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【操り手の軍師】~eスポーツ廃人、異世界で最強の指揮官になる~  作者: レノスク


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第二話「橋部洋二、この世界を読む」

 最初の一年は、観察に費やした。

 橋部家の屋敷は、思っていたより広かった。木造の母屋を中心に、兵舎、蔵、鍛冶場が連なり、その外縁を低い土塀が囲んでいる。塀の向こうには城下町が広がり、さらにその先には山が見えた。朝になると山の稜線から霧が降りてきて、屋敷全体をうっすらと包む。

 悪くない立地だ、と洋二は思った。

 赤ん坊の体は不便極まりなかった。見たい方向を自由に向けられない。声を出そうとすると泣き声しか出ない。腹が減ったことすら泣き声でしか伝えられない。前世でどれだけ素早くキーボードを叩いていた指も、今はただぷにぷにと動くだけだ。

 だが頭は動く。耳も聞こえる。

 それで十分だった。

 乳母の女性が毎日世話をしに来る。名をお春という。三十路手前の、丸顔で人のよさそうな女だ。洋二の顔を覗き込むたびに「まあ、賢そうなお顔」と言う。実際賢いのだが、それを証明する手段がまだない。

 父、橋部左近は、週に二、三度顔を見せる。がっしりとした体格の、四十代とおぼしき武人だ。物静かで笑わないが、洋二を抱き上げる手だけは、ひどく丁寧だった。

 母、橘は、毎晩必ず寝顔を見に来た。色白で細面の、どこか儚げな女性だ。「この子は大物になる」と乳母に言っているのを、洋二は何度か聞いた。母親の直感というのは馬鹿にできないな、と思いながら天井を見つめていた。

 言葉は、三ヶ月で理解できるようになった。

 この世界の言語は、前世の日本語とよく似ているが微妙に違う。語尾の作法や敬語の体系が独特で、武家の者ほど格式張った言い回しをする。洋二は聞こえてくる会話をすべて頭に叩き込み、少しずつ文法を組み立てていった。ゲームで複数の情報を同時処理していた頭は、言語習得にも向いているらしい。

 六ヶ月が過ぎる頃には、屋敷内のおおよその人間関係が把握できていた。

 橋部家が仕える国の名は「羽鳥国」。小さいが山と川に恵まれた地形を持ち、良質な鉄が採れる。それが橋部家の価値でもあった。鉄の産出を管理し、武器の生産を担う。いわば羽鳥国の兵器工場だ。

 しかし問題がある。

 その鉄を狙っている国が、少なくとも二つある。

 洋二は天井を見上げながら、頭の中に地図を描いた。父の話し声、使用人たちの噂話、訪れる客人の言葉の端々。それらを繋ぎ合わせると、おぼろげながら周辺の勢力図が浮かび上がってくる。

 東に「鷹羽国」。軍事力が高く、近年領土を拡大している。

 西に「海道国」。海運で栄えた商業国家で、裏では各国に間者を送り込んでいるという噂だ。

 そして北には――魔族の領域がある。

 人間と魔族の境界線は、長い年月をかけて作られた「不戦の盟約」によって保たれているが、最近その盟約が揺らいでいるという話が屋敷内でひそかに囁かれていた。

 なかなかに面倒な地政学だ、と洋二は思った。ゲームのマップで言えば、三方を強敵に囲まれた資源豊富な土地。普通にプレイすれば真っ先に狙われる。

 生き残るには、戦略が要る。

 一歳になった春の朝、洋二は初めて自分の中に「それ」を感じた。

 縁側に寝かされ、庭を眺めていたときのことだ。風が吹いて、縁側の端に置かれた小石がころりと転がった。なんとなく、その石を見つめた。

 動け。

 そう思った瞬間、石がぴくりと動いた。

 ほんの数ミリ。だがそれは風のせいではなかった。洋二はもう一度念じた。今度はもう少し強く。

 石が、ふわりと浮いた。

 一センチにも満たない高さ。一秒も保たなかった。すぐに落ちて、乾いた音を立てた。

 洋二は無表情のまま、内心でガッツポーズをした。

 ある。ちゃんとある。神様が約束した力が。

 まだ弱い。体が幼すぎる。だが確かに存在している。あとは鍛えるだけだ。

 毎日少しずつ、誰にも気づかれないように練習を重ねた。石を動かす。葉っぱを浮かせる。水を器から器へ移す。赤ん坊が一人で遊んでいるように見せかけながら、洋二は魔力の感覚を少しずつ掴んでいった。

 二歳になる頃には、三つの石を同時に動かせるようになっていた。

 言葉を話し始めたのは、一歳八ヶ月のことだった。

 本当はもっと早く話せたが、あまり早すぎると怪しまれる。洋二は慎重に「普通より少し賢い子供」を演じながら、必要な情報だけを引き出していった。

「ちち、あの山の向こうはなんですか」

 庭で剣の素振りをしていた父が、珍しそうに振り返った。

「洋二、もう話せるのか」

「少し前から」

「……そうか」父は膝をついて洋二と目線を合わせた。「山の向こうは鷹羽国の領地だ」

「強い国ですか」

 父は少し眉を上げた。二歳にもならない息子の質問としては、明らかに不自然だったかもしれない。だが左近は深く追求せず、静かに答えた。

「強い。だが賢くはない」

 洋二はその言葉を胸に刻んだ。

 強いが賢くない。つまり、頭で勝てる。

 IGLとして積み上げてきた経験が、じわりと熱を持ち始めた気がした。

 その夜、洋二は布団の中で天井を見上げながら、静かに考えた。

 この世界には剣がある。魔法がある。魔族がいる。複数の国が牙を剥き合っている。そして橋部家は、その只中に立つ小さな武家だ。

 前世の俺は、チームの中で一番強い選手ではなかった。

 だが誰よりも、全体を見ていた。

 ゲームと戦場は違う。死んでもリスポーンはない。仲間が倒れたら本当に終わりだ。

 それでも――戦略の本質は同じはずだ。情報を集め、敵を読み、最適な手を打つ。自分が最強でなくても、仲間を最強に動かせればいい。

 洋二は目を閉じた。

 まだ何もできない。体も力も、すべてが足りない。

 でも時間はある。この世界で生き残って、橋部家を、そして羽鳥国を、誰も倒せない盤面に持っていく。

 それが、高沢健二として生きた二十年が、橋部洋二に残した答えだった。

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