第九話「駒を揃えろ、橋部洋二の準備」
初陣から一ヶ月が経った。
東の砦での勝利は、橋部家に大きな変化をもたらした。羽鳥国の当主・羽鳥宗継から直々に感状が届き、橋部家の石高が増やされた。志願兵も増え、以前は四十だった橋部家の兵力が、今では六十に届こうとしていた。
しかし洋二には、それで十分だという気持ちが微塵もなかった。
斥候の報告が入っていた。
鷹羽国が動いている。東の砦での敗北に怒った鷹羽国の当主・鷹羽烈道が、今度は五百の軍勢を整えているという。前回の倍以上だ。
六十対五百。
ゲームで言えば、装備も練度も足りないまま最強ボスに挑むようなものだ。
準備が要る。
洋二は父・左近を訪ね、執務室の前に立った。
「入れ」
左近は文机の前で書状に目を通していた。洋二が入ると、静かに筆を置いた。
「報告か」
「提案です」洋二は正面に座り、一枚の紙を差し出した。「兵の増強と、装備の刷新を行いたい」
左近は紙を受け取り、目を走らせた。そこには洋二が書き記した計画が細かく記されていた。
「まず兵の数ですが、現在の六十では鷹羽国の次の侵攻に対応できません。最低でも百二十は必要です」
「そんな数をどこから集める」
「三つのルートを考えています」洋二は指を一本立てた。「一つ目は近隣の村からの募兵。橋部家の名が上がった今なら、以前より集まりやすい。二つ目は羽鳥国の当主へ増援を要請する。感状をもらった今が頼み時です。三つ目は――」
洋二は少し間を置いた。
「妖精族との正式な同盟を結ぶ」
左近の眉がかすかに動いた。
「妖精族か」
「リナを通じて族長とは繋がりがあります。正式な同盟を結べば、妖精の斥候能力と風魔法の使い手を戦力として加えられます。数は少なくても、情報収集と魔法支援は橋部家に足りない部分です」
左近はしばらく黙って息子を見ていた。
「……妖精族が人間の家と同盟を結んだ例はない」
「だから価値があります。前例のない手を打てば、敵は対応できない」
左近は紙をゆっくりと置き、腕を組んだ。
「やってみろ。ただし妖精族との交渉はお前が直接行え。俺が出るより、お前の方が話が早いだろう」
「わかりました」
翌日、洋二はリナに話を持ちかけた。
縁側でいつものように並んで座り、洋二が単刀直入に切り出した。
「族長に会わせてほしい。正式な同盟の話をしたい」
リナは少し驚いた顔をしたが、すぐに真剣な表情になった。
「……族長はずっと洋二のことを見ていたって言ってたから、きっと会ってくれると思う。でも」
「でも?」
「族長は気難しいから」リナは耳をぺたんと伏せた。「言葉には気をつけて。妖精族は人間に軽く見られることを嫌う」
「わかった。対等な同盟として話す。上下関係は求めない」
リナは少し安心したように頷いた。
「じゃあ明日、山に連れて行く」
翌朝、洋二はリナと二人で山に入った。
北の大岩を目印に進み、さらに奥へ分け入ると、木々の密度が増し、空気が変わった。湿った土の匂いに、かすかに花の香りが混じる。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。
そこには小さな集落があった。木の上に家を作り、地上には石を組んだ広場がある。十数人の妖精が洋二を見て距離を取ったが、リナが何か短く言うと、警戒の色が少し薄れた。
広場の中央に、一人の人物が立っていた。
白髪にリナより長い耳。年齢は見た目ではわからないが、纏う空気が違った。静かで、重い。
「橋部洋二か」
低い声だった。性別も判然としない。
「はい」洋二は真っ直ぐ目を見て答えた。「橋部家の跡取り、橋部洋二です。族長にお会いできて光栄です」
「光栄などいらない」族長は洋二を値踏みするように見た。「リナから話は聞いている。同盟を結びたいと」
「はい。対等な同盟です。橋部家が妖精族の領域を守護する代わりに、情報の共有と魔法の支援をお願いしたい」
「人間が妖精族の領域を守護する。口では簡単に言えるな」
「口だけでは信用されないことはわかっています」洋二は続けた。「だから条件を一つ加えます。同盟を結んだ後、もし橋部家が妖精族の領域を侵した場合は、同盟を即時破棄していただいて構いません。縛るのは橋部家だけでいい」
族長は沈黙した。
リナが横でそっと息を呑んでいる気配がした。
長い間があってから、族長は静かに言った。
「リナ、この人間をどう思う」
「……信用できます」リナは迷わず答えた。「洋二は約束を守ります。私が保証します」
族長はリナを見て、それから洋二に視線を戻した。
「いいだろう。同盟を結ぼう」族長は右手を差し出した。「ただし妖精族は命令には従わない。あくまで協力だ」
「それで十分です」
洋二は族長の手を握った。
リナが隣で、耳をぴょんと跳ねさせながら笑った。
同盟が成立した翌週、洋二は募兵を開始した。
近隣の村を回り、橋部家への参加を呼びかける。初陣での勝利の話はすでに広まっており、思ったより反応はよかった。二週間で三十人が集まった。
しかし数が揃っても、練度が伴わなければ意味がない。
洋二は集まった兵たちを三つのグループに分けた。
前衛、後衛、そしてゴーレム支援班だ。
前衛は剣術と槍術を中心に鍛える。後衛は弓と投石の精度を上げる。そしてゴーレム支援班は、洋二のゴーレムと連携して動く専門の部隊だ。ゴーレムが盾になる場面、囮になる場面、突撃する場面。それぞれの状況で人間の兵がどう動くべきかを、洋二は一から叩き込んだ。
「ゴーレムは万能じゃない」洋二は支援班の前で言った。「動かせる数に限りがある。魔力が切れれば止まる。だからお前たちがいる。ゴーレムの穴を埋めるのがお前たちの役割だ」
兵たちは最初、十五歳の若様の言葉に戸惑いを見せたが、洋二が実際にゴーレムを動かして見せると、その目が変わった。鉄の人形が人間と同じように動き、剣を振るい、盾を構える。その光景は、何度見ても圧倒的だった。
「若様の下なら戦える」
そう言い始める兵が増えた。
装備の刷新も同時に進めていた。
橋部家の鍛冶場で、洋二は霊鉄の加工技術を応用した新しい武器を設計していた。
通常の鉄より軽く、魔力を通しやすい霊鉄は、武器としても優れた性質を持つ。洋二は霊鉄を芯に使い、外側を通常の鉄で覆った複合素材の剣を試作した。軽くて折れにくく、洋二の遠隔操作魔法とも相性がいい。
「こんな剣、見たことがない」
鍛冶師の源爺が試作品を手に取り、唸った。
「霊鉄は加工が難しいのに、よくこんな構造を思いついたな」
「前世の知識だ、と言っても信じないだろうからな」洋二は心の中で呟いた。実際には「複合素材の概念はゲームで散々見てきた」というだけだが。
「試作品を十本作れますか」
「時間をくれれば。霊鉄の量が問題だが」
「山の鉱脈を使っていいと父上から許可をもらっています」
源爺は試作品をもう一度眺めてから、力強く頷いた。
「任せろ。腕が鳴る」
二ヶ月後、橋部家の戦力は大きく変わっていた。
兵の数は六十から百十へ。妖精族の協力者が十五人加わり、実質的な戦力は百二十五。装備は霊鉄複合剣が十本、弓兵は精度が上がり、ゴーレムは壱弐参の三体に加えて新たに四号「肆」が完成した。肆は機動力特化型で、戦場を高速で駆け回る役割を持つ。
そして何より、兵たちの目が変わっていた。
初陣での勝利、洋二の指揮、ゴーレムの力。それらを間近で見てきた兵たちは、橋部洋二という指揮官への信頼を積み上げていた。
ある夜の訓練後、洋二は一人で中庭に立ち、星を見上げた。
百二十五。まだ足りない。鷹羽国の五百には届かない。だが地形と戦略を使えば、勝ち目は十分ある。
「また考え事?」
リナが隣に来た。いつの間にか、リナが隣にいることが当たり前になっていた。
「準備の最終確認をしていた」
「もう十分じゃない? みんなすごく強くなったよ」
「十分かどうかは戦ってみないとわからない」
「……洋二って、絶対大丈夫なときでも不安そうな顔するよね」
「慢心したら負ける。ゲームでも戦場でも同じだ」
リナはくすりと笑った。
「ゲームって何度か言ってるけど、何なの?」
「……前世の遊びだ」
「前世?」
「気にするな」
リナは少し首を傾げたが、深く追求しなかった。耳がゆっくりと揺れる。
「洋二が準備万端だって言うまで、私もずっと一緒に練習するよ」
洋二は前を向いたまま、小さく言った。
「……ありがとう」
リナが驚いたような顔をするのが、視界の端に見えた。洋二がお礼を言うのは珍しかったかもしれない。
だが今夜は素直にそう思った。
駒が揃いつつある。仲間が増えた。信頼できる力が手元にある。
次の戦いで、橋部洋二の本当の指揮を見せる。




