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最終話です。
麓の町に着いて馬を下り今夜の宿が決まった頃やっと私はこれは現実なんだと実感が湧いてきた。
今まではずっと夢見心地だったのだ。山道でみんなを見送った後に起きた出来事も、ジェラールさんに後ろから包み込まれるように抱えられて馬に乗っている時も……私の願望が見せた幸せな夢。
「嬢ちゃん、部屋は一つでいいか?」
ジェラールさんの問いかけに私は頷いた。多分顔は真っ赤になっていたと思う。
「嬢ちゃんが逃げられる最後のチャンスだぞ」
もう一度ジェラールさんが聞くので私は首を振った。
「ジェラールさんをものにできる最初のチャンスです」
真っ赤な顔で挑むように見た私の頭をジェラールさんはポンポンと叩いた。
叩いた後にグイッと頭を引き寄せ耳元で囁く。
「もう離してやれねえから覚悟しとけよ、カタリーナ」
食事を済ませ宿の部屋に入るとジェラールさんはお湯を貰って来てくれて私の手や足を綺麗に拭ってくれる。自分は井戸で水を浴びてきたそうだ。まだ濡れた髪のジェラールさんが私の靴を脱がせ足に触れるとビクッと身体が撥ねた。私は真っ赤になって自分でやると言ったのだけどジェラールさんは首を横に振った。
「俺がやりてえんだ。カタリーナは俺の女房になる女だからな」
俺の女房……私はもうジェラールさんのなすがままだ。
ジェラールさんは私の手足を清めるとお湯を換えて今度は首筋やうなじを拭う。そうしてゆっくりと私の服のボタンを外していく。
「怖いか?」
私は首を横に振る。ジェラールさんといて怖いことなんて何もない。もちろん物凄く恥ずかしいけれど。ぼーっと熱に浮かされたような目でジェラールさんを見たらジェラールさんの喉がごくりと鳴った。
「その目は反則だ……」
唇を塞がれた。人生二回目のキスは山道でのキスよりさらに甘かった。私の唇を割ってジェラールさんの舌が入り込んできたときには頭が真っ白になって、ベッドに横たえられたことにも気が付かなかった。
数時間後、ジェラールさんの胸に寄り添いながら私はポツリと呟いた。
「ジェラールさんには今まで沢山の女の人がいたのね」
だって私は初めてだからよくわからないけれどジェラールさんは余裕だった。優しかった。私が辛くないように気遣ってくれた。
「俺もこの歳だ、それなりに経験はあるけどな……俺の最後の女はカタリーナだ。そしてずっと一緒に居たいと思ったのはカタリーナが初めてだ」
そう言ってジェラールさんはまた一つキスを落とした。
セイローンの町で仕事の打ち合わせを済ませ王都に戻ってきたときには事件は一応落ち着いていた。
エックハルト殿下は捕まえたクラハト公爵家の騎士たちを王都の外に留め置き、そのまま騎士団と共にクラハト公爵邸に突入、第一王子暗殺計画の証拠を押さえたそうだ。そのままクラハト公爵は捕縛。クラハト公爵の妹である側妃様も捕らえられることとなったらしい。側妃様はクラハト公爵の陰謀に加担していることを否定したらしいが、モーリッツ殿下が王宮を度々抜け出していたのは側妃様とクラハト公爵の手引きによる。これだけでも重大な犯罪らしい。モーリッツ殿下の謹慎と側妃様がそれを監視することは王様の命令だ。それに違反したり虚偽の報告をすることは平民の命を奪うことなんかよりもっともっと重大な犯罪だということだ。
私たちが今回の顛末を聞いたのは事件があって三か月ほどしてからだ。
モーリッツ殿下に代わってもう一人の王子サマが定期的にウチの事務所に突撃してくるようになったから。定期的にと言っても一か月に一度程度だけど。
平民の間では「なんか偉いお貴族様が王子様を殺そうとして捕まったらしいぞ」とか「王子様が悪党を捕まえて成敗したらしい」とかいろいろ噂されていた。
三か月後にウチの事務所にお忍びでやって来たエックハルト殿下は私に大きな花束を差し出した。
「カタリーナ嬢、結婚おめでとう」
「わあ、ありがとうございます」
ふふっ私結婚しました。もちろん相手はジェラールさん。
セイローンの町から帰ってきた日、私とジェラールさんはそのまま以前ジェラールさんに連れて行かれた居酒屋に引っ張って行かれた。
そこで結婚おめでとうの盛大な酒盛り。
商会の皆さんは盛大に酔いつぶれて、結局数人をジェラールさんの家に担いでいって泊める破目になった。
その人たちは翌朝ものすごくばつの悪い顔をして私の作った朝食をモリモリと平らげて帰って行った。
その数日後ジェラールさんと役場に結婚の届け出をして皆さんに報告をしたら一週間後にまたお祝いの会を開いてくれた。
その時は私はちょっと贅沢な白いワンピースを着てルカさんの奥さんに借りた白いベールを着けた。
ルカさんの奥さんはその時初めて会ったのだけど、豪華な金髪に金の瞳の本当に本当にお姫様みたいに綺麗な人だった。
ジェラールさんは照れているのか皆さんにからかわれるたびにそっぽを向いていたけど手は私の腰をがっちりホールドして一度も離さなかった。
前回は仕事中で参加できなかった人や、ローバー商会と取引がある人達、ジェラールさんの家のご近所さんまで参加して会場はごった返していた。私はその片隅にお父様の顔を見つけたけどもう関係がない人だ。特に言葉は交わさなかった。
「ジェラールさん、エックハルト殿下からお花をいただきました」
私が喜んでジェラールさんに報告すると「ジェラール、だろ?カタリーナ」と訂正させられる。
「何だよ花だけか?」
ジェラールさんが……あっ、ジェラールがエックハルト殿下に聞くと「まさか」と笑ってエックハルト殿下は部下に指示をした。
部下の人たちが沢山の箱を運んでくる。
開けてみると二人用の素敵な食器だったり、平民にはなかなか手が届かないふわふわの肌触りのタオルだったり。「二人の寝室に」とエックハルト殿下が言って開いた箱の中からフリフリで花柄のカーテンが出て来た時には「柄じゃねえ!」とジェラールが頭を抱えた。
そうしてプレゼントの吟味が終わった後にお茶を飲みながらエックハルト殿下に今回の事件のその後を聞いたのだった。
第一王子の殺害を計画したとしてクラハト公爵家は爵位剥奪。公爵、夫人、その他計画に関与していた者は全て死罪となった。そして側妃様とモーリッツ殿下は北の塔というところに幽閉されたそうだ。北の塔というのは王族の罪人専用の牢屋のようなものらしい。
私が当初考えていたよりも事件は大きくなってしまった。私みたいな一庶民への付きまといじゃなくて第一王子の暗殺計画にまで発展してしまった。私はモーリッツ殿下がこれ以上付きまとわないでくれればそれで良かった。王宮で身分が釣り合った妃を迎えて私に関わりなく暮らしていてくれればそれで良かった。今更とても無理な話だけど。でも事が起こる前に私のことがきっかけで暗殺計画を未然に防げたのは良かったと思う。
一時間ほど話をしてエックハルト殿下は帰って行った。
数か月後、数度の訪問を経てすっかり馴染みになったエックハルト殿下が護衛の方たちと一緒に私の入れたお茶を飲みながらポツリと言った。
季節は冬を過ぎ少し風に春の息吹が感じられるようになっていた。
かじかんだ手を温めるように両手でカップを覆うように持った殿下は目を伏せながら言った言葉はとても小さな声で、それでもはっきりと私の耳に届いた。
「モーリッツが病気で亡くなった」
数か月ぶりに聞いた名前だった。近頃は思い出すことも少なくなった名前。
「塔に幽閉されていたのですよね。側妃様はがっかりなさったでしょうね」
私がエックハルト殿下に言うと殿下は一瞬言葉に詰まった後に小さく言った。
「——側妃も病気で亡くなった」
私はなんと言っていいかわからなかった。嬉しいとも悲しいとも気の毒にとも言えない。
殿下は首を一つ振ると明るい声で言った。
「今日はお祝いを持ってきたんだ」
「え?」
殿下が指示をするといつぞやのようにたくさんの箱が運ばれてくる。
「あ、あの、殿下……これは?」
私が戸惑っているとロイクさんの部屋から打ち合わせを終えてロイクさんとジェラールが出てきた。
「何だまた来ていたのか? 王子サマって奴は暇なんだな」
ジェラールがそう言うとエックハルト殿下は皮肉気な目をした。
「まあそういうな、今日はお祝いをたくさん持ってきてやったんだ」
そう言いながら箱を開けていく。箱に入っていたのは……
「べ、ベビー服に……こっちはクマのぬいぐるみ……涎掛けに……おむつ……え? 何で知っているんだ?」
びっくりするジェラールと私にエックハルト殿下が言った。
「ジェラールの初孫祝いだ」
「「孫じゃない!!」」
私とジェラールが仲良くハモったところでロイクさんがエックハルト殿下にしょんぼり言った。
「聞いてくれよ王子、またまた書類仕事ができる奴を雇わなきゃならねえ。どっかにいい奴いねえかなあ」
私はロイクさんに急いで聞いた。
「え? 私首ですか?」
「いや……辞めてほしくはねえけどガキが出来たら無理だろう?」
「うーん、ロイクさんの部屋を授乳部屋として貸していただけるんでしたら数か月のお休みで復帰したいです」
「え? 大丈夫なのか? 無理はするなよ」
ジェラールが心配そうな声を上げたのでにっこり笑って私は言った。
「一緒に子育て頑張ろうね、新米おとうさん」
———(おしまい)———
お読みくださってありがとうございました。
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ジェラールは子育て頑張っちゃいます。
よろしくお願いいたします。