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生き抜くことの難しさ

俺はとりあえず歩き出した。

なんの装備も食糧もないまま、半年間生き抜く?冗談じゃあない。

普通の山だとしても半年間生き抜くことなど困難を極める。そのうえ「魔獣」がいるとか言っていた。


だが帰りたくともここがどこかも分からん。

夢が覚めることを信じて進むしかない。


体感で2時間ほど歩き進むと、川があった。見た目は美しく、何匹か魚も泳いでいる。ここをしばらくの拠点にしよう。


だが俺は日本人だからな、きれいな水ではないと腹を壊しそうだな。

そんなことを考えていると、川の上流に黒い影を見つけた。


………………熊だ。


昨今日本でも問題になっている熊。だがあいつはただの熊じゃない。昔動物園で見たものとは訳が違う。遠くから見ただけでもその大きさが分かる。爪が非常に長く、その爪の先に魚を突き刺し、スナック菓子のように貪っている。

地球の熊がこんな見た目なら、熊のプーさんなんて可愛いキャラクターは居なかっただろうな。

呑気にそんな事を考えていると。やつと目が合った。


ゆっくりこちらに近づいてくる。落ち着け。

昔テレビで見た。猛獣は目を逸らした瞬間襲ってくる。目を逸らさず、やつが退くのを待とう。


そうしてやつとのにらめっこが始まる。


奴はどんどん近づいてくる。


だが、大丈夫さ、言ったろ?猛獣は目が合っている相手を襲わない。


さらに奴が近づく。


だ、大丈夫さ、テレビでムツゴロウさんが言ってたんだ。心配するな。


目と鼻の先まで奴が来た。


大丈夫……だよな?


さあ、にらめっこ延長線だ!と覚悟を決めた瞬間、

顔面を大きな衝撃が襲った。

初めは何が起こったか分からなかった。一瞬とてつもなく涼しい風を感じた。直後、強烈な熱さ。

そういえば、片目が見えない。見づらいのではなく、見れない。もう片方の目が頼りだが、こちらも赤い何かが付着し見えづらい。

ああ、これは俺の血か。気づいた瞬間目に染みる血に我慢できず、目を閉じる。視界が一切見えない。その瞬間強烈な痛み。顔のどこが痛いのか分からない。ただ痛い。気が狂いそうで叫びたくても声が出ない。ああ、よく分からないが多分、口は裂けてるだろうし舌もないんだろう。口周りがやけにスースーする。声を出すという当たり前のことが、舌がないだけでこんなに難しく、その方法すら忘れてしまうのだと知った。知りたくはなかったが。


次の瞬間、下腹部にあの衝撃、不気味な涼しさの後の灼熱の痛み。だが顔と腹に意識が分散されたせいか、痛みが和らいだ気がする。


いや、これは違うか、意識が、遠のいているんだ。

そう思った時には、俺はもう気絶していた。

―――――――――――――――――――――


目が覚めた。俺は誰だっけ。何をしてたんだっけ。

何するんだっけ。


ああ、そうだ。俺は久遠 響。

地獄にいるんだ。


目の前にはまさに地獄絵図。男……俺が倒れており、顔面は上から下に綺麗に裂けている。口は最早ただの裂け目。そこから綺麗な真っ赤な血がポタポタと垂れている。

下腹部を見ると、ぼっかりと穴。だが血が流れるばかりで、臓物はひとつもなかった。きっとあのバケモノが食べたのだろう。大きな穴は、胸の下から股間の辺りまで空いていた。俺の大切な玉も、あのバケモノの胃の中か……。


目の前の光景を理解した時、急激な吐き気に襲われた。当たり前だ。目の前で自分がグロテスクに死んでいるのだから。そして鼻を着く血の匂いと、なんだか分からないが酸っぱい匂い、そしてなんとも言えぬ生臭さ。

吐きそうだ。限界だ。と思ったが、俺は学生時代、どんだけ飲んで酔っ払っても記憶をなくしても決して吐くことがなかったことが誇りなのだ。絶対に吐かないことから、地元では「魔法瓶」「拷問慣れ」「無限肝臓(インフィニット・オーシャン)」と呼ばれていたんだ。絶対に吐くものか!


うぉえっ。


吐いてしまった。


だが、吐いたことで少しだけ落ち着きを取り戻した。飲み会と同じだな。


そして、落ち着いてしまったためか、俺は恐ろしいことに気がついてしまった。


開始から一日も経ったいない。恐らく3時間程度しか経っていないにも関わらず、俺はバケモノに食い殺された。こんな調子で半年間も耐えられるのか?

そして、俺は死んだはずだが今生きている。恐らくこれが夢だからだろう。だが、あの時感じた痛みや不快感は本物だ。いくら死なないといっても耐えられるものではない。


冗談じゃあない。


そこから俺は、ただ生き抜くことだけを考えた。

俺は川を下り、下流付近に拠点を立てた。あの熊は魚を獲っていた。食糧を求める熊は、魚が溜まる上流に行くだろうと考えたからだ。

まあ、あの熊は俺の知っている熊とは生態が異なっている可能性もあるが……。実際、俺の「にらめっこ作戦」は失敗に終わったのだから。


だが、下流には俺の読み通り熊は現れなかった。採れる魚も小さいものばかりだったが、人1人が生き抜くには充分だった。


どうやら、俺は熊がトラウマになったらしく、少しでも草葉の擦れる音や何かの気配を察知するとすぐその場を離れるようになっていた。生き抜くためには臆病になるのも仕方ないと己を慰めた。


そんなこんなで月日が流れた。

拠点である洞窟の壁に朝が来る度に印をつけてきた。その数から言えば、そろそろ5ヶ月が経つ。あと1ヶ月だ。なんとか耐えるしかない。


そんなある日、いつも通り下流で小魚を採っていると、上流から声がした。一瞬驚いたが、すぐに冷静になった。いや、別の意味で驚いたと言った方が良いかもしれない。


人の声だ。


もう何ヶ月も聞いていないが、間違いない。あれは人の声。しかも悲鳴だ。


この付近に人がいるのか?俺はほぼ半年間それに気が付かなかったのか?


……見に行くべきだろうか。

悲鳴ということは何か悪いことがあったのだろう。しかも、もしかしたらそれはあの熊に関係する事かもしれない。あと1ヶ月耐えれば良いんだ。別に人を助けることが俺への試練じゃない。

そこまで考えて、ある言葉が浮かんだ。


「地球の生命を、お前が救え。」


正直、まだ分からない。あの言葉が本当なのか。だが、今俺が見ている景色は夢であり夢じゃない。現実と関係しているとはっきり分かる。

だったら、


人一人救えないやつが、世界なんて救えるわけがないじゃないか。


俺はいつも小魚を締める時に使っていた尖った石を右手に持った。そして、川の両側にある低木の裏に隠れ、声のした方へ進んでいった。


やはり、と言うべきか。川を少し登ると、人がいた。俺より年下に見える女の子と、もっと年下の男の子だ。

そして、これもやはりというべきか、あのクソ熊がいた。俺を殺しやがった野郎よりも小さいが、見た目はそっくりだ。


俺は音を立てず近づく。

俺は自分の死をもって体験した。あの熊は目をつけた獲物にゆっくり近づく。

俺に勝機があるとすれば、やつの背後から弱点をこの石で一突き。といったところだろう。


なんとかやつの背後に回った。あとは出ていってやつを倒し、ヒーローになるだけだ。


考えるのは簡単だ。でも、やっぱり足は動かない。あの時の痛みや恐怖、不快感が昨日の事のように思い出せる。あの爪は痛かった。牙も痛かったし、自分の身体を食い破られる感覚は永遠に忘れることは出来ないだろう。

あの熊は小さいが、だからこそ致命傷にならない攻撃をしてきそうだ。

戦う前から負けることばっかり考えて、最悪の想像ばかりしてしまう。昔からそうだ。本当はもっとやりたいことがあったのに、今もあるのに、俺には無理だって言い訳をしていた。

時間がないとかお金が無いとか向いてないとかセンスがないとか、言い訳ばっかりを考えていた。

そうだ。別に助けなくてもいいんだ。俺はあと1ヶ月、小魚を食べて生きるだけでいいんだ。


先程まで考えていた「人一人救えないやつが世界うんぬん」といった理想論は消え果てた。俺はB型だから考えがころころ変わるんだ。


そうだよ。俺には無理だ。格闘技すらやったことが無い。身長も高くない。運動経験も人並み。そんな奴が人を2人を庇いながらあんなバケモノを退治できるわけがない。





そんなこと出来るなら、俺はただの会社員になってなってないよ。





この瞬間俺は思った。

ああ、俺は自分の人生全部を言い訳にするつもりなんだって。

格闘技をやらなかったのも、ただの会社員になったのも全部自分の意思だったのに。

「出来るのにやらなかった」ことより、「そもそも出来なかった」ことの方が諦めがつくから。それを言い訳にしてんだって。

悔しくて涙が出てきた。

今俺が社会で役たたずなのも、親と縁切れちゃったのも、友人がいないことも、全部自分のせいなんだ。


―――――――――――――――――――――


でも、もしかしたら変われるかもしれない。

ここで飛び出して行けば、今まで言い訳していた自分に一矢報いることが出来るかもしれない。

別に死んだっていい。どうせ生き返る。

生き返らなくても良い。どーせ1度死んだんだ。

それに、最期の最後に自分に言い訳せず死ねるなら、それは俺にとって、世界を救うくらい名誉なことだから。


もう何も考えない。そう決めて俺は茂みから飛び出した。











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