置が早かったために助かったが、もし遅れていたら本当に命を落とすところだった。槍の刃が細かったことも幸いして、なんとか一命を取り留めた咲。
「どれくらい経った?」
「2日」
「う・・・また琥轍サボらせちゃった・・・」
「それだけ軽口が叩けるなら大丈夫だな」
琥轍はぐしゃぐしゃと咲の頭を撫ぜる。
咲は頬を膨らませて不満そうな顔をした。本当は日帰りで王宮へ戻るはずが、もう既に2日もオーバーしてしまったのだ。ちゃんと仕事が回っているのか不安になる。
「三足長には連絡入れといた。
犯人は・・・ごめん、本当は生け捕りにしなきゃいけなかったんだけど」
咲が刺されて気が動転した琥轍はあっさりと切り捨ててしまった。死人相手では名前も目的も聞き出すことができない。
咲は小さく首を横に振る。
「謝らないでよ、琥轍が悪いんじゃないんだから」
「その通り」
慰めの言葉を自分で肯定した琥轍に彼女は目を丸くする。そして琥轍の視線が厳しいものに変わり、嫌な予感がした咲は布団の中で縮こまった。
「分かってるだろうなあ、葵杏」
嫌味っぽく、明らかに怒りを抑えているかのような口調。
「な、なにが・・・」
「夜に1人で居るんじゃねえって、俺は何度も注意したはずだよなあ?男と2人きりになるなとも、気をつけろとも言ったよなあ?」
「うっ・・・」
始まった説教に咲はさらに布団に潜り込もうとするが、琥轍は咲の肩を掴んで身動きが取れないようにする。
笑顔のまま話す彼が逆に怖い。
「死体を見つけたかと思えば今度は刺されやがって、命いくつあっても足りないだろ。
それともなんだ?お前は男を吹っ飛ばせるほどの怪力の持ち主か?空を飛ぶ能力でもあんのか?」
「ははは・・・御冗談を」
「冗談じゃねえ!!」
大声で怒鳴られた咲はひいいいと心の中で悲鳴を上げながら目を閉じた。覚悟していたが実際に目の当たりにすると本当に怖い。
「仕事の心配する前に自分の心配しろ、ド阿呆!!死んだら取り返しがつかねえんだぞ!?わかってんのか!?
こんな場所で真夜中に1人でうろうろしやがって!!殺してくださいって言ってるようなもんだろうが!!何回注意すれば分かるんだ!!」
「は・・はひ・・・」
咲、涙目。
病人をこれ以上泣かせるわけにもいかず、琥轍は大きなため息をついて未だに治まらない怒りを鎮める。
「まったく、お前と居たら心臓持たないっつの」
呆れ返ったような口調で呟くように言う琥轍。
咲は嫌われてしまっただろうかと、身を捩って布団に潜りながら奥歯を強く噛みしめた。彼の言葉が胸に突き刺さるように痛い。琥轍の言うとおり、咲は彼に迷惑かけてばかりだと反省する。
仕事を一生懸命頑張ることで居場所を得られたつもりだったが、実はいらない存在なんじゃないだろうかと咲は思い始めた。
元々違う世界の人間、いなくなっても悲しむ人はいない。
――――帰ろう。
これから先何があっても日本へ帰る。そう咲は決意を新たにした。
向こうの世界では帰りを待ってくれている人がいる、悲しんでくれる人がいる。必要とされて生きることができる。
もう二度と、琥轍に迷惑をかけることもない。
「ごめんなさい、琥轍」
無表情で謝る咲を、琥轍は怪訝な顔で見遣る。
「葵杏?」
「もう二度と迷惑かけないって、約束するから」
咲は何もわかっていない。
琥轍は脱力しながら頭を抱えた。迷惑をかけられたから彼は怒っているのではない、危機意識に欠ける彼女を心配しているだけなのだ。
無防備で誰とでもすぐに仲良くなれる所は咲の長所である。しかし、それは逆に短所にもなる。
「・・・もういい、俺も言いすぎた。
俺は葵杏の変に頑固で無防備なとこ嫌いじゃないよ」
「え、え?何言い出すの突然・・・!」
思いもしなかった返答にぎょっとする咲。
彼女の中では迷惑をかけないと約束をして、その約束を楔に揺れ動く自分を繋ぎ止める予定だった。
しかし、琥轍はまったく異なる方へ話を持って行く。
「もういいよ、迷惑かけるなり好きにすりゃいい。
その変わりずっと俺が見張ってるからな。覚悟しろよ?」
「へ?」
「いくら獰猛な犬でも首輪はめてりゃ怖くないってこと」
「私・・・犬なの!?」
大声を出してしまった所為で傷が痛み、咲は身体を丸くして呻き声を上げる。琥轍は困ったような顔をしてお腹を押さえる咲の手の上に自分の手を重ねた。
吃驚して顔を上げる咲。
「琥轍・・・?」
「傷痕・・・残るだろうな」
「そんな顔しないでよ。傷痕のひとつやふたつで嫁の貰い手が減るような女じゃないわよ、私」
強気な発言に琥轍はぷっと笑いを漏らす。
「そいつはすげーや」
「ちょっと今馬鹿にしたでしょ!」
「いやいや、真面目に」
「・・・顔が真面目じゃないわよ」
そうか?ととぼける琥轍に咲はため息を吐いた。
傷痕なんて彼女にとっては大した問題じゃない。傷よりも、今は心の方がずっと痛いのだから。
帰ると決意した途端に、悲しくなるのはなぜだろうか。きっと帰っても帰らなくても後悔するんだろうなと咲はおぼろげに思う。
例え不可抗力であってもここで生活したという事実は変えられない。当然愛着もある。そして、大切な人もいる。
「なんだよお前、失恋でもしたか?」
「し、失恋?」
咲は両手で顔を抑え、そんなに酷い表情をしていただろうかと不安になった。琥轍から失恋したみたいだと言われたくらいだから、相当悲しそうな表情だったに違いない。
困り果てている咲に再び琥轍は笑う。
「冗談だって。傷が痛むんだろ?」
「・・・うん、痛い」
今は心の痛みも、傷の所為にしてしまおう。
咲は溢れだす涙を我慢することなく、腕で目を覆って静かに泣いた。
今度は琥轍がぎょっとする。
「そんなに痛むのか?医者呼ぶか?」
「・・・・いい、いらない」
声も低く愛想のない返事だった。もう放っておいてほしいと言外に訴えている。
しかし琥轍は咲の背中に手を回ると、傷に障らないようゆっくりと持ち上げて上半身を起こさせた。
目をぱちくりさせる咲の目尻には、大粒の涙。
「本当に、葵杏は変な奴だな」
「変・・・?」
「変」
思っていることが全て顔に出る、怪しさの欠片もない普通の女の子。無防備で自由で泣き虫で、どこにも変わった所はない。
なのに、戸籍さえ見つからない正体不明の女。
琥轍は優しく咲の背中を撫でながら、不思議そうに見つめてくる彼女を眺める。
「早く傷、治るといいな」
「う、うん・・・」
「俺は仕事があるから先に帰るけど・・・」
わかってる、と咲は頷く。本当はすぐにでも帰らなければならなかったはずだ。
もう彼女が目覚めた以上、琥轍まで一緒に省邸に留まる理由はない。
「警備も厳重にしてある。医者もずっと省邸にいる。大丈夫だな?」
「うん、ありがとう」
咲は涙を拭きながらへらっと笑った。
琥轍が居ないほうが今は楽だ。離れている間に気持ちの整理もつくだろう。
「動けるようになったら呉仂が送るから。
それまであんまり無茶するなよ」
「はーい」
「じゃあ、俺行くから」
咲を横たえると、ガタンと椅子の音を立てて立ち上がる琥轍。そのまま扉に向かって歩き出したが、ふと何かを思い出したかのように振り返る。
「あのさ、葵杏」
「何?」
「お前は自覚が足りないんだ」
急に説教じみた口調になり、咲は「はあ」と返事をする。
「政治の世界は男だらけなんだぞ。
つまりお前は狼の群れの中に放たれた小羊みたいなものなわけ」
「うん・・・?」
「ちゃんと警戒しろよ?
あんまりぼけっとしてると――――食うぞ」
「へ?」
目を点にしている咲を残して、「じゃーな」とあっさり帰って行ってしまった琥轍。
咲は先ほどの言葉の意味を考えた。
食うということはつまり、そういうこと。
理解した途端に真っ赤になり、誰もいない部屋で1人うろたえる。
「え・・・・え?・・・・えええええええええ!?」
その後あまりにも大きな咲の絶叫を聞きつけて、省邸中の医者たちが慌てながら部屋へ駆け込んで来たのだった。




