1.そもそもの発端は
夏休みも半ばにさしかかり、各教科から出された課題を急ピッチで終わらせるべく、ジー、ジー鳴く蝉の声とジリジリ照り付ける太陽の下、朝から図書館へやって来たわたし。
人気のない自転車置き場に自転車を止めて、汗ばむ顔をハンドタオルでぬぐいつつ、課題の詰まったバッグを小脇に抱えると、玄関ロビーの方へ向かったそのときに、
グニャリ
と視界が揺らいだ。
それと同時に眩暈と耳鳴りが起きたので、熱中症にかかったのかなぁ、と内心焦りながら、症状が多少治まることを祈りつつ、倒れこまないように地面に膝を着き、頭を下げ、そのまま大人しくしていると、不快音を感じる耳に微かに言葉を聴き取った。
「……………か…の………大丈…かの………大丈夫かの。われの声が聞き取れるかの」
穏やかで低い、老成した男性の声が聞こえた。
「は……い、平気です…落ち着いてきました」
目と耳が正常になるにつれ、耳が周りの音を勝手に拾うけれど、あれほどうるさく鳴いていた蝉の声がしないことに気付いた。ゆっくり開いた目に入った地面に映る自分の影はやわらかい。それに肌に焼け付くような暑さを感じない。むしろ爽やかな心地よさだ。もしかして意識を失くして先程の声の持ち主に木陰かどこかに運んでもらって、手当てを受けているのだろうか。
慌てて体を起こし、そのまま声のした方へ向けて、お礼とお詫びを言おうと口を開け…開けたまま目の前の光景を凝視した。
真っ先に視界に入ったのは広い空間だ。野球場がすっぽり入るほどの広さだろうか。バッと天井を見上げると、とても高い、というより見えない。さらに照明器具が見当たらないのに、この広さを照らせる柔らかな光源があるのか、十分見渡せる。おかげで壁が見えるから外ではないことは確かだ。
そして何より驚くべきは、金属製の飾りがついた長い杖やら、装丁のしっかりした分厚い本やら、豪華なリング、多分額に着けるサークレット、凝った意匠の鞘に納まったままの剣やらが、わたしから少し離れたあたりにぐるっと取り巻いているのだ…フヨフヨ宙に浮いて。
「夢…か。なんだ、ああびっくりした。暑かったからなぁ。早く目を覚まさないと。課題半端なく多いし。こういうときどうすれば起きるんだろ。普通、現実で目覚ましが鳴って、とかでおはようなわけだけど、夢の中で鳴らしても効くのかな。でも浮いている中には…う~ん、無いな」
何かないかとそのままスッと視線を下におろしたときに、先程まで現実で持っていたバッグとそっくりの物が足元に落ちているのを見つけた。
バッグを開けて中身を確認すると、やはり同じものがそのまま入っている。
「あ、そうだ、携帯の目覚まし機能でいいじゃ…「そろそろ話してもよいかの?」
携帯を探していたそのままの体勢で、ギギギと視線を戻すと、浮いていたモノの中から1本の杖がこちらに向かってくるのが見えた。
「突然すまんのう。お前さんにたの…「杖が飛ぶだけじゃなくて、話してるし~。あたしそんなに現実逃避したかったのかなぁ。今度皆と夢とファンタジーな世界がうりのテーマパークに遊びに行こうかな」
「嬢ちゃんや、話は最後まで聞くものだと教わらんかったか」
「人の話はね。杖じゃないよ」
「まあ、よい。われはガーラン・ザズ・レジャネリィインクス、見ての通り杖じゃ。おぬしの力を借りたくての、少々こちらの世界へ来てもらった」
このじじくさい杖がこの夢の世界のナビなのね。
「なに、用が済めば無事に“チキュウ”と呼んでおったかの、ここに来る前におった場所と時間にピタリと還すから安心せい」
召喚設定のお約束よね。
「記憶はいじれんが、体の方は帰還した際にその時間軸の年齢に準じた姿に戻るはずじゃ。しばらく違和感が有っても、そのうち治るからの」
これもそう。やっぱり、わたしって想像力貧困なんだ。
「ここまではよいかの? 嬢ちゃんに遮られたときに言おうとしたんじゃが。実はわれらのメンテナンスをしてほしいんじゃ」
「パス。次の設定自分で選びたいなぁ。夢なんだし」
「夢ではないぞ。先程おったときと寸分違わぬ恰好じゃろうが。持ち物もそのままじゃ」
「そんなもの自分の夢の中なんだもん、いくらでも再現できるよ」
「むぅ。な、なればその手にあるケータイはどうじゃ。まだあちらとかろうじて繋がっておる、何かやり取りしてみるとよい」
「え~、なんでわざわざ証明なんて面倒なことしなくちゃいけないの~」
「はようせい、召喚陣が消えてしまうぞ」
杖が上部の飾りをシャラシャラ鳴らして急かす。
「分かった、分かったってば、もう。けどさぁ、これが情報端末だなんてよく知ってるね。あ、そっか、夢だもん、ご都合主義ね。オーケー、オーケー。でもねぇ、なんにアクセスすれば証明できるか…あ、もうお昼過ぎてんの、じゃあ、ワンセグつないで生番のバラエティー見ればいっか。確か今日のトークゲストは女優の……」
小さな画面にメイン司会者と隣に座っている今日のゲストの顔が映し出されたとき、理解した。
現実なのだと。
ここは異世界だと。
ひとりなのだと。
その事実をしっかり受け止めた途端、とてつもない恐怖に襲われ、呆然とする。体中から油汗が流れ、夏の暑さで火照っていたはずなのに寒くて仕方がない。ギュッと自身を抱きしめるが、何の効果もない。
プツッと電波が途切れ、画面が黒くなったのを見て、はっと我に返った。
杖はまだ繋がっているからって言ったよね。
慌てて地面を見れば、確かに魔方陣らしきものが外円から消えかかっている。それを把握するや、杖の柄を両手で握りしめ、揺さぶりながら、
「全部消える前にわたしを元の場所に還してっ、ねぇ早くっ、もうほとんど消えっちゃてる! ほら、還るんだからっ、急いで」と叫んだ。
「お、落ち着くんじゃ。ほれ、われがさっき言ったことを思い出してみぃ。ちゃんと還すと約束したはずじゃ。い、いたた、痛い、痛いぞ、嬢ちゃんや、ちぃと手を緩めてくれんかの。われはデリケートなんじゃ、そんなに乱暴に扱うもんではない」
何やら杖がわめいているらしいが、わたしは必死に冷静さを取り戻そうと、柄を握りこんだ手に額をくっつけ、わたしを宥めるために杖が発した「還す約束」という言葉を何度も何度も脳内で繰り返し。
そして、ゆっくり深いため息を吐いて、現実に舞い戻った。
握りこんでいた手を放してもらえてホッとした様子の杖をギロリと睨んで、
「わたしをわざわざ別世界から呼べるくらいの力があるなら、自分たちの世話くらいできるんじゃないの」と冷ややかに問いかけた。
「メンテナンスとなれば各々を構築しておるパーツをばらしての作業じゃ。そこに稀有なわれらの力を使ってみぃ。ばらけた同朋がおかしな反応を起こして暴走、なんてことになりかねん。おまけにわれらとて完璧な状態からほど遠い。最悪、連鎖反応を起こしかねんのじゃ。嬢ちゃんを呼び寄せることができたのは、これだけおったんで暴走制御と召喚に力を割けたおかげじゃて。これ以上はわれらのメンテナンスが終わらねば、界を越える大技なんぞできんよ。じゃからな、嬢ちゃん」
ずいっと上部を傾け、伸し掛かるようにして、声は朗らかに言葉を紡ぎ続ける、
「われらの面倒を頼んだからの」と。
今や眉間のしわはマックスまでより、握りしめた掌に爪が食い込むのが分かるほど。
「こ、この、クソじじ杖~っ」
こうしてわたしの波乱の日々は幕を開けたのだ。
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