039 勇者の演説
ツキノワの作戦会議室でミーシャがようやくタダシと再会していた。タダシが帰ってきたらすぐにでも出迎えたいミーシャだったが、その立場はそれを許されず、ツキノワ防衛戦が終わってから3日もたっていた。
「勇者様、ありがとうございます」
凛とした態度で深々と頭を下げるミーシャの顔は少し疲れているように見えた。
戦場では要所で魔法を使い、戦いのあとも不休で負傷した兵たちに回復魔法を使い続けたのだ。魔法王女と呼ばれるほど莫大な魔力を誇るミーシャとて疲労しない方がおかしいだろう。
「・・・いえ、俺がもっとうまくしていればこれほどの被害は出なかったはずです」
ともすれば社交辞令のような言い方をするタダシだが、それが本心からの事だとこの勇者の場合はわかるのだ。
なにしろ、〔あ~、マジで全然ダメだったな。俺はもっとやれると思ってたんだ。エスケレスさんだって俺なら「できると思っている」って言ってたのに、ちゃんとできなかったのは完全に俺の力不足のせいだよなあ・・・〕という言葉が頭上に浮かんでいる。口に出している言葉とはだいぶ印象が違うが、だいたいの意味は同じでタダシは心から今回の戦いの事を悔やんでいる。
これには本当は確かな勝算はなかったのに、タダシを無責任にサイカクの元に送り出したエスケレスはバツの悪い顔をする。
「・・・そう自分を責めるんじゃねえよ。今回の結果は魔王軍の八大将1人を仕留めた事を考えたら出来過ぎなくらいだ。本来、八大将を倒すつもりなら、ポーラ王国5人衆は全滅覚悟だったんだ。だから、今回はかなりこっちに都合よくいったと言っていいぞ」
ツキノワ防衛戦でツキノワの兵士たちに被害は出たものの、ポーラ王国の戦力の要である者たちが失われなかったのは大きい。
そんな気持ちをエスケレスは素直に表現するのだが、タダシは「そうですか、それなら良かった」とはならない。平和な異世界から来たタダシには誰の命であっても等しい。兵に犠牲が出たことを喜べるはずがない。
〔俺の知っている『異世界の勇者』は味方の被害をいっさい出さず、自分一人の力で一方的に敵を薙ぎ払うのが普通なのに、俺なんかは全然ダメだよ〕とあれが頭上に出ている。
それを見てミーシャは顔を曇らせる。
(タダシ様の理想とする勇者像は、私が召喚してすぐに帰還させる『日帰り勇者』がよく言っている勇者像ですね。この調子ならこの方は『普通の勇者』になるためにより努力して、私たちのためにさらに頑張ってくれる事でしょう。それはもちろん私たちにとってはとても都合が良い事です。でも、私は…)
苦悩するタダシにミーシャは意を決したように顔をあげると、口を開く。
「勇者様、お疲れのところすみませんが、お願いがあります!」
この姫は突然何を言い出すんだ?とエスケレスは嫌な予感がして慌てるが、ミーシャは構わず続ける。
「このツキノワの兵士たちの前にお姿を現して、今回の勇者様の働きを公にして、皆を激励して頂きたいのです!」
召喚された勇者が単身で八大将サイカクの元に乗り込んで討ち取ったらしいという噂はすでに兵たちの間に広まってきている。
そのため今までの自然災害のように恐れられていたハズレの勇者と違ってタダシへの尊崇の念がツキノワ軍では高まっているのだ。
「おいおい、そりゃあ…」
(姫だってタダシのあれの事を知らないわけじゃねえだろう。さっきだって出てたし、あれをどうするつもりなんだよ)
タダシを皆の前で演説させようなどと考えるとはさすがに短慮が過ぎるとエスケレスは思うが、
「タダシ様なら大丈夫だと思います。私は異世界から召喚された勇者様だからではなくタダシ様だから大丈夫だと思うのです」
ミーシャは決意にあふれた声で断言する。タダシはその声に後押しされるように、
「本当に俺なんかが勇者でいいんですか?」
「タダシ様だからよいのです。自信を持ってください。あなたは十分すぎるくらい頑張ってくれています。そんなあなたを私は皆に紹介したいのです」
このミーシャの提案はタダシに皆に感謝されていると知ってもらうためでもあり、兵たちのためでもあった。
八大将サイカクを退けたとはいえツキノワ軍の受けた被害も軽くない。本格的な魔王軍との衝突を初めて経験した兵も少なくない。魔王軍の脅威を肌に感じた兵たちに八大将を1人で倒した勇者を紹介すれば戦意高揚を期待できるだろう。
それにミーシャとしてはタダシなら仮にあれが出てしまっても皆に受け入れられると思っている。
(姫は勇者の事が好きすぎる・・・。恐らく本心をを見られてもこの勇者なら大丈夫と思っているんだろうが、そんな甘くねえぞ。人は人の本心を見てもいいようなきれいな人間ばかりじゃあねえんだ)
エスケレスとしては大多数にタダシのあれを見せるのは時期早々だと思っている。だからこのツキノワではタダシを限られた人間の前にしか出していないのだ。
エスケレスがそう思い、返事をする前に
「わかりました!ではさっそく準備いたします!姫様と勇者様はお疲れでしょうから少し別室で休んでいてください。私たちで準備しますから」
とレインが嬉々として答えている。レインもタダシに好意を持っているのでミーシャの提案を悪くないと思ったのだ。
(勝手な事をするな!)とエスケレスがレインをにらむが、
「大丈夫です!全て私に任せてください!」
と妙に自信満々に答えるレインにエスケレスは嫌な予感がするのだった。
*
ミーシャとタダシが去った後の作戦会議室ではタダシの演説を無事に行うための作戦(T作戦)をエスケレス、レイン、ポーラ王国5人衆が話し合っていた。
ここにいる者たちは皆あれの存在を知っているので『タダシの演説を無事に行う=あれをどうするか』だとわかっている。
これについてはさきほど宣言していたようにレインに妙案があるようだ。なにやら文字や絵が描かれた板の様な物を取り出して作戦を説明していく。
「ここはこの『勇者様の思考隠し板・改』の出番ですね!この前勇者様を救護テントに案内したときは『勇者様の思考隠し板』を使いましたが、この『勇者様の思考隠し板・改』は従来の『勇者様の思考隠し板』とは違って、なんとっ、板を見ている人達の気持ちを盛り上げる言葉や絵が板に書いてあるのです!今までの『勇者様の思考隠し板』は無地でしたからね~、さすがに違和感がありましたがこれなら見ている者の気持ちを上げつつ、自然にあれを隠せるというものです!」
ついに『勇者様の思考隠し板・改』に出番が来たとテンションの高いレインは、他の者たちのテンションが一向に上がっていない事に気づかないで続けていく。
「この『勇者様の思考隠し板・改』を私とイシンさんたちポーラ王国5人衆が協力して勇者様のあれが出そうになったら目にも見えない速さで『勇者様の思考隠し板・改』をその前に出してさえぎるのです。それだけの速さで『勇者様の思考隠し板・改』を出せるのはポーラ王国軍でも私たちくらいでしょう。ですから私たちが手分けをしてこれを使ってあれを完全に隠します。八大将ゴウユウ戦以来の共闘になりますが、私たちの連携ならきっとできるはずです。あっ、ジョノーツさんはいいいですよ、まだ右手が万全じゃないでしょうからね」
最後にジョノーツを気遣うレインに、
「そうか、助かる」
ちょっと嬉しそうに答えるジョノーツに「レインって確かに美少女ですけどやっぱりかなり変な子ですよ?本当にあれがいいんですか?」とニョリが余計な事をささやいている。
ジョノーツの手はミーシャによって再生されていたが、あくまでの人の手の形をしたものが再生されているだけだ。それまで長年鍛えてきたジョノーツの右手が再生されているわけではない。軽く握ったりはできるが、これから筋力をつけるリハビリを地道にしなければ今まで通りに戦う事はできないのだ。
いつの間に作っていたのかレインはポーラ王国5人衆(ジョノーツを除く)に『勇者様の思考隠し板・改』を配って回っている。
「賢者殿。本当にこれをやるんですか?」
「まあ・・・他に手はねえしなあ。お前たちは気が進まねえだろうが、かといってあれをだだ洩れにするわけにもいかねえだろう」
エスケレスにそう言われてイシンはレインから渡された『勇者様の思考隠し板・改』を手にため息をつくのだった。
次回は 040 ツキノワを後に です。