02話 女中の依頼
商店の並ぶ通りを抜け、裏路地の先にある古い宿屋に入って行く。
履き物を脱ぐため玄関框に腰を下ろしたとき、一人の女が後ろから声をかけてくた。しなやかに波打つ長い髪を適当に結い、垂れた前髪で片目が隠れている。艶やかな紅に染まった下唇、胸元まで崩した着物、遊女を彷彿とさせるこの女は、宿の女将だ。
「最近、ここらの頼みばかり受けてるみたいじゃないか。この街の用心棒にでもなってくれるのかい?」
「…たまたま依頼されただけだ。すぐに出て行く」
「ふふ…つれないねぇ。…そうだ、あんたのお連れさんが退屈そうに待ってたよ。土産でも買ってってやったらどうだい?」
「そうか…、面倒をかける」
素っ気ない―という口先まで出かかった言葉を、女将は喉の奥に押し込んだ。
「かまわんさ…、そろそろ夕餉の時間だ、食べるだろう?」
「ああ、頼む」
「あいよ、部屋で待ってな」
桃太朗は、女将が宿の奥に消えるのを背中越しに見送り、自も借りた部屋へと足を運ぶ。中庭を横切った廊下を渡り右に曲がった先、突き当たりの部屋の襖を開ける。
「…今戻った」
「お帰りなさいませ、桃太朗の兄さん!」
出迎えたのは一匹の猿。しかし、その姿は野山に生きるそれではない。焦げ茶色の体毛、その上からは忍び装束にも似た黒い衣服を纏っている。落ち窪んだ眼窩と顔中に走る切傷のせいで悪人面に見えるが、桃太朗を捉えている視線からは確かな知性を感じさせる。
「ああ、他の奴らはまだ帰っていないのか?」
「はい、犬の奴は商人の護衛やらで明日には戻るはずです。雉の野郎は女将さんの野暮用を任されてまして、そろそろ帰る頃合いかと」
「何か鬼の足取りは掴めたか?」
「いえ、多くは有象無象の小鬼の情報ばかりですわ」
「そうか。……狒々」
「はい?」
「小鬼とはいえ相手は鬼だ。……今日も、一人喰われた」
「…!、すみません…口が過ぎました」
少しばかりの気まずさが流れる中、何者かが窓を小突く。
「猿、戻りました。障子を開けてください」
障子の向こうから聞こえるは、鳥の鳴き声。猿は声に従い窓の障子を開ける。
「おや桃太朗、お帰りになっていたんですね」
現れたのは一羽の雉。歌舞伎の筋隈を思わせる頬に、深く移ろいがかった緑青の羽毛。広げればその身を包んで余りあるほど大きな風切羽は鳶の柄を彷彿とさせる。
「今し方な…」
「…?」
雉は、室内に流れる微妙な空気を感じ取った。
「…猿、あなたですね。また何かしでかしたのでしょう?」
「またってなんだよ!!」
「大抵の問題は、いつもあなたが原因でしょう!」
雉は猿から眼を逸らし、大きくため息をついた。
「桃太朗、いつも猿めがすみませんね。なにせ此奴は…」
「あーあー!うるせぇ、うるせぇ!!いつまでも引っ張るな!…だいたいお前ぇは…」
「俺は気にしてない」
「ホホ、それならばよかった」
「聞けよ!!!」
雉と猿の繰り広げる喧騒の中、いつの間にか部屋の入り口には女将の姿があった。
「夕餉が出来たから持ってきたんだが…、今日も賑やかなお連れさんだねぇ」
「騒がしくしたか?」
「そうでもないさ。こんな古宿に泊まろうって客は、あんた達ぐらいなもんだからねぇ」
女将は、誰の気配も感じることのない廊下に視線を移し、どことなく寂しげな作り笑いをした。
「キキィ!」
「ケーンケーン」
猿と雉の鳴き声にハッとさせられる。
「おっと、飯の時間だったね。…相変わらず何て言ってるか分からないが…お市、据えておやり」
「あっ、は~い」
女将が柏手を打つと、襖の裏手から食膳を抱えた女中が出てきた。齢十四、五歳ほどに見える若い女中は、三人の前に料理を並べはじめた。
目の前に並ぶのは旬の野菜に川魚、煮物に天ぷら、出汁の香る吸物。おまけに艶のある、一つ一つが粒立った純白の白米であった。
「じゃぁ、あたいは戻るから、何かあればお市にでも言いつけな」
「いつでもお声がけくださいね!」
二人が部屋を後にする姿を見送り、三人は料理に手を付ける。
「やっぱ、ここの飯は美味いっすね」
「作っているのは女将とのことですが、どこでこれほどの腕を磨いたのやら」
おかずを挟みながら、茶碗いっぱいの米を掻き込む猿とは対照的に、雉は一品一品をじっくりと堪能する。
「お市ちゃんも、小せぇのにエラいよなぁ…」
「本当に、猿にもあの健気さがあれば、その悪人面…少しはまともに見えるでしょうな」
「おっ!兄さん、この煮物も美味いですぜ」
「…先ほどの仕返しですか?猿知恵ですね」
「あ?」
「なんですか?」
「相変わらず仲が良いな、二人は…」
「兄さん?」
「桃太朗?」
本気で言っているのか、と聞き返したくなる言葉に、二人の頭に登った血もすっかり冷えてしまった。
「そんなことより兄さん、女将さんに今日も美味かったって、また言っといてください!」
「まぁ…他の者に、私たちの声は聞こえませんからねぇ」
「…伝えておこう」
それから暫く、三人は無言で出された料理に没頭した。
――
夕餉と湯浴みを済ませ、中庭の縁側に腰をかける。ふと庭の池に目をやると見事な満月が映えていた。
少しの間、月に目を囚われていると廊下の奥から桃太朗を呼ぶ声が聞こえた。
「桃太朗さん、あの…少しお時間いいですか?」
声の主は、先ほど膳を配っていた女中だ。
「お市と言ったか、…何の用だ」
「えっと、…ここでは話しづらいので、私の部屋までお越し下さい」
要件を濁す女中に従い、桃太朗は促されるまま、彼女の部屋に向かった。
「どうぞ」
「邪魔をする。………女将も居たのか」
彼女の部屋、襖を開けると、中には煙管を咥える女将の姿があった。
「夜伽の相手だとでも思ったのかい?あたしで良けりゃ、一晩相手をしてやるよ?」
「……」
食いつきの悪い桃太朗に対し、女将はふて腐れた様に悪態をついた。
「冗談だよ。まったく…そんなんじゃ、いつまでたっても女の一人だって寄りつかんだろうに」
「女将さん…」
「あぁ…すまないね、お市」
さっきまでとは打って変わり、女将は神妙な面持ちで話し始めた。
「…桃太朗、あんたに仕事の依頼だ」
――
「という…わけなんです」
「……」
夕方、実家に一人でいた女中の姉が姿を消したという。壊された窓とその外、家屋の裏手からは人のものではない、獣の様な足跡がいくつも残されていた。
「桃太朗さん!どうか…、どうかお願いします!!お姉ちゃんが!!」
「お市、少し落ち着きな。」
「でも…!」
「お市」
「……すみません」
取り乱す女中を女将が窘める。しかし不安が勝るのか、女中は居ても立ってもいられないという様子を隠しきれずにいた。
「あたいから言うのもなんだが、桃太朗…受けてやっちゃくれないか」
「お願いします!!」
震える手で地べたを蹲う女中の姿を見て、桃太朗は腹を決める。
「…分かった、受けよう」
「…!、ありがとうございます!!」
「これから、直ぐに出よう」
「すまないね桃太朗、…気をつけてお行き」
「…ああ」
女中の部屋を後にし、自室の襖を開ける。そこには、既に支度を整えた猿と雉の姿。
「兄さん、仕事ですかい?」
「そうだ」
「此度はどのような依頼ですか?」
「女中の実家、そこの姉が攫われた。…おそらく鬼の仕業だろう」
「もし人攫いならどうします?」
「さぁな…検非違使にでもくれてやれ」
「鬼の仕業であれば如何します?」
「決まっているだろう、…鏖だ」
寅の刻、東門―
夜が明ける気配すらない暗闇の中を、桃太朗と雉は街の外に向かって走る。門の外に視線を向けると、一頭の犬が待ち構えていた。
「ククッ…桃太朗、こんな時間に野暮用かい?………おや?、猿の姿が見えないねぇ」
人の数倍をあろう体高、吊り上がった口角から覗かせるのはいくつもの巨大な犬歯。本来、犬や狼には二本しかないはずのそれが口内全てを覆っている。鈍く光る眼球には年、輪が刻まれている様にも見える。
「八伏か…早いな」
「商人達なら、ちゃあんと送ったよ。…一人くらい、口直しにしたかったがねぇ」
「犬よ、お勤めご苦労様です。なにか変わったことなどありませんでしたか?」
「そうだねぇ…大きいのと小さいのを幾らかいただいたよ。幾許かの足しにはなったかなぁ…」
「悪食もほどほどにしないとお腹を壊しますよ」
「ククッ、主の命だ…実は生きていた、なんて困るだろう?」
化け犬の見せる邪悪な笑みを見て、この者が自分たちの味方で良かったと、雉は密かに安堵した。
「相変わらずですねぇ…」
「丁度いい…八伏、お前も来い」
「人使いが荒いねぇ…、朝餉の代わりにはなるのかい?」
「多分な」
「ククッ…それじゃあ、付き合おうかな」
「猿は先に向かっています。我々も急ぎましょう」
「なら乗るといいよ…その方が早いだろう?」
「頼む」
「お願いしますね、犬」
「……君の翼は飾りなのかい?」
雉を抱えた桃太朗が犬の背に跨がる。
「ククッ…振り落とされるんじゃあないよ」
ゆったりと一歩目を踏み出したかに見えた刹那、音すら数舜遅れるほどの二歩目を繰り出す。桃太朗を乗せた化け犬は、数里の道なりを瞬きの間に駆け抜ける。しかし、起るはずの暴風はなく、微かに木々をざわめかせるのみ。呼吸を思い出した時には、既に目的の山の麓まで来ていた。
「この辺りかい?」
「そのようですね……けほッ」
「翼があるんだから、飛べばいいのに」
「あなたについて行ける者など、それこそ神か仏くらいでしょう」
「ククッ…そういうもんかねぇ?」
「仕事だ、気を抜くなよ」
まだ日の昇らない山を行く。鬱葱と茂る木々が方角を惑わし、山鳥の鳴き声が不安を煽る。余人であれば、あるはずもない気配に怯えるような暗闇を、迷う素振りもなく突き進む。
歩を進める桃太朗に一つの影が忍び寄る。
「…猿か」
「兄さん、奴っこさんの居所が割れましたぜ」
「何処だ?」
「ここから東に少し行ったところに、朽ちた社があります。そこを根城にしているみたいです」
音を消し、暗闇の隙間から現れた猿は、桃太朗達が出発するよりも早く先行し、現地の同族の協力を仰ぎ調査に当たっていた。
「仕事が早いねぇ…猿」
「おう、犬じゃねぇか。お前ぇも来てたのか」
「それで数は?」
「小鬼が少し多いですね。それから、デカいやつが一体。こいつが小鬼らを統率しているボスみたいです。」
「攫われた者はどうなっている?」
「攫われた女中の姉ですが、生きてはいますが腕をやられてます。…急がないと危ないですね」
「そうか…、狒々」
「はい!」
猿は片膝を地に着け、桃太朗の指示を待つ。
「お前は俺と来い。…八伏」
「なんだい?」
「山から出る者を見張れ」
「はいよ」
いつも通り…といわんばかりに口角を上げ、二人とは別の方向に体を向ける。
「…行くぞ、鬼退治だ」