(1)
宴会の片づけは準備以上に大変だった。酒の匂いが漂う中、散らかった杯や皿、食べかけの料理などを一纏めにしていく。
そして全てを終えた頃には、終業時刻が迫っていた。
咲は腰に手を当てながら呻く。
「腰痛い・・・、ハンパない・・・」
「俺も疲れたー!仕事辞めたいー!」
「うー、礼部の新人は毎年毎年これで何人か脱落するんだよなあ。
せめて他の部からも人手借りられたら楽なのに・・・」
伸びをしながらぶつくさと文句を言う礼部の人達。
咲は最後に掃除道具を仕舞うと、後ろに立っている人物に気がついて頭を下げた。
「あ、礼司、お疲れ様です」
「葵杏、今少しいいだろうか」
話があると言われ、咲は「はあ」と彼を見ながら頷く。礼司は彼女を見下ろしながらゆっくりと話し始めた。
「祝相は宴会の準備が終われば暇になる。
そこで葵杏の雑用を祝相から三足に変更する」
「ああ、なるほど。わかりました」
確かに祝日までの祝相の仕事量はとてつもなかった。なぜなら祝相の仕事は国主催の催し物の準備が大半を占めるからである。
最大の行事が終わってしまえば暇になるのは当然で、雑用の咲の手を借りなくても仕事が回るようになったわけだ。
「知っていると思うが、三足の仕事は諸侯との連絡や接待が主だ。
しかしそれは非常に知識が必要で難しいため、葵杏は補佐に回ってもらう」
「具体的に何をすればいいんですか?」
「三足と特定の諸侯との癒着を防ぐため、決まった担当はない。三足長が来た仕事をその時々で振り分けている。
彼に指示を貰い、従うように」
「はい」
明日からは三足か、と思いながら礼司の背中を見送る。
お世話になるならば挨拶くらいはしておいた方がいいだろうと、咲は三足の大部屋へ向かった。
三足の部屋は祝相の部屋と違ってよく片づけられている。それなりに忙しいと聞いてはいるが、祝相や神官よりもずっと仕事時間に余裕のある部署だ。
官吏たちも切羽詰まって仕事をすることはなく、今まで鬼のように働いていた咲にはちょっとした天国に感じた。
「三足長!」
宴会で始終気分が悪そうだった三足長だが、今日の顔色はそんなに悪くない。彼は咲に気づくと、やあと手を上げて微笑んだ。
「話は聞いてるよ、明日からよろしく頼むね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
深く頭を下げると、咲の肩へとあちこちから腕が伸びてきてぽんぽんと叩かれる。
「葵杏が来るなら仕事が楽になるなあ」
「久しぶりに連休が取れそうだ」
歓迎されて嬉しさ半分、恨めしさ半分。彼らはこれからがっつりと咲をこき使う気だ。
琥轍は苦笑しながら、肘で彼女を突いた。
「三足へようこそ、働けよ雑用」
「わかってるわよ。
覚悟しなさい、私は誰だろうがサボってる人には容赦ないからね」
「おー、こえーこえー」
ケラケラ笑う琥轍を微笑ましく眺めているのは三足長。彼はじゃあ、とゆっくり咲に話し始める。
「葵杏には琥轍の補佐についてもらおうかな」
「「ええええええ!?」」
「仲良さそうだし、ね」
見事にハモって三足長に詰め寄る咲と琥轍は、信じられないと言った目でお互いの顔を見た。嫌ではないけれども、プライベートで仲が良いからこそ仕事で組むのは違和感がある。
「大丈夫、琥轍はこれでも優秀だから」
「そういう問題ですか・・・いえ、いいですけども・・・」
がくり、と肩を落として項垂れる咲。
上司の命令を断るわけにはいかないだろう。一緒に居る時間が増えることでいろいろ思う所はあったが、仕事は仕事だと割り切るしかない。
琥轍はやれやれ、と先輩風を吹かせながら口を開く。
「仕方ないな、俺が手取り足取り教えてやるよ新人」
「なんかイラッときた、すごくイラッときた」
「照れちゃってー」
頭を激しく撫でられる咲は、髪がぼさぼさになっても三足長の前なので怒鳴らなず青筋を作って耐える。しかし咲が反抗しなかったことで、逆に三足長の目には2人が仲良く映ってしまったのだった。
「明日琥轍は・・・確か氏州だったね」
「はい、呉仂ん所です」
「葵杏も一緒に同行するといい」
「わかりました。えっと・・・地上ですよね?」
そうだよ?と三足長が返答し、咲は少し緊張感を覚えた。彼女は最初から天上に居たので地上へ降りるのは初めてだ。
それに地上には友達の歩乃花がいる。もしかしたら、幸子も。
「久しぶりに友達に会いたくなったか?」
ニヤリ笑いする琥轍に、咲はうっと言葉を詰まらせてから返事をする。
「そりゃ会いたいけど、仕事で行くんだから。遊びじゃないのよ?」
「せっかくだから寄ってもいいんじゃん?」
ですよね三足長、と琥轍は上司を味方につける。
しかし咲は異世界人だと知られてはならない。それが玉闇との約束。琥轍の前で異世界の友達である歩乃花に会いに行くわけにはいかなかった。
「いいの、今日はもう帰りましょう。
三足長もそろそろ終業時間ですよ。身体壊す前に早く帰った方がいいです」
「ああ、そうだね。お疲れ様」
ふらふらとした足取りで部屋を出ていく三足長を見送り、咲は琥轍の方を振り返る。
彼はまだ何か言いたそうに、ぼりぼりと頭を掻きながら咲をじっと見ていた。
「どうしたの?まだ仕事残ってる?」
「いや・・・あのさ、葵杏」
「ん?」
言い辛そうに話し始める琥轍。咲はなんだろうかと首を傾げながら彼の言葉を待つ。
「その・・・友達紹介して欲しいんだけど・・・」
「・・・・・・・・・」
咲は無言で目をパチクリさせる。琥轍はまずかったかなあと心の中で反省したが、彼女がにっこり笑ったのでほっとして彼も笑顔になった。
にこにこと笑い合う2人。
「琥轍」
「なんだ?」
「くたばれ」
空気がピシリと固まり、冷たい風が吹き抜ける。
咲は笑顔のまま毒を吐くと、琥轍を残して1人去って行った。
「あーあー、駄目じゃん、琥轍。女心を分かってないねえ。
女紹介しろってことはお前なんか眼中にないぜってことだろ?そりゃ葵杏も怒るさ」
「・・・うるせーよ」
肩を組んで慰めてくる同僚を、琥轍は鬱陶しそうに払いのけながら低い声を出す。
「葵杏も女の子なんだからさ。
傷つけた以上は、ちゃんと謝っとけよ?」
「そういうつもりで言ったんじゃないんだけどな・・・」
琥轍は盛大なため息を吐き、咲を追いかけようと歩きだした。
翌日。
びゅーっと春風が吹く王宮の外で、咲は真っ青になりながら下を見た。
王宮を支えている岩山の螺旋階段。これを降りなければ地上には行けない。
「嘘でしょ・・・」
民家はほとんど点にしか見えないほどに高い山。咲の体力で――――人間の体力で降りられるような階段には見えなかった。
「葵杏?
なにやってんだ、行くぞ」
「まさか・・・歩いて行くの?」
「大丈夫だって、下に牛車用意してるから」
下まで行くのが問題なんだけど、と咲はひくひくと頬を引きつらせてもう一度階段を見る。さっさと階段を降り始めた琥轍の姿がだんだん遠くなり、彼女も仕方なく腹を括って後を追った。
駆け足で階段を降り始めた咲。
しかし、次にあるはずだった一段が無くなって前のめりに倒れる。
「おい!大丈夫かよ!」
「い、いたた・・・」
「ビタンッ!ってすごい音したけど」
顔から見事に地面へ突っ込んで行った咲は、打った額を摩りながら顔を上げた。ところが彼女の目に映ったのは階段ではなく、何故か平らな大地。
よくよく考えてみれば、頭から倒れ込んだのに階段を転げ落ちなかった時点でおかしかったのだ。
「え?・・・ええ!?」
「葵杏、血が出てる」
「階段は!?ここ・・・・地上!?」
「頭打っておかしくなったか?」
琥轍は咲の額からダラダラ流れる血を手布で拭ってやりながら心配そうに言う。
初めから天上に落ちてきた咲には知る由もなかったが、螺旋階段には特殊な術が施してあった。招かざる者は術を受けることなく、階段を登り切る前に体力が尽きてしまう。
咲や琥轍は正式な“使者”として術書に名を連ねてあるので、簡単に登り降りができたのである。
「え、えっと・・・、ごめん大丈夫」
「痛いと思うけど、医者に連れてってやるからそれまで我慢してな」
「医者!?いい!大丈夫だって!」
必死に笑いながらも悲鳴を上げそうなほどの痛みに襲われる咲。額の部分が綺麗に裂けているので無理もない。
しかし恥ずかしい所を見られてしまった手前、あまり大事にしたくない咲は素直に頷けなかった。
「駄目だって、傷痕残ったら大変だっつの」
「でも仕事は?」
「急ぎじゃないから平気、ほら」
琥轍が押さえていた手布を自分で持ち、咲は彼の手に引かれてゆっくりと立ち上がる。頭だけではなく膝も擦りむいているらしく、ズキズキ痛む足に顔を顰めた。
咲は口にしなかったものの、琥轍は裂けた服を見て気付く。
「手のかかる新人だな。よいしょっ」
「ぎゃあああ!!」
「暴れんなって!」
足の裏に回った腕が咲を持ち上げると、ふわりと宙に浮かぶ彼女の身体。
予告なく抱き上げられた咲は顔を真っ赤にして四肢をバタバタさせる。
「お、下ろしてよっ!」
「牛車についたら下ろすからさ、それまで我慢しろよ。すぐそこだから」
そのまま歩き始めた琥轍に咲は緊張のあまり身を強張らせた。彼の胸板が顔の真横にあり、今にも叫び出したい気分だ。
無言が気不味く感じ、咲は話題を見つけて口を開く。
「・・・重くない?
私、最近太ったかなーって」
「重い」
「やっぱり下りる!」
「冗談だって。酒樽に比べたら全然軽いから」
酒樽と比べられて微妙な気分になる咲。もうちょっとマシな例え方をしてほしかったと心の中で愚痴った。
まるで乾燥した砂漠のように固い土と小さな石ころしかない地面。少し先に大きな門が見えて、その奥に琥轍が用意したらしい牛車が見える。
門の横には甲冑を着た兵士が居た。彼らは天上と地上の入り口を見張る門番だ。
「お疲れ様です」
いつもは頭を下げる側なのに下げられる側になって変な気分になる咲。
牛車に着くと、琥轍は約束通り咲を下ろし中に入る。咲も段差のある足場に苦労しながら中に乗り込んだ。
「狭っ」
「んー、まあこれ1人乗りだからさ」
琥轍の身体が大きいこともあり、足を折り畳まなければならないほど広さに余裕がない。咲の立てた膝から血が滴るのを見て、琥轍は自分の裾で患部を抑える。
「ごめん、服汚しちゃって」
「気にしなくていいから、それより早く手当てしないと。
あんなに派手にコケた奴見たの初めてだ」
「悪かったわね!」
咲とて螺旋階段に術がかけられていることを知っていたら転んだりはしなかった。しっかり者の咲は怪我すること自体が久しぶりで、なんだか情けない気分になる。
「・・・本当、ついてない」
「ドジなんだな」
「私だって転んだのは久しぶりなの。
普段はそんなことないんだから」
「仕事に関しちゃ認めるけど、普段は隙が多すぎると思うぞ?」
もしかしたら日本人独特の危機感の無さというやつだろうかと、咲は普段を振り返りながら考える。いかんせん平和な国で育ったものだから、この世界の人達とは基準が違うのかもしれない。
がったごっとと牛車が動き出す中、咲は肩を竦めてため息を吐いた。
「わかった、気をつける」
「ん」
えらいえらいと琥轍に撫でられ、咲は頬を膨らませて彼を睨む。
狭い牛車の中、彼の笑い声は良く耳に届いた。