(1)
曇りひとつなく晴れ渡った日には、天に聳え立つ王宮が見える。まるで浮かんでいるかのようなその建物を支えているのは、途方もなく高い岩の山。その山そのものが王宮まで続く螺旋階段となっており、地上からの唯一の入り口であった。
平和で平凡な住宅街の中、どこかそわそわと落ち着きのない男たちが頭を寄せ合っていた。今にも倒れそうなほど真っ青な顔色をした彼らを、通りすがりの人々は奇妙な物を見る目付きで見遣る。
「馬鹿やろう・・・!!なんで無くしたりしたんだっ!!」
声を押し殺しながら罵倒され、責められている男は半ベソをかきながらひたすら謝る。
「すいません、すいません・・・!」
「おい、やべえぞ・・・、このままじゃ俺達・・・那刹に殺されちまう」
「やめろ、その名前を出すんじゃねえ・・・!」
1人の男が出した“那刹”という言葉が、彼らにより恐怖をもたらし空気が凍りついた。辺りを警戒しながら人に話を聞かれぬようにと、あまり人通りの少ない路地裏に場所を変える。
「とにかく、どこで無くしたか覚えているな?」
「はい・・・!功州に入るまではまだありました!」
「目を離した場所は?」
「は・・・花街にちょっとだけ気を取られてて・・・・」
馬鹿やろう!!と再び罵声が飛び、男は固く目と口を閉じて頭を下げた。
しかしいくら謝っても状況は変わらない。彼らは冷静になって思考を切り替える。
「盗まれたか、もしくは間違って持っていかれちまったか・・・だな」
「まだそんなに時間は経ってない。片っぱしから荷台を改めりゃいい」
「無理だ。そんな派手な真似をすれば那刹に本当にバレちまうぞ」
再び男たちの会話を止めた那刹という言葉。
すると今までは黙っていた1人の男が、ここで初めて閉ざしていた口を開いた。
「・・・情報屋を頼るしかねえ」
男の発言は那刹という言葉と同様に、空気がピシリと音を立てそうなほどその場を凍りつかせる。他の男たちは無理やり笑いながら震える声で反論した。
「はっはっは・・・、冗談言ってる場合じゃねえだろ」
「金を儲けるどころか・・・身ぐるみ剥がされちまうぜ」
「でもよお・・・。
那刹にバレて殺されるよりも、多少の銭を払ってでも確実に回収できる方に賭けた方がいいんじゃないのか?」
「・・・・俺はこいつに賛成だ」
「俺も・・・」
賛同者がぽつりぽつりと現れ、男たちは視線を交えて無言のまま肯定を促す。
そして最後に1人、決して首を縦に振らなかった男も、ガシガシと頭を掻きながら大きな声を出した。
「あーもう、仕方ねえ!
大赤字は覚悟の上で情報屋に頼もう!!」
「決まりだな、急いで行こう」
「まさか日の高いうちから花街に足を踏み入れる日が来るとは・・・」
「全くだ」
「俺は情報屋に依頼する日が来ると思ってなかったよ」
「そうだなあ、確かに情報屋についての噂はあまり聞かねえからな。
まあ、確実に仕事をこなすのは確かだろう。あれさえ取り戻せりゃいいさ」
噂の情報屋とはどんな人なんだろうかと、男たちは不安と僅かな期待に胸を高鳴らせながら花街の門を潜る。一歩手前側は商店街で賑わいがあるのに、昼間の花街は閑散としていた。
昼夜が入れ替われば人の流れも入れ替わる。夜になれば人通りのない商店街とは対照的に、花街が賑わうのだ。
「あー、あんまり目立ちたくねえのになあ」
「すぐそこだ。できるだけ顔を見られるなよ」
「んな無茶言うなよ。目立つだろうが、どう考えても」
身を寄せ合って寝静まった花街を歩く男たち。
道の途中で現れたひときわ大きく豪華な造りの宿を、最初に気付いた男が人指し指で示す。
「あれだ、情報屋のいる売春宿は」
「・・・行こう」
それ以降は誰も口を開かぬまま大きな建物の中へ入って行く。普段訪れる売春宿とそう変りないはずだったが、人が居ないせいか、全く違う場所に見えた。
「・・・なんの御用かな?」
「ひいっ!!」
突如現れた老婆に驚き固まる。
一方で老婆は男たちを品定めするかのように見回し、ニヤリと右口角を上げた。
「情報屋に御用だね?」
コクコクと首を縦に振る男たち。老婆は付いて来な、と左にある扉を開いて長く続く廊下を歩きはじめる。
売春宿は赤を基調とした色合いが多いが、廊下は黒・青・紫などの暗い色が多い。それが逆に情報屋へ来たのだという実感を促し、男たちの緊張を高めていた。
「どうぞ、こちらへ」
「悪いな、ばあさん」
「くれぐれもお気をつけて」
老婆が最後に残した意味深な言葉を反芻しながら、彼らは丸くなって打ち合わせをする。
「わかってるな、絶対に怒らせるような真似をするんじゃないぞ?」
「当たり前だろ。んなの命がいくつあっても足りねえよ」
「口が立たない奴は極力黙ってるんだ。質問されても下手に答えるなよ」
「よし、じゃあ開けるぞ」
重たい音を立てながら開く大きな扉。
向こう側に部屋が現れるかと思いきや、また似たような廊下が続いていた。しかし、突き当りに扉がある。
「ここだな」
次こそは、と大きく息を吐いて扉を開ける。
部屋はあまり広くなかったが家具が一切なく、向こう側に薄い布のようなものが天上から御簾のように降りていた。薄暗く人の気配がないため、男たちは不安になりながらゆっくりと足を踏み入れる。
「すいやせん、お邪魔します」
「・・・誰かいねえのか?」
返答がなく、誰もいないのではないかと思い始めたその時。
薄い布の向こうで何かのシルエットがむくりと起き上がり、男たちは飛び上がるほど驚いて一歩後退した。
「依頼かい?」
妖艶な女の声が薄暗い部屋に響く。
売春宿の情報屋、玉闇。
彼女はこの花街を支配し情報を売ることで莫大な富を得、また彼女の操る影はありとあらゆる場所で人々を監視しているのだという。
逆鱗に触れれば最後、戸籍からも世間からも完全に名前を消すことになる。その膨大な情報量で天上人の覚えも厚く、玉闇の発する一言でこの国の根幹を揺るがすことさえ不可能ではない。
また彼女のように裏社会で絶大な力を持つ人物が4人おり、総称して〝闇の四帝〟と呼ばれている。
無論彼女も闇の四帝の一人であり、情報で人を操る謎多き人物であった。
布の所為で姿は見えないものの、他者を圧倒する独特の雰囲気があり、男たちは喉を鳴らして生唾を飲む。
「はい、玉闇様に依頼をお願いしたくて・・・」
「だろうねえ。
あんたたち、違法な薬を売りさばいてる奴らだろう?」
簡単に言い当てられてしまい、彼らは冷や汗を流しながら引きつった愛想笑いを浮かべる。
しかしこれを逆に持ち上げるチャンスだと捉えた男は、手を合わせながら姿勢を低くして話を始めた。
「さすがは玉闇様、お耳が早い。
実は我々が運んでいた荷が何者かに盗まれてしまいまして・・・」
「そりゃあ、大変だこと」
面白そうに喉を鳴らして笑う玉闇。
男たちは助けてもらえるのかとヒヤヒヤしながら彼女の出方を伺う。
「那刹に知られたら命はないだろうねえ。あの男は自分の商敵には容赦がない」
「はい、それで那刹の旦那にバレないようにすぐにでも薬を取り戻したい。
薬の在処さえ調べていただければいいんです」
那刹とは玉闇と同じく闇の四帝のうちの一人、この国で裏商売を牛耳る大商人の男の名前である。
彼のやり方は狡猾で容赦がなく、商敵がいれば即座に存在を消す。よって表に出てこない品々の商売は全て彼が牛耳っていた。
もしここに居る男たちが違法な薬を売買していたと知れば、間違いなく那刹は問答無用で始末しにかかるだろう。
しかし彼らには四帝の魔の手から逃れられるほどの力はない。バレる前に薬を回収しなければならず、同じ四帝である玉闇を頼るしか方法が見い出せなかった。
「自業自得であろう、裏社会の規則を破ったのはお前たちだ」
玉闇の発言に冷汗を流す男たちだが、例え正論でも引くわけにはいかない。
「そこをなんとか・・・。金はもちろん払いますんで」
「そうだねえ、じゃあ前金で十万」
目玉が飛び出るような大金に、顎が外れるほど大きく口を開けて固まる男たち。もちろん薬を売って得た利益はあっという間に吹っ飛んでしまう。
そして彼女が提示したのはあくまで前金。後で別のお金を払わなくてはならないのだ。
沈黙した彼らを無視して玉闇の口は止まらない。
「これはもちろん薬の在処の情報の金だよ。那刹に関しては一切関与しないからね。
それから情報の秘密保持料に一万五千」
「な・・・そんな!?」
「当たり前だろう。
那刹にあんたらのことを教えればいい金になる。わざわざ黙って協力してやってるんだから、損益分を払うのは当然だ」
「前金で十一万五千・・・」
それは大人が5年間楽に暮らせるほどの額。体からはすっかり血の気が失せ、今にも目眩を起こして倒れそうだ。
それでもやはり、玉闇に縋るしか道がない。それを見越してのこの金額だろう。
「あ・・後で払う金はいくらで?」
「さあ、情報の内容によるね。
ざっと見積もって二十万くらいか」
「わかりました」
即答した男に別の男が「おい!」と非難の声を上げる。二十万ともなれば男たち全員で借金しても払えるか払えないかの額。一方的にふっかけられて、そう易易と頷けるものではない。
ここはじっくり交渉して少しでもまけてもらわなければと耳打ちするが、首を縦にふった男は声を小さくすることもなく否定する。
「交渉は無理だ」
「三十万だぞ!?」
「三十万で命が助かるなら、それでいいじゃないか」
「生き残ったってそんな大金払えるかよ!」
「死ぬよりもマシだろが!」
「んだと!?」
一触即発の雰囲気に他の男も加わり、とうとう全員で喧嘩が始まった。突如始まった仲間割れに玉闇は「おやおや」と面白そうに高みの見物。
結局暴力沙汰にはならず彼らの話は纏まるが、それでも数人は未だに納得のいかない顔をしている。
「とにかく、前金を払おう。金の工面は俺がなんとかする」
「そうだな、後のことは後で考えるしかねえ」
懐からありったけの金を出し、天井から垂れる薄布の手前で山積みになった金貨を押しやった。
「受け取ってください。足りない分の前金は後で持ってきますんで」
「・・・・いいでしょう」
「そんじゃあ、・・・・よろしくお願いします」
頭を下げると疲れきった様子でとぼとぼと来た道を引き返す。
扉が締まり完全に部屋から誰もいなくなったところで、玉闇はパチンと扇を鳴らした。するとどこからともなく全身黒づくめの男が現れ、方膝をついて頭を垂れる。
「はっ、お呼びでしょうか」
「あの者たちを始末しておいで」
実は最初から助ける気などなかった彼女。大きな金額をふっかけたのはただ彼らの顔色を見て楽しんでいただけ。
那刹と同じく裏社会に生きる者として、秩序を乱す者を野放しにするわけにはいかない。いくらお金を積まれても、受けることのできない依頼もある。
「承知」
男は一言だけ返事をすると音もなく消えた。
しかし入れ替わりで同じような格好をした男が現れる。
「玉闇様、ただいま戻りました」
「おや、おかえり。お疲れだったね」
「は。
実は朴州の衛士から小耳に挟んだ情報が」
「朴州の?」
朴州と言えば西の隅にある田舎。ほとんど山しかなく人の出入りも実りも少ない土地だった。
「はい。なにやら、面妖な女子が空から降ってきたとか・・・。
今は牢に閉じ込めているそうですが、わけのわからないことしか話さないそうで」
「ここに連れておいで。
嫌がるようなら無理やり攫っても構わん。・・・・が、殺すな」
「は・・・はっ。」
即答した玉闇に返事が遅れる。
男の姿が消えた後で、彼女は深く息を吐いた。
「面妖・・・か。まさかねえ」