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夏の旅人  作者: NiKO
9/14

9 体育祭






 九月に入って最初の日曜日、志織たち三年生が参加する最後の体育祭が開催された。体育祭の目玉はなんといっても応援合戦で、それまで三週間ほどの準備期間しかないにもかかわらず、毎年のようにグループ役員たちが先導していき、チーム一丸となって創り上げるものには、高校生特有の若さとそのときにしかない輝きが詰まりに詰まっていた。そしてグループカラーである青を基調としたチアの衣装を纏って踊る茜は、とても可愛く愛らしく志織の目に映った。志織の目にだけじゃないと断言もできる。いったい今日だけで何人の男子を虜にしたのだろう。せめてその姿で歩くときぐらい外股はやめようか。

 最後の種目でもあるグループ対抗リレーでは、それまで競技の部であまり華を咲かせられなかった志織のグループが一番にゴールしたことで大いに盛り上がった。グループで選び抜かれた足に自信のある猛者たちが颯爽と駆け抜けていくなかで、最初に白いテープを切ったアンカーは長谷川だった。スタンドの前で固まって応援するチアに紛れていた茜が「長谷川いけーッッ」と声を嗄らしながら叫んだのは、ちゃんと彼の耳にも届いただろうか。

 グループは総合優勝を逃しはしたものの、最も気合いを入れてきた応援合戦の部で優勝したことで歓喜に満ち溢れていた。表彰式のあとに催されるグループ同士の交歓会も終わり、体育祭の実行委員から各自持ち場について片づけせよ、という指令が出されたときだった。

「長谷川がフラれるんやったら、俺がっても期待値ゼロやんかぁ」

 すぐに片づけに入る者はまずいないため、グループもごっちゃになって体育祭の余韻を楽しみ、みなが和気藹々としていた空気のなか、志織の耳を掠めたのは信じられない響きを含んだ発言だった。隣をすれ違った名も知らぬ男子が「やっぱ高嶺の茜さんかー」と嘆くのを、彼の友人と思しき人物が「どんまいどんまい」と言って慰めている。

「茜ッ!」

 志織は同級生から後輩までが茜に告白するために並んでいる、もはや何かのゲームにしか見えない告白ラッシュの列を横切り、「ごめんなさい」と頭を下げ続ける茜の姿を見つけ、その肩を強引に摑んだ。「あ、志織」という彼女の呑気な声が志織の神経を逆撫でる。

「長谷川くんのことフッたって本当!?」

 当の長谷川はすぐ真横にいたのだが、志織はある一つのことに頭がいっぱいでそれに気づかなかった。

「なんで!」

 茜はすぐ隣にいる長谷川を気にするように目をきょろきょろ動かし、「なんでって言われても……」と小さく呟いた。それ以上言うつもりはないという意志を込めた目で、再び茜が志織を見る。そんな彼女の様子に業を煮やしたのか志織は茜の両肩を、がっと摑み直し、学校では出したことのないような声を上げた。

「茜、ずっと好きだったんじゃなかったの!?」

 茜はわかりやすい。ウソをつけるような子じゃない。彼女の視線の先には長谷川がいることに志織は高一のときから気づいていた。彼に、「好きな人まではわからない」と言葉を濁したのも、絶対に二人はうまくいくだろうという確信が志織の中であったからだ。

 それなのに。どうして。

 周りが志織の言葉でざわついているのが感じられる。告白の列に並んでいた者たちも、しだいに志織と茜のそばにまで集まってきた。ただならぬ空気を纏う二人の話に、みなが耳を傾ける。

「まさか、私に遠慮してるわけ」

 思っていたよりもずっと冷やかで低い声が出たのに驚いたのは自分だけじゃない。いつも品行方正の立花さんが、と囁かれているのが怒りに沸いた頭の奥から聞こえてくる。

「自分だけが幸せになれない、とか、そんなバカげたこと考えてんじゃないでしょうね」

 そんなバカげたことを考えるのが茜だとも、まだどこか冷静さを保っている脳で考える。

「そんなの全ッ然嬉しくないに決まってんでしょ!?」

 茜が先輩のことで本当に悩んでいたのを志織は知っている。何度もごめん、ごめん志織と謝られたのも記憶に新しい。先輩が生きていたことを告げたあとに、やっと彼女も安堵の表情を見せてくれた。しかし、彼が志織と過ごした日々すべてを忘れてしまったことも伝えると、茜はまた塞いでいってしまった。いや先に塞いだのは志織のほうだった。茜が何を言っても志織は首を振るばかりで、それがどれだけ彼女に遣りきれない想いを募らせていたか志織は知らなかった。ずっと暗くて、見ているこっちの気分までもが沈んでいくような姿を見せていた茜だったが、自分のそんな態度で雰囲気を台無しにできないことも知っている彼女は、今日だけは終始明るさを保とうと、あのいつもの笑顔を取り戻しつつあったのだ。応援合戦賞を勝ち取ったときも本当に喜んでいるかのように見えた。

「志織は?」

 でも今、志織を静かに見つめる彼女の瞳に、周囲を照らすような輝きはない。

「志織は先輩のこと、好きじゃないと?」

 いま一番訊かれたくないことを、茜は志織に真っ向からぶつけてきた。志織は返事を詰まらせ、茜の肩から力なく手を落とす。

「私は、先輩には、もう、関わらないから」

 自分でも、なんて情けない声を出しているんだろう、と嗤いたくなってくる。志織は片腕を抱くようにして、自身を守るように身を小さくした。

「それで志織はいいと? これから先、ずっと、先輩のこと知らんふりして生きてくつもりなん」

「もともと私と先輩は、関わるはずなかったんだよ」

 彼が高校生だったときは、そもそもこの地にさえ住んでいなかった。そして彼が卒業したあとに、志織は入学した。あのとき、あの場所で過ごせたこと自体が、奇跡だったのだ。

「もう、いいでしょ私のこ」

「あたしは、反対だ!!」

 志織の言葉を遮るようにして、茜が一際大きな声で叫ぶ。

「そうやって自分の気持ちにウソついて、蓋して! なんもなかったみたいに過ごしてくのが、かっこいいとでも思っとるん!? 大人とでも、思っとるわけ!?」

 勢いのままに彼女から体操服の胸元を摑み上げられ、志織が目を見開く。

 そのとき自分のなかで何かが切れたような音が聞こえた。堪忍袋の緒が切れるとは、こういうことなのかもしれない。

「せからしったいッッ! あんたにだけは言われたくないし!」

 茜を睨みつけ、彼女の腕を払い落としながら志織が声を上げる。「え、いま立花さん『せからしい』つった?」と、ひそひそ言われていることも、もう志織の耳には届かない。

「あたしだって志織に長谷川とのこと、とやかく言われる筋合いないわ!」

「は? どの口が言いよるんやって!」

「おい、二人ともちょっと落ち着こうぜ」

 仲裁に入ったのは蚊帳の外で黙って見てはいられなくなった長谷川だった。しかし彼が志織と茜の間に割り入ろうとしたところで、彼の腹に何かが炸裂する。長谷川が志織に回し蹴りを入れられたと気づいたのは、自身の真ん中にただならぬ衝撃を感じたときだった。普段鍛えている躰にも不意打ちの攻撃は効果抜群だったようで、「ぐッ」と低く呻きながら長谷川が数歩後ろに後ずさる。

「男は黙っとれ!」

 そう長谷川に叫んだのは茜だったが、手、ならぬ足が出たのは志織だった。もはや誰の手にも負えなくなった状況の中で「飛んで火に入る夏の虫~」「こえぇ立花さん」「何者?」といった傍観者たちの労いや慄きが次々と生まれていく。

「茜に、茜に何がわかるっていうんよ!」

「わからんよ! あたしは先輩のことはなんもわからん! でも志織のことはわかる! 毎日見てきたけん! 高一んときからずっと!」

「私はそうやってわかっとうふうにされんのが一番好かんったいッ!」

「じゃあなんて言えばいいとやって! 甘えんのも大概しとけよ!?」

「甘えとらんし!」

 もはや、自分が何を言っているのかもわからなくなってきた。何が言いたいのかも、何を訴えたいのかも、誰に対しての言葉なのかも。

「先輩のこと、なんも知らんくせに!」

 違う。茜は先輩のことを、知ろうとしてくれた。先輩がいるということを、疑いもなく信じてくれた。先輩の名を探そうと、惜しみなく協力してくれた。なのに。なぜ口を衝いて出る言葉は彼女を傷つけるものでしかないのだろう。

「ああそうよ! あたしは先輩が実際に喋っとうとこも見たことないし、先輩がどんな仕草するかも全然知らんよ!? でもあたしは、志織をずっと見てきた!」

 茜が、ひくっと喉を鳴らす。その瞳は、とうに潤んでいた。本気で怒ったら、彼女は涙を流してまで感情を曝け出す人だったと、志織はどこかぼんやりとした頭で思い出していた。

「見てきた、から、」

 茜の声が掠れて、小さくしぼんでいく。大きな目からこぼれ落ちていく涙を、志織は場に不相応でも、きれいだと思ってしまった。

「志織がいま、すっごい悲しんどるって、痛いほど、わかるんよ」

 胸を抉られたような、心地がした。心臓を握り潰されていく感覚。息がしにくいと感じるのは嘘なんかじゃない。

「こんな、いいとこないあたしと付き合ってくれたのは、志織だけやった。みんな、みんな、あたしから離れてった」

 そんなことない、とは志織にも言えなかった。だってそれは事実だったから。でも、いいところがないというのはまったくの虚偽だ。こんな、バカみたいに素直な子が悪いやつであるはずがない。

「志織には、誰より幸せになってほしいのに、志織を笑顔にできるのは、先輩しか、おらんやったのに、」

 しゃくり上げながら茜が懸命に言葉を紡いでいくのを、志織は黙って聞いていた。いつの間にか痛いほど握りしめていた志織の拳は緩んでいた。

「先輩、せっかく生きとうのに、会いに行こうと思えば、いつだって、行けるのに、志織は、志織は、もういいよってしか言わんし、」

 彼女にどれだけ心配されて、どれだけ想われていたのか、打ち明けられて初めて志織は理解した。理解せざるをえなかった。

「そんなん絶対ウソやんか」

 目を腕で、ぐいと拭いながら茜が訴えた。乱暴に拭いすぎて、目元や頬が赤く変色してしまっている。それでも何も言おうとしない、いや言えない志織を見て「ぜったい、ぜったい、ウソやもん」と両手で顔を覆って、茜が力なく座り込んだ。声が震えないように息を吸い込んで志織がやっとの思いで口を開く。

「私だって、」

 志織も屈んで、彼女の涙に濡れた手を取った。それを額に当て、自分が本当に願ったことを、言葉に詰まりながら茜に伝える。

「忘れないで、ほしかったよ」

 握った手を、茜からぎゅっと握り返されるのを感じて、声が高ぶってしまうのを志織は止めることができなかった。

「憶えてて、ほしかったよ……!」

 なんで、私の目にだけ、あなたの姿が見えたんですか。

 なんで私のこと、「志織」って優しく呼んだんですか。

 なんで最後、私にキスしたんですか。

 あなたが忘れてしまったのなら、もう、誰にも訊けないじゃないですか。

 「先輩の、バカやろー」と揺れて見える地面に向かって志織は吐き出した。茜も「先輩ざけんなよアホんだらぁトリあたまぁ」と彼をこれでもかというほど罵る。二人の行く末をはらはらと見守っていた者たちは「よかったよかった」と頷き合い、謂れのない暴力と暴言を受けた長谷川は痛む腹を押さえながら、ほっと息をついた。

 お互いの涙が乾き、今ここがどこで周りに誰がいるかを思い出したところで、志織は躊躇する茜を長谷川の前に容赦なく突き出した。顎で指図する志織を尻目に茜が彼をおそるおそる見上げる。彼の日に焼けた腕が目に入ったところで、彼女はその緩慢な動きを止めた。

「長谷川、あ、あたし、口悪いし、女子力も全然ないし、」

「……うん。そんなん昔から知っとったよ」

 間髪を容れずに返された彼の言葉に、茜が「う」と小さく呻く。彼女の心にぐさっと何か突き刺さったのが志織には見えたような気がした。ばれていないとでも思っていたのだろうか。

 茜は長谷川の足下にまで目線を下げ、息を大きく吸い込み、ふーっと吐き出した。それを何度も、何度も繰り返す。その様子を周囲がやきもきして見ている間に、やっと決心がついたのか、突然ばっと顔を上げ、彼の瞳を見て、はっきりと、彼女自身を表しているような芯の通った声で、言った。

「あたし、長谷川のこと、中学のときから、ずっと好きやったよ」

 なんて、真っ直ぐな告白なんだろう。

 茜らしすぎて、志織はこみ上げてくる笑いを抑えることができなかった。

 された側としては受け止めるだけで精いっぱいだったようで。

 彼は、それこそ真っ直ぐに見上げてくる彼女から目を逸らし、宙に視線を何度か泳がせたあと、本当に照れくさそうに、でも、本当に嬉しそうに笑って「俺も」と言った。

 瞬間、わーっと周りの野次馬から大きな拍手が沸き起こった。「ヒューヒューッ」と主に野球部の男子たちが口笛を吹いて二人を囃したてる。チアのバンドも志織たちが所属するグループのテーマソングを演奏し始めた。役員たちの合いの手の入れ方も完璧で「フーエイフーッッ、フーエイフーッッ」「愛し合うぅぅうう」と野太いかけ声が二人を包み込む。

 そんな状況に我慢できなくなったのか、「散れ! お前ら即刻散りやがれ!」と相変わらず女子に似合わない言葉遣いで茜が叫ぶ。「ハーグ!」「チューウ!」「ハーグ!」「チューウ!」というコールが交互に起こるなかで、茜があまりの恥ずかしさで涙目になって抱きついたのは長谷川ではなく後ろに控えていた志織だった。

「俺のライバルって、立花さんやったんやな」

 長谷川が、今初めて知った、とでも言うように茜にしがみつかれた志織を見る。志織は茜の背中をぽんぽんと軽く叩き、「私は手強いよ?」と好敵手らしく片眉を上げて笑ってみせた。

「違いない」

 さっき彼女から蹴られた腹を痛そうにさすりながら長谷川が笑う。志織はそのことをすっかり忘れていたのか、「ごめん! ホントにごめんなさい!」とそれこそ髪の毛が運動場の砂に付く勢いで彼に謝った。「いいよ。これ以上調子乗らんための、いい薬になった」と微笑む彼は、誰が見ても本当によくできた青年に志織は思えて、茜にはとてももったいないような気がしてならなかった。

「こらー解散しろそこーッ。みなさん至急片づけに入ってくださーい!」

 いつ指示を出そうかずっと待っていたようなタイミングで、体育祭の実行委員長がメガホンを使って大声を上げる。みな片づけの途中だったことを思い出したのか、蜘蛛の子を散らしたように、ぞろぞろと自分たちの持ち場へ戻っていった。そんな中、長谷川が男子たちから小突かれ蹴られながら連行されていくのが見え、志織は茜と顔を見合わせて二人笑いあった。

 暖まりすぎた熱気を冷ますような風が、ふと志織のうなじを撫で上げる。

 一つの夏が終わっていくのを、志織はひとり感じていた。











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