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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
3話・祝日
13/49

(4)




春風が優しく頬を撫でる午後。


咲は琥轍に連れられて、来たこともない細い道を通っていた。見せたいものとは一体なのなのか答えない彼は、興奮した様子で咲の手を引いて行く。


「もうすぐだ!」


慣れない場所への不安や期待と繋いでいる手の温もりに、緊張しながらも心臓を高鳴らせる咲。落ちつこうとすればするほどこの状況を意識してしまっている。


溢れ出すものが止まらない。


「先に登るからな」


「え!?」


行き止まりかと思えば、目の前の梯子をよじ登り始めた琥轍。咲は驚きながらも、上から手を伸ばす彼の手を掴んで梯子に足を掛けた。

裾を引っ掛けないように気をつけながら一段一段をゆっくりと登る。


ぐいっと持ち上げられて顔を出すと、そこは屋根の上。普通の建物は瓦の敷かれた三角屋根が多いが、ここだけは平らで上に登れるようになっているようだ。


風が少し強かったけれども、薄らと赤らみ始めた空がとても綺麗で咲は感動した。


「すごい!高いね!」


「ほら、始まったぞ!」


何が?と問う咲。琥轍が指差した方を見れば、何か巨大な生き物が波打ちながら空を泳いでいる。

見たこともない姿形に彼女は目を点にした。


しかし驚いている間にも、その不思議な生物はどんどんこちらに近づいて来る。


「今年は何匹出るかなあ」


「毎年!?」


「え?」


「いや!なんでもない!」


琥轍の独り言に思わず返事をしてしまった咲は笑いながら誤魔化した。


徐々に夕暮れが始まる空、大きな体躯を揺らしながら飛んでいるのは“龍”。


2人が見ていた一匹が王宮の近くを横切ると同時に、別の方角から違う色の龍が何匹も現れる。


「天上で見る龍の舞はすげえだろ?」


得意気に話す琥轍だが、咲は返事を返す余裕もなく息を飲んで見つめていた。まるで屏風から出てきたかのようなその迫力に、空を埋め尽くすその存在に圧倒される。


空を自由に舞う龍。王宮の周りをぐるぐる回る龍。昇ったり降りたりを繰り返す龍。

色も緑や白や金など様々で、それぞれが違った顔立ちをして個性があった。茜色の空によく映え、気持ち良さそうに飛んでいる。


咲にはまだ目の前の光景が信じ難かった。

王宮が雲の上にあることも驚いたが、地球を見下ろす景色なら写真やテレビで何度も見たことがある。だけど空を舞う巨大な生き物など日本には存在しない。


地球には、存在しない。


「すごい・・・ね・・・。

すごい・・・遠いんだね・・・」


―――――なんて遠いところまで来てしまったのだろう。


見たこともない生物を目の前にして、咲は唐突にここが異世界なのだと実感した。

いくら頑張って働いても、いくら仲の良い人が居ても、ここは自分の世界ではない。そう痛感して涙が止まらない咲。


「葵杏・・・?」


「・・・ごめん、なんか感動して・・・」


心配そうに顔を覗き込んできた琥轍に嘘をついた彼女は、罪悪感を覚えながら静かに泣き続ける。


生まれ育った家の匂いも、通い慣れた学校の制服も、どこを探したって見つからないのだ。過去に生きていた痕跡がない、異世界人だという自分の境遇があまりにも寂しかった。


無条件で愛情を注いでくれた家族が恋しい。会いたい。帰りたい。


「葵杏・・・」


―――――帰りたくない。


「大丈夫、ほんと最近涙もろくって。すぐ落ちつくから気にしないで」


ふわりと温かく大きな身体に包まれて、咲の止まりかけていた涙がぽろぽろと零れ出す。背後に回った筋肉質の腕は、宥めるように何度も背中を摩った。


今はこの優しさが、何よりも辛い。この胸の高鳴りが、何よりも怖い。

故郷が恋しくて恋しくて仕方ないのに、琥轍が与えてくれる温もりを離せなくなってしまいそうで。


「早く泣き止めよ。せっかく綺麗にしてんのに、化粧が崩れたら勿体ないだろ」


「うう・・・優しい琥轍なんて気持ち悪い・・・」


「むかー」


涙で化粧が滲んで酷い顔だろうなと思いながら、彼にこれ以上気を使わせないよう咲は一生懸命に笑う。

しかしその笑顔は逆に痛々しく、琥轍は武骨な人差し指で優しく目尻の涙を拭った。


「あんまり泣いてると、龍が心配するぞ?」


「・・・龍って心あるの?」


「あるだろ、そりゃ。この国を守ってくれる守り神なんだから」


それが龍神の国と呼ばれる所以。

龍だの神だのスケールの大きな世界だなあと、咲は妙に感心して頷く。


夕闇の空にはまだ龍たちが踊るように空を飛んでいた。そして琥轍の言うとおり、まるで咲を慰めるかのようにくるくると2人の頭上を舞っている。

威圧的な顔立ちなのに可愛らしく思えてきて、咲は思わずクスリと笑みを漏らした。


「綺麗だな」


「・・・うん」


鱗は陽の光を受けてキラキラと輝く。まるで宝石のようだと咲は思い、ふと顔を見上げると銀色に輝く琥轍の髪が見えた。

日本でも銀色に染めていた人が居なかったわけではない。しかし、どんなに脱色を繰り返してもこんなに綺麗には仕上がらない。


「琥轍の髪も綺麗だよ」


「んなもんいつでも見られるだろ」


呆れたように言う琥轍だけれど、咲は再び寂しさが込み上げてきて苦笑する。本当にずっと見られたならいいのに、と。


夕日が沈むにつれて一匹、また一匹と地平線の向こうへ消えていく龍。


「今年も見事な龍の舞だったな」


「・・・そうだね」


咲は大きく息を吐きながら、彼らが去っていく姿を琥轍と一緒に最後まで見送った。

















げほげほと激しく咳を繰り返す三足長。青白い顔で彼は医務室の寝台で横になり、申し訳なさそうに口を開く。


「すまなかったね、紫和さん・・・ごほっ・・・。

せっかくの祝日を・・・」


「いいえ、官吏の皆様は普段仕事をしてらっしゃるんですもの。

今日くらい気を使わずにお過ごしください」


「・・・・ありがとう」


にっこりと笑う彼女につられて、三足長も微笑んで礼を言う。


「他に必要な物はございますか?」


「いや・・・大丈夫だよ。私も少し休んでから、ごほっ・・・部屋に戻るから」


「では私は失礼します。

本当に、無理なさらないでくださいね。良くならないようだったら、このまま医務室に泊ってください」


「ああ、・・・お疲れ様」


彼女は小さく会釈をすると、三足長が休んでいる医務室を後にした。


既に時刻は龍の舞が終わって宴会がお開きになった後。官吏たちはほとんど帰ってしまい、暗い廊下に人通りはない。

静寂の中で聞こえるのは後宮へ向かう彼女の衣擦れの音と足音のみ。


しかし角を曲がったところで“ダンッ!!”と大きな音が響き、何者かの腕で進路が塞がれてしまった。


彼女は目を見開いて壁に手を突いている男を見上げる。


「あの・・・何の御用でしょう・・・」


上から睨みつけるように鋭い視線を寄こすのは御史大夫。後宮の女官とは何の縁もない人物だった。

しかし彼は怒りを露わにして低い声を出す。


「ふざけるな」


「え?」


「俺は騙されない」


彼女は目を見開いていた後ゆっくりと細め、眉間に皺を寄せながら口角を上げる。それは優しく官吏たちに酌をしていた彼女からは想像できないほどの、邪悪で含みのある笑みだった。


「気付いたの?

すごいじゃないか、尚泉も気付かなかったのに」


清純そうな容姿には似つかわしくない妖艶な声は、まるで嘲笑うかのような口調で言葉を紡ぐ。

瀧蓮はますます厳しい顔つきになり、彼女を見る視線をより鋭くする。


「・・・上手く化けられたとでも思ったのか」


「化けるだなんて失礼な」


―――――ただ化粧を落としただけなのだから。


玉闇は参った、とでも言いたそうにヒラヒラと両手を上げた。


「今まで誰にもバレなかったんだけど・・・。

すごいねえ、愛の力かねえ」


「ふざけるな!」


皮肉る彼女に瀧蓮は怒鳴る。

しかし彼女の言った事に嘘はなく、彼は自覚した途端に言葉を失って歯を食いしばった。酌して回る少女が玉闇だと気付いたのは、紛れもなく彼女を見続けていた証拠なのだ。


何が目的なのかと問いたださなければならないのに、こんな状況でも目の前にいる玉闇へ心奪われる自分が情けない。


「情け・・・ないっ。なんでお前などに!」


尚泉に対する尊敬や返しきれないほど大きな恩を、たかが妾の女1人のために揺るがされる。

しかもその女は、国に害を成すしれない危険な人物。御史大夫として裁かなければならないかもしれない人だった。


玉闇は自分自身に怒り狂う瀧蓮をじっくり観察しながら、腕を組んで壁の方に寄り掛かる。


「今までいろんな色恋を見てきたけれど、お前のは随分重症らしい」


「黙れ!」


「先に話しかけてきたのはそっちだろうに」


言い返す言葉も見つからずに、瀧蓮は黙ったまま顔を反らした。

クスリと微笑み、玉闇は少し背伸びして彼の顔を覗きこむ。


「手伝ってやろう。

どうすれば私のことを嫌いになれる?」


「・・・うぬぼれるな」


「真面目な話だよ。あまり私の周りをうろうろされると目障りだ。

出来る限りで協力してやるから、早く忘れなさい」


瀧蓮は反らしていた顔をゆっくりと戻し、熱の籠った青い瞳で玉闇を見つめる。


「嫌いだ、陛下に群がる害虫など誰が」


嫌いなどと言いながらも、瞳から消えることのない情熱。玉闇を渇望しているのにそれを認めることができない瀧蓮を、彼女は首を傾けながら哀れな目で見上げる。


「難儀なこと。

認めようが認めまいが苦しいことに変わりはないのに、お前は頑固だね。いくら目を背けようと同じなんだよ。

せいぜい苦しんで、どうするかは自分で決めることだ」


玉闇は進路に立ちふさがっていた瀧蓮を避け、後宮に向かって歩き出す。

しかしすれ違う所で立ち止まり、彼女は振り返らずに口を開いた。


「気が向いたら私の部屋に来るといい。

一度くらいなら抱かれてやっても構わないよ」


「・・・・っ、陛下を裏切る気か!」


「その言葉、そっくりそのまま返してやろう」


もうお前はとっくに裏切ってるじゃないか、そう言い残して玉闇は夜の闇に消えていく。


独り残された瀧蓮は、もう一度拳で強く壁を殴った。


















部屋へ戻った玉闇はひとつ息を吐くと、化粧台の前に座った。

鏡に映るのは見慣れない顔。まるで清純な乙女のような容姿に、玉闇は鼻で自分を嗤う。


「どこから道を間違えたんだろうね、紫和」


最初は違った。心までもが全て美しかった。他人の為に心を砕き、自らの純潔を守るために死に物狂いで働いていた過去。

幼いなりに必死で考えた情報屋という職業は、花街という醜く淀んだ場所で己を穢さずに生きていくための知恵だったのだ。


しかし人間の心の闇を覗くうちに、純粋だった心は醜く曲がり、曲がり、曲がり切って、どうしようもない所まで来てしまった。もう既に堕ちるところまで堕ちてしまっている。

人の心を弄び、嘲笑い、玩具のように使い捨て、そうやって穢れ尽くした自分が楽しくて仕方ない。


ところがふと、昔の自分が語りかけてくる。頭の中で叫ぶ。どうして、こんなことになってしまったのだ、・・・・と。


醜く歪んでしまった自分を嘆き、悲しむもう一人の自分。それはかつての美しかった自分。


「醜い、醜い、醜いっ!!」


玉闇は手を振りかざして鏡に映る自分を殴った。

ガシャンッと大きな音を立ててひび割れる鏡。しかし、尚も自分の姿が映っている。より歪んで、より醜く。


血だらけになった手を握りしめ、卓上に額をつける玉闇。


自分を想って苦しんでいる瀧蓮が滑稽なことこの上ない。いくら見ても飽きない、面白い玩具。

いちいち玉闇の反応を見て戸惑う姿を思い出し、彼女は喉を鳴らして嗤った。


「愛してほしいかい?瀧蓮」


だったら、探してごらん。


闇の中にある、そのまた闇を。

深淵の最奥に眠る、もう一人の自分を。





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