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天高く龍出づる国ありて  作者: 伊川有子
3話・祝日
10/49

(1)




玉座の間に入った咲は目を点にした。

広い、という一言では表せないほどとてつもなく広い。


さすがに日本の東京ドームのような何万人もの人が入れるほどではないが、軽い野球場くらいの面積はある。


「葵杏、突っ立ってないで運べー」


「はーい!」


次々に運ばれる長いテーブルと椅子。

祝日の宴会の準備は、当然礼部である咲たちの仕事だ。手が空いている者は全員駆り出され、宴会に必要な物資を運び込む。


進めていくうちにだんだんとその全容が明らかになり、咲は思わず顔を綻ばせた。


「うわー、本当に大宴会って感じ!」


「そりゃあ、祝日だからなあ」


返事を返したのは重そうな酒樽を抱えている琥轍。


この国の祝日とは、休暇ではなく名前の通り祝う日らしい。春長月の1日は玉座の間に天上人がほぼ全員集まって酒を飲み交わす。

その圧倒的な規模に咲は再び嘆声を漏らした。


「準備は大変だけど楽しみー!」


「覚悟しとけよ、葵杏は女だから酌で大変だと思うぞ」


「えー!?せっかくの祝日なのに!」


宴会当日まで働きたくはない、と咲は不満そうに文句を垂れる。


「仕方ないじゃん、女が少ないんだから」


「うー・・・」


バリバリと王宮内で仕事をこなす女性は後宮の女官以外では咲くらいしかいない。そもそも政治は完全な男性の独擅場であり、王の推薦が無ければ咲も働くことはできなかった。


宴会において女官はほとんどが裏方に回るため、咲のように堂々と席につくことのできる女性はあまりいない。

しかし酒を注いでもらうならばやはり女性が好ましいため、咲が当日にあちこちから呼ばれるであろうことは簡単に想像がつく。


「憂鬱だわ・・・」


「大丈夫だって。いくら酔っ払っても無い胸なんか誰も揉まねえ―――――イデッ!!

危ないっつの!!俺今酒樽持ってんのに!!」


容赦ない咲の蹴りに琥轍は冷や汗をかきながら酒樽を抱え直す。

咲は毎度のことながら怒り狂っていた。ただの蹴りだけでは気が済まない。


「自業自得よ、琥轍のドアホ!」


気にしているのになんてデリカシーのない男だと、咲は鼻息荒くドスドスと足音を立てて歩く。

一方で琥轍は久しぶりに元気そうな咲の様子を見て、笑いながら肩を竦めた。


ドスンと重たい音を立てて地面に下ろされる酒樽。男性一人でやっと運べるほどのこれが、当日には何十何百と消費されるのだ。

琥轍は右手で左肩を掴みながらぐるぐると肩を回す。


「あー、肩凝るー・・・」


「あんたみたいな筋肉馬鹿でも重いのね」


「当たり前だろ、これすっげえ重いんだから」


しかも持ちにくいだのなんだのとぶつぶつ文句を言う琥轍。

しかしそれよりも咲の耳に入って来たのは別の人達が話している内容だった。


声の主は咲たちと同じく宴会の準備をしている礼部の男たちだ。


「聞いたかよ、昨夜また陛下が妾んとこ行ったって」


「羨ましいなあ、あんな良い女囲えるなんて」


「でも下人だぞ?いくら妾だからって前代未聞だろう。

貴妃は怒ってるだろうなあ、自分よりも下人を寵愛してさ」


後宮に妾と呼ばれる身分の者は冥昌しかいない。

自然と咲は琥轍との会話を中断して聞き耳を立ててしまう。


彼らの会話のほとんどは玉闇や下人に対する侮辱。彼らからすれば地の民は自分たちが支配している人間という認識しかなく、尚泉が寵愛している玉闇を許せないのだ。


調子に乗っている。勘違い。身の程知らず。

似たような言葉の羅列にくだらなさを覚えると同時に怒りが沸き起こる咲。


じっと聞き入っていると、彼女の耳元に琥轍がにょきっと顔を出した。


「言いすぎじゃん?」


「うわああ!いきなり耳元で話さないでよ!」


「なんだ、葵杏は耳が弱いのか」


「うるさいわね!真面目に言ってんのよ!」


顔を真っ赤にしてワタワタと手を上下に振る咲。集中している時にいきなり耳元で声が聞こえたのだから驚いて当然だ。

琥轍は面白いくらいに動揺する咲が可笑しくてクスクスと笑う。


「ごめんごめん。

まあ、冥昌様も大変だよなあ」


「何が?」


「百葉に目をつけられて。

あの人気性荒くて怒るとおっかないから」


百葉とは誰だろうか、と一瞬首を捻った咲。しかしその名前はなんとなく聞いたことがあるような気がする。

それもそのはず、後宮で最も強い権力を持つこの国の妃の名前なのだから。


咲もすぐに思い出して目を丸くした。


「琥轍、貴妃と知り合いなの?」


「知り合いもなにも・・・姉弟だし」


「え″!?」


咲は蛙が潰れたような声を出す。


「歳がだいぶ離れてるけどな。

ってか俺あの人苦手」


「はあ・・・」


よくよく考えてみれば百葉と琥轍は同じ銀髪。しかも顔立ちも雰囲気もどことなく似ている。

タイプは違うけれど、血の繋がりがあると言われて納得できるくらいには共通点が多い。


しかし咲にはそこでひとつの疑問が生じた。

百葉が後宮の要である貴妃になれるくらいの身分を持っているのに、一方で琥轍は三足。諸侯との連絡係である三足は地上に降りる機会が多いため、官吏の中でも身分が低い方に当たる。

琥轍ならば百葉を頼りに、もっと位が高い部署へ異動することだってできたはずではないのか。


「なんで三足なんかやってんのよ」


「特に意味はねえけど・・・・仕方ないじゃん、人事は自分じゃ決められないんだし。

それに俺は今の所が気に入ってるからいいの」


「ふーん、まあいいけど」


本人がいいと言うならばいいのだろう、咲はそう納得した。


「お前は?」


急に琥轍に聞き返されて、へ?と咲は間抜けな声を出す。


「だから、お前の家族は?

親戚の家にお邪魔してたんなら、義理の兄弟くらいいただろ?」


「ああ・・・うん、いた・・・けど、あまり仲良くなれなくって・・・」


「・・・そっか」


琥轍の声が急に小さくなった。

咲は何かまずいことでも言っただろうかと不安そうに彼の顔色を伺う。


彼女の視線に気がついた琥轍は明るく笑った。


「ま!宴会当日は楽しみにしてろよな!

いいもん見せてやるよ」


「いいものって?」


「それは秘密」


ニヤリと口角を上げる琥轍。聞いてもこれ以上は答えてくれないと悟った咲は、大きくため息を吐いて腰に手を当てる。


「まあいいわ。さっさと酒樽を運びなさい」


「わかってるっつーの」


「さあ、運ぶ運ぶ」


まだまだ準備は終わらない。

きっと片づけも大変なんだろうなと、咲は終わった後のことを考えて憂鬱になった。

















瀧蓮が筆を置いたちょうどその時、会釈をしながら静かに琥轍が入室してきた。

顔を上げた瀧蓮に睨まれ、琥轍はきゅっと唇を噛みしめながら彼の前に立つ。


御史台の仕事場は本宮から少し離れた場所にあり、中でも御史大夫に与えられた部屋は人気のない一番奥。

しんと静まり返った2人きりの場所で、琥轍は緊張しながら頭を下げた。


「申し訳ありません、遅れました」


「・・・報告は」


たった一言であったが、彼が苛立っているのがよく分かる。眉間の皺も心なしかいつもより多い。


「はい、今のところ動きはありません」


「不審な点は」


「いささか常識に疎いくらいで・・・・、あとは事件後少し元気がなかったくらいでしょうか。

長官、戸籍の方は―――――」


「ない」


琥轍ははっと息を飲んだ。一粒の汗がつーっと額から流れ落ちる。


そして彼は唇を震わせ、顔色を青くしながら声を出す。


「ま・・・さか、そんな」


「ないものはない」


きっぱりと淀みなく言い切る瀧蓮。

彼の言葉が信じられない琥轍は、身を乗り出して机に手を置いた。


「何かの間違いでは!?」


「慎重に調べた上での結果だ。

何度探しても“葵杏”という人物の戸籍は見当たらない。―――――あの女もだ」


あの女、という言葉に琥轍は思い当たる人が居た。新しく後宮へやって来た、冥昌という名の妾。

彼女は未だ正式な手続きを踏んでおらず、それは陛下の所為なのだが、戸籍上召し上げられていないので今までは公に調べることができなかった。


しかし、前僕が殺された事件を機に調べざるを得なかったのだ。


葵杏も、冥昌も、被疑者として名の挙がっている者。

そしてその2人は共に戸籍が存在せず、それどころか地上で生活していた痕跡すら見つからない。


琥轍は言葉を失って小さく首を横に振る。

いくら怪しい人物だとしても、自分の知る葵杏が犯人であるとは信じ難かった。


「陛下に報告してもこの件には興味を示してくださらない。

御史台で地道に調べるしかないだろう」


「陛下が良いと仰っているなら・・・」


途中まで言いかけたが瀧蓮に睨まれて琥轍は押し黙る。


「とにかく、引き続き葵杏を監視するんだ」


「護衛、では・・・」


「“監視”だ」


「・・・・はい」


琥轍は短い沈黙の後頷く。


「もういい、去れ」


「失礼しました・・・」


静かに出ていく琥轍を見送り、瀧蓮は机の上で拳を握った。胸の中で渦巻くものが抉るように感情を巻き込んで、抑える術が見つからない。


瀧蓮は立ち上がると部屋を出て早歩きで向かう。あの人に会うことのできる場所へ。


「長官、お疲れ様で・・・」


すれ違いに挨拶を交わす人は瀧蓮の表情を見て固まる。

彼の放つ凍てつくような空気に、皆は口を閉ざして後ろ姿を見守るしかない。


風の強い日だった。


靡く裾にも苛立ちながら、辿りついたのは内庭の端。玉闇の部屋が見える場所だ。

偶然にも彼女が窓から顔を出していて、すぐに瀧蓮の存在に気がつく。


今日も彼女は嗤う。全てを見透かしているかのように、その余裕を示すかのように。

日が暮れてどんなに辺りが暗くても、その瞳は遠目で分かるほどに煌々と輝いていた。


手には彼女が愛用している煙管。窓の桟に腰を下ろしながら淡々と煙をくぐらせている。


言葉は交わさない代わりに全てを物語るのは、お互いの瞳。


会えたからといって問題が解決するわけではないが、足は勝手にここまでやって来た。何故か無性に、玉闇の姿を目に焼き付けたいと思った。


しかし彼女に会うと同時に、瀧蓮の脳裏に尚泉の姿が浮かび上がる。自分の最も尊敬する人物の姿が。


「尚泉」


玉闇の形の良い唇が初めて動いた。同時に瀧蓮は我に返って焦る。

玉闇の部屋に尚泉が来たのだ。思い返せばもう既に後宮へ渡る時間になっていた。


彼女は窓に座ったまま部屋の中に居る人物へ手招きをする。


「おや、こんなところでどうしたんだい?」


ひょっこりと顔を出す笑顔の尚泉。

瀧蓮はすぐに視線を落として膝を折り、額を頭につけて叩頭する。


「そんなところにいないでこっちへ来なさい」


「陛下、後宮は男子禁制です」


「固いこと言わないで。誰も見てないから平気だよ」


何も知らずににこにこと笑う尚泉が恨めしい。

どんなに近づきたくても近づけない、近づいてはならないと葛藤していたのに。そのためにこの場所へ来て、己を戒めていたのに。


それなのに瀧蓮の主は、この手すりと溝を超えよと言う。踏み越えてはならない、最後の一線を。


力の限り強く握りしめた拳が痛む。


「・・・・申し訳ありませんが、仕事がございますので」


御前を失礼します、と彼は立ちあがって暗闇の中へと消えて行った。尚泉と玉闇の、2人の視線を背に受けながら。




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