第八話「初陣、指揮官の目覚め」
東の砦が見えてきたのは、出発から半日後のことだった。
砦は山の中腹に築かれた小さな要塞だ。木と石を組み合わせた簡素な造りだが、東からの侵攻を防ぐ要衝として機能してきた。しかし今は、その周囲に鷹羽国の軍旗がいくつも立っている。
斥候からの報告が入った。
「鷹羽国軍、およそ三百二十。砦の東門を破り、現在内部へ侵攻中。羽鳥国の守備隊は北側の塔に立て籠もっています」
左近は馬上で腕を組んだ。
「本隊と合流してから正面突破か」
「父上」洋二が口を開いた。「少し待ってください」
左近が視線を向ける。
「正面から行けば三百二十対百五十です。数の差を埋める前に押し切られます」洋二は砦の地形を頭の中で展開した。「鷹羽国軍は今、砦の内部に主力を集中させています。外に残っている兵は後詰めの五十程度のはず。今なら外の後詰めを各個撃破しながら、砦の裏口から入れます」
「裏口など地図にはないが」
「あります。三年前に父上から借りた古い測量図に記載がありました。普段は使われていない搬入口です。幅は狭いが、兵が一列で通れる程度はある」
左近は沈黙した。
参謀格の家臣・堂島が口を挟んだ。「若様、しかし敵が裏口を抑えていた場合は」
「その場合の対処も考えてあります」洋二は堂島を見た。「ゴーレムを先行させます」
作戦はこうだ。
まず壱と参の二体のゴーレムを先行させ、砦外の後詰め五十人の注意を引く。人間ではない動く鉄の人形が現れれば、敵は混乱する。その隙に橋部家の二十人が東から奇襲をかける。
同時に洋二とリナ、弐のゴーレム、残り二十人の兵が裏口へ回る。裏口に敵がいればリナの風魔法と弐の盾で道を開く。いなければそのまま侵入し、砦内で立て籠もっている羽鳥国の守備隊と合流する。
羽鳥国の本隊百十人は正面で陽動。敵の主力を引きつける。
挟撃だ。
「ゴーレムを見た敵がどう動くかはわかりません」洋二は続けた。「ですが未知の存在に対して人間は必ず反応します。その一瞬の隙が、こちらには十分です」
左近はしばらく息子を見ていた。
それから静かに言った。
「……やれ」
洋二は頷き、馬から降りた。
荷車からゴーレムの布を剥がした。
壱、弐、参。三体の霊鉄の人形が、午後の陽光を受けて鈍く輝いた。兵たちがざわめく声が聞こえた。初めて見る者がほとんどだ。
「若様、これが動くので?」堂島が目を丸くして言った。
「動く」
洋二は目を閉じ、意識を三体に同時に流し込んだ。
霊鉄が魔力を吸い込む感覚。行動刻印が起動する。
壱が立ち上がった。弐が続く。参が最後に起き上がり、首を左右に振った。
兵たちの間に静寂が落ちた。
「行け、壱、参」
二体のゴーレムが、砦の東へ向かって走り出した。霊鉄の足が地面を踏む音が、規則正しく響く。
「リナ、行くぞ」
「うん」リナが頷いた。耳がぴんと立っている。
裏口への道は細く、草が生い茂っていた。
洋二は弐を先頭に立て、二十人の兵を連れて山の裏側を回り込んだ。東側では壱と参が後詰めの兵に突撃している音が聞こえてくる。怒号と悲鳴。予想通り、敵の注意は完全にそちらへ向いていた。
裏口に着いた。
木の扉は古びていたが、鍵はかかっていなかった。守備隊が逃げ道として残しておいたのだろう。
「開けます」
弐が分厚い腕で扉を押し開けた。軋む音が響く。
中は薄暗い石造りの通路だった。奥から剣の打ち合う音が聞こえる。守備隊はまだ戦っている。
「進め」
洋二が指示を出した瞬間、通路の奥から敵兵が三人現れた。裏口の警備だ。数は少ないが、狭い通路では一対一の白兵戦になる。
「リナ」
「わかった」
リナが両手を前に出した。通路を走る風が、三人の足元を薙ぐ。体勢を崩した敵に、弐が盾を叩きつける。三人が吹き飛び、壁に激突した。
一秒もかからなかった。
「進め」
二十人の兵が通路を駆けた。
砦の内部は混乱していた。
鷹羽国の主力二百七十が、羽鳥国の守備隊五十を追い回している。数の差は歴然で、守備隊は北の塔の一階に押し込まれていた。
洋二はその光景を通路の出口から確認し、瞬時に戦況を整理した。
敵の主力は二つの集団に分かれている。塔を囲む百五十と、砦の中央広場にいる予備の百二十。指揮官らしき武将は中央広場の後方に馬で控えている。
指揮官を孤立させれば、集団は瓦解する。
前回と同じ法則だ。
「兵を二手に分けます」洋二は後ろの兵たちに低く言った。「十人は塔を囲む敵の側面を突く。残り十人は俺と中央広場へ。弐は俺の盾になれ」
「若様が前に出るのですか」堂島が顔を青くした。
「指揮官の首を取りに行く。一番早い」
「し、しかし」
「堂島、あなたは塔側の十人を率いてください。俺は中央を取る」
堂島は一瞬だけ迷い、それから頷いた。
洋二は弐を引き連れ、中央広場へ踏み込んだ。
広場に出た瞬間、敵の数人が洋二たちに気づいた。
「裏口から!裏口から敵だ!」
怒声が飛ぶ。予備の百二十が反応し始める。
洋二は足を止めず、頭の中でリナに意識を繋いだ。
『リンクコンダクト』が起動する。リナの視界と洋二の視界が薄く重なり合う感覚。リナは通路の出口付近にいる。広場全体を見渡せる位置だ。
イメージを送る。風の方向、強さ、タイミング。
リナが動いた。
広場を横断する強風が吹いた。砂埃が舞い上がり、敵の視界を一瞬奪う。その隙に洋二の十人が左右に散開し、敵の注意を分散させる。
洋二は弐と二人で、敵の間を真っ直ぐ突き進んだ。
弐の大盾が迫る敵を弾く。洋二は足元の石を三つ浮かせ、横から斬りかかってくる敵の剣を叩き落とす。前世の剣術稽古で磨いた動きで、残りの一人をかわす。
指揮官まであと二十メートル。
鷹羽国の武将が洋二に気づいた。子供ほどの体格の敵が、自分に向かって真っ直ぐ来ている。驚きと怒りが混じった顔で、馬を反転させようとした。
逃がさない。
洋二は石を五つ同時に浮かせ、武将の馬の足元へ叩き込んだ。馬が驚いて棹立ちになり、武将が落馬する。
弐が武将の前に立ち、大盾を構えた。武将は立ち上がろうとして、鉄の壁のような弐を見上げ、固まった。
「降伏しろ」
洋二は静かに言った。
武将は震える手で、剣を地面に置いた。
指揮官が降伏した瞬間、鷹羽国軍の動きが止まった。
命令を待つように立ち尽くす兵たち。その隙に堂島率いる十人が塔を囲む敵の側面を突き、正面では左近と羽鳥国本隊が一気に押し込んだ。
東側では壱と参が後詰めを完全に制圧していた。
戦闘終了まで、砦に入ってから一刻もかからなかった。
砦の中庭で、左近が息子の前に立った。
周囲には橋部家の兵と羽鳥国の守備隊が集まっている。全員の視線が洋二に向いていた。
「見事だった」左近は静かに言った。「指揮を任せる。次の戦から、お前が全権を持て」
洋二は頷いた。
全権。それが欲しかった言葉だ。
周囲の兵たちがざわめいた。十五歳の若様が、全軍の指揮を任された。その事実が、じわじわと広場に広がっていく。
堂島が一歩前に出て、深く頭を下げた。
「……若様の指揮、確かに拝見しました。お供します」
一人が頭を下げると、他の兵たちも続いた。四十人が、洋二に向かって頭を垂れる。
洋二は無表情のまま、しかし胸の中で何かが静かに燃え上がるのを感じた。
後方では、リナが耳をぴょんと動かしながら笑っていた。
「よかったね、洋二」
「まだ始まりだ」
洋二は砦の東、鷹羽国のある方角を見た。
この勝利は序章に過ぎない。大陸を統一するまでの道のりは長い。だが今日、最初の一歩を踏み出した。
橋部洋二の指揮が、正式に始まった。




