第七話「初陣の前夜、橋部洋二十五歳」
五年が経った。
橋部洋二、十五歳。
身長は父・左近に並ぶほど伸び、肩幅も広くなった。毎朝欠かさず続けてきた剣術稽古の成果で、体には無駄な肉がなく、動くたびに鍛え抜かれた筋肉が静かに主張する。顔立ちは相変わらず整っているが、目つきの鋭さは十歳の頃より増していた。
使用人たちは今でも「若様は笑わない」と言う。
それでいい。
「洋二、また難しい顔してる」
縁側に腰を下ろしたリナが、足をぶらぶらさせながら言った。十五歳になったリナは、白い髪が腰まで伸び、幼い頃の面影を残しながらも、どこか落ち着いた雰囲気をまとうようになっていた。紫の瞳は変わらず澄んでいる。耳は相変わらずよく動く。
「難しい顔はしていない」
「してる。眉間に皺が寄ってる」
「考え事をしていただけだ」
「何を考えてたの」
洋二は少し間を置いてから答えた。
「初陣のことだ」
リナの耳がぴたりと止まった。
三日前、父・左近から呼ばれた。
執務室に通されると、左近は文机の前に座り、一枚の書状を手にしていた。羽鳥国の当主・羽鳥宗継からの書状だ。内容は簡潔だった。
鷹羽国が羽鳥国の東の砦へ侵攻を開始した。橋部家に援軍を求む。
「洋二、お前を連れて行く」
左近は書状を置き、息子を見た。
「指揮官補佐としてだ。俺の隣で見て、学べ」
「指示を出していいですか」
「俺が認めた場面だけだ」
洋二は頷いた。それで十分だ。まず結果を出す。結果が出れば、次は全権を渡してもらえる。前世のIGLとして積み上げてきた経験が、そう告げていた。
問題は戦力だ。
橋部家が出せる兵は四十。羽鳥国の本隊と合わせても百五十にはならない。対して鷹羽国の侵攻部隊は三百を超えると報告にある。
数で負けている。正面からぶつかれば勝ち目はない。
だから地形を使う。情報を使う。そして――
「ゴーレムを使う」
洋二は鍛冶場へ向かった。
五年間、洋二は人形の改良を続けていた。
最初の小型人形から始まり、今では人の大きさのゴーレムが三体完成していた。素材はすべて霊鉄。関節の動きを滑らかにするため、内部構造を何度も作り直した。行動刻印も進化させ、歩行、走行、剣術の基本動作、盾による防御、この四つのパターンを各ゴーレムに刻み込んである。
名前をつけていた。
一号は「壱」。攻撃特化型。刀を両手に持ち、素早い連続攻撃パターンを刻んでいる。
二号は「弐」。防御特化型。大盾を装備し、仲間を守る動作に特化している。
三号は「参」。囮特化型。見た目は一番人間に近く、敵の注意を引きつけるための派手な動作パターンを持つ。
三体を同時に操作しながら、自分も動く。加えてリナの風魔法との連携。それが洋二の戦い方だ。
「壱、弐、参」洋二は三体のゴーレムを前に並べ、静かに語りかけた。「お前たちの初陣だ」
ゴーレムは当然答えなかった。だが洋二には、三体が静かに頷いたように見えた。
出発前夜、洋二は一人で中庭に出た。
空には星が出ていた。風が涼しい。
明日の戦場を、頭の中で何度も描いた。東の砦の地形、鷹羽国軍の侵攻ルート、橋部家の兵の配置、ゴーレムの動かし方、リナとの連携タイミング。すべての変数を洗い出し、考えうる最悪の事態を想定し、その対策を積み上げる。
前世でランクマッチ前にやっていた「メタ読み」と同じだ。ただし負けたらリスポーンはない。
「眠れないの?」
声がした。
振り返るとリナが立っていた。薄い寝間着姿で、白い髪が夜風に揺れている。月明かりの中で、その姿は少しだけ幻想的に見えた。
洋二は視線を星に戻した。
「お前こそ」
「洋二が出てくるの見えたから」リナは隣に並んで、同じように空を見上げた。「心配してる」
「俺はゲーム……じゃなくて、戦のことなら誰より考えてきた。大丈夫だ」
「洋二のことを心配してるの」リナは静かに言った。「戦じゃなくて」
洋二は答えなかった。
リナは続けた。
「私も連れて行ってよ」
「危険だ」
「洋二一人の方が危険だよ。共鳴指揮は私がいないと使えないでしょ」
それは正論だった。リナとの共鳴指揮『リンクコンダクト』は、二人の意識が近くにある時ほど精度が上がる。遠く離れた戦場では、その力が半減する。
「……わかった。ただし前線には出るな」
「出ない。後方で風魔法を使う」
「俺の指示に従え」
「うん」リナは小さく笑った。耳がぴょこんと動く。「ありがとう、洋二」
また頬が熱くなる気がした。
夜風のせいだと、今夜も洋二は自分に言い聞かせた。
翌朝、橋部家の四十の兵が整列した。
先頭に立つ父・左近は、鎧姿で無言のまま兵たちを見渡した。その隣に洋二が立つ。鎧は父が用意してくれた、軽量の霊鉄製だ。動きやすく、それでいて刃を通しにくい。
後方の荷車には、布に包まれた三体のゴーレムが積まれている。
兵たちの視線が、時々洋二に向いた。十五歳の若様が初陣に出る。橋部家の跡取りが戦場に立つ。その事実が、兵たちの間にかすかな緊張を生んでいた。
洋二は前を向いたまま、静かに全員の顔を確認した。
四十人。名前、得意な武器、体力、気質。すべて頭に入っている。五年間、洋二はこの四十人を観察し続けていた。誰が突撃向きで、誰が防衛向きか。誰が冷静で、誰が興奮しやすいか。全員の特性を把握してある。
IGLはチームメンバーを知り尽くすことから始まる。
それは前世から変わらない。
「行くぞ」
左近の一声で、橋部家の兵が動き出した。
洋二は馬上から東の空を見た。
初陣。
前世で積み上げてきたすべてを、この戦場で証明する。
橋部洋二の本当の戦いが、今始まろうとしていた。




