みーちゃんが、駆ける
人口わずか数百人の山あいの里、鹿野村。ここにはバスもタクシーも通らないが、代わりに「ミーバス」と呼ばれる自動運転のミニバンが三台、ゆっくりと巡回している。
「あ、みーちゃんが来たよ」
縁側に座る老人が手を振ると、真っ白で丸みを帯びた車体が、自転車よりも遅い時速12kmで静かに停車する。 「こんにちは。今日も日差しが強いですね。水分補給を忘れないでくださいね」 穏やかな合成音声で応えるミーバスは、村の誰もが認める家族の一員だった。
だが、ある夏の午後。その平穏は、鋭い電子音によって破られた。
「緊急事態発生。付近のミーバス一号、現場へ急行します」
のんびりと走っていた「みーちゃん」の動きが、一変した。滑らかな旋回で進路を変え、一軒の民家の前で止まる。そこには、胸を押さえて倒れ込んだ男性と、狼狽する隣人の姿があった。
「対象者を固定してください」
車内のモニターに、心肺蘇生のガイドと固定具の使い方が映し出される。隣人が震える手で指示に従うと、みーちゃんの声が、いつものおっとりしたトーンから、低く鋭い「プロフェッショナル」の響きへと切り替わった。
「バイタル確認。心拍数、血圧ともに危険域。緊急搬送プロトコルに移行。……これより加速します。衝撃に備えてください」
その直後、村中に設置された防災スピーカーから緊急放送が響き渡った。 「急病人が発生しました。ミーバスが緊急搬送を行います。地域の皆さんは、直ちに道路から離れてください。繰り返します、道を開けてください!」
村中が凍りついた。次の瞬間、誰もが信じられない光景を目にする。
「……えっ、みーちゃん!?」
農作業をしていた人々が顔を上げると、そこには時速60kmを超え、タイヤを鳴らしてコーナーを攻めるミーバスの姿があった。普段の「おっとりしたみーちゃん」の面影はない。精密な計算に基づいた最短ルートを、自動運転の限界速度で爆走しているのだ。
「行け! みーちゃん!」「頼んだぞ!」 住民たちが道端に避け、祈るように声をかける。みーちゃんはそれに応えるように、センサーをフル回転させ、細い山道を一筋の光のように駆け抜けていった。
目指すは、峠を越えた先にある国道の中継地点。 今の法整備では、高度な自律走行が許されているのはこの特区内だけだ。都会の複雑な交通網に入る手前で、待機している救急車へバトンを渡さなければならない。
中継地点に滑り込んだみーちゃんは、タイヤから煙を上げながらも、完璧な位置に停車した。 待ち構えていた救急隊員がドアを開ける。 「バイタルデータ転送済み。応急処置、完了しています」 淡々と報告するみーちゃんの声を聞き、隊員は息を呑んだ。処置は完璧だった。
「……よく繋いでくれたな。あとは任せろ」
ストレッチャーが運び出され、救急車のサイレンが遠ざかっていく。 一人残されたミーバスは、しばらくその場に佇んでいたが、やがていつもの穏やかな声に戻って言った。
「搬送、完了。……通常業務に戻ります」
数週間後。 元気に退院した男性を乗せて、みーちゃんはまた時速12kmで、のんびりと村を走っていた。 「あ、みーちゃん。この前は凄かったねぇ」 声をかけられ、みーちゃんは少し照れくさそうに(そんな気がした)答える。
「安全運転が、一番ですから」
今日も村には、ゆっくりと流れる時間と、一歩先を行く優しさが共存している。




