とある弊社女子社員は思い込みが激しい件。
今日の俺、いつも通り社員ダイニングで、カミさん特製弁当の蓋を開けるも、気分は重たい。
午後から、人事部による呼び出しがある。
時期としては、異動の話な類ではないため、おそらく社員トラブルの上司立ち合いだろう。
「「「気が重い……」」でありんす」
俺の後ろから、ため息と落胆した声が聞こえた。
そう、パーテーションを挟んで後ろに座っている女子社員――営業部の宮原、オールラウンダー伊藤、情報システム部の菊池。
彼女たちも呼び出された。
「呼び出される意味がわかんないよね!」
宮原……俺は君の上司だから呼び出されたよ。
君がわかんないなら、俺だってわかんないよ。
「本当に、全く覚えがないから、尚更困るし、話を聞いた人事部も、要領を得ない回答だったものね。当人同士で解決させようとしても、被害者だと言い張っている向こうが拒否してゴネるって、意味わかんないわ」
伊藤にも覚えは無いようだ。
いろんな部署の補佐をしまくる伊藤、なぜか直属の上司は俺になっている。
各部のみんなが俺に押し付けた。
その割に、営業部にいてもらおうとすると、掻っ攫っていくのはやめたまえ。
「だいたい、なんでわたしまで呼び出されるんでありんすか! 職務内容はお二方と違って、わたしは情シスの引きこもりでありんすよ」
まだ、ありんすキャラが続いている菊池。そう、菊池まで呼び出される意味も、俺にはわからない。
そもそも宮原と伊藤は、素行の悪いことなど無い、優秀な社員たちだ。
伊藤争奪トラブルが、部課長間で起こりはするものの、彼女がトラブルを起こすことはない。
そして、菊池は社内のパソコン関係トラブルを解決する側で、トラブルを起こす暇もない奴だ。
「ま、なんかよくわかんないけど、受けて立つっ! まずは気合を入れよう!」
「わっ、宮ちゃんのお弁当すごいっっ!!」
「どどーんと主張してるでありんすね!」
「へへ〜っ、すごいでしょ! 特売お肉の煮豚丼弁当!! トンテキ添え!」
豚まみれじゃねーか!
もたれそう……。って真っ先に思っちゃう俺は、すでに魚が腹に嬉しいお年頃。
今日のお弁当は、カミさん特製の幕の内弁当だ。
若い頃は、あんな地味な弁当を食うなんて、信じられないって思っていたよ。
今になって、よくわかるありがたみ。
「私はこれ!」
「わわっ、イトちゃんのお弁当、ハム増し増しどころじゃないほど、増し増しなハムサンド! すごい豪華に見えるっ! ハムだけじゃなくたまごサンドもすごいね!」
「テレビでボリュームサンド特集みたいなのやってて、作ってみたのよね。特集でやっていたサンドイッチを買ったらすごい値段だけど、その半分の値段でハムと卵買えちゃうんだもん。特売のだけど」
「なんて豪華なサンドイッチでありんすか! コンビニサンドの3倍は具が入っているでありんす」
特売は昨今ありがたいよな。
カミさんも頑張ってチラシ睨めっこしてるし。
ガソリン高いから車出さずに、自転車でいけそうな距離なら行っちゃうし。
「そういう菊池も、ボリュームで言ったら1番じゃん」
「そうよね。お重の2個重ねな弁当箱は、相当でかいわよ」
デカすぎだ!!
菊池は、宮原や伊藤より10センチくらいは背が低い、小柄って言葉がピッタリな身長で、縦も横も小さいのに、お重ふたつぅ?! つーか、お重箱ってシェア前提のやつだろ! それが弁当箱って……!
「いま、新しい社内システムを作ってるんで、頭使いまくりなんでありんす。オヤツだけじゃ足りないんで、お昼もモリモリ食べないと、夕方頭回らないでありんす」
頭使う人は、カロリーをそっちで消費するってやつか?? それにしてもそれは食い過ぎだろ……。どーなってるでありんすか、君の胃袋。
あー、このシャケの塩加減と焼き加減好き。
「しかし、トラブル相手の名前すら教えてくれてないって、まるで何も見当つかないよねー」
「ほんとよ。私なんて、無駄に謎に言い掛かりつけられた事あっただから、またそれ系だったら冗談じゃないから、しっかり確認してって伝えたのに、まごまごしてるだけ」
当事者な宮原・伊藤・菊池が教えてもらえてない、相手のこと。もちろん俺もしらない。
弊社内トラブルで、プライバシーがとか向こうが言ってると、人事部が疲れ果てた声で言ってた。
どーせ午後になったら会うんだから、誰か教えろよ。と伝えたが、午後までの間に乗り込んできて責め立てられたら嫌だ! と相手が頑なだったらしい。
めんどくさそうな相手だな……。
つーか、社内かつ大人同士のお話合いに、上司必要?!
ひとくちサイズの芋もちうめぇ。
彼女たちの話を聞いても、何も掴めなかった。
いや、盗み聞きするつもりは……ごめん、今日だけはあった。
――午後、会議室にて。
人事部の課長が死んだ魚のような目で、お話し合いの進行役を始める。
ちなみに、上司立ち合いは、相手方もちゃんとあるようだ。経営企画部の部長が、やる気のない顔で立っている。
なので、宮原たちのトラブル相手は、経営企画部の社員のようだ。
「えー、では経営企画部の由塚さんからの訴えで、宮原さんと伊藤さんと菊池さんが、彼女の悪口を食堂で言っていたとの事ですが……」
コの字型のテーブル、お誕生日席みたいな位置に人事部。
向かい合う俺たちと経営企画部という配置で、相手とは物理的に距離があるものの、長机1つ分程度。
声はきちんと届く。
「……あたし、この、由塚さん? この人と絡んだ事ありません」
宮原が手を挙げて発言する。
「私も経営企画部は、ヘルプに行かない部署なので、由塚さんは存じてないです」
伊藤も口を開く。
「わたしも、情シスで由塚さんの担当をしたことないでありんす」
部課長いる中、ありんすを貫く菊池の胆力がすげぇ。
「そんなわけ、無いじゃないですか! ワタシは直接聞いてないけど、別の人が悪口言ってたの、聞いてたんですよ! それをワタシに教えてくれたんです!!」
バンっと叩かれる長机。そんな憤慨して唾飛びそうな勢いで言う事?
「言った、言わないの論争なんて、証拠が無くて不毛な言い合いになるでありんす!」
「証拠なら、あります!! さっき言った別の人が、動画に悪口言ってたのを録画してくれてますっ!」
由塚とやらはとても強気だ。
こちらにいる女子たちは、本当にそんな事言った覚えが無いようで、何言ってるんだと言いたげな呆れ顔だ。
俺が知っている限り、こいつらが会話してたのは、菊池の一族が経営する銭湯やサウナについてくらいなもんだ。
菊池は普段、デスクで弁当を食べることが多いので、社員ダイニングにはこないからな。
ま、俺も毎日社員ダイニングにいるわけじゃないけど。
「えー、それでは、その動画を提出してください。むしろ初めから、それを言ってください。そうしたらさっさとこっちでも判断できたのに……」
人事部課長、めんどくっっっさそーな声上げてる。
経営企画部部長も頷いている。
って、おい、情シスの部長か課長はどうした!!
「ところで、菊池。上司はどうした……」
俺が小声で訊ねる。と言っても、みんなに聞こえてるが。
「情シスの変わり者たちが、システム関係じゃ無いうえに、めんどくさいってわかっている場に、来るわけないでありんすよ」
俺だってめんどくさいに決まってるじゃ無いかぁあぁ!!
けど、そこは飲み込むよ。アルコールも飲み込みたい……今すごく!
「と、とにかくです、証拠の映像流しますね」
――再生
『ほんと、ポラッタって何なの、何にも便利さないじゃない……』
伊藤の声が流れる。
『ホントだよね、むしろ足引っ張りまくりじゃんって思うよ』
宮原がそれに同意する。
『仕方ないでありんすよ。ポラッタは各所から評判最悪なの周りが知っていたから、反対したのに、こうなっちゃったんで、後の祭りでありんす』
菊池の落胆した声。
「……これのどこが悪口なんだ?? 俺も全面同意の内容なんだが……??」
つい、俺は口走ってしまう。
宮原、伊藤、菊池も、それに人事部課長、経営企画部部長も頷いている。
「何言ってるんですか、『ポラッタ』って隠語で、ワタシの悪口言ってるじゃないですか!!」
……はい?
「「「「「はい?」」」」」
他の全員の声が、俺の心の声とハモった!!
「いやいや、何を言ってんの? 第一ポラッタは……」
「やめてくださいっ! ワタシの悪口言うための隠語な単語なんて聞きたくないですっ!! これは傷害罪ですよ!!」
宮原の声を遮って、由塚は耳を塞ぎ頭をブンブン振って髪を振り乱し、泣き叫ぶかのように喚く。涙は出てないけど。
経営企画部部長さん、こっちを見ないで。お宅の部の社員が暴走してるんですよ。助けを求めるような目を向けるな、その目をしたいのはこっち側だ!
「あー、とりあえず……いったんそれは置いといて……由塚、君は経費の精算ってどうしてる?」
助け舟だしてやるか、これで誤解も解けるはずだ。
「は? 経費の精算って、楽りん精算ですよね?」
おいおい、それは前々年度の話だぞ。
コイツの頭は2年前で止まってるのか??
「いや、今のシステムの事だが……」
そう、経費精算システム『ポラッタ』の事を、俺は訊いている。
これでポラッタは、悪口の隠語ではない事がわかるはずだ!
「え? 楽りん……」
経営企画部さん、どうなってんの? と、部長を見てみると、部長も目をまん丸にして由塚を見ていた。
そりゃそうだ。楽りん精算はとうに使っていないシステムだ。
「今現在の経費精算システムの名前は『ポラッタ』でありんすよ……」
「え? だって、それはワタシの悪口を言うための隠語だって、教えてもらった……」
言ったの、誰だよ!! バカなの?!
気づかないコイツも問題だけど、言った方も大問題だよ、これ!
「えーと、経費精算システム『ポラッタ』は、弊社内で非常に評判が悪いソフトでな、すぐ固まるし、読み込み遅いし、領収書の読み取りAIシステムは頭悪いし、固まるし、部門予算システムとの連携反映が遅すぎるという、非常に優秀とは程遠いソフトで、至る所から苦情が出ているシステムなんだが……。何で、知らないの?」
つい、質問してしまうも、由塚は黙ってしまった。
「……まさか、由塚、お前……自分で経費精算してないで、誰かに押し付けているのか?」
経営企画部部長が、ワナワナ震えながら質問するも、由塚は黙ったまま、口をギュッと結んだ。ビンゴだな。
後輩に面倒な事、押し付けている系だろう。
「あー、これで誤解は解けましたね? 宮原・伊藤・菊池は、由塚の悪口なんて言っていないって」
人事部課長と経営企画部部長は、深く頷いた。
「あとは、経営企画部でのお話合いになると思うんで、こちらはもうこの場にいる必要は無いと思うので、これにて。あと、由塚に『隠語で悪口を言ってる』と伝えた誰かさんも、ポラッタを知らない可能性ありますから、その辺も明らかにした方がいいと思いますよ」
そう言って、経営企画部の2人を残して、他の面々は会議室を後にする。
勝手な解釈で、悪口を言われたと、難癖つけられた宮原・伊藤・菊池は、無実無罪が確定だ。
「何あれ……アホくさ」
宮原、もっとこうオブラートに包んでくれ。わかるけど。
「言い掛かりが過ぎるわよね、何が隠語よ。バカじゃないの」
伊藤……気持ちはわかるが……。
「あんなオタンコナスがいたなんて、驚きでありんす」
おたんこなすって、久しぶりに聞いたな。
「と、とりあえず、お疲れ様……。なんか無駄に時間取られた、ひどい災難だったな……」
つい俺も一言、チクリとトゲがある言葉を言いたくなってしまう。
「労災ですー」
ぶー垂れる宮原。
気持ちはすごくわかる。俺だって巻き添え食らってるんですよ、ハイ。
「んじゃ、労災の見舞いって事で、ステラバックス行くか」
どうせ、このテンションじゃ仕事にならないし、少しの息抜きくらい良いだろう。
弊社が入居しているビルの1階には、コーヒーショップのステラバックスが入っている。
外部の客との打ち合わせで使ったりもするし、リフレッシュタイムを取る事だって出来る。
「やったー! 部長のおごりですよね!」
宮原の声が明るくなる。伊藤と菊池の顔も明るくなる。
「何言ってるんだ、経営企画部あてに領収書切るに決まってるだろ。こっちに無駄な迷惑かけたんだからな。経費処理は出来ないけど、経営企画部の部長に自腹切ってもらうさ。部下が迷惑かけてんだからな」
きっと今の俺、今日の中で1番悪い笑顔だろうな。
ま、きちんと確かめずに、難癖つけてきた経営企画部の落ち度ってコトで。部長も同罪だ。
――数日後。
由塚と、由塚に隠語だと吹き込んだ奴は、やはり、後輩に経費精算を押し付けていた。
そのため『ポラッタ』の存在を知らず、隠語で悪口という発想になったらしい。
同じ会社に所属はしていても、まったく絡みのない人が、隠語で悪口を言うなんて、ありえないだろう。
しかし1度思い込むと、暴走しがちになる奴ららしく、たまたま宮原たちが、ターゲットになってしまったようだ。
なんで、隠語で悪口を言ったと思ったのか訊いても、「そんなの悪口言う人にしかわからないでしょ」と由塚はキレ散らかしたとか。
そもそも言ってねぇっつってんのに、話を聞かない奴らしい。
あちらの部長さん、この数日で5年分老けた気がする。
とりあえず、由塚と勘違い知人の人は、バラバラの支店に飛ばすらしい。
人事部にも迷惑かけた事も含め、課長がそこそこ悪い笑顔で「どの支店がいいかな」とニヤニヤしていた。
――さらに数日後
後から聞いた話だが、前にいた支店でも由塚は隠語で悪口の難癖をつけて、周りを攻撃していたらしい。
問題児じゃねーか! 人事部把握しとけっ!
「イトちゃんのお弁当何これ、かわいい!」
「宮ちゃんのお弁当、バランスの塊じゃない!」
社員ダイニングでは、平和そうな宮原と伊藤の声が聞こえていて、彼女たちはすっかり復活してる。そもそも悪くないけれど、難癖つけられるのって、結構精神的に来るんだよな……。
本日の俺、社員ダイニングにてカミさん弁当で、癒しの時間を過ごせる事に安堵する。
午後の活力に欠かせない、美味しい弁当。幸せだ……。