はぐれもっけ
・・・・ッス。
マチヨ、てっちん、オイちゃん、カラシ、門松、・・ヤブサ。
皆、・・ウチは、ここッス。
「んあっ?」
ウチは眠りかけてたみたいッス。いつもの雀のお宿の部屋。御山に帰ったウチ達は数日、連戦の疲れを癒してたッス。
溝出は案外あっさり次の契約者が決まって別の組に入っていったッスけど、ヨモツ子さんは一回完全にブチ殺された挙げ句魂を分割したりしたもんだから、ウチらと一緒に静養することになったッス。
そうはちぼんと白蔵主以外は浴衣でそれぞれ寛いでいて、ヨモツ子さんは琵琶を三味線みたいに軽い感じでジャカジャカ弾きながら、古い小唄を唄ってるッス。
逢い見ての 後の心のくらぶれば
思いぞまさる昨日今日
いっそ他人であったなら こんな苦労はあるまいに
焦がれ死ねとか出雲の神は ほんに仇やら情やら
陽気に「チョイサッ」「ハッ」と案外ノリよく唄い弾くヨモツ子さん。数年、下手したら10何年かに一度くらいのことッス。
新参のトラ子やプラ子やグーは知らずに楽しく聴いてたけど、『陽気なヨモツ子さん』を知らないカタメ子は困惑気味ッス。
音楽好きのそうはちぼんはご機嫌で、合いの手に自分を打ち鳴らし、水虎は頭だけ姿を表してキュウリの浅漬けを噛り、白蔵主は大きな白い狐の姿に変化した姿で聞き耳を立てながら寝入ってるッス。
メ子はメダフォンで課金対戦ゲームをしていて「そこですっ!」「芋ってますねぇ」「いつから味方だと思っていました?」「無課金ナメクジショットガンでレアガチャ強アーマー付きバギーに勝てるかよっ! ですっっ」と小声で呟きつつ段々ヒートアップしてるッス。
「眠いなら寝てな、ヘビ子」
ヨモツ子さんが、ふぅっと、柔らかく笑いながら琵琶を掻き鳴らすから、ウチはまたとろんっと眠くなって、座布団を枕に眠り落ちたいったッス。
寝る時、足を拡げ過ぎたから、
「お股しまっとけっ」
とカタメ子に浴衣の裾を直されたりもしてたみたいッス。
はっきりとしたことはわかんないッスけど、ウチはたぶん大正の始めくらいの産まれッス。百番手形になったのはずっと後ッス。なりたくてなったワケでもなかったッス・・。
ねぇやの話では、その日、嵐だったそうッス。家が裕福でなかったら、お医者さんとお産婆さんに来てもらうのも難しいくらいの夜だったそうッス。
母さんのお腹の中に11ヶ月もいたウチは、長い髪と獣のような鋭い歯、そしてあちこちに鱗のある身体で産まれてきたッス。
お産婆さんは「業が深い」と言って、死産にしようと産まれたウチを紐で絞め殺そうとしたみたいッスけど、ウチはその紐を喰い千切って、お産婆さんの手に噛み付いて、蝮と同じ毒を射って殺してしまったみたいッス。
どうしようもなかったッス。
色々検査はされて、病気ではないが人でもない、と診断されたみたいッス。
母さんはすぐにノイローゼになってしまって、離縁もされて、数年後には病院で亡くなったそうッス。
だけど親族に迷信深い人がいて、ウチは祟りを避ける為と、捨てられたり殺されたりせず、でも戸籍の届けは行わず、家の土蔵で育てられることになったッス。
最初は牛乳と米の磨ぎ汁を混ぜた物と、赤子でも噛み応えのある物を欲しがったから、当時は珍しかったチーズを与えられて育ったッス。今でも好きッス、チーズ。
乳離れする年の頃には雑炊とチーズと果物と食べて、大きなお椀で犬みたいに水を飲んでたそうッス。
ただ、食事をして身体を清潔にするだけだったから、言葉を話す気配も、まともに立って歩く気配も無かったみたいッス。
3歳くらいになると、ちょっと記憶があるッス。ウチはいつも不機嫌だったッス。
ずっと暗い土蔵の中、教わらないから言葉は話せないし、身体も上手く動かせないし、世話に来る女中達は自分となんか違うし、自分のことを恐れてる。
何より何も教わっていないから、何がなんだかわかんなくて、わからないことを『言葉』で思考できなくて、いつもイライラして夜になると大きな声で唸ったり、土蔵の壁に頭突きや体当たりをしたり、寝たまま蹴り付けたりしてたッス。
「うーあーっ!! うーあーっ!!」
身体は思うように動かせなくても、ウチの力はその時もう大人の男くらいあったし、頑丈さはそれ以上だったッス。怪我もすぐ治る。だから、夜な夜な暴れる暴れる。
家の人達は困って、女中の中で同情していて、身寄りが無くて後腐れ無い娘を教育係にすることにしたッス。
教育係といっても尋常小学校の少し通ったくらいだったそうッスけど、ウチはウチに話し掛けて、立ち方や歩き方や読み書きを教えてくれるこの、ねぇや、がすぐ大好きになったッス。
ウチは暴れるのやめて、元気に立って走り回れるようになり、勢い余って天井まで走るようになってねぇやを仰天させたりしたッス。
言葉も覚えたッス。
「ねぇやっ! 今日はとても気持ちが良い晴れ間ですねっ。お日様も、私を見て下さっているようです」
と、土蔵の狭い窓から見て言ったりしてたッス。その頃は今よりちゃんと話してたんッスっ! 頭の中も言葉で整理できるようになってすっきりしたッス。
そうして、5歳になる頃、ねぇやはウチの将来のことを酷く心配するようになったッス。ある日、
「お嬢様、ここからお逃げ下さい。明日、左官のコテを持って参ります。お嬢様の剛力なら、コテ一つで夜の内に逃れられるはずです。逃れてどうなるかはわかりません。ただ、このままここで一生を過ごされるのはあんまりですっ」
そう泣きながら、言って、ウチを抱き締めてくれたッス。ウチも泣いたッス。人に思われていたなんて初めてだったッス。
でも、翌日、ねぇやは来なかったッス。ウチの3歳上の兄に立ち聞きされてたみたいッス。ねぇやは、奈良の方に嫁に出されてしまい、それっきりになってしまったッス。
それからはまた元の暮らしになったッス。ロクに話さず、恐れる、交代で来る世話役の女中。それだけなら耐えられたッスけど、どういうワケか、件の兄が毎日土蔵の格子窓越しに来て、ウチに悪口を言うようになったッス。曰く、
「先祖はウワバミを斬った功で殿様に認められて、それが家の繁栄を認められた言い伝えがあるんだ。お前はそれを奪い返しに来たんだろ? お前が産まれたことは呪いだ!」
「母さんが死んだのはお前のせい、産婆が死んだのもお前のせい、父さんが家に寄り付かなくなったのもお前のせい、ねぇやが貧乏百姓に嫁がされたのもお前のせい、何もかもお前のせい、お前は産まれれるべきじゃなかったぞ!」
「嫌な顔。牙を剥きだして、醜いやつ。蛇っ! 鏡を持ってきてやろうか? 左官のコテより必要だろ? 自分の気味悪さを、わかれ! 産まれるべきじゃなかったと認めろっ」
「なんだ、まだ飯を喰って生きてるぞっ。恥を知れっ! 世間ではお前のようなヤツは許されない。誰に聞いてもそうだ。学者に聞いてやろうか? 裁判所に聞いてもいい、皆、言うよ、早く死ねっ! 最初から産まれてくるなっ」
「蛇っ! 死ねっ、産まれてくるな産まれてくるな産まれてくるなっ!!」
兄は毎日来たッス。雨の日も雪の日も嵐の日さえも。ウチはバカバカしくて、半年くらい無視していたけど、ある時、コイツはなんのつもりだろう? と思って、格子越しに顔を歪めてウチを罵し続ける兄の顔を観察してみたッス。
ウチは、兄は母が死んだことを怨んでるとか、単に嫌なヤツとか、あるいはひょっとしてウチのことを気に掛けて話す口実に悪口を言いに来てるのかとか、色々読み取ろうとしたッス。
「・・・っ!」
でも違ったッス。兄の目の奥は真っ黒で、それでいて冷たい火が灯っているようだったッス。当時は上手く言い表せなかったけど、それは義憤、に近いモノかもしれないッス。
兄の信じる世界の中では、ウチは『世界の敵』で、敵であるからには攻撃しなくてはならなくて、攻撃するからには勤勉に持続させなければならない。
自分の全てを掛けて戦うべき相手。それが兄にとってのウチだったッス。
ウチは確かに家で飼われてる異形の化け物で、お産婆さんを殺して、母さんを死に追いやったッス。
それでも、兄の粘り付く敵意は、とても普通の思考ではなくて、何か別の根本的な恐怖から逃れる唯一の手段としてすがり付いてこられてるようで、ウチは気持ちが悪くて、兄が気が済んで家に戻ると土蔵の中に吐いてしまったッス。
程なく、父さんが亡くなったみたいで、ウチに関心の無い伯母が家を管理するようになったッス。そして、兄が名乗り出たこともあってウチの待遇は兄が決めることになったッス。
終わった。と思ったッス。事実、扱いは段々酷くなったッス。
ウチが7歳になる頃には粗末になった食事と飲み水は数日に1度。沐浴は月に1度で冬も冷水。火鉢は使われなくなって、土蔵の掃除も着替えもおざなりに、でも兄の日参の罵倒は継続されたッス。
いつか痩せたウチの身体の成長は止まってしまい、なんだかまた上手く喋れなくなって、考えられなくなって、ウチはただ食事を待って、殆んど眠り続けて、夢の中で、段々言葉ははっきりしなくなったけど、ねぇやとお喋りするだけになっていったッス。
それからの数年間は記憶が殆んど飛んでるッス。
兄が、自分が尋常小学校を出てから、当時は入るのが大変だった中学校に進学したことを誇って、それを元にウチを罵倒するのを聞いた気がするから3年くらい経ってたんだと思うッス。
まるで成長の止まった薄汚れて痩せた言葉を話せなくなったウチは、ねぇやの夢も上手く見れなくなって、ただ数日おきに土蔵に交代で来る区別のつかない女中を喰い殺して腹一杯になりたい、殺したついでに土蔵から逃れて兄を時間を掛けてギッタギタに拷問して殺したい、その考えを押し止めること、それだけに集中して、その集中だけが、正気を保つただ一つの方法だったッス。
『人の範疇』でいられるギリギリのだったその年の夏が終わった頃、とんでもない地震が起きたッス。育てなくて痩せて軽いウチは揺れで軽く宙に浮き上がるくらいだったッス。
その時は地震かどうかもよくわからなかったけど、ウチが閉じ込められてた土蔵は簡単に崩れて、ウチはワケもわからないまま瓦礫の下敷きになったッス。
後に関東大震災と呼ばれる地震だったッス。
ウチが目覚めると、最初自分がいつの間にか膝を抱えた姿勢で小さく丸まっていることに驚いて、周りを『呼吸できる粘液』が覆っていることに驚いて、自分が何か丸い繭みたいな物の中に驚いて、ウチはとにかく繭を破って外に出てみたッス。
「あうっ、つぇっ?!」
熱い、と言おうとしたけど口が回らなかったッス。ウチは崩れた後、焼け落ちて炭と燃えカスと灰の山の天辺に裸で立ってたッス。
相変わらずギザ歯に鱗まみれだったッスけど、身体が年齢通りの10歳くらいの大きさになってたッス。栄養が足りないはずなのに。
燃えたのは、いや、燃えているのは崩れた土蔵だけじゃなかったッス。辺りの街全体が燃えてたッス。オレンジ色に明るいから夕方か朝かと思ったら、夜でした。あちこちで炎の竜巻が起こっていたッス。
空気も薄く、毒も感じて咳き込んだッス。普通の人間なら死んでしまう大気だったッス。と、
「お前ぇええっ! お前ええっ!」
崩れ落ちて燃えた、物心ついてから初めて土蔵の外から見たウチの家の母屋から炎の一体になった、少年みたいな形の気体のような液体のような気味の悪い影が飛び出して来たッス。
もう声も違ったけど兄だとわかったッス。兄が本当に『良くないモノ』に、兄の本質そのモノ、変わっていたッス。
「なぜ生きてるっ! こんな不正義っ! 許されないっ、許されないっ、お前は何も得られず死んでゆくべきだっ。そうでなくてはならないぃーーっ!!!!」
兄は変形し、歯を剥き出して襲い掛かってきたッス。
ウチは、不思議と、静かな水のような気持ちになったッス。
許したり、哀れんだり、申し訳ないと思ったり、そんなことは一つもなかったッスけど、ただこの時が来たと、そう思って、できるとわかってる右手をより爬虫類に近い形に変えて、爪を伸ばして、そこに命の、人とは異なる陰なる生命の、その力を宿して、ウチはその爪で、死霊の兄を引き裂いて滅したッス。
「・・・っ?!」
兄を滅ぼしてすぐ、下腹が冷たく、痛くなって、血が滴ってきたッス。
「っあうあ」
ねえやになんとなく聞いてはいたッス。ウチは最初の子供の時期を脱したッス。ここまで、生き延びたッス。
「うーーーーっっ!!! あうあぁーーーーっっっ!!!!」
ウチは無数の死者の声が響く燃え落ちる街の中で、吠えたッス。
2ヶ月後、まだ混乱したままで人が溢れて、上手く紛れられそうな浅草の一角で、ウチは『いくらかマシな格好の浮浪者』くらいの服装で、元気よく生ゴミあさりなんかをしてたッス。
悪口付きの土蔵暮らしに比べたら天国ッス。鼻歌混じりッス。ウチは歯もお腹も頑丈っ! 自分で好きに食べられる、生ゴミ御飯、最高っ!!
外の世界は刺激的で、2ヶ月の間に色々なことを見て聞いて勉強したッス。結果、二つ、はっきりしたことがあるッス。
一つ、ウチは普通の人間社会には参加できない。
二つ、この世界にはウチの同類がゴロゴロいる。それも、大体、敵っ!
ウチは人間達から隠れ、震災のせいでやたら増えて絡んでくる怪異達や、ウチみたいな怪異モドキを撃退したり、逃げたりしながら暮らしてたッス。
だけど、
「ギャースッ!!!」
ウチはある時、生ゴミあさりの縄張り争いで、『小豆洗わず』という怪異の目ん玉を抉って撃退したところ、物陰や、影その物から次々と怪異や怪異モドキ達が現れたッス。どいつもコイツもウチがこの2ヶ月の間にブッ飛ばしたヤツらだったッス
「テメェ、『ウワバミモドキ』っ! 調子づきやがってっ、帝都の妖しの掟ってもんを叩き込んでやらぁっ!!」
「んあうあっ!」
ウチは『毒気』を吹き付けて、逃げだしたッス。ウチはその頃から結構強かったし、相手は雑魚ばっかりだったッスけど、数が多過ぎるッス。
逃げて逃げて、芝浦まで来たッス。あちこちヤラれてボロボロで、右腕も取れそうになってたッス。
早く、栄養を採ってどこかで眠って『脱皮』しないとヤバい。ウチは、しつこい怪異のチンピラ達から隠れ、海の近くの水路に掛かった橋の下に来てたッス。
「ドコダ? ドコダ?」
「くそがきがっ、餅と混ぜて焼いて醤油付けて喰ってやる」
「オイっ、鼻が利くヤツ連れてこいっ!」
普通の人間には見えず聴こえないことをいいことに、人通りもあるにはある橋の上を堂々と探し回って渡ってゆく怪異のチンピラ達っ!
絶体絶命だったッス。その時、
「っ?」
視線の先の水路の上の宙に、子供の右手だけが浮いていて、ウチの右後ろを指差していたんス。
め~~っちゃくちゃ怪しい。でもその右手は必死でウチの右後ろを指差し続けたッス。
ウチは仕方無く、左手の鉤爪を出しつつ、右の後ろを振り返ったッス。
何も無かったはずのそこには、衝立みたいに唐突に立てられた2枚の襖が有ったッス。
戸惑ってると、その襖はスッと開いて、奥は小汚ない橋の根本しかないはずなのに全然別の部屋が見えて、さらにそこからウチとより少し歳上くらいに見える肌が赤黒くて額に小さな角が2本生えた女の子が顔を出して、黙って手招きしてきたッス。
さっきの右手も襖の方に周り込んで角の女子と一緒に手招きしてくるッス。
「・・・」
上では殺気立った怪異チンピラが橋に戻ってきて「下見てこいっ」と格下の怪異に命じる声が聞こえた。他に選択肢が無かったし、女の子や浮いてる右手に悪意は感じなかったッス。
ウチは思い切って襖に駆け込んで行ったッス。
ウチが部屋に入ると、襖は閉まって消えてしまったッス。
部屋は古ぼけたが広くて清潔な畳の部屋。
「ウチは『締め出し鬼モドキ』の『門松』やっ。この右手は・・」
「俺だよ」
障子が開いて、ウチより1つか2つくらい歳上に見える、子供なのに商家の若旦那みたいな和服を着た銀髪で、右手の無い男の子が入ってきッス。
「来い」
男の子が命じると、門松の近くで浮いていた右手が男の子の方に飛んでいって、右の袂に潜り込んでくっ付いて男の子の右手になったッス。
「俺は『牛引き童子モドキ』の『ヤブサ』。この『亀蔵屋』で暮らす、『はぐれもっけ』達の頭目さ」
ヤブサはにっこりと、品がある感じで笑ってきたッス。こんな風に男の子に笑いかけられたことはなかったッスから、ウチはどぎまぎしたッス。
「うう、あうのぉおのぉ」
ウチは自己紹介しようと思ったけど、上手く口が回らなかったッス。
「あんた、耳は聴こえてんのやろ? というかクッサっ! ノミとか色々付いてるしっ。ヤブサ、手当てする前に洗ってやった方がええんとちゃう?」
「いや、ウワバミモドキらしいから滋養を取って休めば脱皮して回復するだろう」
「脱皮・・」
「うあ?」
門松は呆れてたッスけど、ヤブサが部屋を出て行った後で、焼いた魚介類に塩を振った物と少し塩気を残した海藻に刻んだ唐辛子と行者ニンニクを加えた汁を8人前は出してくれたんで、ウチは左手でなんとか持った箸で夢中で食べたッス。
「さすがウワバミ、よぉ食べるわ~」
門松が感心していると、
「蛇の子来た」
「凶暴そうだっ」
「底無しだぁよぉ」
「ピヒヒっ」
障子の陰から子供の怪異モドキ達が覗いてたッス。
その時は知らなかったけど、『手鞠わらしモドキ、マチヨ』『茶釜転びモドキ、てっちん』『肉柱モドキ、オイちゃん』『火童モドキ、カラシ』の4人だったッス。
「普通の食べ物を食べ終わったら、コレも食べときっ! 門松特製っ、磯衾のミソの辛子味噌和えや」
門松は小鉢に盛った蠢く奇怪なモノを出して来たッス。
「あうう・・」
ドン引く当時のウチ。
「怪異は『人』か、『怪異の食べ物』を食べないと飢えが満たされないんや。人を喰わへんのやったら、怪異の食べ物を食べな、力出ぇへんで?」
「ううあ・・」
ウチは恐る恐る、蠢く味噌和えを箸で詰まんで口に入れたッス。口の中でも蠢くそれを噛み潰すと・・
「っ?!! うあおなまぬまうううのまさのようううっっ!!!!」
衝撃の美味しさっ。飲んだ側から身体に力が漲ったッス!!
「うっはっ、すんごい喋り出すやん。食べ食べ。ずっと腹ペコやったんやろ?」
ウチは泣いて『自分の食べ物』を食べたッス。
完食時点で身体の傷は全て治ったッスけど、猛烈に眠くなって門松とマチヨに風呂場に案内されてる途中の廊下でウチは眠りこけてしまい、そのまま銀の鱗で覆われた脱皮の準備状態になったッス。
二日後、汚れた衣服は取り払われた状態で亀蔵屋のいくつもある中庭の1つに寝かされていたウチは脱皮を済ませて裸で座ったまま身を起こしたッス。
ギザ歯のままだけど皮膚の鱗が無くなって、手足が少し伸びて、12歳くらいの姿になってたッス。
「ええっ? 背まで伸びてるやん。もう四つ身絣(子供用の着物)やなくて袴やな」
ウチは門松に背丈にあった袴を用意してもらい、ねえやがいた頃以来の清潔な服装ができたッス。
亀蔵屋は季節と天気と昼と夜の時間がある甲羅の中に屋敷とその敷地を持つ小島くらいの大きさの海亀の怪異で、ヤブサ達はそこを住み処にして日本中を渡って周りながら、連れてゆけそうな怪異モドキの子供を集めて、一人立ちできるまで亀蔵屋で育ててたッス。
今の主はヤブサだったけど、この役目は代々、古くは人が古墳を造っていた頃からあったみたいッス。
ウチはここで力の使い方を学んでギザ歯を人間の歯に変えたり、逆に身体を完全に蛇化させる方法を覚えたり、改めて言葉の話し方を練習したけど、この話し方の練習に本当に苦労したッス。
亀蔵屋に来て、一月経っても以前みたいに喋れなかったッス。
「ええか? ウチの後に続けて、口の動きも真似するんやで?『私は食いしん坊なウワバミ娘です。門松さんは可愛くて優しくて賢くて面白くて尊敬しています。門松さんの子分になりたいです』・・ほら、言うてみっ!」
「・・・」
「何その疑り深い目ぇ、練習っ! 練習やでっ。ほら、『私は食いしん坊なウワバミ娘です』」
「・・わいあをしいんぱうねまうへむすすめ、ッスっ!」
「語尾だけ強いなぁ。よし、そこはいい、伸ばしてこっ! あんたの語尾は『ッス』やっ!!」
「ッスっ!!!」
「そうやそうや、次は自分のこと『私』っ! 言うてみっ、ウチに続けて、ええか、ウチに続くんやで?『私』っ!!」
「わやし」
「ちゃうっ、ウチに続けて『私』っ!!」
「ウチえうええ、のあしっ!」
「『ウチ』だけ言えてるやん?」
「ウチっ!」
「いや、そこは覚えんでええ。ウチはウチのことや」
「門モツっ!」
「惜しいっ」
「ウチっ!」
「それはええんよ」
「ウチっ、門モツっ!」
「なんでやねんっ」
こんな感じで、ウチは2ヶ月後には語尾がッスで、自分のことをウチと呼ぶ、今の話し方に落ち着いたッス。
「君、名前が無いから、ここでつけよう。言葉を話せるようになったし、自分でつけたらいいよ」
忙しくて、亀蔵屋にたまにしか戻らないヤブサがウチが話せるようになったのを確認すると言ってきたッス。
だけどずっと名前なんてなかったから、どうつけていいかわからなくて、結局、仲良くなっていた門松とマチヨとオイちゃんとカラシと相談して、『〇〇〇』と決めたッス。
「〇〇〇か、言い名前だ。君に似合ってるね」
ヤブサはそう言ってくれたから、ウチはもう嬉しくって、思わず門松に噛み付いたらめちゃくちゃ怒られてガックリしたのを今でも覚えてるッス。
だけど、この名前、〇〇〇。もう思い出せないッス。ウワバミ達と契約して、百番手形になった時、人間の家族やねぇやの名前やはっきりした姿の記憶なんかと一緒に、無くしたッス・・。
それからの年月は本当にゆっくりだったッス。
皆とワーワーしながら、日本中の海を旅して、時に陸地にも上がって、ウチは一度、そんな歳でもないはずのすっかり老け込んで子供を育てて田畑や部品工場で働いてた奈良のねぇやの所をこっそり訪ねたこともあるッス。
乾物や燻製や塩漬けの魚介をどっさりねぇやの家に『ねぇや、子供の頃、ありがとう。私は元気ですが、もう会えません』て書いた手紙と一緒を置いてったこともあるッス。
お別れもあったし、他の怪異や仲間にならない怪異モドキと争ったりもしたッスけど、楽しく、楽し過ぎて、人間がアメリアなんかとあの戦争を始める頃になっても、ウチは12歳くらいの姿のままだったッス。
マチヨとてっちんとオイちゃんとカラシはウチと同じで姿が変わらなかったッスけど、門松とヤブサは14歳くらいの姿になってて、ちょっと置いてかれた感じがあったッス。
「マチヨは人より怪異に近いけど、あんたがお子ちゃまのままなんは甘ったれやからやね」
「ヤブサと結婚するのはウチッスっ!」
「なんやてーっ?!」
そんな呑気なやり取りをしていられたのも戦争が始まるまでで、いよいよ戦争が激化すると、人間は潜水艦をたくさん使うようになったし、人が死に過ぎて、苦しみ過ぎて、海でも陸でも怪異が増えて強くなって、凶暴になって、ウチらはもう逃げ回るので精一杯になったッス。
「俺がもう少し力をつければ百番手形になって、モドキでも、御山に出入りできるようになれるんだけどな」
ある時、珍しく疲れた顔でヤブサが言ったッス。付き合いのあった怪異モドキの陸の隠れ里が一つ、死霊の群れの襲われて全滅したばかりだったッス。
「百番手形? オヤマ?」
「百番手形言うんは八巻の怪とかいうとんでもない化けもんとか、目に余るくらい悪さする怪異を凝らしめるヤツらや」
「格好いいッスっ! オヤマは?」
「全ての神山の総本山だ。黄泉や高天原に並ぶ日本最大の異界だ。特別な怪異や神仏が集まる。麓までなら並みの怪異でも行けるというが、今の俺達じゃ餌か奴隷にされるだけさ」
「そんな怖いとこッスかっ?! ウチ、行きたくないッス!!」
「ハハ、そうだな。俺達は俺達でやってこう」
「ッス!」
それからウチらはどうにかこうにか戦中の混乱を乗り切って、戦後、ウチで言ったらねぇやのような、縁のある人達の安否を訪ねて回る旅を始めて、その旅が終わる頃には人間達は『万博』というのは始めて、大騒ぎしてたッス。
「この間までは爆弾落とされてヒーヒー言ってたのに、人間はお調子者やなぁ」
「逞しいのさ。彼らがいないと、その影の俺達も滅びる。百番手形みたいにはいかないけど、見守っていよう」
「何あの変な塔っ! アハハっ!! ウチの方が上手に作れるッスっ。マチヨ見てっ! てっちん達もっ」
ウチらは変装したり化けたりして、万博をこっそり見にいって、それから兵庫の下町の怪異モドキの隠れ里でのんびりしていたら、急に里が慌ただしくなったッス。
「どうしたッスか?」
「八巻きの怪達の中でも特に凶暴なヤツの眷属3柱が復活したらしい。生け贄に片っ端から強くて隙のある怪異を狩って回ってる。関西にも出た。おそらく亀蔵屋は狙われるっ。これから四国の海辺の怪異モドキの隠れ里へ向かおう。あそこなら亀蔵屋を匿ってもらえる!」
ウチらは急遽、瀬戸内海を渡って四国の海辺の隠れ里を目指すことになったッス。
なんだけれど・・
突然亀蔵屋の外の空が暗くなって、海も暗くなって、これまで感じたことのない邪悪な気配を感じたッス。
「外の様子がおかしいっ! 並みの怪異じゃないっ」
ヤブサは亀蔵屋の中の霊玉を操って、宙に周囲の海の様子を映したッス。
「なんやアレっ?!」
亀蔵屋を囲むように、海に染み渡った、闇から筒状の巨大な突起が迫り上がって、
ブボォオオオーーーーッッッ!!!!
亀蔵屋の中でも響き渡る、奇怪な音を鳴らしたッス。この時はしらなかった、これが『天眼の鰐』が使う『八坂笛』だと。
闇は亀蔵屋を捉えたッス。激しく揺さぶられる亀蔵屋。
「門松っ!」
「あかんっ、ヤブサ! どこにも襖が繋がらへんっ!!」
海上に巨大な蜘蛛のような怪異を口に咥えた、さらに巨大な鰐の怪異が姿を表したッス。龍のように長い尾を海面に散らつかせてたッス。
鰐は蜘蛛を噛み砕いて呑み込んだッス。
「んぐぐっ。僥倖なりっ! 牛鬼を狩りに来て、亀蔵屋を見付けるとはっ!! それも背にっ! 育ったモドキの仔どもを山程蓄えておるわっ!! 魂を捧げよっ!!!」
大鰐の声は直接頭に響き、聞いた直後に亀蔵屋の中に、幾つ穴を持つ闇の球体が染み出し、浮き上がってその穴から毒ガスを吹き出したッス。
「やめるッスっ!!」
毒の類いに耐性のあるウチは鉤爪を出して、球体を潰したけど、球体は無限に浮き上がってきて、ブボォオと音をだして黒いガスを出し続けるッス。
手こずってる間に子供達の半数以上は殺されてったッス。外の大鰐も身動き取れない亀蔵屋に近付いて来るッス。
「助けてっ!」
鞠から消されてゆくマチヨ。
「マチヨぉーっ!!!」
次々出るガス球体が邪魔で近寄れないっ。
「来るなよぉっ」
「これ嫌いこれ嫌い」
「ぺーっ!!!」
てっちんも、オイちゃんも、カラシも分解されて死んでいったッス。
「てっちん、オイちゃん、カラシ・・」
ウチは耐性があっても毒を吸い過ぎて意識が朦朧としてきたッス。両腕と両足が崩れ落ちたッス。
と、切り離されたヤブサの右手がウチのボロボロになった袴の襟首掴んで、ガスのまだ薄い、天井近くに出現していた衝立のような襖の方に吊り上げていったッス。
「っ?! ヤブサっ? 門松っ?」
見下ろすと、二人とも半ば白骨化してたッス。
「〇〇〇っ! すまないっ、御山で対価を溜めて亀蔵屋を復活させてくれっ。行き場のない仔達にっ、ここは必要なんだっ!!」
「むっちゃ愉しかったわぁっ! 〇〇〇っ!ほななっ」
「やめっ」
襖が開き、宙に映る外の大鰐が亀蔵屋に向かって大口を開き、ウチはどこかへ放り出されていったッス。
ウチは、陰火の灯るひんやりと湿った洞窟の広間に落ちたッス。頭上で固く閉じた襖は分解され、ウチの襟首を掴んでいた右手も分解されて消えたッス。
ウチ自身も少しずつ分解されつつあったッス。
「皆、ううっ・・・」
ウチが泣いていると、鈴の鳴るような音がして、白覆面に白い衣を着た実体の薄い怪異、白被りが現れたッス。
「よく生き残ったね。力、因果、徳。申し分無い。百番手形にならないかい? ここは都合がいいし、72番が欠番なんだ。御山に来ないかい?」
「・・ううっ、くそうっ、くそうっ! ・・・ウチ、勝てるッスか? あの鰐達にっ」
「それは君と、君の仲間達次第だろうね」
ウチは呼吸を整え、涙も止めたッス。泣いてどうにかなることなんて一つも無いッス。
「戦いたいッス」
「そうかい。これを」
白被りは袖を気体のように帯びのように伸ばして、木の札を崩れかけたウチの胸の上に置いた。
「あれも、ね」
白被りは陰火を操って、広間の奥の蛇の装飾の台座に突き刺さった両刃の剣を照らした。途端、剣から妖気が立ち上がって、霊体の大蛇を造りだした。
それが、数え切れる蛇の怪異の魂の集合体であることは見てわかった。
「悪縁、善縁、円にして、ここに還ったか、我らが同胞の仔よ」
「ウチはお前らなんか知らんッス」
「八巻の怪、滅っしたいか?」
「太巻きでも細巻きでも許さんッス。ウチが、絶対にっっっ!!! 倒すッス!!!!」
「ならばよし」
ウワバミの妖気は両刃の剣に宿り、剣は台座から独りでに抜けて飛び、木札ごとウチの胸を貫いたッス。痛みなんてなんともなかったッス。
爆発的な閃光。ウチは身体を復元させて、始めて完全に蛇体化したッス。身体は14歳くらいの背丈になってたッス。
「これまでの君の名は失われたよ? 新しい君の名前は・・ヘビ子でいいかな?」
「なんでもいいッス」
木札にはウチの新しい名と、番号と、本性の怪異の絵姿が記されたッス。
この日から、ウチは、百番手形72番、ヘビ子になったッス。
・・涙を拭って目覚めたッス。仲間達はヨモツ子さんと白蔵主と以外は眠ってたッス。白蔵主は着物を着た狐の獣人の姿で窓辺で酒を飲んでいて、ヨモツ子は眠った皆に、毛布や小さい人達にはハンドタオルを掛け直してやってたッス。
「お前は存外よく泣く」
「・・きっとウチも滅びるッスね」
また琵琶を鳴らすヨモツ子。
「怨めしや、とな。愛しくなければそこまで怨まん。怨まんモノだ。だがもっと軽薄になるといい、ヘビ子。軽薄なくらいでいい。愉しめばいい」
焦がれ死ねとは出雲の神は ほんに仇やら情けやら
ヨモツ子の唄を聞きながら、白蔵主越しに窓辺から見える、明けることを知らない満月を、ウチは見上げたッス。