第一話「ゲームオーバーと、神様の事情」
深夜二時十四分。
高沢健二は画面を見つめたまま、冷えたエナジードリンクを口に運んだ。
六畳一間。机の上には空き缶が三本。カーテンは三ヶ月前から閉めっぱなしで、外が昼か夜かは全く分からない。傍から見れば廃人そのものだが、健二にとってこれは「仕事」だった。
eスポーツチーム「VECTOR」――プロとアマの境界線あたりをうろつく中堅チームの、二十歳のサブメンバー。実力で言えばまだまだ上がいる。だが健二には、他の誰も持っていない武器があった。
俯瞰する目、だ。
味方の動き、敵の癖、マップの地形、残り時間。それらを同時に把握して最適解を叩き出す。自分が動きながら仲間に指示を出す。ゲームの世界ではそれを「IGL」と呼んだ。
もっとも、現実の人間関係となると話は別で。
チームメイトに飯を誘われても「ラグが怖いので」と断り、ファンレターが来ても「リソースの無駄」と返事を後回しにし続けた結果、二十歳にして恋愛経験ゼロ。女性と二人きりになると何故か頭が真っ白になる、という重篤な症状まで抱えていた。
まあいい。今夜のランクマッチはMVPだった。
健二はヘッドセットを外し、大きく伸びをした。腹が減った。コンビニへ行こう。財布とスマホだけをポケットに入れ、サンダルを突っかけてアパートを出る。梅雨明け直前の夜風が、じっとりと体に絡んだ。
信号が青になる。
一歩踏み出した、その瞬間だった。
視界の端に白いヘッドライト。ブレーキの悲鳴。アスファルトの焦げる匂い。
――あ、これ死ぬやつだ。
ゲーマーらしく冷静に状況を把握したところで、意識が途切れた。
白かった。
どこまでも、果てしなく白い空間。床があるのかないのかもわからないが、健二はその中にぽつんと立っていた。体は痛くない。血も出ていない。ただ静かだった。
「あ、起きた!よかったあ、心配したよ〜」
声がした。
振り向くと、白いふわふわした衣をまとった人物が、どこからともなく現れた丸テーブルに肘をつき、湯気の立つ湯呑みを片手にこちらを見ていた。
年齢不詳。性別不詳。顔立ちは整っているが、どこか掴みどころがない。神聖な雰囲気を出そうとして七割方失敗したような、不思議な存在感だ。
「……あんた、誰」
「神だよ」
あっさり言った。湯呑みをずずっとすすりながら。
「神、ね」
「疑うのはわかるけど、ここ天界だから。ほら、雲もあるし」
指差した方向を見ると、確かに足元に雲のようなものがふわふわしていた。健二はしばらく無言でそれを眺め、それからもう一度その「神」とやらを見た。
「俺、死にましたか」
「うん、死んだ。トラック、ブレーキが壊れてたんだよね。完全に事故。健二くんには何の落ち度もないです」
「……健二くん」
「あ、名前知ってるのは神だから。当たり前でしょ」
神は湯呑みをテーブルに置き、ちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「実はね、ちょっと困ったことがあって」
「困ったこと」
「うちの管轄してる異世界がさ、今ちょっとまずい状態なんだよね。複数の国が戦争寸前で、魔族も人間もごちゃごちゃしてて、このままだと世界ごと終わる可能性が出てきた」
健二は腕を組んだ。
「それと俺に何の関係が」
「転生してほしいんだよね」
神は両手を合わせ、ぱちんと音を立てた。どこからともなく一枚の羊皮紙が現れ、くるくると宙を舞いながら健二の前に広がった。そこには見慣れない文字がびっしりと書かれていたが、なぜか読める。
「これ、契約書ですか」
「一応ね。でも難しいことは書いてないよ。要約すると『異世界に転生して、好きに生きてください』以上!」
「……随分ざっくりしてますね」
「細かいことは現地でわかるから。あとチート能力も一個つけてあげる。何がいい?」
健二は少し考えた。
ゲームで鍛えた自分の武器は何か。操作精度か。反射神経か。いや、違う。自分が最も得意としたのは「複数のものを同時に動かしながら戦略を組む」ことだ。
「遠隔操作系の魔法が欲しいです。物体を意のままに動かせる」
「あー、ゴーレムとかそういう系ね」
「それで戦えます」
神はにこっと笑い、指を一本立てた。
「了解。じゃあ『遠隔操作魔法:無制限』をプレゼント。ただし最初は弱いから、ちゃんと成長してね」
「最初から最強じゃないんですか」
「そんなのつまんないじゃん」神はあっさり言った。「あと、この世界の魔法はね、効果距離が短いのが基本なんだよ。だから剣の方が強い場面も多い。その中でどう戦うかは健二くん次第」
健二は羊皮紙を見つめた。
死んだ。二十歳で。コンビニに行こうとして。
呆気なすぎる幕切れだったが、不思議と悔しくはなかった。どうせ異世界に転生するなら――戦略を組んで、仲間を動かして、大きな相手をひっくり返す。それは自分が一番得意なことだ。
「……一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「神様って、あなた一人じゃないですよね」
神はぴくっと眉を動かした。一瞬だけ、湯呑みを持つ手が止まる。
「……なんでわかった」
「この空間、複数の気配がします。うまく隠してるけど、ゲームで培った索敵勘は伊達じゃないので」
沈黙。
それからぷっと噴き出す声がして、神は肩を震わせながら笑い始めた。
「やだ、バレてた。そうそう、神は七柱いるんだけど、今回の転生は私だけが担当でさ。他の子たちは『絶対うまくいかない』って賭けしてるんだよね」
「賭けを」
「健二くんが一国を救えるかどうか。私は救えるに賭けてる」
健二はため息をついた。
「プレッシャーかけるの上手いですね」
「神だから」
目が覚めると、天井があった。
木の板を組み合わせた、古びた天井。障子越しに朝の光が差し込んでいる。どこかで鳥が鳴いていた。体が重い。手足が短い。
ゆっくりと手を持ち上げると、そこには小さな、赤ん坊の手があった。
――そうか。赤ちゃんとして転生したのか。
健二は内心で一つため息をついた。前世の記憶と知識はある。意識はしっかりしている。だが体は生まれたばかりだ。
声を出そうとすると、「ふぎゃ」という音しか出なかった。
それでも健二の頭は、すでに動き始めていた。
ここはどんな国か。この家の力はどの程度か。周辺国との関係は。使える資源は何があるか。
この世界で生き残るために必要な情報を、一つずつ集めていこう。
赤ん坊の分際で、高沢健二の戦略は、すでに始まっていた。




