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ジェラールさんが言った通りモーリッツ殿下は一週間後にもう一度今度は騎士を七人連れてやって来た。
その時は商会代表のロイクさんがいてジェラールさんと二人であっという間に今度は家具も壊さずやっつけた。
熊みたいなロイクさんを見て騎士たちは半分腰が引けていたし。
そしてそのまた一週間後、今度は家を出たところを待ち伏せされた。ついに家がバレてしまった。また引っ越さなくちゃ。殿下は迎えに来てくれたジェラールさんが撃退してくれたけど私は事務所でため息をついた。
「引っ越す当てはあるのか?」
「一応家がバレた時のことを考えて何軒か当たってみたんですけどいいところが無くて……」
ジェラールさんの問いかけに私はもう一度ため息をついた。
女の一人暮らしだ、殿下の事が無くても安全面には気を配りたい。今住んでいるところはパン屋さんの二階を間借りしているのだけど、御主人夫婦がしっかりしているので変な人は入ってこない。衛兵の詰め所にもほど近いので安心だったのだ。
ジェラールさんはそんな私を見て頬をポリポリと掻いた。
「あのな、そのな、嬢ちゃんが嫌だったら無理にとは言わねえけど……俺んとこ来るか?」
「え?」
「あっ、いや、この仕事が軌道に乗ったんでな、一年前に家を買ったんだ。貴族みてえな大きな家じゃないけどな。だから嬢ちゃん一人ぐらいなら住む部屋があるし、俺も送り迎えの手間が省けるし。だからいい部屋が見つかるまで俺んとこ来るか?」
「ご迷惑じゃないですか?」
「迷惑ならこんなことは言わねえよ。あ、近所の噂とか気にする必要はねえよ、娘と一緒に住むことになったとでも言っておくから」
そうか、ジェラールさんと私だと一緒に居ても親子にしか見られないんだ……そのことがなぜか寂しかった。
そうして私はジェラールさんのお家に住まわせてもらうことになった。
早速次の日にお休みを貰って荷物を纏めてジェラールさんの家に引っ越した。
「嬢ちゃんはこっちの部屋を使ってくれ」
案内された部屋は大きな窓がある日当たりのいい部屋。偶にみんなで酒盛りをした時に酔いつぶれた人を泊めるくらいで普段は使っていないらしい。ジェラールさんの家は繁華街の近く中流の庶民が暮らす住宅地にあった。周りは家族で住んでいる一軒家が多い。掃除と洗濯だけご近所の主婦に頼んでいるそうで食事はほとんど繁華街のお店で済ませるらしい。
商会の(あ、ウチの商会の名前はローバー商会という)手が空いている人たちが手伝ってくれて空いている馬車も貸してくれたからすぐに終わった。せめて皆さんに何かお礼をしたいと私は料理を作ることにした。
といってもこの家には食材はおろか食器もあるのはお酒を飲むコップだけなので買い出しは結構大ごとになってしまった。
「嬢ちゃん料理なんてできるのか?」
ジェラールさんが吃驚したような顔をする。本当の貴族のご令嬢だったら料理なんてしたこともないだろうけど私は十二歳まで庶民でお母さんと二人暮らしだった。私を養うためにお母さんは一生懸命働いてくれていたから私が家事をやっていたのだ。男爵令嬢時代は一切やっていなかったけど平民に戻ってからだいぶ勘は取り戻した。
その日はずいぶん盛り上がった。エールで乾杯してみんな私の料理を美味い美味いと食べてくれて馬鹿な話をして大笑いした。ルカさんが「女房と子供が待っているから」と早々に帰り、それからぽつぽつと帰る人が出始め最後にロイクさんが私の頭をポンと叩き「ジェラールをよろしくな」と言って帰って行った。
逆に私がジェラールさんのお世話になっているのに。
片づけをして厨房から出るとみんなとワイワイ過ごした食堂にジェラールさんがポツンと座っていた。
「ジェラールさん、今日からよろしくお願いします」
頭を下げるとジェラールさんは欠伸をして立ち上がった。
「こういうのもいいもんだな。嬢ちゃん美味かったよ、引っ越しで疲れたのに悪かったな」
「いえ、引っ越しは皆さんが全部やってくれたから私はなんにも疲れていないんです。私なんかの料理を皆さんが食べてくれて美味しいって言ってくれて嬉しかったです」
私が答えるとジェラールさんは私の髪をクシャッと撫でて「じゃあ俺は寝るわ、おやすみ」と部屋を出ていった。
ジェラールさんとの共同生活は楽しかった。
ジェラールさんは私が作る料理を何でも美味いと言ってくれた。朝、二人で出勤して仕事が終わると二人で帰る。帰り道で二人で買い物をして荷物は全部ジェラールさんが持ってくれる。ジェラールさんは料理はおろか洗い物とかもしたことが無くて私を手伝おうとしてお皿を三枚も割った。だけど屋根に上って雨漏りの修理なんかは簡単にこなしてしまう。他愛ない話をして二人で笑い合うことが物凄く楽しかった。「おはよう」や「おやすみ」の挨拶が出来ることが涙が出るくらい嬉しかった。
そうして平民に戻って初めてと言っていいくらい楽しい毎日を過ごして私はちょっと気が抜けていた。
その日はお休みだったけどジェラールさんは外せない用事があって出かけていた。
「昼過ぎに戻ってくるから買い物はその後一緒に行こうな」
そう言われていた。でもその日はジェラールさんと住んで丁度一か月経った日で、ちょっとしたお祝いに私はお菓子を作ろうと思ったのだ。ジェラールさんはお酒もよく飲むけど甘いものも結構好きだ。だからマフィンを作ろうと思ったのだけど小麦粉を切らしていた。
「お店まで歩いて十分くらいだしパパッと行って買って来よう」
ジェラールさん喜んでくれるかな? そんなことを考えながら店を出た時だった。
「愛しのカタリーナ、今度は上手く隠れたね、もうかくれんぼは終わりだよ」
すぐ後ろで声が聞こえて全身が総毛だった。
「……モーリッツ……殿下」
咄嗟に逃げようとしても足が震えて上手く動かない。殿下は私の手首を掴んで言った。
「君はじらすのが上手いね。でもそんな駆け引きなんかしなくても私は君の虜なのに。でも今度ばかりは私も少し焦ったよ。君の職場は粗野で下品な男たちばかりだし君はいつの間にか引っ越ししているしね。あの野蛮で下等な男たちと君が毎日一緒に居ると思ったらイライラしてね、商会ごとひねりつぶしてやろうと何度思った事か。偶然君を見つけることが出来て良かったよ」
モーリッツ殿下はにっこり笑う。他の人が見ればそれは麗しい笑顔で道行く女の人が振り返って顔を赤らめている。だけど私にはおぞましい笑みにしか見えない。掴まれている手首から恐怖が這い上がって私はカタカタ震えた。
「ああそんな顔も可愛いなあ。さあ行こうか、これからは沢山可愛がってあげる。私ならそんな貧乏くさい恰好はさせないよ。最高級のドレスを着て最高級の宝石を着けて君は私の妃になるんだよ」
グイッと手を引っ張られた。私は思うように身体が動かなくて引きずるように連れて行かれる。
少し離れたところに停めてあった馬車の前まで引っ張って行かれた。乗せられたら終わりだ。私は掴まれている手首をグイッと引いて殿下の手に嚙みついた。
「うわっ!!」
殿下の手がパッと離れる。私は必死に足を動かした。逃げなくちゃ! 足! もっと早く動いて!
「まるで野猿だ。そんな事どこで覚えたんだ? そんな君も躾けがいがあって楽しそうだけどね」
必死に逃げたけど男の人の足にはすぐ追いつかれてしまう。それに殿下を振り切っても護衛の人たちがいる。
――捕まる! その時すぐ後ろで「イタタ……」と声が聞こえた。
と同時に私はグイッと引っ張られ大きな胸の中にすっぽり納まっていた。
「無理強いはいけねえな坊ちゃん」
安心できるその声。腕の中から見上げると少し息を切らして髪が乱れたジェラールさん。それでも顔は余裕の笑みを浮かべて私を抱き寄せた手と別の手でモーリッツ殿下の腕をひねり上げていた。
「「でん……ご主人様!!」」
護衛の騎士たちが駆け付けるとジェラールさんは殿下の手をあっさりと放した。
「お前……この虫けら風情が! お前の商会ごとひねりつぶしてやるからな! 私に逆らったことを後悔するがいい」
手首をさすりながら殿下が忌々し気に言う。
「ジェラールさん……」
心配になって腕の中から呼びかけると、ジェラールさんは大丈夫だというように微笑んだ。
「でん……ご主人様、人が集まり始めています」
護衛騎士がモーリッツ殿下に告げると殿下は護衛を引き連れて立ち去っていく、去り際に一言残しながら。
「お前たちがそうやっていられるのもあとわずかだ。私のカタリーナを奪った代償は大きいと思え。後悔しても遅いがな」
モーリッツ殿下たちが去って行ってしまっても私は暫くジェラールさんから離れられなかった。足が震えて立っているのも困難だ。この安心する胸の中から離れたら膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
ジェラールさんは落ち着かせるように私の背中をゆっくりと何度も何度も撫でてくれた。
「来るのが遅くなって済まなかったな嬢ちゃん、怖い思いをさせたな」
違う! 勝手に家を出たのは私だ。それなのにジェラールさんは謝ってくれる。私の揉め事に巻き込んでいるのに、その為にローバー商会まで危険に晒されているのに。
物凄く身勝手だってわかっている。こんなことを言ったら迷惑だってわかっている。それでも気持ちを抑えきれなかった。
「ジェラールさん……好きです。あなたと離れたくない」